2014/12/09

1035いつも冬野菜の季節になれば友人の畑で美味いダイコンを収穫

 毎年の今ごろ、年寄り遊び仲間の中の一人が耕作するする市民農園に赴き、たくさん冬野菜を収穫して頂戴してくる。
 年中行事になっているが、いつまで続くか。

 耕作する友人のほうは、一年中いろいろと手間をかけているのだが、こちらは育った頃に畑を訪ねて行って、このダイコンいいなあ、この水菜もほしい、この白菜が美味そうだ、青梗菜も立派だねえなどなど、口で褒めるだけで新鮮野菜を手に入れることができる。
 実にどうもありがたいことである。

 今年も二人の仲間で押しかけて、太いダイコン2本、水菜6株、白菜3株をそれぞれいただいた。ダイコンって、水ばっかりなのに、意外に重いものである。
 さてどうやって食おうか、とりあえずは水菜を浅漬けしておいた。

 このダイコンの写真は、その畑で収穫したものである(今年の作ではない)。
 畑でこれを製作した友人は「ポルノダイコン」と名付けているが、わたしは「エロダイコン」と名付けた。どちらが正しい命名か、論争は決着していない。
 友人によれば、最近は畑作りの腕前が向上したので、エロダイコンが発生しなくなったそうだ。でもこういう付加価値のある野菜づくり技術も大切だと思うが、どうなんだろうか。

2014/12/08

1034太平洋戦争開始記念の日に思い出す母の号泣と父の十五年戦争

 今日は12月8日、1941年に日本が太平洋戦争に突入した日、もちろん幼児のわたしのその日の記憶はない。平和な田舎町だったから戦災はなかったが、戦後の飢餓の日々が戦禍であった。
 だが、わたしにはひとつだけ、この戦争に関して強烈な記憶がある。

 1943年12月27日、わたしの父は戦いの場に召集された。家族や親戚あるいは神社関係者で、兵役に赴く父が出発する鉄道駅まで見送りに行った。わたしの記憶はその直後のことである。
 家に戻った途端、母が突然に号泣しだした。和服の羽織も脱がずに畳にうつ伏して、顔を両手で覆って声をあげて泣いている。
 幼児のわたしは、そのそばでなすべきこともわからなくて、呆然と座っているばかり。

 父は、その前の兵役、つまり1937年に始まった日中戦争(支那事変)から、1941年の5月に帰還したばかりだったのだ。
 実はその前の戦争である「満州事変」でも、父は兵役に就き中国戦線に行ったのだから、これで3度目の戦争である。この年には3人の子の父となろうとしていた。
 1931年からの15年戦争に、念入りに3度も出かけた人だった。しかもただの一兵卒として。

 その頃は戦局は危ういことは、身の回りに戦死者が多くなったことから一般人もうすうすは分かっていた。
 そんなときにまたもや兵役召集だから、父も母も覚悟が要ったことだろう。それが母の号泣となったにちがいない。
 しばらくして、表に客の声がした。母はさっと立ち上がり、涙をぬぐいつつわたしに言った。
「今、泣いてたことは、言っちゃいけないよ」
 銃後の母は、泣いた悲しんだりしては、非国民なのだ。
 幸いにして父は1945年8月末日に帰宅した。姫路で南方戦線に行きを待っていたが、輸送されるべき船がなくなって免れ、小田原に行って本土決戦に備えていたのだった。
1945年8月の敗戦を、父は足柄平野を見下す台地で
上陸してくる米軍を本土決戦とて迎え撃つ陣地作りの穴掘りをしていたらしい
毎年、戦争の記念日が来ると、このことを思い出す。
 あのことのあとは、ひもじい日々が続いたことが、わたしの記憶の中の戦争の悲惨さであるが、あんなに母を泣かせるようなことは、幸いにしてこの年までなかった平和な日々だった。
 だが、記憶が遠くなった日々、そしてあの時代を知らない人たちがリーダーとなった世の中、なんだか大丈夫かと言いたい気分ではある。
 とにかく、あの母を号泣させるようなことは、2度とゴメンである。

