2023/12/18

1765【コロナ後の世界】期待するような新社会が待ち受けているのではなさそうだ

 

メタセコイア並木の黄葉 横浜日本大通り

 わたしはこのコロナパンデミックという地球的大事件が、その後の人間社会をどう変えるか大いに興味があり、それを見てから死にたいと思ってきた。
 この前の地球的大事件は、第2次世界大戦であった。個人的にはその一部であるアジア・太平洋戦争に直接間接に大きな影響を被ったが、その後の人間社会の変化かを、とくと見届けてきた。

 あんなことは2度とご免だが、コロナパンデミックの様にいわば自然災害の延長の様に起きてきては、防ぎようがない。できるとこは公衆衛生の普及、医療治療、医薬品の開発によって、拡大を防ぎ消滅へと努力することしかないし、そうやってきたのをつぶさに体験した。この地球規模の人類の体験が、この後で再構築する社会にどのような姿で出てくるのか、それはあの戦後社会の登場を見るような楽しみがある。

 そう思って期待しているのだが、コロナ中と末期にウクライナとパレスチナで大きな戦争が起きて、これは楽しみに期待するような新世界が生まれるのではないらしい気がしてきている。もしかしたらコロナで死んでしまう方がよかったのかもしれないと、思いつつある。

 個人的にはコロナウィルスに感染しないで来たから無関係だったのではなく、コロナによる行動制限は多くの影響をもたらした。2019年まではある程度は専門分野での会合にも参加し、あるいは出版原稿の依頼もあった。
 しかし、2020年からはパタッとなくなった。他人との交流の機会は大きく制限されて、それはまるで江戸時代の武士がお殿様から蟄居閉門を申しつけられたようであった。

 その間はそれが解けるのを待つしかなかったのだが、実は大きな問題が後ろに控えていた。それは自分が後期高齢者であることだ。若ければ蟄居が解ければまた世に戻ればよいのだが、超高齢者はその間に自身の肉体が衰えて簡単に復帰できなっているのであった。わたしも自分がそうなってみて愕然とした。

 コロナ前の頃と今のコロナ後とはたったの4年足らずだが、超高齢者にはそれだけの時間があれば肉体の衰えには十分であった。わたしの典型的な事件は、その間に街路の交通頻繁な交差点の中で転倒したことである。以後は杖を携えて徘徊に出ることにした。頭の方はまだ大丈夫だが、これは自分では判断できないから怪しいので、その判定は頻繁に書くブログを読む人にさせるのだ。

 もう一つ重大なことが起きたのは、同年の妻の身体の衰えが、わたしよりも先行してきて、介護保険適用の認定が要支援2の判定となり、日常的に老々介護をする側の初期体験中とにあることだ。このために脱コロナ後の今も外出制限が別の意味で続くが、幸いにして近居の息子に助けられている。
 もちろん妻ばかりではなく、同年の知人たちもそのような局面を無会えてるものが多い。もちろん死ぬものもじわじわと多くなってきた。

 こうしてコロナパンデミックは、わたしをすっかり社会から遠ざけ、戻れなくしたたのである。わたしのとってその代替は。ネット社会への一層ののめりこみである。ブログ書き込み、SNS活用はもちろんだが、コロナ以後に新たなネット武器としてZOOM meetingの登場である。

 コロナ前には無かったこれを使っての、専門的な研究会やシンポジウムに、会場に出向かなくても参加できるようになったのは、高齢者には実にありがたい大きな変化である。
 有料もあるが多くは無料参加が可能であるのが特に嬉しい。コロナの影響で嬉しいことはこれが唯一である。

 そしてビジネスで開発普及したこの会議ツールを、外出がままならない超高齢者たちの交流ツールにしている。わたしの場合は、大学同期生たちとの交流グループが、専攻分野、寮、山岳部の仲間たちの3組があり、頻繁にやっている組とあまりやらない組がある。

 だが、このZOOM交流は、参加者の高齢化による視聴覚機能の衰えで次第に人数が減る。もちろんほかの老化要因、例えばボケとか死亡もある。
 では同年の参加者を増やそうとしても、いまさらアプリケーションダウンロードしてあれこれいじって参加するなんてことを、八十路半ばになって新たにやる者はいない。

 そうやって八十路仲間たちには、次から次へとあの世へ先を越されて悔しがる日々である。わたしも近いうちに仲間を悔しがらせたてやるつもりだが、。(2023/12/15記)

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2023/12/16

1764【雪国イメージと現実】中越大震災復興の手伝いに通った豪雪山村の今年の雪の具合は?

