【老酔録⑤】のつづき
●コロナ後の老後をどうしようか
コロナと老々看護という、わたしの人生末期大事件で、世間と縁が切れてしまって、いまやすでに5年にもなる。
コロナ期間中は、老人は世間と交際するなとて、世間との縁を断絶させられてしまった。また在宅看護中はは、逆に見知らぬ医療や介護の専門家たちが入れ代わり立ち代わり毎日のように訪問してきて、それまでに経験したことがない賑わいであった。だが、これは限られた専門家たちであり、突然に看護当時者がいなくなると同時に全く縁が切れた。
もちろんその間も、全く世間と完全に縁が切れてはいなくて、インタネットによるSNS、Eメール、ブログ、ZOOMで、限られた旧友たちとはつながっていた。インタネットのある時代に間に合ってよかったと思ったものだ。だが所詮は、バーチャル空間の中のことであり、面と向かっての縁は切れた。
コロナも在宅看護も解消したのは2024年の夏だった。2020年に始まった4年も経っていた。さて、縁が切れた世間と復縁しようかと思ったのだが、その間に世間の方が大きく変わって、わたしが復する場所がなくなってしまった。若ければあらためてで付き合いを再構築できるが、いまや老残の身になってしまって、復するべき世間を見つけられないでいる。
近所に「ケアプラザ」なる公的な高齢者支援施設がある。老々在宅看護を始めるにあたって世話になったところである。ここで高齢者向けにいろいろイベントがあるとて、パンフレットを見て参加するかなと思えど、どうもよろよろ相手の行事ばかりのようだ。こちらももちろんよろよろだが、それほどじゃないからなあ、と思う。実は一度だけ参加したことがある。10人くらいで体操してフレイル度合いを計ったが、継続する興味がわかなかった。
そんなとき、市の広報の片隅に見つけたのが、「陶芸教室」である。近所の「コミュニティハウス」なる公的施設でやるらしい。そうか、これなら面白いかもと、申し込んだ。わたしは手先は器用であることは、本づくり趣味で自任している。初めてでもなんとかなるだろう。
陶芸といえば仕事で何度か多治見に行ったことがあるし、人間国宝の加藤卓男氏を市之倉の幸兵衛窯に訪ねたこともある。自分の陶芸とは何の関係もないが、ついそんなことも思い出した。多治見は興味ある街だった。(参照→美濃焼の多治見)
陶芸教室の案内パンフに、講師のお名前が加藤さんとある。おや、卓男、藤九郎など美濃焼著名作家たちと同じだ。
関連してもう一つ思い出した。同様に伝統工芸の漆芸である。これに関しては越前塗の町にかなり通ったものだった。福井県鯖江市河和田地区である。この街の漆芸の中心となる「漆器の里ーうるしの里会館」づくりで、プロジェクトマネージャーをやった。漆芸についてかなり細かく知ったが、陶芸のように素人習い事として簡単にはできない。
そういえば、わたしはお稽古事を嫌いな性分であった。これまでそれらしいことは、人間国宝の野村四郎師匠に能の謡を20数年習ったこと(参照→野村四郎師匠逝く)が唯一である。しばらく遠ざかっていた習いごとに、陶芸で復帰するのも面白そうだ。米寿の手習いか。これがコロナと介護で切れた世間付き合いの再出発点になれば嬉しい。
●毎日曜日に近所の陶芸教室へ手習いに
陶芸教室開催のコミュニティハウスに受講申し込みに行った。費用2800円、簡単に受け入れてくれた。氏名と年齢だけで詳しい個人情報は一切聞かないのが今時らしいのか。年齢も65歳以上か否かだけを聞かれて、「ど~んと上の齢でございます」と答えた。受講生は6人とのこと、こちらもどんな人たちか聞かない。毎日曜日午後で5回連続とのこと。
さて、初回の日、コミュニティセンターの一室にやってきたのは、わたしのほかは、講師も含めて全員が女性であった。中年以上だろうか、年齢をよく分らないのは、この間の世間と途絶が長かったからだろう。米寿の手習い仲間はどんな方々かしら。
各人にそれぞれに道具一式をそろえて貸してくれ、粘土を1キロも用意してある。道具に中に小さな轆轤もある。粘土をこねて轆轤にに載せて回すのだが、意外にも難しい。陶磁器産地で轆轤を回しているの見たことがある。あのようにまん丸くすーっと椀の形ができると思いきや、わたしはこんな不器用であったかと思い知らされた。
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| 轆轤回しは意外に難しい |
それでも何とか形にしたのは、出だしは抹茶茶碗のつもりだったが、ひねた形の犬猫用のの飯茶碗みたいになった。そんなのを大小二つと、いびつな角平皿一枚ができた。ま、こんなもんか、何しろ初めてだからね。
他の人たちの作り様を見るともなく見ると、どなたも洋食器風であるのに対して、わたしはいかにも下手の手びねりである。何やら基本的スタンスが異なるらしいが、それでよし。初日はそれでおわり、次回まで室内で乾燥させておく。いろいろな受講生がいろいろな質問をして、講師の先生は大わらわなようだった。
1週間後の2回目は、乾いて赤みがかった粘土色の器になっていた。これを鑢やサンドペーパーで修正整形して、これに化粧用の色粘土を溶いた溶液を刷毛で塗って、模様や色付けをするのだ。わたしは、椀については半分だけ白色を塗った。溶液に半分だけざぶんと漬けようとしたが、溶液が浅くて刷毛で塗った。できるだけ人手の跡が出ないようにしたいのだが、刷毛目が付きそうだ。今回はこれまでで、2週間の乾燥をさせる。