関連ページ  ◆「少年の日の戦争」    父の十五年戦争

2014/12/02

1033【言葉の酔時記】今年も流行語が不可解、もう流行から遅れるのが自慢になってきた

2014年現代用語の基礎知識選 ・流行語大賞 発表2014年12月1日
 自慢じゃないが、わたしが知ってるのは、たった2つだけだぞ(◎印)。
×ダメよ~ダメダメ(日本エレキテル連合):ぜんぜん知らんな
◎集団的自衛権(受賞者辞退):知ってるよ、でも、なんで辞退するんだよ~、「流行語大賞をいただきましたアベでございます。それほど集団的自衛権はシッカリ流行しているのであります」なんて選挙宣伝になる、。
×ありのままで(ディズニー『アナと雪の女王』チーム):聞いたことあるような、でも全然知らん。
×カープ女子(石田敦子さん):全く知らんわい。曲がった女の子?
×壁ドン(映画「L?DK」):なんのこっちゃ。
◎危険ドラッグ(古屋圭司さん):新聞で読んで知ってるけど、なんで古屋なんだよ、あのロレロレドライバー殺人犯にしなさいよ。
×ごきげんよう(美輪明宏さん):これって日常会話ザアマショ、なぜ流行語ザマスカ。
×マタハラ(杉浦浩美さん):股と腹がデブなのか。
×妖怪ウォッチ(日野晃博さん):知らん知らん。
×レジェンド(葛西紀明さん、青木功さん、山本昌広さん):なんだろ、ホンダの宣伝マンかい。

 ところで、以前にも流行語についてこのブログに書いたような気がして、検索したら、あった。

◆2011年12月2日◆543知らない流行語大賞2011
帰宅難民

×こだまでしょうか:これってTVCMらしいが、「のぞみ」や「ひかり」じゃなくて「こだま」にも乗ろうってJR東海の広告なのであろう。なんでこれが流行なの?
3.11
スマホ
どじょう内閣
×どや顔:ドヤに泊まっている人の顔のことなんだろうなあ。
なでしこジャパン
風評被害
×ラブ注入
 要するにTV番組を見ないと流行遅れになるらしい、という程度のことである。
 で、結構震災関係言葉が多いのに、どうして「脱原発」と「想定外」が入らないのだろうか。「TPP]とか「ユーロ危機」がなぜ入らないのか。
 どうやらイデオロギー的なにおいのする言葉を避けているらしい。そこにこの賞のがどの程度のものかを物語るものがある。

◆2009年12月2日◆209知らない新語流行語大賞
政権交代:もちろん知っている。だが、これは新語じゃないが流行語か?
×こども店長:ってなんだ?
事業仕分:あまりに有名になった。新語のように聞こえる。
新型インフルエンザ:もちろん承知。未だかかっていないけど。
×草食男子:要するによわよわしい男ってことか?
脱官僚:新語じゃないからとて、なんで流行語なんだよ、いまごろ流行語というほうがおかしい。
派遣切り:今年の新語のようだが、流行語にしたくないという皮肉をこめて社会批判として採用したのかしら、それならこの企画にも芯があるけどな。
×ファストファッション:こりゃなんだね、ファスト風土とかファストフードの類か、お手軽で半分裸の格好のことか、ならばチジミのシャツにステテコこそファストファッション?
×ぼやき:なんでもプロ野球の監督のことらしいが、興味ない。
×歴女:??
 こうしてみると、わたしの知らないのはどれもTVタレントものらしい。知らなくてあたりまえだ、だってTVを見ないんだもん。

 こうしてみると、2009年も2011年も、半分以上は知っている流行語があったのに、2014年になるとそれが2つだけになってるって、こりゃますます流行遅れのわたしであることを自覚した。
 その原因はよく分っているんだよ、TVを見ないからだ。
 つまり世の中は、アホなことは全てTVが原因である。
 こうなりゃ、ますます流行から後れてやるぞ、それが自慢。



