2016/12/05

1238【谷戸の変容】違法建築判決の共同住宅ビルを見に行ったら典型的な谷戸の斜面緑地開発だったが、


 このところ「六浦」づいている。まずは、能の「六浦」(むつら)、そして横浜の六浦(むつうら)にある称名寺(しょうみょうじ)を訪問、こんどは同じく横浜六浦にある谷戸(やと)を訪問と、3連発である。
 もっとも、能の六浦と称名寺とは、称名寺の所在地の今の地名は違うが創建時の中世では六浦だったし、能の物語の舞台が称名寺なので互いに関係があるが、3番目の六浦の谷戸はそれらとはまったく関係がなくて、たまたままたもや六浦だったのだ。
 その谷戸の現代的変容に、ちょっと興味をそそられた。

●六浦の違法建築判決の共同住宅ビル

 その六浦の谷戸を訪ねたのは、全くのヤジウマである。
 そのあたりで建設中の大きな共同住宅ビル(いわゆるマンションのこと)が、裁判で違法建築であるとの判決を食らったとの新聞記事を読み、どんな所なのか興味がわいたからだ。
 わたしはこの共同住宅開発とは何の関係もない。

訴えた方、訴えられた方、ともに困惑しているのにヤジウマとは何事と怒られそうだが、これでもわたしは昔は都市計画を専門としていたので、その点での興味であるからお許し願いたい。
 ネットでそのおおよその場所が分かったので、訪ねたら三浦半島あたりでは典型的な谷戸だった。
土地造成中のグーグル写真
訪ねる共同住宅ビル開発位置の概略図


 谷戸とは、褶曲の多い地形を割って流れるメインの川筋の両側に流れ込む谷筋の、細長い谷間の低地のことで、横浜から横須賀あたりにかけての、斜面住宅地の典型的な風景である。
そこでは、たいていは昔から人々が住み続けてきて、なり行きまかせで谷底を平らにし、まわりの斜面地の際を段段状に削って平らにし、坂道と階段のある立体住宅地が、細長くつづく。複雑な地形で、カオスな風景となることもおおい。
 ここの谷戸もそのとおりで、入り口から奥まで前後左右の斜面地が住宅になっている。かつては斜面は緑の豊かな環境だったろうが、今や単に地形的に落ち込んだ日陰の谷間の、車も入りにくい住宅地に過ぎない。
 ここは柳谷戸(ヤナギヤトまたはヤナギガヤツ)という地名らしい。

●5階建てだけど3階建て共同住宅ビル

 そしてこのたび見に来た例の新開発共同住宅は、ほぼできているらしい。
 柳谷戸の入り口から見えるし、谷戸の細い道を奥へ奥へ辿って行けば、左にコンクリートの絶壁がえんえんと続いており、その上に5階建ての共同住宅ビルが長々と横たわっている。
柳谷戸への入り口、向こうにクレーンの立つ建物がそれらしい
谷戸の細い道の向こうに工事中らしい共同住宅ビル
 工事看板を見ると、地上3階、地下2階と書いてある。目に見えている5階建てではなくて、これは3階建てなのであるか。
 どうやらこの階数の設定が、建築基準法に悖るとて建築確認取消判決になったらしいが、そのどこが悖るのか、建築の専門家でないから見てもわからない。
 肝心なことを分らないが、見ていて建築よりも都市計画的にいろいろ考えることがあった。
谷戸の西側の絶壁崖上に5階建てに見える共同住宅ビル
谷戸住宅地から西を見上げる斜面地の新開発共同住宅ビルの北半分
谷戸の奥から見下ろす共同住宅ビルの北半分、谷戸の東も絶壁
見てすぐに分ることは、谷戸の中もその上の新開発共同住宅も、同じ都市計画の区域なのに、その景観のあまりの違い様である。
 都心の市街地では、このような高層と低層の建築群が並ぶことは珍しくはないのだが、ここのように低層住宅地として規制の厳しい郊外では、余り多くないかもしれない。

