今朝の東京新聞の1面のコラムにこんなことが書いてある。通産大臣の頃の田中角栄氏が、その秘書が岡山県出身と知って、「君にとって雪はロマンの世界だよな」と言ったと秘書の著書にあるそうだ。
これはつまり新潟県人にとっての岡山県人感を語っているのだが、岡山県出身のわたしが新潟県をそう思ったことはなかった。どこか食い違っている。
わたしが新潟県の雪を初めて体験したのは、学生時代のスキー遊びで行ったのが初めてだった。それが何処だったか思い出せないが、単にスキー場の雪で特にロマンでもない。
じっくりと雪国それも豪雪の地の生活を体験したのは、2004年に中越地震がおきて、次の2005年から震災復興支援に中越山村に入り込んでからだった。
10年ほどの期間をかなり多くの日々を過ごしたが、それはまさにロマンというものからほど遠く、四季を通じて大災害から立ち直る雪国の四季を体験した。
多い時は4m積もる雪の中で数日を過ごす日々は、よくこのような環境で人間は暮らすものだと思ったものだ。白一色の中でありながら、雪囲いで牢獄のような家屋で暮らす日々は、実際に暗いものだった。豪雪生活を全く知らなかったのでよい体験だった。
冬は毎日が家の屋根と周りの雪かきが生活の必須の一部である。あまりに深いので「雪掘り」というほどで、これをしないと家から外に出ることさえできないどころか、雪に家と共にが押しつぶされる恐れが十分にあるのだ。
外から雪の圧力で硝子戸が破損するのを防ぐために、冬は家の周りを厚い板で囲い込むので、当然に日中も電灯をつけなければならない。怖いのは、もしも火災を出したなら、雪囲いという格子の中の牢獄となって、焼け死ぬ恐れが高いことだ。
わたしが生まれた岡山県中部の高梁盆地は、雪は降らないことはないが、積もるほど降るのはかなり珍しいことだった。
わたしがスキーを始めて見たのは小学生の頃に、かなり珍しく深く雪が積もった日のことだった。いつも遊ぶ坂道ですべっている人がいたのを、しばらく眺めていたものだ。
以後は大学に入るために故郷を出るまでスキーを見たことはなかった。大学山岳部にはいって初めてスキーを履いた。大雪の山にも登ったが、それは雪国の生活ではなかった。
故郷の盆地で雪がふった日のもう一つの記憶は、家の裏にある広い竹やぶで、雪の重みで竹が折れる音である。鋭く大きな音でポキーン、パキーンと次々に折れてゆく。その音に続いてその竹に積もる雪がザーッと落ちる音がする。これを夜中に布団の中で聞き、耳で雪を感じたものだった。珍しいことだったから記憶が鮮明だ。
中越山村では竹藪がないことはないが、庭の一部に大事に植えられている珍しい存在であった。竹と雪は相性が悪いのであろう。
角栄氏が「生活との戦い」と言ったとあるが、冬はむしろ雪という自然との闘いであった。それだけに雪が解けてのちの、初夏に向かって萌えあがる緑の山や森そして田畑にこそロマンを感じるのであった。冬さえなければ、この地は天国であると思ったほどだ。
萌え上がる緑に埋もれる中越山村集落 |
その中越山村の日々は、このブログにつぶさに書いているが、さて異常気象の今年の積雪はどうなのであろうか。(参照「法末集落復興日録」)。
(2023/12/16記)
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伊達美徳=まちもり散人
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