  今朝の東京新聞の1面のコラムにこんなことが書いてある。通産大臣の頃の田中角栄氏が、その秘書が岡山県出身と知って、「君にとって雪はロマンの世界だよな」と言ったと秘書の著書にあるそうだ。
 これはつまり新潟県人にとっての岡山県人感を語っているのだが、岡山県出身のわたしが新潟県をそう思ったことはなかった。どこか食い違っている。

 わたしが新潟県の雪を初めて体験したのは、学生時代のスキー遊びで行ったのが初めてだった。それが何処だったか思い出せないが、単にスキー場の雪で特にロマンでもない。
 じっくりと雪国それも豪雪の地の生活を体験したのは、2004年に中越地震がおきて、次の2005年から震災復興支援に中越山村に入り込んでからだった。

 10年ほどの期間をかなり多くの日々を過ごしたが、それはまさにロマンというものからほど遠く、四季を通じて大災害から立ち直る雪国の四季を体験した。
 多い時は4m積もる雪の中で数日を過ごす日々は、よくこのような環境で人間は暮らすものだと思ったものだ。白一色の中でありながら、雪囲いで牢獄のような家屋で暮らす日々は、実際に暗いものだった。豪雪生活を全く知らなかったのでよい体験だった。

 冬は毎日が家の屋根と周りの雪かきが生活の必須の一部である。あまりに深いので「雪掘り」というほどで、これをしないと家から外に出ることさえできないどころか、雪に家と共にが押しつぶされる恐れが十分にあるのだ。
 外から雪の圧力で硝子戸が破損するのを防ぐために、冬は家の周りを厚い板で囲い込むので、当然に日中も電灯をつけなければならない。怖いのは、もしも火災を出したなら、雪囲いという格子の中の牢獄となって、焼け死ぬ恐れが高いことだ。

 わたしが生まれた岡山県中部の高梁盆地は、雪は降らないことはないが、積もるほど降るのはかなり珍しいことだった。
 わたしがスキーを始めて見たのは小学生の頃に、かなり珍しく深く雪が積もった日のことだった。いつも遊ぶ坂道ですべっている人がいたのを、しばらく眺めていたものだ。
 以後は大学に入るために故郷を出るまでスキーを見たことはなかった。大学山岳部にはいって初めてスキーを履いた。大雪の山にも登ったが、それは雪国の生活ではなかった。

 故郷の盆地で雪がふった日のもう一つの記憶は、家の裏にある広い竹やぶで、雪の重みで竹が折れる音である。鋭く大きな音でポキーン、パキーンと次々に折れてゆく。その音に続いてその竹に積もる雪がザーッと落ちる音がする。これを夜中に布団の中で聞き、耳で雪を感じたものだった。珍しいことだったから記憶が鮮明だ。

 中越山村では竹藪がないことはないが、庭の一部に大事に植えられている珍しい存在であった。竹と雪は相性が悪いのであろう。

 角栄氏が「生活との戦い」と言ったとあるが、冬はむしろ雪という自然との闘いであった。それだけに雪が解けてのちの、初夏に向かって萌えあがる緑の山や森そして田畑にこそロマンを感じるのであった。冬さえなければ、この地は天国であると思ったほどだ。

雪に埋もれる中越山村の家

萌え上がる緑に埋もれる中越山村集落

 その中越山村の日々は、このブログにつぶさに書いているが、さて異常気象の今年の積雪はどうなのであろうか。(参照「法末集落復興日録」)。

(2023/12/16記)

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2023/12/14

1763【防火建築帯の変身】横浜都心部の戦後復興建築の建て替えに見る時代の変化

 横浜都心部は、戦災と占領で疲弊しきった街に活力を回復する街づくりをやっていた時期がある。政府は1950年前後の頃に、耐火建築促進法という不燃都市づくりの助成制度を作って、全国各地の中心部に共同建築による商住共存の共同建築建築を促進した。その帯状に煮立てて行った建築群を「防火建築帯」という。

 横浜市は都心部に計画的に防火建築帯を造成して、商業と居住の場を再生していった。生であり、いまも関内、関外に多く建っていて、街の姿の基本的景観となっているところもある。特に伊勢佐木町とか長者町などのメインストリート沿いに多い。そして時代の変化につれてそれらは徐々に建て替えられた来た。

