2013/09/12

834【横浜ご近所探検】金庫屋さん、未来はない住宅展、タダ乗りデー


 街をふらふら徘徊すれば、ヘンなものに出くわす。

 道をはさんで左に「城南信用金庫」の看板、右に「山形金庫」の看板。
 はて、どう違うのか違わないのか。

 
 道端にポスターが貼ってある。「カーフリーデー」だそうである。カーとは自動車のことかしら、フリーとは自由とか無料のことかしら、デーとは日のことかしら。
 ということは、9月22日はバス代とタクシー代が無料乗り放題になるんだな、ありがたい。

 地下鉄に乗ればぶら下がり広告に、「未来をのぞく住宅展」とある。
 うん、そりゃそうだ、過去と現在の住宅は展示できるけど、未来を展示することは不可能だから、わざわざ「除く」と言わなくても当たりまえだろうに。
 
 

2013/09/08

833【五輪騒動】えっ、また東京でオリンピックやるの? 福島でやればいいのになあ。 

 えっ、オリンピックやるの? 
 じゃあ、お祝いに、オリピック音頭をひとつ、、。
 ♪オリンピックの顔と顔、ホレ、シャシャントシャシャント、かおと~かあうぉ~♪♪  三波ハルオでございます。


 
 こういう時なら、福島でやるべきでしょ、なんてったって日本は安全だと総理大臣がご一行様を引き連れて、地球の裏側にまで行って大金かけて宣伝してるんですから、自信を持って福島で、そう、双葉郡でやりましょう。
 あ、そうだ、マラソン会場だけでも、そうしたらいかがですか。あの有名になった第1原発をバックにゴールインするって、世界中への安全PRとして、これ以上ないですね。

 あれは1960年頃かしら、日本橋を通ったら、川の中に太い杭を打ち込んでいた。なんせヘドロ川だから、杭がズルズルと自重でもぐりこみ、それにまた杭を継ぎ足して、スカッ、スカッ、しばらくしてようやくカ~ン、カ~ンて打ち込む音になった。
 そうやって石の日本橋の上空に鉄の日本橋ができた。
 あれから半世紀のちの日本橋で、なにか起きるでしょうか。
  参照⇒http://homepage2.nifty.com/datey/nihonbasi.pdf


  で、肝心のあのオリンピックを、TVでも見た記憶がない。え~っと、アベベって裸足のランナーがいたような、、。

2013/09/07

832【東京路地徘徊】元麻布の谷底街の路地の上に狸の大入道が真昼に出てくる

 久しぶりに東京・広尾に用事あって出かけた。
 用事と言っても親しい仲間との夕食飲み会であるが、いきなり会場に着いては徘徊老人の名折れになる。一山向うの麻布十番からふらふらと回り道しながら、途中でお勉強もしながら行くことにする。

 このあたりは坂道ばかりである。こんな山の中に街をつくらなくても、関東には平野がいっぱいあるのに、江戸東京の人はなにが面白くてこんなところに住んだのか。
 樹木が怖いほど繁っていた暗闇坂、化かしに出てくる狸坂なんて、田舎そのまんまの命名である。
 

暗闇坂を登り切ったところに長傳寺、麻布十番から標高差約20mの丘の上は、こんな風景である。近頃の寺院は、五重の塔ならぬ三十重の塔を持っているのであった。このあたりには寺院が結構多いのは、江戸時代からの街ということだろう。
 
 その長傳寺の向かいに、なんとなく気になる洋館風の住宅のような建物がある。あたりにはこの家のほかは、お高そうな集合住宅ばかりが見える。


 こんどは狸坂を下って行く。坂の途中には、これまたお高そうな格好良いお住まいが立ち並んでいる。狸は住みにくいことだろう。

 狸坂を下りきると、狭い5差路に出る。この交差点が谷底で、そこから出る道は一本を除いてどれも上り坂になる。
 その手前に左手が擁壁の幅90センチほどの路地を見つけて入り込む。
 奥へ奥へと行くと、意外にも下町風情の路地となった。地名は元麻布2丁目5だが、町内会の掲示には麻布宮村町と書いてあるから、こちらが伝統的地名だろう。


