2023/12/18

1765【コロナ後の世界】期待するような新社会が待ち受けているのではなさそうだ

 

メタセコイア並木の黄葉 横浜日本大通り

 わたしはこのコロナパンデミックという地球的大事件が、その後の人間社会をどう変えるか大いに興味があり、それを見てから死にたいと思ってきた。
 この前の地球的大事件は、第2次世界大戦であった。個人的にはその一部であるアジア・太平洋戦争に直接間接に大きな影響を被ったが、その後の人間社会の変化かを、とくと見届けてきた。

 あんなことは2度とご免だが、コロナパンデミックの様にいわば自然災害の延長の様に起きてきては、防ぎようがない。できるとこは公衆衛生の普及、医療治療、医薬品の開発によって、拡大を防ぎ消滅へと努力することしかないし、そうやってきたのをつぶさに体験した。この地球規模の人類の体験が、この後で再構築する社会にどのような姿で出てくるのか、それはあの戦後社会の登場を見るような楽しみがある。

 そう思って期待しているのだが、コロナ中と末期にウクライナとパレスチナで大きな戦争が起きて、これは楽しみに期待するような新世界が生まれるのではないらしい気がしてきている。もしかしたらコロナで死んでしまう方がよかったのかもしれないと、思いつつある。

 個人的にはコロナウィルスに感染しないで来たから無関係だったのではなく、コロナによる行動制限は多くの影響をもたらした。2019年まではある程度は専門分野での会合にも参加し、あるいは出版原稿の依頼もあった。
 しかし、2020年からはパタッとなくなった。他人との交流の機会は大きく制限されて、それはまるで江戸時代の武士がお殿様から蟄居閉門を申しつけられたようであった。

 その間はそれが解けるのを待つしかなかったのだが、実は大きな問題が後ろに控えていた。それは自分が後期高齢者であることだ。若ければ蟄居が解ければまた世に戻ればよいのだが、超高齢者はその間に自身の肉体が衰えて簡単に復帰できなっているのであった。わたしも自分がそうなってみて愕然とした。

 コロナ前の頃と今のコロナ後とはたったの4年足らずだが、超高齢者にはそれだけの時間があれば肉体の衰えには十分であった。わたしの典型的な事件は、その間に街路の交通頻繁な交差点の中で転倒したことである。以後は杖を携えて徘徊に出ることにした。頭の方はまだ大丈夫だが、これは自分では判断できないから怪しいので、その判定は頻繁に書くブログを読む人にさせるのだ。

 もう一つ重大なことが起きたのは、同年の妻の身体の衰えが、わたしよりも先行してきて、介護保険適用の認定が要支援2の判定となり、日常的に老々介護をする側の初期体験中とにあることだ。このために脱コロナ後の今も外出制限が別の意味で続くが、幸いにして近居の息子に助けられている。
 もちろん妻ばかりではなく、同年の知人たちもそのような局面を無会えてるものが多い。もちろん死ぬものもじわじわと多くなってきた。

 こうしてコロナパンデミックは、わたしをすっかり社会から遠ざけ、戻れなくしたたのである。わたしのとってその代替は。ネット社会への一層ののめりこみである。ブログ書き込み、SNS活用はもちろんだが、コロナ以後に新たなネット武器としてZOOM meetingの登場である。

 コロナ前には無かったこれを使っての、専門的な研究会やシンポジウムに、会場に出向かなくても参加できるようになったのは、高齢者には実にありがたい大きな変化である。
 有料もあるが多くは無料参加が可能であるのが特に嬉しい。コロナの影響で嬉しいことはこれが唯一である。

 そしてビジネスで開発普及したこの会議ツールを、外出がままならない超高齢者たちの交流ツールにしている。わたしの場合は、大学同期生たちとの交流グループが、専攻分野、寮、山岳部の仲間たちの3組があり、頻繁にやっている組とあまりやらない組がある。

 だが、このZOOM交流は、参加者の高齢化による視聴覚機能の衰えで次第に人数が減る。もちろんほかの老化要因、例えばボケとか死亡もある。
 では同年の参加者を増やそうとしても、いまさらアプリケーションダウンロードしてあれこれいじって参加するなんてことを、八十路半ばになって新たにやる者はいない。

 そうやって八十路仲間たちには、次から次へとあの世へ先を越されて悔しがる日々である。わたしも近いうちに仲間を悔しがらせたてやるつもりだが、。(2023/12/15記)

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伊達美徳=まちもり散人
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