 その中のひとつ「長者町8丁目共同住宅」が最近に建て替わった。もとは1~2階店舗、3~4階が県公社住宅であった。それはよく見ると、なかなかにモダンデザインであったが、あまりに汚れて一部には破損も見えていた。複数地権者による厩割共同ビルだから、建て替えるには話し合いが難しかったのだろうが、ようやく建て替え工事が終わり、開業したのだ。
 このビルのことはこのブログにかつて書いている。https://datey.blogspot.com/2013/06/797.html

建て替え前の長者町八丁目共同ビル 2013年撮影
 
上の共同ビルの建て替え後の姿
 建て替わったビルも地権者の共同建築かどうか知らないが、一体として8階建ての高層ビルとなった。上層部は住宅で下層部が店舗・事務所らしい。その使い方は基本的に元の共同ビルを継承していると言えるが、その都心立地がそうさせるのだろう。
 
 かつて都市の住宅難時代に対応して県公社住宅を上層階に、そして低層階には地権者たちの店舗などの商業施設であった。そして県公社住宅も地権者やその店員たちが優先して入居し、更に若い都市住民が入居したであろう。彼ら戦後復興を担った。県公社住宅はその後に地権者たちに譲渡された。
サ高住の看板

 ここでの建て替え後の住宅は、サ高住つまりサービス付き高齢者向け住宅である。かつては若者であったのが今は高齢者であるのが、これもまさに時代の要請である。
 サ高住のほかには、1階にはドラッグストアが入った。薬品、日用品、食料品などを扱っており、これも時代に対応する業態である。元あったような飲食店がない。ほかに何が入っているのか分からない。

 それにしても、サ高住のパンフを見ると、高価なものだなあ、歳取るのも大変だよと、身に染みてため息が出る。最も狭い18~19㎡の1人部屋で月に家賃等で15万円余、2人部屋55㎡で同27万円。もちろん食費は別である。
 それにしては建築デザインが安っぽくて詰まらないなあ。

 これまでのこのあたりの防火建築帯の建て替えは、多くが分譲型区分所有共同住宅(いわゆるマンション)で、一部に店舗がある床利用だったが、これからはこのような福祉型の施設が入る時代がきていると気づかされた。そういえば3丁目に数年前に建ったビルも、下にクリニックや薬局、上にナーシングホームである。

 そしてもう一つ大きな違いは、分譲型ではなくて賃貸型であることだ。実はこの近くでわたしが住む共同住宅も、一棟全てが一人のオーナー家主(神奈川県住宅供給公社)による賃貸借型の住宅だ。わたしは分譲型には昔から大いに疑問を持っているから、21年まえに鎌倉の戸建て自宅から移転するときにこれ選んだのだ。
 そしてこの近くに、これも防火建築帯の建て替えだが、分譲ではなくて一棟全部が賃貸住宅の高層ビルが2棟も最近建った。都心徘徊途中に賃貸住宅と表示する工事中のビルがいくつかあることに気が付いている。これも今の時代をあらわす住宅の傾向だろうか。
(20231214記)
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2023/12/11

1762【東西金くらべ】西に政治家の裏金あれば騒ぎ東に野球屋の大金動けばまた騒ぐカネのない庶民たち

  全くタイミングよく事件がおこるものである。太平洋のこちらの国で、政治家の数人がこの10年ほどの間に、独り数千万円の裏金を作っていて、これが法に違反するとて、政界は大騒ぎである。
 そうか、政治家になるとそんな大金を、税金を払わなくてもよいし、何に使っても文句言われないお金が入るのだ、羨ましい、いや、けしからんと思っていた。
 わたしは政治家の金に興味ないのだが、あまり新聞が大きく書くので目についたのだ。

大金でもこの差はどうだ、日本の政治家ってちいせえちいせえ、

 そしてまた、わたしは見世物スポーツに全く興味がないのだが、こんな時に偶然にも新聞第1面にあまりに大きく出ていて知ったのが、これまた大金が動くニュースである。
 なんとまあ、太平洋の向こうの国では、たかがプロ野球のプレイヤーに、10年間で1千億円をも出すからと交渉して、ある球団から別の球団に引き抜きに成功したというニュースである。

 海のこちらではいい年のおじさんたちが、何年もかけて数千万円も裏金にしてポケットに入れているのに、海の向こうでは30歳前の若造が10年1千億円も堂々と稼ぐのである。
 西に政治家の裏金あれば自分が出したカネでもないのに指弾し騒ぎ、東に野球屋の大金が動けば自分のカネでもないのに大騒ぎする。