2014/11/28

1032クルマのデザイナーってのは世界中に一人しか居ないんだね


ヒマだから新聞広告までも読む。今日はクルマの広告が多い。
どいつもこいつも、まあ、ほんとに、まったくもって御面相が悪いよなあ、
吊目に鰐口、大きな面、凶相の典型である。
オラオラ、ジャマだっ、ドケドケ~ッ、、、コワ~イッ、
クルマのデザイナーってのは、世界中に一人しか居ないんだね。だからこんな同じデザインになるんだな。






あ、そうなんだあ、昔の車は愛嬌があったので、
ついつい歩行者が油断して逃げない、
だから襲われて死ぬって事故が多かったんだ、
近ごろ昔より死者が減ったと聞いたけど、
それはクルマの御面相が狂暴化したからであったか、、
よかったね、、え、???

ガ~オ~ッ!



2014/11/23

1031山口文象90年前の橋の設計図:新宿地下広場で土木学会百年記念展覧会

 
久しぶりに山口文象が描いた設計図を見た。しかも1925年という大昔のものであるから、山口文象がまだ岡村蚊象と名乗っている、駆け出しの頃の作である。
 その駆け出し時代の図面とは、帝都復興局土木部橋梁課の嘱託技師をしていた頃に作成した「八重洲橋」の手すりや橋塔の詳細図である。どっしりとした石張りで、表現は風の刻み込みを指示している。
八重洲橋は右上方に見える八重洲通りが外堀を渡る位置にかかっていた
土木学会100周年記念事業の土木エンジニアドロウイング展として、土木学会の土木コレクションアーカイブのなかから、他の関東大震災復興橋梁の図面と共に出品されていた。
 ガラスケース入りで大事に、しかもこの図面だけ、山口文象デザインであるとの顔写真つきの解説がある。山口文象もこうなるとは夢にも思わなかったろう。

 その八重州橋の詳細図の右下を見れば、山口文象のサインが設計と製図の欄に「岡村」とあり、その上に技師と照査欄に「成瀬」のサインがある。成瀬勝武であろう。
右上には「親柱詳細」と、山口文象の筆跡でタイトルがある。
 この図面の描き方は、線がコーナーでクロスしていていかにも建築図面である。他の人の手による八重洲橋の几帳面な図面とくらべて、筆致が分って味がある。



 なお、八重洲橋は木下杢太郎のデザインという説があるらしいが、本当だろうか。杢太郎の兄の太田円三が復興橋梁建設の指揮をしたから、詩人の杢太郎は兄からその風景のあり方を相談されたかもしれない。実際はどうなのだろうか。 
 八重洲橋は1948年に外堀の埋立てで、地の中に埋もれて消えた。
 
 たくさんのパネル展示を見ていて、その土木建造物の設計者やデザイナーが記されているものが結構多くあることに気が付いた。かつては土木の世界では、特定の設計者の名前を出さないのが約束のようであったが、どうやら変わったらしい。
 土木系の設計者名の他に、建築系の設計者あるいはデザインに係った者の名もちらほらある。その建築家のひとりとして、駆け出し時代の山口文象の名が顔写真と共に登場するのが嬉しい。

 山口文象がかかわった土木構築物の内、上記の八重洲橋のほかに、清洲橋、数寄屋橋、そして富山県の庄川にある小牧ダムが展示されて、山口の名が記されていた。
 ちょっと残念だったのは、山口が世に出てから設計した黒部発電所の目黒橋と小屋平ダムがなかったことだ。土木界では高く評価していないのだろうか。

