福島の事故原発から出てくる核毒で汚染した水が、どんどんどんどん増え続けて、もうどうにも止まらないらしい。毒水責めである。
昔から、三尺流れて水清しとか、もうきれいさっぱり水に流すとか言って、水に流すとなんでもキレイになるのが日本の自然であった。
今やそうはいっていらない。ペットボトルで水を買う有様である。
水清ければ魚住まずって、キレイなことは人間にとって必ずしもいいことじゃないらしいのが、原発好きのお方たちが結構いることで、いまさらに分ってきたのが、悲しい。
原発周囲からやってくる地下水がそのまま核毒汚染水となり、タンクを作って貯め続けるしかないなんて、人間が自然から水責めにあっている。
なんだか童話の中のことみたいだが現実であり、こういうのを無間地獄というのだろうか。
なんでこんなことになる原発なんてものをつくったのだろうか。分らなかったのだろうか。でもその前から核毒ごみ問題は深刻に伝えられていたから、専門家が知らないことはあるまい。
もう東電の手には負えないから、国によってその対策をとることにするとか、そんな報道が伝えられている。
ということは、国ならばなにか東電は知らない地獄から抜け出る方法を知っているのだろうか。そうじゃなさそうだ。
要するに東電では金の投入に限度があるらしいから、税金でやろうってことだろうが、待てよ、あたしの住んでる日本国には、そんなお金があるんだろうか。
どうもよくわからないのは、原発事故を起こした東電を支えてきた金貸し業とか株主とかは、どうして責任を取って、今の東電に金を出してやらないのだろうか。
あんたたち、金利や配当を受け取って儲けたはずでしょ、こうなったら逃げ出すなんて、はずかしいでしょ。卑怯でしょ。
こんな人間が手におえないものを発明してしまって、オロオロしている有様は、ほんとに見ちゃおれませんな。
それなのに、まだまだ造るし外国にも輸出もするって日本政府アホノミックスって、わたしにはもう理解できません。
まあ、わたしはもうすぐあの世に行くか、ボケて分からなくなるから、知ったことではないけどね。
現今のわたしの最大の心配は、ボケもせず死にもせずに、長生きし続けることだよなあ、う~む、なんとかしないとなあ、、藤圭子も死んだしなあ、、あ、いや、、。
そうだっ、いいこと思いついたぞ。
日本で余りに余っている年寄りどもを、核毒汚染地域に住ませるってのはいかが。現代姨捨政策である、いや、福祉政策である。
核毒のことさえなければ、あのあたりは空気も水もきれいで、魚も獣もいて、山野田畑も豊かで、暮らしやすいところだ。もったいないことである。
いいよなあ、行きたいなあ、なにか支援策を考えてよ、アホのミックス政策のひとつで。
住んで、身の回りを除染したけりゃするし、どうでもよければしない、悠々自適の生活である。
もちろん核毒地域再生のためだから、生活費は東電に負担してもらいましょう。
どうせ先は長くないのだから、それで命が1年や2年あるいは5年も縮んでも、どうってことはない。そもそも核毒病ってのは、何年か後になって出るらしいから、そのころは寿命が尽きてるよな。
わたしはそう考えて、10年前に鎌倉の谷戸の中の緑豊かで静かで空気のきれいなところから、横浜都心の核毒なみ?の自動車騒音排ガスに満ちたコンクリートジャングルに便利さだけをもとめて移ってきたのだから、口だけではないのだ。
参照→◆地震津波核毒おろおろ日録
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