 こうやって二つのニューズが並ぶと、日本の政治家たちのやってることが、なんだか小さい小さいなあ、気の毒になあ、なんて思えてきたが、これはたまたまタイミングが良く、いや悪く、二つの何の関係もないニューズがぶつかったので、そう見えているだけだと思いなおすのである。

 庶民はどうしてそんな自分に縁の無いカネに騒ぐのかしら。どっちにしても、わたしのような庶民には見当もつかない札束である。どう使うのだろうか。平和なようなそうでもないような、奇妙な気分が広がる世の中だ。
 これで内閣改造となれば、何か良いことが起きるのだろうか。期待して裏切られるかも。

(20231211記)



2023/12/10

1761【国連右往左往】米・英・独・仏・伊・蘭・露・印・土・白・波・越・宇いくつ判るかな

 イスラエルのパレスチナのガザへの攻撃は続く。国連安全保障理事会では何度目かの即時停戦決議案が、9日に提案された。15常任理事国の内で13か国が賛成、反対1国、棄権1国だそうだ。常識ではこれで決議案は可決だが、USAが拒否権発動の反対で没になった。
 棄権はUKであり、西側諸国の代表的な2国が停戦に賛成のである。いろいろ国際情勢で理由はあるのだろうが、いずれにしても困った地球である。

休戦決議反対の手をあを挙げるUNITED STATES
 
 この写真を見て、UNITED STATESUNITED KINGDOMの国名表示にふと思った。これらのどこにもアメリカとかイギリスとか、日本のマスコミが使う国名が無いのは、どうしてなのだろうか。国連が使う国名と違うのはなぜか、日本では間違った翻訳をしたままで使っているのだろうか。

 マスコミでは表記を短縮するために米国とか英国とか書くこともおおいが、これこそ明治かそこらの開国当時の外国語の漢字表記をそのままだろう。独、伊、露、比など使わないのはなぜか。あまりに古すぎてもう通じないと言ってもよい。ときにとあるので食べると勘違いする。米国はよしてほしい。英国も今では何の意味もないからよしてほしい。

 参照:http://www1.odn.ne.jp/haru/data-list/w_ryaku.html

 米国を正式に日本語で書くとなるとアメリカ合衆国なのだから、これもめいじかよ~と笑うしかない。連邦というのが普通だろう。ときに合州国と書く人もいるが、stateを州と翻訳したから、この方がそれなりに合理性があるように思える。

 話を戻して国連で机の前の国名であるが、UNITED STATESUNITED KINGDOMもどちらも一般名称であり、国名という固有名詞ではないのはなぜか。世界で俺たちの国だけが連邦だというのか。大国の影をひけらかしているのか。

 ちょっと調べたら、United Mexican StatesUnited Republic of Tanzaniaという国名がある。ならばメキシコもUnited  Statesであり、タンザニアはUnited Republicだろうか。一般名称を国名にするのは、思い上がりというものだ、とそんな嫌な感がある。特にUKとUSAの地球上における大国としての歴史を考えると、気持ちが悪い。

 国名ついでに言うと、北朝鮮というのも何とかならなものか。国交がないからとか、棄権跡売り者がいるからとかで、わざと見下す言い方をするのは、どこか子供っぽい。もっと大人になって朝鮮民主主義人民共和国(Democratic People's Republic of Korea)の短縮国名を使ってはどうか。

 実は韓国についても同じように思っているのだが、大韓民国(Republic of Korea)が正式国名だから、短縮するなら大韓というべきだろう。ついでに中国もおかしいと思っている。大国、中国、小国に通じるから、今や大国に復活したから変えるべきで、中華人民共和国(People's Republic of China)ならば中華または中共と短縮するべきだろう。そういえば、国民党と内戦やっていたころは、中共といえば中国共産党のことだった。

 それで思い出したが、日本JPANはこのままで良いのだろうか。だって当事国の人たちは誰にトリとして、じぶんのくにをJAPANと呼ばないのに、国連など外国ではJAPANと呼ぶのは、どうかんがえても奇妙と思う人はいないのかしら。

 USA人たちは自国をアメリカとは呼ぶことはなくて、UNITED STATESと自国を呼ぶ。そして国連での表記もUNITED STATESである。
 一方、日本人たちは自国をJAPANと呼ぶことはなくて、日本と呼ぶ。それなのに国連での表記はJAPANである。USAがそうならば日本も、国連ではNIPPONまたはNIHONと表記するべきであろう。
 この食い違いはどこから来たのだろうか。政府は是正する必要はないのか、その気もないのかしら。もっとも、わたし個人は困らないが何となく気分がすっきりしない。