 そしてその柳谷戸の西沿いにある絶壁下の細い道から、絶壁上斜面地の新共同住宅への細い分岐道があり、その突き当りにエレベーターを設けて、絶壁上斜面に登るらしい。
 ここから六浦駅までは10分もかからないが、まさかこの路地の突き当りが正面玄関ではあるまい。
谷戸西側の絶壁上斜面の新開発共同住宅ビルと絶壁下の谷戸住宅
絶壁はがけ崩れ防止対策として公共事業による既存のものらしい

この先からエレベーターで絶壁上斜面の共同住宅へ登るらしい
●尾根の上から見ればほとんど平屋

 このあたりで他にも同じような開発があるかもしれないと、更に谷戸の絶壁道を奥へ奥へと行けば、突き当りにもう居住者がいるらしい既存の大きな共同住宅ビルが建っていて、狭い道路はその裏玄関らしきところに吸い込まれた。
 しかし、これらの新旧二つの共同住宅ビルが、この絶壁下道からのみのアクセスということは、まさかあるまい。この谷戸を尾根の上にあるチャンとした道路が正面玄関だろう。ただし、そこだけだと六浦駅からかなり遠くなるので、こちらは歩いて駅と結ぶ裏口なのだろう。
谷戸西側絶壁下の道は、奥斜面に建つ既存5階建共同住宅ビルに入り込む
このビルも同じ手法で建てたのだろうか、でもこちらは問題なかったのか。
谷戸から尾根上台地に登って見る上の写真の共同住宅は2階建て
 そして尾根上台地のに登って見ると、そこはきちんとした計画的開発住宅地であった。
その一角にこの違法判決住宅ビルの、工事中の入り口があった。そこから覗くと谷戸から眺めるような5階建てビルでもないし、地上3階建てでもないし、単に平屋の長屋程度にしか見えないのであった。
 この上と下の景観的ギャップが、なんともすごいのである。
 開発の空間的影響が、空間的ゆとりの少ない谷戸側に大きく、ゆとりのある台地上側には少ないのが、どこかアンバランスである。
 しわ寄せが谷戸側に一方的に行っているのは、現行の建築基準法に問題があるようだが、むしろ都市計画の問題としてとらえるべきだろう。現状では、用途地域指定は上と下で大差ないが、大きな差があるのは、上には地区計画があり、下にはそれがないことであろう。
尾根上台地から新開発共同住宅ビルを西側から見ると平屋
 いろいろの資料を突き合わせてみたら、この開発はこのような配置状況であることが分かった。連続する斜面緑地をすっかりカバーしている。共同住宅ビルの背中は斜面にもぐりこんでいるらしい。

 ついでに、柳谷戸の西隣りにある同じような谷戸も気になったので見てきたが、こちらにも谷戸絶壁上に大きな共同住宅が建っている。
 おやおや、ほとんど同じようなものである。はて、こちらは問題とはならなかったのか。
柳谷戸の西隣りの谷戸の崖上開発
これも尾根上の台地から見れば2階建て
●谷戸というミクロ流域生活圏の変容

 六浦もそうであるが、三浦半島の人々は大昔からそこに小さな集落をつくって暮らしてきた。近代的な目で見れば、尾根の上の台地のほうが環境が良さそうに思えるが、漁労と水利あるいは交通の便でそうなったのだろう。
 そこはミクロの流域圏としてかなり閉鎖的な十数戸の集落をつくり、緊密な生活圏であった。空間的には狭く細長い船底地形であり、集落の前後左右を守るように急な斜面緑地が覆っている。明確な結界を構成している。