 このあたりは谷のドンつまりで、前も左右も高くなって上に集合住宅ビルや学校の石垣が見える。路地は崖下に突き当たってしまった。
 振り返ると、おお、路地の物干し台の上に大入道が突っ立っている。狸のお得意な化け方である。真昼間から出てきている。

 こちらの向こうには、親分狸の大入道が腹を出して突っ立ち、その前には赤いおべべの女大入道が2匹立っている。

 さっきの狸坂下の5差路交差点に戻って、北へと坂を登っていく。丘上街に来ると、路地はこんな風になってしまって、谷底街の生活感のあるわたしの好きな風情は消える。

 まわりはお高そうな集合住宅ビル、お庭がバッチリ広~いお屋敷(これがホントのマンション)、お屋敷を集合住宅ビルに建て替え中のところもある。 
 児童公園がある。ほう、遊んでいるガキどももカアちゃんどもも、なんだか毛色が違うなあ、ふ~ん。
 
 尾根の上の道を行けば、ちょっと雰囲気の異なる塀が続いて、大きな中華料理屋だろうと歩いて行ったら、なんと中国大使館であった。向うに腹の出っ張った大入道が見えている。

 中国大使館の門の前には、男女二人が人権なんとかと書いた布を広げており、なにやら中国語らしき大声をあげている。
 そばに3人の警官が手持無沙汰のような緊張しているような感じで突っ立っている。
 坂の下の谷底街はいかにも平和なのに、坂の上の街は国際情勢を反映して何やら騒がしい。 

 そういえば、このあたりの丘の上の街のあちこちに、世界中の大使館があるから、その御国の政治情勢によって、あっちが騒がしかったり、こっちが騒がしかったりするのだろう。

 グーグルアースで、このあたりの今と昔を比較してみた。
 まずは、路地の街・麻布宮村町の2012年である。
 
同じく宮村町の1997年である
  
ついでに六本木ヒルズの今昔。まずは2012年。
 
六本木ヒルズ1997年 
  この六本木ヒルズの二つの画像を眺めていて気が付いたことがある。
超高層ビルにするとその周囲が広く空くので、都市に緑の空間を多くもたらすという、森ビルがしょっちゅう唱えている開発理論?がある。
 ところが、どうもそうでもないらしい。どう見ても、ヒルズができる前のほうが緑が多くあるように見える。
 もちろん、そこは公開空地ではなくて個人所有の緑の空間だったろうが、個人所有の緑でもその景観や微気象にもたらす良い影響は、公共の緑と変わりはないはずだ。




2013/09/05

831集団自衛権容認のついでに婚外子差別容認の憲法解釈をすればいいのだよ

熊五郎 ご隠居、猛烈に暑いと思ったら、今度は雨ばっかり、そうしたら竜巻だなんて、世の中オカシイですね。
ご隠居 おお、熊さん、お前でも世の中オカシイって思うかい、そうだよ、なんてたってあの選挙のあとから次々と怪しいことが起こるねえ。
 選挙のあとからねえ、そういやそうかもなあ、こりゃやっぱりアホのミックスなんですかねえ。
 おお、アホなことがいろいろ取り混ぜて起きてるねえ。戦争に傾く憲法改定推進とか、柔道界のドタバタとか、核毒水垂れ流しとかねえ。天候異変もそれだろ。
 ところで今朝の新聞に、婚外子相続差別についての民法規定が、憲法違反て最高裁判決が出たって出てますね。親が死んだときの相続額が、結婚してない親の子は結婚してる親の子の半分なんで、これが人間みな平等とする憲法に違反するってんですね。
 今の民法は、親の不倫をその子で罰してるんだよ。生まれる子がかわいそうだから、不倫してもいいいけど子はつくるなよって、そういう親切な民法なんだねえ。前々からこの民法条項を変えようって動きがあるんだけど、保守系の国会議員さんたちが、そんなことしたら不倫の子が増えて家族制度が崩壊するから反対ってんで、法改正にならないんだな。
 え、そう考えるんですかい。余計なお世話てなもんでしょ。じゃあ、できちゃった婚てのがあるでしょ、あれって本当は結婚しないで子だけほしいってのもあるはずでしょ、なのに、相続で可哀そうだからって、したくもない結婚してるかもしれませんよ。強制結婚っておかしいでしょ。
 う~ん、自分が死んだときのことまで考えて、子をつくったり、結婚したりするものだろうかねえ。
 こういう判決が出たら、民法を変えるんでしょうね。
 いや、わからんぞ、憲法のほうを変えるかもしれないよ。人間平等の条項に、ただし不倫の子にはこれを適用しない、ってつけくわえるんだよ。
 あ、そういう手があるか。
 それが間に合わないなら、集団自衛権容認の内閣法制局長官に取り替えたのだから、ついでに婚外子差別容認の憲法解釈もさせればいいのだよ、自民党お得意の、。
 あ、そういう手もあるのか、え?