 (20231210記)

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2023/12/09

1760【木が危ない】巨大木造建築流行で日本の森林はまたもや丸裸の禿山になるかも

  最近の「木」関するなんだかんだの騒ぎが気になる。木と言っても、地面から生えている樹木、それが建築棟の材料となった木材と、両方がある。

●樹木ならなんでも自然ではない

 まずは樹木の方の騒ぎだが、それは明治神宮外苑再開発にともなう樹木の扱いである。現況植生の保全、移設植え替え、伐採、植樹など、各種の方法がとられるのは当然である。
 これまでの開発と保全における樹木あるいは樹木群の林や森に関しては、主として自然環境あるいは自然景観保全の立場から論じられてきた。

 今回の神宮外苑の樹木については、もう一つの側面として文化面から論じられているのが興味深い。庭園という文化面から緑が論じられることは多いのだが、ある特定の植物群落が歴史として論じられたのは、わたしは始めの出会いである。

 それは外苑内の建国記念文庫の森におけるヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)群落の由緒を、石川幹子さんが歴史文化として論じたことである。その成り立ちの由緒と生い立ちの歴史を、その歴史文書として発掘して保全を論じた。彼女のこのレポートをネットで視聴した時、そうか緑にも歴史文化があるのだと、若干の興奮を覚えつつ興味深かった。

 わたしはその森の「建国記念文庫の森」なるいかにも歴史的由緒ありげな名前にひかれて、それ故にこここの植生に文化的歴史があるのかと思ったのだが、それはとんだ当て外れだった。その名がついたのは、今の建国記念日が制定された時に、その制定運動関係の資料保管庫をこの森に作ったことに由来するそうで、1966年のことだった。歴史とは関係ない。

 あの森は特に初期造園における特別のデザインにあるとも見えない。やはり庭園史のなかで植生史としてもう一つ大きな位置づけにあるのが、絵画館に向かうメインストリートの銀杏並木であろう。並木という樹木の並び方は、不自然そのものである。自然があのように幾何学的に一列に整列して姿を自ら作ることはあり得ない。人工そのものの姿である。

 もちろん銀杏の木のみがまっすぐに並んで生えるというのも、自然の摂理ではありえない。樹林が成立する原則は、草が生え、低い灌木が生え、中程度の樹木が茂り、その上に亜高木、高木と重なって生えるものである。それは明治神宮本殿などを取り囲む神宮内苑の森に見るとおりである。
 だから、腰から下をすっぽんぽんの丸裸にされた銀杏並木は、恥ずかしいに違いない。あれは人間文化の表現であり、自然植生の姿ではない。

 そしてまた、あの銀杏群落はすべて同じ形の先とんがりの樹冠をしているのだが、それもあり得ない。銀杏の木はは幹を自在に四方八方に伸ばして広がるものだ。
 あの外苑並木の銀杏の木は、強度の選定つまり刈り上げ散髪されているからあの形になっているのだ。自然から見ると不自然極まる姿を強いられている。つまりあれは人間文化の景観であり、自然の姿ではない。

不自然な樹冠形態の外苑銀杏並木


自然な樹冠形態の横浜日本大通り銀杏並木

 なぜそうするのか、それはもう明らかに決まっていることだが、絵画館への視線を絞り込むためである。明治王権を賛美する目的の明治神宮だから、内苑の拝殿に相当する絵画館へと民衆の視線と意識を集中させる必要があるからだ。
 なお、ここでの本殿に相当するものは建築ではなくて、絵画館の真後ろにある楠の大木であるが、もう誰も気が付かないだろう。この楠の木こそは、明治王権生成の一翼を担う歴史的植生である。
神宮外苑の本当の中心はこの楠の大木


●木造巨大建築流行の行く先は

 次に建築的な木のことで気になる話である。大阪で万国博覧会を来年開催とかで、会場に巨大なサークルというかリング状の建築を木造で建っているそうである。

大阪万博の清水の舞台リング
 なんだか近ごろは木造巨大建築が流行らしい。東京の国立競技場も木造ではないが、鉄骨の構造物の上に木の板を張り付けてあるらしい。木造に見えるのだろうか、木造に見せたいデザインをしたかったのか。その設計は大成建設+梓設計+隈研吾設計である、なるほどクマさんか。