 山口文象の他に登場する建築家は、「聖橋」デザインの山田守と「東京駅」設計の辰野金吾のほかには、見当たらなかった。それだけ山口文象は特異な存在であるらしい。
 しかし、実のところ、山口文象が土木デザインに実務として、どの程度かかわったのかは、よく分らない。そのあたりのことも知りたいのだが、小牧ダムの解説に同じようなことが書いてあるから、土木界でもよく分らないらしい。
山田守デザインの聖橋のパース(岡村蚊象画)
その頃、山口は創宇社建築会を結成して、若い仲間たちと大井瀧王子の自宅を梁山泊のようにして、建築運動の拠点にするとともに、橋の設計の仕事をしていたらしい。
 創宇社建築会仲間の竹村新太郎にわたしが直接聞いた話では、山口の担当する橋の欄干や親柱あるいは照明器具などのデザインは、創宇社建築会仲間でアルバイトでやっていたとのことだった。

 わたしが山口文象に、現物の橋のそばで直接に聞いた話(1976年12月11日)は、清洲橋では川の中の船から橋を横に見るとき、橋桁とそこからはねだす歩道の鉄骨の見付が、いかにスレンダーに見えるようにするか腐心したということだった。
 浜離宮南門橋は、その様式デザインを求められてやったけれど、これは好きではないとのこと。数寄屋橋については、稲田御影の手すりの天端からサイドへと角を丸くしていくのだが、その丸みのカーブに腐心したといっていた。
 戦後の貧乏で無骨一点張り、あるいはデザイン下手の見本みたいだった土木構築物にも最近は、今回の展示に見るような戦前に倣う良いデザインが、ようやく登場するようになった。

 この展示は土木構築物をテーマにしているのに、辰野金吾の東京駅がはたして土木構築物であろうかという疑問がわいた。
 そしてこの東京駅を最近の復元による改築をテーマにしてとりあげているのだが、その解説に辰野金吾は登場しても、肝心の復元設計の建築家の名が登場しないのは、どうしてだろうか。かつての土木の無記名性がよみがえったのか。
 東京駅の復元をとりあげているように、展示を戦前に絞ったのでもないようだ。とすれば、最近は建築家によるデザインの土木構造物もあ多いだろうに、数が多くなりすぎるので限界があったのだろう。

 今回の展示は、このような誰もがアクセスできる会場にて行うとは、土木学会はずいぶん開けていると思う。
 しかしそれでもひとこと言いたいのは、内容がやはり普通の眼で見るとマニアックであることだ。わたしはマニアだから面白かったが、これでは一般には興味の湧きにくいプレゼンテイションであった。
 土木は一般に身近にある日常世界のものである。日常の世界でこんなにも素晴らしい役目をしているのだと、普通の人たちの眼にももっと面白い展示を次は期待している。

 そういえば、わたしの生まれ故郷の高梁盆地の高梁川にかかる「方谷橋」が展示にあった。この橋は、わたしが少年の頃に何度も行き来し、毎夏には橋の下で泳いだ日常の思い出が深い橋である。わたしが生れた年にできた橋だから、同年同期である。
 パネルの写真には、わたしの生家の神社の森も写っている。こうやって見ると、ああ、これも記念すべき土木遺産なのだと気がついた。わたしはそんな事情でこの橋に感情移入できるが、ふつうなら解説を読んだだけでは特にどうってことはない。
竣工時の方谷橋。現在はこの親柱は失われている

参照→「ふるさとの川と橋」(伊達美徳)
参照→「山口文象アーカイブス」(伊達美徳)

参照→「土木コレクションアーカイブ」(土木学会)
http://dobokore.jsce.or.jp/archive/

2014/11/20

1030【横浜都計審】事業が先にあって計画が後から追いかけていく横浜市の都市整備

 先日の横浜市都市計画審議会で、わたしにはどうも分らないおかしな議題があったので、疑問を書いておく。ピントハズレなら、どなたか指摘していただきたい。
 もちろん、市の担当に聞きに行けばすぐわかるだろうが、超ヒマ老人が超多忙役人の仕事の邪魔をしたくない。

 寝た子を起すかもしれないので、ちょっと場所をぼかして書く。
 ある都市計画道路がとっくにできているのだが、じつは都市計画で決めた範囲を外れて作ってしまったので、都市計画をやり直すというのだ。
 計画があって事業があるのではなくて、事業の後を計画が追いかけるのだ。