2013/09/01

830横浜能楽堂で若い演者たちによる若い主人公の能『敦盛』を観たが、、

 今日は特に暑さがもどってきた。その中を横浜能楽堂に、能「敦盛」を観にいった。
 初めに歌人の馬場あき子による解説があったが、さすがにうまい。中身はともかく、こういう風に話をしたいものだと、大いに参考になった。

 この連続公演企画「時々の花」というテーマは、世阿弥生誕650年記念だそうだ。650年にどんな意味があるのだろうか。
 月1回の3回公演の第1回であるが、「青春の巻」とて若い主人公の能を、若いシテ方による公演とて、金剛龍謹の敦盛であった。
 シテは金剛流宗家の跡取り息子だそうで、25歳である。
 ワキもはじめて見る若者で、有松遼一という。

 若者のはつらつたる能を期待したが、ワキはまあまあだったが、シテの金剛跡取り息子は、なんとも溌剌さに欠けていた。
 期待していた後場の見せ場の舞が、クセも中の舞もなんとも優しい動きで型を追うだけ、若者らしいスカッとしたキレというものが見えなかったのは、わたしの鑑賞眼のなさだろう。とにかく眠くなってしまった。

 次回は10月26日、今度は中年シテ梅若紀彰が出る井筒、最後の12月が師匠の野村四郎の桧垣で、これが目的でつい3回分のセット券を買ってしまった。
 帰りに音楽堂のチケットセンターで、10月14日午後の文楽公演「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)の切符を買った。大昔の少年の頃、講談の本で読んだ朝顔日記の話らしい。
 実は文楽を見るのは初めてである。

2013/08/31

829なんだか不気味な世の中になってきたようだから早くおさらばしたいもんだ

 二つの本が、それを読むことを妨害されることが起きて、世の話題になっているらしい。
 実はどちらも読んだことはないが、読むことを妨害される背後に、何か不気味な気配を感じる。
 

 「はだしのゲン」なる漫画本が、松江市教育長が各学校に指示して、閉架にさせたことが、そのひとつ。
 これは、あれこれあって、元に戻ったらしい。

 何が原因でそうなったかについては、市民のひとりが、気に入らない本なのでそうしろと、議会に請願を出したことが始まりらしい。請願は通らなかったが、請願を出したってことは紹介議員があるということだろう。
 それが教育委員会事務局を刺激して、閉架にさせたってことらしい。なんとなく、政治的な動きを察知して、ごたごた言われるよりも先回りして、臭いものに蓋をした感じがある。

もうひとつは、高校の歴史教科書の採択に、教育委員会が口出しして高校の選択を変えさせたことである。
 その教科書には、国旗と国歌について一部の自治体で公務員への強制の動きがあると、名ざしではないが神奈川県と東京都で起きた事実を書いてあるそうだ。
 で、自分に不都合なことが書いてあると、両教委が校長にその教科書を採択しないようにと指示した。

 どうも、そうなったもとは、ある団体が教育委員会に、この教科書はけしからんと指摘したことから始まったらしい。
 校長が、これを選んだら攻撃されると、ビビッてしまったのだそうだ。どこが攻撃してくるのだろうか。