今日はちょっと手すきになったので、講師の入選作品が掲載されている展覧会図録を見せていただいた。その入選作品は焼き物の先入観を破って、抽象的な現代アートであった。いま眼の前でやっていることとのギャップに、ちょっと驚いた。そうなんだ、器ばかりが陶芸ではないのである。としてもわたしにはアブストラクトセラミツクアートは無理である。
3回目は、窯場のある近くの中学校の地域交流室に移動して、作品を持っていく。わたしは大丈夫とは思ったが、それでも途中で転んで割ってしまうのが心配になり、タオルで包んでリュックザックに担いで持って行った。中学校には電気釜があり、これに入れて素焼きにするとのことで、それは講師に頼んで、今日はここまで。
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| 窯から出したばかりの素焼き状態の椀二つ 良い色だ |
●いよいよ釉薬をかけて本焼の窯へ
4回目は、素焼き作品を窯から取り出した。若干色が変わっていて、このままでもよいような気がした。これにさらに釉薬を塗って、色付け模様がけなどするのだ。色ごとに釉薬が何種類もあるのだが、小さな色焼き見本を見ても、実際にどんな色になるのか、ほとんど想像がつかない。どうなるのかわからないのがむしろ面白いとするべきか。
わたしは二つの椀は、校庭でもぎ取ってきた木の葉に釉薬をつけて、器の底に印を押すように葉脈模様をつけた。意外にうまく葉の形が付いた。何色になるのかわからない。もう少し小さいほうがよかったかなとも思うが、まあ、どう出るか分らぬのが面白からこれでよい。そしてこの二つの椀ともに、透明釉薬にざぶりと漬けただけであった。
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| 釉薬をかけたこれを本焼きの窯に入れる どんな色に出るか見当がつかない |
平皿はイメージとして緑色だけの佐野乾山を真似したくて、織部と名がついている釉薬にざぶりと漬けた。果たして緑色になるか。他の人たちは、何やら繊細な絵付けをしておられるようだ。
こうして釉薬を塗った作品を、今度は本焼きするのだ。それは講師の先生にお任せするしかない。先生はわたしの平皿を見て、釉薬が多すぎるから、うまく削っておくとのことで、ありがとうございます、よろしくお願いしますと、お任せするばかり。今回も初会のごとく、かなり講師の先生の指導をこまごまといただいた。次回の窯出しを楽しみだ。
今回が最後の教室で、作品が出来上がる。窯の前にみんな集まって、先生が取り出すのを待ち受ける。おお、意外にわが作品はよくできているぞ。初めての経験しては上出来だと、密かに自賛することしきりである。あ、講師の教えがよかったのだ。
よく見れば、椀二つはほぼ思い通りに近い色だが、白色に刷毛目が出ているのが残念だ。葉の模様付の色が濃過ぎた、もう少し小さい葉の方がよかったか、などと思う。
でもまあまあ、はじめただからこれでよし、自分に言い聞かせたのだ。さっそく教室での茶話会に使う。
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| うまく焼きあがった、さっそくこれで干菓子をいただく |
平皿は緑色というには濃すぎた。わずかに縁のあたりが緑色になったが、底は黒色だ。でも一面に真っ黒っではなくて、薬が地に届かないままのいくつかが模様となって、地色が見えているのがかえって味がある、平皿の底に小宇宙を覗く、なんて思うことにする、ふふふ。
ほかの方たちの作品もそれぞれ出来上がった。それを論ずる能力はない。どの方の作品もわたしのそれとはずいぶん違うなア、と思うばかりだ。
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| 食卓でじっくりと鑑賞中 |
●わたしの社会復帰はまだ手探り
こうして陶芸教室は終わった。わたしはこれで社会復帰できただろうか。実のところはよく分らない。客観的に見て、わたしの教室での態度は、かなり不愛想であった。失礼でもあった。わたしの現役時代は、見知らぬ大勢の他人と話すのは、普通のことだった。会議とか、講演とか、大学講義とかで、それが仕事だった。
そのわたしでさえも、5年ものブランクは、不愛想人間になった。それは、見知らぬ他人との付き合い方を取り戻そうとしても、その距離の取り方を計りかねていたからだ。老いたものだ。いつの日かそれを意識せずに話すことができるようになるだろう。だがその前に、老いがその時が来ることを許さないだろう。だがさて、次はどんな教室に行こうか。
(2025/10/19記)
ーーこのブログの陶磁器関連ブログーー
2013/06/09・791【金継ぎ】琉球焼き物マグカップ金継ぎ修理https://datey.blogspot.com/2013/06/791.html
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米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録