2023/12/09

1760【木が危ない】巨大木造建築流行で日本の森林はまたもや丸裸の禿山になるかも

  最近の「木」関するなんだかんだの騒ぎが気になる。木と言っても、地面から生えている樹木、それが建築棟の材料となった木材と、両方がある。

●樹木ならなんでも自然ではない

 まずは樹木の方の騒ぎだが、それは明治神宮外苑再開発にともなう樹木の扱いである。現況植生の保全、移設植え替え、伐採、植樹など、各種の方法がとられるのは当然である。
 これまでの開発と保全における樹木あるいは樹木群の林や森に関しては、主として自然環境あるいは自然景観保全の立場から論じられてきた。

 今回の神宮外苑の樹木については、もう一つの側面として文化面から論じられているのが興味深い。庭園という文化面から緑が論じられることは多いのだが、ある特定の植物群落が歴史として論じられたのは、わたしは始めの出会いである。

 それは外苑内の建国記念文庫の森におけるヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)群落の由緒を、石川幹子さんが歴史文化として論じたことである。その成り立ちの由緒と生い立ちの歴史を、その歴史文書として発掘して保全を論じた。彼女のこのレポートをネットで視聴した時、そうか緑にも歴史文化があるのだと、若干の興奮を覚えつつ興味深かった。

 わたしはその森の「建国記念文庫の森」なるいかにも歴史的由緒ありげな名前にひかれて、それ故にこここの植生に文化的歴史があるのかと思ったのだが、それはとんだ当て外れだった。その名がついたのは、今の建国記念日が制定された時に、その制定運動関係の資料保管庫をこの森に作ったことに由来するそうで、1966年のことだった。歴史とは関係ない。

 あの森は特に初期造園における特別のデザインにあるとも見えない。やはり庭園史のなかで植生史としてもう一つ大きな位置づけにあるのが、絵画館に向かうメインストリートの銀杏並木であろう。並木という樹木の並び方は、不自然そのものである。自然があのように幾何学的に一列に整列して姿を自ら作ることはあり得ない。人工そのものの姿である。

 もちろん銀杏の木のみがまっすぐに並んで生えるというのも、自然の摂理ではありえない。樹林が成立する原則は、草が生え、低い灌木が生え、中程度の樹木が茂り、その上に亜高木、高木と重なって生えるものである。それは明治神宮本殿などを取り囲む神宮内苑の森に見るとおりである。
 だから、腰から下をすっぽんぽんの丸裸にされた銀杏並木は、恥ずかしいに違いない。あれは人間文化の表現であり、自然植生の姿ではない。

 そしてまた、あの銀杏群落はすべて同じ形の先とんがりの樹冠をしているのだが、それもあり得ない。銀杏の木はは幹を自在に四方八方に伸ばして広がるものだ。
 あの外苑並木の銀杏の木は、強度の選定つまり刈り上げ散髪されているからあの形になっているのだ。自然から見ると不自然極まる姿を強いられている。つまりあれは人間文化の景観であり、自然の姿ではない。

不自然な樹冠形態の外苑銀杏並木


自然な樹冠形態の横浜日本大通り銀杏並木

 なぜそうするのか、それはもう明らかに決まっていることだが、絵画館への視線を絞り込むためである。明治王権を賛美する目的の明治神宮だから、内苑の拝殿に相当する絵画館へと民衆の視線と意識を集中させる必要があるからだ。
 なお、ここでの本殿に相当するものは建築ではなくて、絵画館の真後ろにある楠の大木であるが、もう誰も気が付かないだろう。この楠の木こそは、明治王権生成の一翼を担う歴史的植生である。
神宮外苑の本当の中心はこの楠の大木


●木造巨大建築流行の行く先は

 次に建築的な木のことで気になる話である。大阪で万国博覧会を来年開催とかで、会場に巨大なサークルというかリング状の建築を木造で建っているそうである。

大阪万博の清水の舞台リング
 なんだか近ごろは木造巨大建築が流行らしい。東京の国立競技場も木造ではないが、鉄骨の構造物の上に木の板を張り付けてあるらしい。木造に見えるのだろうか、木造に見せたいデザインをしたかったのか。その設計は大成建設+梓設計+隈研吾設計である、なるほどクマさんか。

 だから、今度の万博リング木造建築も隈研吾あたりがデザイン旗振りをしているのかと思ったら違った。プロデューサーは建築家の藤本壮介だそうだ。知らない人である、
 なんでも清水寺のあの大舞台を真似したデザインで、その巨大さは世界一とからしい。万国博覧会といえば、あの第1回万博に登場した水晶宮が有名だが、アレと同じように人々はアッと言うだろうか。
 

国立競技場の一見木造風鉄骨

 よく知らないが、国立競技場の時は国産材を使うと開いていたから、こちらも当然そうだろう。
 気になるのは、大規模木造建築の流行で、日本にはそんなに木材があるのだろうか。最近近所に木造の8階建てオフィスビルが建ったくらいだから、技術はそこまで発達したのだろう。もっとも、柱がものすごく太くて、床面積効率が割すそうだ。

 だが、原料料の木材は今も相変わらず森や山や林でできるのだろうし、それが生える地面の面積が広がっているとも思えない。むしろ太陽熱発電の流行でどんどん減ってきているようだ。
 近頃は集成材なる木材が使われてきて、太い樹木からとるのでなくてもくてもよいらしいが、それでも限度があるだろう。今に木造住宅の価格が上がってくるに違いない。いや、もう上っているのだろう。

 よく分からないのは、万博会場のメイン施設が木造であるということだ。一年も使わないからコンクリートでないのはわかるが、木造だと解体すれば再利用できるというのだろうか。同じものを再現するなら使えるが、そんな大きなものをどこで使うのだろうか。あんな枘穴や貫穴や金具だらけの木材を再利用するにはかなり面倒であろう。鉄骨建築ならば木造よりも解体や移築や再利用しやすいだろうに、なぜ木造か。やっぱり現代の水晶宮を狙ってているのかしら。

 戦争中に森林を切り倒して使い倒したから、日本の山々は丸裸になっていたが、戦後営々と植林して緑の山がよみがえった。そしていま、都市開発の波は衰えたが、太陽光発電所の真っ黒いパネルが、田畑から森へと侵略しつつある。そしてこの木造建築ブームとなれば、またもや禿山時代が来るのだろうか。
 あ、そうだ、「お山の杉の子」という歌が、戦中から戦後にかけて流行ったことを思い出した。

(20231209記)

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伊達美徳=まちもり散人
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