 二つの事件のもとにあるのは、なにかよくわからないけど、臭いものに蓋して穏便に処理しないと、学校が攻撃を受けるかもしれない、そんな空気があるようだ。
 そして何より怖いのは、なんの攻撃か知らないが、わたしなど想像もつかない何か不気味な動きが、今の世の中にはあるらしいことだ。こわ~い。

 なんだか、化学兵器をつかったか使わないかわからないシリアが、アメリカから攻撃されるって構図の、ミニミニ版が日常世界にもあるらしい。怖~い。
 わたしも当事者になったら、臭いものに蓋してさっさと逃げるけど、そのまえに、もう、こんな不気味なこの世から、早く逃げ出したいもんだ。

2013/08/30

828参議院選挙余聞

 このまえの参議院選挙の比例代表で、ある議員が当選したが、ある市でその議員の票がゼロだった。
 その市に住むその議員の支持者が、選挙管理委員会に「わたしは投票したのにゼロ票とはおかしい、票を調べろ」と抗議しているそうだ。

 これって、なんとなく、おもしろおかしい。
 本当に票の数え間違いだったのだろうか。
 どうして選管発表のすぐ後に抗議しなかったのだろうか。あれからもう9カ月も経っている。

 もしかして、実はその支持者は、その議員に票を入れなくても、ばれることはないだろうって、ほかの人に票を入れたら、なんとまあゼロ票と選管発表で、ばれてしまったので、日頃支持してるって出入りしていたので困ってしまって、しょうがないからとりあえず選管に抗議したって、まさかそんなことないですよね。

 昔、こういう選挙の笑い話があった。
 ある人がなにかの選挙に立後補した。投票に自分で自分の名前を書く卑怯なことはしないと、他人を書いた。開票したら、自分はゼロ票だった。妻も入れなかったとばれて家庭争議に。

2013/08/29

827なんだか突然に秋がやって来たような

 ふらふらとご近所を徘徊していて、奇妙な幟旗にでくわした。
「替玉無料」と書いてある。
 おお、無料で替え玉になってくれるのか、ありがたい。

「あの、替え玉お願いします」
「はい、なんの替え玉でしょうか」
「昨日、銀行で金をかっぱらって、警察に追われています。替え玉で自首してください」
「はいはい、毎度ありがとうございます」

 これが無料なんだからすごいなあ。どうやってそれで稼げるんだろうか?

 暑い暑い日が続いていたのに、突然にバッタと涼しくなった。なんだかおかしいよなあ、最近の季節は。

 秋きぬと
 目にはさやかに見えねども
 風が突然涼しくなったぞ

2013/08/28

826男の日傘が売れているそうで、世の中の話題らしい

 男の日傘が売れているそうである。世の中の話題らしい。
 えっ、今ごろ、どうして?
 わたしなんぞ、ずっと昔から、暑い日照りの時は、雨傘を日傘にして歩いていたぞ。
 男が日傘をさすのがおかしいなんて、ちっとも思っていなかったぞ。
 てことは、わたし以外の男はそう思っていたのかあ、知らなかったなあ。
 でも、それがなにか?

 どうも、これって、傘屋の宣伝にひっかかっているような気がする。
 あれでしょ、透明100円傘ばかり売れるもんだから、干上がった傘屋が、それじゃあ日傘になりませんよ、こっちをお買いなさいって、反撃作戦でしょ。

 そこでまた、年寄りの昔の思い出噺になる。
 わたしが小学生だから大昔のこと、父が出先で急な雨になって借りてきた傘を、おつかいで返しに行かされた。
 それは立派な和傘で、暗緑色に塗ってあり、なにか金線模様もあった記憶がある。
 道々、開いたり閉じたりして遊びながら歩いていて、なにかに当ってバリッと大穴があいた。

 アッ、どうしよう、これ持って引き返すと大目玉だなあ、しょうがない、キレイに折りたたんでお返しすれば、先方はその場で開いて見はしないだろうってことで、こわごわと返してきた。
 その返した先の家は、映画「男はつらいよ」シリーズに出てくる、武家屋敷町の旧家だったような記憶がある。寅さんの妹の夫、つまり義弟の生家という設定である。
 その後、びくびくしていたが、いまだに何もないから、先方が泣き寝入りしたのであろう。ゴメンナサイ。