 図で見る通り、黄色の線形で1957年に都市計画決定したのだが、どういうわけか1981年に赤色の線形で整備してしまったのだそうだ。ズレの大きいところでは9mくらいもあるらしい。
 今回、それにつながる道路の変更をしなければならなくなって、このできてしまった都市計画道路の位置に合わせて、後追い計画変更をするらしい。
 そういう議題が出て、都計審は原案通りに承認した。


 ところで、なぜそのように計画と実施とにズレが出たのか。30年以上前の工事だとて、そんなずさんなことが通ったものか。
 今回都市計画の縦覧をしたら、さすがに地元の人から公聴会でその理由を問う公述が出たし、意見書でも疑問が出された。
 市当局のそれに対する回答は、「不整合が生じた経緯については、現在保有している資料では確認できませんでした」とある。要するに「わからない」ってことである。
 都計審でもこの件について委員から指摘があり、道路のような恒久施設についての資料は、廃棄しないで保存するようにとの意見が出された。

 現実には道路は既にできて車も人も通っているのだから、それに合わせて変更しても問題はないだろう。ここでわたしの疑問をあえて指摘しておく。
 
疑問①:都市計画審議会をないがしろか
 そのように事業をするのが適切ならば、都市計画変更をすぐにすればよいのに、なぜそうしなかったのか。30年以上もほったらかしとは、都市計画審議会は軽んじられていることになる。
 現実の後追いと言えば、生産緑地がまさにそうである。これから農地としての都市計画を解除するのに、現地は既に住宅地になっているのであるから、これも都計審は軽んじらている。
 わたしが都計審委員をしているとき、市営地下鉄が都市計画決定の範囲からはみ出て整備して何十年も都市計画法違反のまま営業してきたのを、現実に合わせて都市計画変更する事案があった。これも事業後追い都市計画である。

疑問②:都市計画法違反になるかも
 市の資料によると都市計画道路として整備済みと書いてあるので、事業決定をしてその予算措置をして工事をしたのであろう。とすれば、都市計画決定の範囲外に都市計画事業をしたことになり、その事業決定は都市計画法違反になるのような気がする。
 都市計画事業費を都市計画決定の範囲外に投入したことは、よく知らないが財政上の違反行為になるのかもしれない。特に、都市計画事業として国庫補助金を投入しているとしたら、会計検査にひっかかるような気がする。もう時効かもしれないが。
 もしも、国庫補助を入れないで事業したとしたら、それはそれで市に入るべき歳入を逃したことになる。

疑問③:建築基準法違反になるかも
 都市計画道路予定地では建築制限がかかる。審議会資料にある図面を見ると、黄色線にひっかかるビルがあるらしい。現地を見ると、まさに建築制限を超えた5階建ての共同住宅建物が、ずれて整備された道路に接して建っている。
 ここはまだ都市計画道路の黄色線の中なのだから、建築基準法違反になるはずだが、どういうことなのだろうか。
 結論としてはこれでよいのだが、ここに至る経緯では建築行政と道路行政の当局間でのなにか申し合わせがあったとしても、法的には違反になるように思うが、どうなのだろうか。

 というわけで、現実はこれでまあよろしいのであるが、審議会での事務局の説明を聞きながら、なんだか疑問になったことを書いたのである。
 なんにしても、事業の後追い都市計画とは、都市計画審議会は軽んじられているように思えてならない。