 じつは、わたしもここ六浦にほど近い鎌倉で谷戸暮らしを、40歳頃から四半世紀もしていたのであった。
 そこは一年じゅうウグイスやホトトギスの鳴き声が聞こえ、リスが窓辺にやってきて、夜はタヌキさえ訪問してきた。春から夏の緑の成長の勢いは、怖いほどに押し寄せてきたものだ。
わたしが住んでいた鎌倉の谷戸、右に台地上の計画的開発住宅地

 近代水道ができてから尾根上の台地開発が行われるようになり、高度成長期から人口圧力で大規模な住宅地開発が進む。
だが、尾根下の谷戸は台地開発とは、一般的にはほぼ無関係な世界であった。
 これらは平面的には隣り合わせだが、立体的には上下の位置関係にあり、その間には急斜面緑地が境界林を形成しているのである。地形的にも環境的にも景観的にも、この境界林が重要な意味を持っている。ここを境にそれぞれが結界を形成していた。

 ところが、その境界林であるはずの斜面緑地に、初めは谷戸側からなし崩し的に戸建て住宅が綻びのように上場に建てられていく。
 そして次は台地の上側から計画的開発の手が入ってくるようになった。かつての台地上開発では開発残地であった斜面地が、世の中一般の地価上昇から見て相対的に安価であることと、建設技術革新で、あらたな開発の対象となってきた。
 結界の破れ方が、それまでのような綻びをつくろう漸進的な様態ではなくて、メスで切り拓いて外科手術的に髙い絶壁とか巨大な建物が代替登場する。

 訪ねた六浦のここも、昔からの谷戸の暮らしの場が、近現代の住宅開発で大きく変容する現場のひとつであった。谷戸の左右の絶壁がそれを物語る。
 取り残されていた谷戸と、開発された台地との境目で、摩擦の発生である。訪ねて興味がわいたのは、その生活圏の景観変容の生々しい現場であることだった。そこで、さらに景観変容の歴史をたどってみた。
 なかなかに日本の戦後高度成長から今日までの、郊外生活圏の変化が興味深いが、これはこのあたりでは特別に珍しいことではないのだろう。
 わたしが住んでいた谷戸でも崩壊防災の絶壁はできたが、斜面地と尾根が市街化調整区域であり、そこは古都法によって保全されていたから、ここのようにはならなかった。

柳谷戸とその周辺地区のこの半世紀の変遷
谷戸が次第に裸に剥かれていく様子がよく分る






さて、つぎはどこの緑地が食われるか
それとも人口減少時代になってそろそろ満杯か

●斜面緑地と谷戸の居住環境

 この斜面緑地はどうして生まれて、だれのものだったのだろうか。
 たぶん、尾根上が台地状の新住宅地に開発されたとき、その周辺の急斜面のために開発に適さない土地として、結果的に緑地となっていたのであろう。
 だから、この土地にかかる費用は、台地上の開発者の負担、つまりその住宅地の購入者の負担に転化されていたのだろう。
 それが今になって開発適地として生まれ変わった。とすれば、この開発利益の受益者は台地上の居住者でなければならないだろうが、そうはならないのは確かだろう。

 斜面上からの開発に襲われて斜面緑地を失った谷戸は、日当たりも通風も車の便もよくない坂道ばかりの住みにくい住宅地となった。だだ駅には近いのが利点である。
 その斜面緑地の存在で、その所有者とも開発者とも関係のない谷戸の住人たちは、反射的に受益していたのだが、こんどはそれを失うことで反射的に不利益に転換するという痛い目にあっている。
 だが、もともとの負担者ではないから、甘んじるしかないのだろうか。

 斜面地住宅には、高齢者は住みにくい。しだいに空き家が増えつつあることは、柳谷戸を歩いてみても気が付いた。わたしが住んでいた鎌倉の谷戸もそうであった。
 定住的な住宅よりも、賃貸借型小規模住宅(アパート)が増えているようだ。自分が住まないとなると、過密に建て替えるからしだいに生活環境が悪くなる。