 いまも蛇の目の和傘ってあるのだろうか、あっても高いだろうなあ。100円じゃないよな。
 あれを男の日傘にすると格好いいよなあ

2013/08/27

825天井知らずの原発事故対策費に東電から金利と配当を得てきた金貸しと株主は責任を取っているのか

 福島の事故原発から出てくる核毒で汚染した水が、どんどんどんどん増え続けて、もうどうにも止まらないらしい。毒水責めである。
 昔から、三尺流れて水清しとか、もうきれいさっぱり水に流すとか言って、水に流すとなんでもキレイになるのが日本の自然であった。
 今やそうはいっていらない。ペットボトルで水を買う有様である。
 水清ければ魚住まずって、キレイなことは人間にとって必ずしもいいことじゃないらしいのが、原発好きのお方たちが結構いることで、いまさらに分ってきたのが、悲しい。


 原発周囲からやってくる地下水がそのまま核毒汚染水となり、タンクを作って貯め続けるしかないなんて、人間が自然から水責めにあっている。
 なんだか童話の中のことみたいだが現実であり、こういうのを無間地獄というのだろうか。
 なんでこんなことになる原発なんてものをつくったのだろうか。分らなかったのだろうか。でもその前から核毒ごみ問題は深刻に伝えられていたから、専門家が知らないことはあるまい。

 もう東電の手には負えないから、国によってその対策をとることにするとか、そんな報道が伝えられている。
 ということは、国ならばなにか東電は知らない地獄から抜け出る方法を知っているのだろうか。そうじゃなさそうだ。
 要するに東電では金の投入に限度があるらしいから、税金でやろうってことだろうが、待てよ、あたしの住んでる日本国には、そんなお金があるんだろうか。

 どうもよくわからないのは、原発事故を起こした東電を支えてきた金貸し業とか株主とかは、どうして責任を取って、今の東電に金を出してやらないのだろうか。
 あんたたち、金利や配当を受け取って儲けたはずでしょ、こうなったら逃げ出すなんて、はずかしいでしょ。卑怯でしょ。

 こんな人間が手におえないものを発明してしまって、オロオロしている有様は、ほんとに見ちゃおれませんな。
 それなのに、まだまだ造るし外国にも輸出もするって日本政府アホノミックスって、わたしにはもう理解できません。
 まあ、わたしはもうすぐあの世に行くか、ボケて分からなくなるから、知ったことではないけどね。
 現今のわたしの最大の心配は、ボケもせず死にもせずに、長生きし続けることだよなあ、う~む、なんとかしないとなあ、、藤圭子も死んだしなあ、、あ、いや、、。

 そうだっ、いいこと思いついたぞ。
 日本で余りに余っている年寄りどもを、核毒汚染地域に住ませるってのはいかが。現代姨捨政策である、いや、福祉政策である。
 核毒のことさえなければ、あのあたりは空気も水もきれいで、魚も獣もいて、山野田畑も豊かで、暮らしやすいところだ。もったいないことである。

 いいよなあ、行きたいなあ、なにか支援策を考えてよ、アホのミックス政策のひとつで。
 住んで、身の回りを除染したけりゃするし、どうでもよければしない、悠々自適の生活である。
 もちろん核毒地域再生のためだから、生活費は東電に負担してもらいましょう。
 どうせ先は長くないのだから、それで命が1年や2年あるいは5年も縮んでも、どうってことはない。そもそも核毒病ってのは、何年か後になって出るらしいから、そのころは寿命が尽きてるよな。

 わたしはそう考えて、10年前に鎌倉の谷戸の中の緑豊かで静かで空気のきれいなところから、横浜都心の核毒なみ?の自動車騒音排ガスに満ちたコンクリートジャングルに便利さだけをもとめて移ってきたのだから、口だけではないのだ。

参照→◆地震津波核毒おろおろ日録