参照→都市計画審議会を改革せよ

2014/11/18

1029【横浜都計審】76か所もある都市計画案を審議会2時間に発言10分で承認する超能力委員たち

 横浜市都市計画審議の委員さんたちはスーパーマンとスーパーウーマンだと思う。
 だって、今日の審議会での都市計画決定箇所数は合計で76か所もあり、更に横浜市全体に関する総合的な都市計画に関する議案が2件、更に加えて緑区全体に関するマスタープランもあるのに、これらをたったの2時間(発言10分)で審議を終えて、全て原案通りに可決したのである。神業であるとしか言いようがない。
横浜市都市計画審議会資料
横浜市全体の整備開発保全の方針の見直しと、線引き見直しの方針というような、高度にして多様な内容を持ち、広く多様な性格の地域にわたり、しかも都市計画の根幹にかかわる考え方の答申案についても、これに対する質問も意見も全くなくて、原案通りに可決である。 
 こういうのは素人委員には難しいだろうが、だからこそ専門家たちの学識委員がいるのだろうに、分かっているからとて何も発言されないと、一般市民には何もわからないんだけどなあ。

 たぶん、委員の方々には、事前に答申案が配布されていて、これをしっかり読み込んで全てお分かりになっておられたのであろう。
 わたしは当日はじめて観るのだから、分からないことだらけだった。

 だからこそ私は思うのだが、審議会は市民の代わりにやっているのだから、市民にこれだけは知らせておきたいと思うような意見を、ぜひとも聞かせてほしいものだ。
 その議案の持っている問題点や優れている点についての意見をいい、それらを審議会議事録に載せて、傍聴に来なかった市民も審議内容が分るようにしてほしい。
 なにも発言なさらないと、まさかそんなことはないだろうが、委員の方々は本当に分って審議しているのだろうかと、不安になる。

 緑区のマスタープラン(60ページもある計画書)は、緑区全体に係る都市計画の基本的なことだが、これについては議員の委員3名から発言があった。
 発言を聞くと、どうもみなさま読み込んでおられないようであった。些細なことは事前に事務局に聞けば、当日の審議時間を消費しないで済むだろうに。
 マスタープランだから、もっと基本的な内容のツッコミがほしい。こういうのは学識委員が得意のはずだが、まったく無発言とは、どういうことか。

 毎年11月の都計審に、生産緑地の変更に関する議案が出てくる。
 生産緑地の変更の数は、今年も議題に66か所もあるように数多いのに、都計審の各回に分けて出さないで1年分まとめて議案にするのは、どういうわけか。

 横浜市内のあちこちに散らばっている別々の場所の都市計画決定なのに、説明は3か所のみだし、議決も一括してしまうのは、どういうわけか。
 これだけたくさんあるのに、委員から質疑も意見も全くでないままであった。
 要するに、この議案は馬鹿らしくて審議に値しないということか。

 ま、そりゃそうでしょう、わたしが委員だった頃、解除する場所に事前視察に行ったら、既にミニ開発住宅地になっているのが珍しくない、しかも違法ではないのだから、都市計画法は生産緑地法にバカにされているのである。
 ところで、委員さんたちは事前に66か所の現地を視察なさったのでしょうね、だから意見無しなんですよね。
 わたしの経験では、現地を見るとけっこうおかしな個所もあったものだけどね。
  参照「◆都市計画では農地のはずが現地は住宅地とは
     あるいは「都計審初出演と生産緑地の不思議

 特別緑地保全地区の決定の議案についても、8カ所に散らばっているのに、一括して議決であった。
 これらについても、委員さんたちは事前に調査が行き届いているらしく、即地的な質問や意見はなにも無くて、制度についての初歩的な質問だけがでた。
 そんな事務的なことなら、事前に事務局担当者に聞けば、当日の時間浪費にならないものなのにと思ったが、まあ、議事録を読む一般市民には役に立つかもしれないとも思った。
 
 とにかく今日の議題は76か所という数多くの場所について、あるいは横浜市全体や緑区全部という広大なる地域について、13時から15時までの2時間で都市計画決定の審議を終えるとは、神業である。
 その2時間のうちで、委員が発言した時間は10分もない。ほとんど事務当局による議案説明ばかりであった。