 このような暮らしにくくなった郊外の谷戸住宅地の今後は、いったいどうなるのだろうか。横浜や逗子、横須賀には数多く存在する。
 六浦の柳谷戸とその崖上開発とを見て、ひとつの谷戸全体をまとめて環境整備に手を付ける必要があると思い、それはここだけでの問題ではないとも思ったのであった。
 かつての谷戸という長屋のような暮らしが、今や共同住宅ビルという現代長屋に、とって替わられつつあるのかもしれない。
 なんにしても、これは違法建築以前に、現代における居住環境の確保について基本的な大問題を抱えている。
 
●「まちもり通信」サイト内の参照記事:鎌倉の谷戸脱出記

「伊達の眼鏡」ブログ内の参照記事
 ・能「六浦」 http://datey.blogspot.jp/2016/11/1235.html
 ・称名寺 http://datey.blogspot.jp/2016/12/1236.html


2016/12/03

1237【言葉の酔時記:流行語認知度変遷】TV見なくてもなんとか流行語についていけてるのはネット社会と付き合ってるかららしい

 毎年12月になると、その年の流行語なるもののランキングが、どこからか出てきて、ネットや新聞に載る。
 それを発明した人?が、表彰される?らしい。今年はアメリカのトランプやイギリスのメイ首相か?
 そして毎年それを読んで、わたしの流行語認知度でもって、世の中認知度合いを測定する。いわゆる認知症度合い、つまりボケ度合いに通じるかもしれない。

【流行語2016ベスト10】認知度60点、TV見ないわたしだって、まあ合格かな。
×神ってる(年間大賞)、×ゲス不倫、〇聖地巡礼、〇トランプ現象、×PPAP、〇保育園落ちた日本死ね、×(僕の)アモーレ、〇ポケモンGO、〇マイナス金利、〇盛り土

 わたしの流行語情報は、新聞は朝日新聞一紙だけ、そして一番多くはインタネット世界からやってくる。TVからは一切ないから、世間一般からは偏っているはずである。
 ここに今年と過去の数年分を載せるが、わたしの不認知流行語は、たぶん、全部がTVタレントとかスポーツプレーヤーによるもののようである。知らなくて生活に困ることはないが、なんだか物足りない。

 もっとも、これらが本当にその年の流行語か、という基本的な問題があるが、お遊びだからそれを追及してもしょうがない。でも、ちょっと気になるのは、その年の前半に流行した言葉も入ってるんだろうか、なにしろ流行だから、忘れられているような気がする。
 これらを選ぶ人がどこかにいるんだろうが、かなりTV情報をもとにしていることは確かだし、政治や学会のお堅い言葉じゃなくて、ミーチャンハーチャンが認知できる「自分も60点とれる」言葉を、積極的に選んでいるようだ。

 わたしの感覚では、今年はなんといっても「トランプ現象」こそが大賞に値すると思うのだが、それがわたしの知らない「神ってる」なんだから、そこにこの流行語を”捏造”する意図を感じる。
 たぶん「トランプ現象」では、トランプを呼んでくるわけにいかず、「神ってる」の野球屋なら表彰式にも来てくれてTV向きだという、商売っ気が優先していることがよくわかる。
 流行語によるわたしの認知度測定は、わたしのTV世界との距離測定になっているらしいから、以後どんどん距離は広がるだろう。そのひろがり方を測定することが面白い。


 で、以下がわたしの認知度の変遷である。〇が知っていた言葉で、6割で世間認知度合格とする。
 
【流行語2016ベスト10】認知度60点、TV見なくたって、まあ合格。
×神ってる(年間大賞)、×ゲス不倫、〇聖地巡礼、〇トランプ現象、×PPAP、〇保育園落ちた日本死ね、×(僕の)アモーレ、〇ポケモンGO、〇マイナス金利、〇盛り土

【流行語2015ベスト10】認知度60点、合格。
×トリプルスリー、○爆買い、○アベ政治を許さない、×安心して下さい、穿(は)いてますよ、○一億総活躍社会、○「エンブレム、×五郎丸(ポーズ)、○SEALDs、○ドローン、×まいにち、修造!