 だから、今度の万博リング木造建築も隈研吾あたりがデザイン旗振りをしているのかと思ったら違った。プロデューサーは建築家の藤本壮介だそうだ。知らない人である、
 なんでも清水寺のあの大舞台を真似したデザインで、その巨大さは世界一とからしい。万国博覧会といえば、あの第1回万博に登場した水晶宮が有名だが、アレと同じように人々はアッと言うだろうか。
 

国立競技場の一見木造風鉄骨

 よく知らないが、国立競技場の時は国産材を使うと開いていたから、こちらも当然そうだろう。
 気になるのは、大規模木造建築の流行で、日本にはそんなに木材があるのだろうか。最近近所に木造の8階建てオフィスビルが建ったくらいだから、技術はそこまで発達したのだろう。もっとも、柱がものすごく太くて、床面積効率が割すそうだ。

 だが、原料料の木材は今も相変わらず森や山や林でできるのだろうし、それが生える地面の面積が広がっているとも思えない。むしろ太陽熱発電の流行でどんどん減ってきているようだ。
 近頃は集成材なる木材が使われてきて、太い樹木からとるのでなくてもくてもよいらしいが、それでも限度があるだろう。今に木造住宅の価格が上がってくるに違いない。いや、もう上っているのだろう。

 よく分からないのは、万博会場のメイン施設が木造であるということだ。一年も使わないからコンクリートでないのはわかるが、木造だと解体すれば再利用できるというのだろうか。同じものを再現するなら使えるが、そんな大きなものをどこで使うのだろうか。あんな枘穴や貫穴や金具だらけの木材を再利用するにはかなり面倒であろう。鉄骨建築ならば木造よりも解体や移築や再利用しやすいだろうに、なぜ木造か。やっぱり現代の水晶宮を狙ってているのかしら。

 戦争中に森林を切り倒して使い倒したから、日本の山々は丸裸になっていたが、戦後営々と植林して緑の山がよみがえった。そしていま、都市開発の波は衰えたが、太陽光発電所の真っ黒いパネルが、田畑から森へと侵略しつつある。そしてこの木造建築ブームとなれば、またもや禿山時代が来るのだろうか。
 あ、そうだ、「お山の杉の子」という歌が、戦中から戦後にかけて流行ったことを思い出した。

(20231209記)

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2023/12/07

1759【言葉の酔時期】世にあまりに謝罪事件が多いので謝罪文句が次第に簡略化して今や謝らない

 放火して36人も殺しておいて、「申し訳ございませんでしたと言う言葉しか出てきません」と言ったらしいだが、これが「謝罪の言葉」であるものか。
 もう45歳の中年男、しかも何やら漫画原作を作っていたというのだから、もっと物の言い方を心得ているだろう、これが謝罪の言葉であるはずがない。

 これを聞いて、「謝罪の言葉を初めて口にした」と記事を書いた新聞記者の方は若者だったのかしら、言葉理解が変である。詫びになっていないと分からないのか。
 これは単に「申すべき言い訳がない」 と事実を言っているだけで、どこにも「お詫び」の言葉はない。「深くお詫び申し上げます」とか、「心より謝罪いたします」とか言ってこそ、始めてお詫びの言葉である。

朝日新聞朝刊記事より引用 20231207

 近ごろ新聞で出くわすお詫びと称する言葉遣いに、この「申し分けありません」を筆頭にして、首をかしげることが多い。
 「すみません」で謝ったつもりの人も多い。この意味は、ちょっとやそっとの謝罪とか弁償では済まないほどの罪を背負っていますと言うが元だろうが、ここで終っては単に事実を述べただけである。謝る言葉を省略してはいけない。

 「失礼しました」でお詫びのつもりの例も多い。「礼を失することをした」のだろうが、それではその事実を言っただけで、なにも詫びていない。失したと分っていながら謝らないのだから、いっそう始末が悪い。
工事現場にて

 「ご迷惑をおかけしております」でおしまいにして、お詫びしているつもりの例も多い。これも「迷惑をかける」という事実を述べただけで、どこにも詫びるとか謝罪とかの言葉はないから、全くお詫びしていないのだ。
 迷惑をかけたことを、わたしはわかっているが謝らないよと、相手に言っていると同じである。かなり酷い言い方と思うのだが、これも謝罪言葉で通用しているのが不思議である。
 世の中にあまりにお詫び事件が多くなり、次第にお詫び言葉の簡略化が進んでいるらしい。それでよいのだろうか。