 17時までも18時までもやればよいし、今日中に決めなければならない理由はないはずだろうに、2時間の所定時間では時間がないとて、ぜんぜん場所が違う案件を一括して議決するってのは、それでよいのだろうか。場所場所で特徴あるはずだから、ひとつひとつ審議するべきであると、わたしは思うのだ。
 多分、委員さんたちは事前に現地を見て、事前に資料を読み込んで審議会に臨まれているから、こう言う荒業でも通るのだろう。
 今日初めて議案に出くわした、わたしのような傍聴者は、ただ唖然とするばかりである。
 これで審議をしたと言えるのだろうか。委員さんたちは、本当に現地を見たのだろうか
 
 本日の第135回横浜市都市計画審議会の案件は次の通りだった。
1.都市計画区域の整備、開発及び保全方針等の見直しの基本的考え方について答申
2.第7回線引き全市見直しの基本的考え方について答申
3.横浜市都市計画マスタープラン緑区プランの改定の決定
4.3・3・11号環状3号線道路の変更の決定
5.3・5・6号瀬谷地内線道路の変更の決定
6.3・4・14号三ツ境下草柳線道路の変更の決定
7.生産緑地地区66か所の変更の決定
8.鉄町冨士塚台特別緑地保全地区の決定
9.恩田町特別緑地保全地区の決定
10.恩田町九郎治谷特別緑地保全地区の決定
11.恩田町番匠谷特別緑地保全地区の決定
12.東寺尾六丁目特別緑地保全地区の決定
13.片倉三丁目特別緑地保全地区の決定
14.阿久和南一丁目特別緑地保全地区

参照⇒
あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
都市計画審議会を改革せよ
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokeisin

2014/11/17

1028沖縄県知事選挙結果について各新聞社の態度は原発と集団自衛問題へと同じ

左:辺野古の海             右:普天間基地 (同スケール)


沖縄県で知事選挙があり、選挙のテーマが普天間基地移設問題という明確な対立軸をめぐり、辺野古移転反対を標榜する人が当選した。
 これに対する新聞社の反応を比べてみた。

 本土の主要な新聞社の今日(2014年11月17日)の各社説の見出しを並べる。
・産経新聞「沖縄県知事選 政府は粛々と移設前進を
・読売新聞「沖縄県知事選 辺野古移設を停滞させるな
・毎日新聞「辺野古移設に審判 白紙に戻して再交渉を
・朝日新聞「沖縄県知事選 辺野古移設は白紙に戻せ
・日経新聞「いまこそ政府と沖縄は話し合うときだ
 
 この各社の意見のスタンスが、何かに似ているよなあと思ったら、原発問題で再稼働に賛成か反対へのスタンスと全く同一の反応である。そしてまた、集団的自衛権の容認か否かに関する態度とも、同じなのである。面白いものである。
 要するに、現在の安部政権の政府の施策への距離感が、そっくりなのである。
 まあ、それなりに新聞社として右顧左眄していないということではある。

 そして地元の沖縄の新聞である。なお、沖縄タイムスには今日の社説はない。
・琉球新報「新知事に翁長氏 辺野古移設阻止を 尊厳回復に歴史的意義
 そして本文には、「翁長氏には、政府の強硬姿勢を突き崩して移設問題など基地問題に終止符を打つことに全力で取り組むことを期待したい」とある。
 
 実は、今年の1月にあった名護市長選挙の時にも、新聞社の社説を比較したのである。その時の態度と同じであることも分かった。
http://datey.blogspot.jp/2014/01/886.html
 つまり、2回も選挙で地元住民たちがNOと言っても、本土の産経と読売は、なにもそこから汲み取ろうとはしないらしい。日経も同じようにじっくり交渉せよと言うだけである。

2014/11/15

1027またもや起きるか付和雷同選挙を眺める非投票日和見主義者の繰り言

 なんだかまた国政選挙があるらしいような話が、新聞を賑わわせている。
政治の向きのことはよく分らないのだが、たしか、この前の選挙は昨年の夏だったような気がする。そしてその前はその前の年の末だったような気がする。
 なんだかしょっちゅう国政選挙をしている感じだ。そんなに国会議員の任期は短いのだろうか。