【流行語2014ベスト10】自慢じゃないがたった2語だけ、認知度20点、不合格。
×ダメよ~ダメダメ、○集団的自衛権、×ありのままで、×カープ女子、×壁ドン、○危険ドラッグ、×ごきげんよう、×マタハラ、×妖怪ウォッチ、×レジェンド、

【流行語2011ベスト10】認知度70点、合格。
○帰宅難民、○絆、×こだまでしょうか、○3.11、○スマホ、○どじょう内閣、×どや顔、○なでしこジャパン、○風評被害、×ラブ注入

【流行語2009ベスト10】認知度50点、不認知語はどれもTVタレントものらしい。
○政権交代、×こども店長、○事業仕分、○新型インフルエンザ、×草食男子、○脱官僚、○派遣切り、×ファストファッション、×ぼやき、×歴女

2016/12/01

1236【中世浄土景観】横浜金沢の称名寺を訪ねて浄土庭園の紅葉狩りしたがその伽藍配置軸線の微妙な歪みが気になる

 金沢の称名寺に行ってみた。金沢と言っても北陸加賀ではなくて、関東相模の横浜市金沢区にある寺院である。
 金沢山称名寺(きんたくさんしょうみょうじ)は、13世紀半ばに創建された金沢北条氏(かねさわほうじょうし)一門の菩提寺であると、入り口の門の傍に案内が書いてある。
 ほう、これだと同じ金沢でも、“きんたく、かねさわ、かなざわ”と3種類の読み方があるのか。

●惣門から仁王門までの結界の外

 住宅街の中を抜けると、惣門(赤門 1771年)が迎えてくれる。瓦葺だが創建時は茅葺だったろう。瓦だと重い感じがする。
 参道の踏み石をすすむと、少し違和感がある。そう、この門は参道に対してきちんと真正面に向いて、やってくる客を迎えるのではなくて、すこし右斜めに向いているからだ。
惣門は参道と直角ではなくて右に振れている

そういう景観デザインだろうと、通り抜けて振り返ると、惣門はわずかに右斜めになっている。
参道の中心軸に対して少し右に向く惣門

 参道の両側は桜並木で、参道の敷石はさらにまっすぐに続く。正面に髙く見えてきたのが仁王門(1818年)である。これは銅板葺だが、もとは茅葺であったろう。
仁王門にしだいに近づいていくと、また違和感が生じる。この門も真直ぐに迎えてくれるのではなくて、わずかに左の方に身を振っているのだ。
 仁王門の中心線と参道の中心線が、門の中でわずかに右に振れていることになる。
参道の中心軸に対して少し左に向く仁王門

 更に気になるのは、仁王門を通してその向こうに見える、反橋(太鼓橋)と金堂(1981年)がまっすぐに見えないことである。
仁王門に近づいて、その真正面の股の間から向うを覗くと、反橋と金堂が大きく見える。だが反橋はわずかに右に振れているし、その向うの金堂は左半分しか見えない。
 つまり仁王門の中心軸と反り橋の中心軸は振れており、更に反橋の中心軸と金堂の中心軸も振れているのである。
 ここまでの参道の軸と仁王門とはわずかに右に振れ、その仁王門の先でもまた軸線をわずかに右に振っているらしい。
 ふ~む。これも景観デザインだろうか。
仁王門から覗き込む浄土の庭の反橋と金堂