(20231207記)
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伊達美徳=まちもり散人
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2023/12/06

1758【今日も戦争】薄暗い廊下の奥に閉じ込めた戦争がまた目覚める気配

  昨日は現在起きている外国の戦争のことを書いたから、今日は現在の日本で起きている戦争のことを書いておく。もちろん戦火が起きているのではない。戦争の気配が濃厚になっているのだ。
 去年にはウクライナで侵略戦争が起きて(実はもう2014年に起きていただが)、今年はパレスチナのガザで第5次ともいうべき中東戦争が起きている。ミャンマーでは内戦が拡大して続くし、朝鮮半島の北ではミサイル打ち上げに精を出しているし、チャイナは海洋に乗り出して東南アジアであちこちきな臭い。

 という世界戦乱情勢の中の日本は、今のところ戦乱は起きていないのに、なんだかきな臭い。ちょうど10年前の2013年に「特定秘密保護法」なる反情報公開法ができたのは、戦争につきもののスパイ策であったらしい。つまり戦争が近いからスパイに備えておこうというのである。その頃からどうもきな臭い。

 次に2014年には、憲法についてそれまでとは大きく異なり、日本は集団自衛権行使を可能とすると解釈を変更した。つまり、アメリカと一緒なら戦争できることにした。
 わたしは新憲法ができたとき11歳だったから、物心ついてからは憲法と一緒に育ってきた。戦争絶対しないと思い込んでいたのに、わたしより後から来た安倍さんに勝手に変えられてしまった。

 そして近ごろは武器を作ってその輸出さえ可能にするという方向へ論議しているらしい。現実に、ウクライナの戦争支援を公然とやっている。沖縄あたりの南西諸島では戦争基地づくりをどんどん進めている。
 いつ戦争が起きてもよいように備えるらしい。次の戦争が起きると沖縄は一番に攻撃される運命に落とし込まれている。戦火が上がるのは近いのかもしれない。


 今日の新聞に、その集団的自衛権行使への憲法解釈変更について、憲法9条違反だとして訴訟した人たちがいて、その控訴審判決が載っている。
 判決は敗訴、「いろいろ問題がありそうだが、明白な違反とは言えないなあ、、」てな感じである。わたしが一緒に生きてきた憲法が次第に離れて行って、戦争へとなびき傾いていくようだ。

 親友というか守り神と思っていた憲法君が育ちすぎて、わたしとは遊んでくれない不良になり、どこかに家出していった気分である。そうなったのは考えてみると、2006年に公然と憲法改正を唱えて自民党のリーダーになり総理大臣になった安倍晋三の登場からのような気がする。あの時のマスコミが伝える安倍晋三のいうことを見聞きして、デジャビュに襲われたことがある。赤尾敏である。

 わたしが学生時代に有楽町駅近くの公園で演説していた赤尾敏のいう右翼が居た。それに実によく似た言葉だったので、今どきこのようなことを言う政治家がまたも出たのか、と思ったものだ。
 それがするすると総理大臣になるこの国にすっかり不信を持ってしまった。安倍晋三にわたしの親友であった憲法君を拉致されたのだった。その拉致者が暗殺されたのも、かれゆえに怖い世を招いたご当人にも責任がある。

 わたしは日本の十五年戦争の半ばで生まれ、戦火こそ蒙らずに済んだが、その末期の教育を受け、敗戦の日も見届けた。そして敗戦後の混乱期も、腹ペコという現実的な不幸に襲われて、これが私の本当の戦争だったかもしれない。

 戦争を身に染みて知る最後の世代と言える。今、戦争を知らぬ世代の人々によって、戦火を招くような方向に世は動いているように見えて仕方がない。
 死ぬ時はまた戦火の時代になるのは勘弁してほしい。その前に死ぬしかないな。
 なお、タイトルは渡辺白泉の1939年の句「戦争が廊下の奥に立つてゐた」による。
(20231206記)
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伊達美徳=まちもり散人
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2023/12/05

1757【今日の戦争】ウクライナは今や戦い疲れ、ガザはこれから疲れるほどに戦うのか

 ウクライナでは、今や市民は戦争疲れの気分とある。その一方で、パレスチナのガザではますます戦争が盛んである。これも今に戦争疲れが来るのだろうか。
 そういわれると、毎日毎日戦争記事を読まされるこちらも、戦争疲れであると言えなくもない。戦火の中にいないのにそう思っては申し訳ないと思う。そこには何もできないでいる自分自身への責め疲れがあるかもしれない。