 その上、たしか、国政選挙は憲法違反であると、裁判所が決めたような気がする。
 今の選挙ルールだと、選挙民に不公平が起こる仕掛けなので憲法違反だ、ちゃんとルールを正しくしてからやれって、国会が裁判所から叱られたような覚えがある。

 さて、また国政選挙をするとは、その選挙ルールが憲法に違反しないように改正されたにちがいない。
 まさか前の憲法違反ルールのままでまた選挙するほど、いまの国会は馬鹿じゃあるまいと思う。
 
 もしも改正してないなら、せめて、オトクイの解釈改憲でこれでもルール違反じゃないとの閣議決定とかをやってからになさってはいかがなもんでしょうか。

 ところで、今の国会議員は憲法違反で選ばれた人たちだから、この人たちが決めたことは、もしかしたらすべて無効なのかもしれないと思う。どうなんだろう。
 だって、この国家という枠組みを定めるルールのなかで最高規範である憲法に違反しているなら、なにをやっても違反だろうと思うのだが、どうなんだろう。

 ということは、憲法違反国会が決めた選挙のルール改正も、じつは無効になるような気がする。
 つまりこの2,3年のうちに決めた法律は、なっでもかんでも無効のような気がする。
 わたしたちは無法なる国家に暮らしているんだなあ、あのクリミヤを横盗りしたロシヤとか、あの「イスラム国」のこととか、とやかく言えないのかもなあ。

 まあ、わたしは主義として選挙投票に行かないのだから、どうでもいいけどね。
 また起きるであろう付和雷同体制翼賛選挙を、はたから眺めて楽しませていただきましょう。

参照⇒【非投票独りキャンペーン運動日録
http://datey.blogspot.com/p/blog-page_4.html





2014/11/13

1026美しくも懐かしい故郷・高梁盆地の秋の風景を友人が送ってくれた

 秋の美しい風景画像が、わたしの故郷の高梁盆地に住む友人からやってきた。
 高梁盆地は高梁川から発生する霧で、真っ白な海の底のようになる朝がたびたびある。
 そのような日は、深い霧は午前中に消えて、必ず快晴となる。霧が深いほど空は青い。

 その霧の盆地を、霧の上にでた山上から見下ろすと、盆地は真っ白な湖であり雲海である。
 高梁盆地は城下町であった。盆地の街の北にそびえる臥牛山の麓には城主の館があり、山上には天守のある城郭があった。
 城主の館は、今は高等学校の敷地に変っているが、山上には城郭跡と天守がいまもある。

 その山上の天守が、雲の海の中に島々を従えて浮かび上がる。まさに天空の城、幻想的な景観である。
高梁盆地の雲海に浮かぶ備中松山城  撮影:川上正男
 故郷の有名な景観だが、実はわたしはこの目で見たことがない。
 この景観を撮影するには、朝、まだ暗いうちから、山上にカメラを構えて待ち続けるらしい。しかも、その朝にそれが現れるかどうか、その予想もできないらしい。
 友人はそれをうまく撮ったと送ってきた。なるほど、なるほど。

 なお、この雲海の城のことは、以前にもこのブログに書いたことがある。
 空の城と言えば、竹田城が有名らしいが、これもわたしは見たことがない。
ついでながら、スイスのシャモニーに行ったとき、見上げたエギ-ユドミディの小屋が、天空の城のようだった。
夕陽に輝くシャモニーの天空の城  撮影:伊達美徳
 友人が送ってくれた高梁盆地の風景の中に、わたしの生家の神社もあった。おお、こんなに美しい紅葉であるか。
 少年時代を過ごした生家だが、こどもの眼には紅葉は映らなかった。四季の景色をめでるのは、大人のすることであった。
 これを見ると、わたしがいたころはもっと樹木が多くて、境内は暗かったような気がする。
高梁盆地の御前神社の紅葉   撮影:川上正男
(追記)送ってくれた友人からの知らせでは、雲海の古城を見るのは、時期的には11月~12月半ばまでで、雨上がりで天気の良い冷え込んだ朝の8時~9時30分頃だそうである。