 そして思うに1944年から45年にかけて、わたしの父母たちの世代は、戦争に疲れたと思わなかったのだろうか。思ったに違いないだろうが、口に出すことができなかったのだろう。わたしの戦争時の記憶に、父と母が新聞を見ながらの会話がある。

 母が父に新聞を示しながら「こんなことを記事載せていいのでしょうかねえ」というのだった。それ以上は覚えていない。7~8歳の子には何かよくは分からない記憶の雰囲気では、どうも日本の戦局がかなり不利な状況の記事が載っている、そんな様子を感じたのだった。母は声を潜めているようだった。

 そうか、いま気が付いたが、母が声を潜めたのは、わたしに会話を聞かせたくなかったのだ。小さい子は外に行って無邪気に、家庭内での父母の会話を話すであろうからだ。そんな世の中だった。
 さて今頃のウクライナとかロシアの家庭内で、こんな会話があるのだろうか。

 ウクライナで盛んな局地のたくさんの戦いは、当然今も続いているのであろうが、今やニュース価値はパレスチナのガザに移ったみたいである。それでよいのだろうか。

 今ガザで起きている市民をたくさん巻き込んでの殺し合いは、ウクライナではもう終わって、軍隊同塩田高いばかりなのだろうか。ということは、そのうちにガザでもそうなるのだろうか。

 「あの頃はバカなことやったものよ」と、1945年頃を思い出すように今を思い出す時があるのだろうが、わたしには関係がない世界のことである。
 とにかく今日の戦争の記録を、ここに載せておく。

追記20231206ミャンマーの戦況図をみると内戦が広がっている。かつて日本軍がこの地を戦乱の場とし、そして敗れた日本軍の死者が撤退路に連なり重なる白骨街道を作った。

(20231205記)

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2023/12/04

1756【ポン大と小説家】火中の栗拾いで大変な林真理子さんを応援したい

熊五郎:こんにちは、ご隠居、生きてますか。

ご隠居:おや、熊さん、久しぶりだね、まあお上がりよ。

:ご隠居はあまり興味ないだろうけど、近ごろ芸能界とかスポーツ界には、あれこれ週刊誌を喜ばせるスキャンダルが多いんですよ

:うん、知ってるよ、芸能会社社長が少年好みの強姦魔だったってね。

:それも有名ですが、今日は小説家の林真理子さんが記者会見して、記者たちから突っ込まれている様子がテレビに出てましたよ。

:えーと、そりゃ小説家の方じゃなくて、日本大学理事長の方の林さんだね。彼女も日大に火中のクリを拾いに行ったけど、覚悟の上だろうがひどい目にあってる、気の毒に。

:そう、例の日大問題アメフト部がまたまた問題件を起して、今日は彼女もそのスキャンダル当事者側責任者としての記者会見でした。

:なんでも大麻を吸ってたとか持ってたとかだろ、ポン大と言えばヒロポンを連想したもんだけどなあ。。

:うわ、ダジャレが古すぎますよ。

:小説家の林さんに同情しているから言うけど、なんだか彼女を引きずりおろす陰謀団が居て、アメフト部をその先頭に立てているように見えてくるね。

:そうそう、あんなバカ大なんか放っておいて、もう小説家として復帰してほしい、なんて思ってたら、今日の新聞に林真理子作の「平家物語」って本の広告が大きく出ていますよ、ほれこれが切り抜きですよ。

:林さんの小説を読んだことないけど、そうかい、どれどれ、なるほど、え?、アッ、お前はまたいたずらやってるね、ハハ、気の毒に今日の記者会見は平謝りだったのかい。

:でね、もしかして、林さんは次作小説として、こういう題名の本を執筆中かもと思ったんですよ、彼女なら転んでもただで起きないでしょうから。

:うん、冗談として面白いね、いや、本当にそうかもね、イギリスの有名な小説家ジェフリー・アーチャーは、詐欺事件で有罪になり監獄入りしてたけど、自分の獄中記とか獄中小説とか書いてひと儲けしたからね。

:はは、じゃあこれは獄中記ならぬ理事長記として彼女の次作前宣伝になるかもなあ。

:いやいや、彼女は度胸で飛び込んだ大学理事長だから、どんなことがあっても泰然として「物語」に決まってるよ。

:ウワ、負けた。

(20231204記)

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