仁王門の中心線から右に振れている反橋

●仁王門をくぐって浄土の庭へ

 仁王門をくぐることはできないように柵があるので、いったん参道から逸れて左から回り込む。
ここで広い池を囲む盆地状の浄土景観の境内が、一気に出現する。それまで絞り込んできた景観が一気に開けるのである。浄土という結界の中のミクロコスモスに足を踏み入れるのだ。
 この参道から視線を仁王門の股下に視線を絞って行き、狭い絞った空間をくぐりぬけて行くことで、視線展開の大きな効果があるはずだ。そう空間演出をしてあるのだろうに、門の隣りの柵のあいだから入りこんだのでは、あまりにももったいない。
 ここはぜひとも門を通りぬけるようにしてもらいたいものだ。

仁王門をくぐると目の前の反橋の軸線方向が、これまでの参道の方向とはわずかに右に振れていることを知る。仁王門の中心軸とも合っていない。
 これは、仁王門をくぐった時に真正面に視線を固定するのではなくて、開けた浄土景観に左右に視線を展開させることを目論んだ景観デザインかもしれない。
 反橋を渡る。極楽浄土に渡る橋である。これまでの地上から空中へと、視線がだんだんと持ち上がって、池を超えて広がるのは、別世界にわたる景観的仕掛けである。浄土の中へと昇華するのか。

 反橋は池の中之島にいったん降りて、さらに次の平橋をわたるのだが、ふたつの橋は軸がそろっている。この橋から視線の行く先の正面には、金堂が待ち構えている。
 ここでまた気が付くのだが、そのまっすぐの視線のあたるところは、金堂の中心線からわずかに右に逸れているのだ。まん中ではない。またもや軸線が右にずれている。
橋の中心線から右に寄っている金堂

 こうして惣門、仁王門、太鼓橋、金堂と、称名寺の伽藍の中心を構成する軸線に沿って進んできたのだが、それらが右へ右へとわずかずつ振れて逸れていくのである。
地形的にそのことを要求するような狭さではないから、これは景観デザインであろう。だが、その変化には景観的な作為が見えない。
 これは浄土景観形成の伽藍配置手法なのだろうか?

●伽藍の中心軸はなぜ歪んでいるのだろう

 称名寺を訪ねて、これが聞いていた浄土景観であるかと眺め入ったのだが、中心軸線の変化の由来を知りたい。
 実測図に惣門から金堂までの軸線の変化を、青い線で入れてみた。軸線の最後が金堂背後の稲荷山の頂上に向かうように見える。
 金堂が後ろの稲荷山を背負って、その頂上と金堂の中心線を結ぶ線の延長が、伽藍配置の軸線であるらしいが、少しずつずれて振れていく。



軸線を構成する金堂、平橋、反橋、仁王門
 
 いや、もしも伽藍の中心線軸の先に稲荷山の頂上を持ってきたいなら、はじめにそのように金堂を配置して、その中心線を惣門まで伸ばした軸線を定め、この軸線上に橋も仁王門も乗せればよい。常識的にはそうやって配置の軸線を決めるものだろうに、なぜそうしなかったのか。
 もちろん、それらがまっすぐなる軸線上に乗らねばならないのでもないが、この微妙なはずし具合が気にかかる。施工誤差というには、目に見えすぎる。
 まさかと思うが、もしかして、もともとはまっすぐだったものが、その後の地震、特に1923年の関東大震災で土地が動いたのか。

 1323年に描かれたという称名寺絵図をみても、軸線の変化は判別できない。
 この図にある、池を囲む回廊などの大伽藍があれば、今とは大きく異なる浄土景観である。 
 茅葺の大きな屋根の建築群が、朱塗りの柱が立ち並ぶ回廊を従えて池を取り囲み、それの外まわりを緑あるいは紅葉の山々が取り囲むという、壮大な伽藍の姿を想像すると楽しい。
称名寺絵図 1323年

 創建時のものではないが、17世紀半ばから19世紀半ばまでに再建された伽藍が今の姿である。

 金堂(1681年)は瓦葺であるが(もちろん創建時は茅葺)、その隣の釈迦堂(1862年)は茅葺である。伽藍の中では釈迦堂が最も美しい。他に茅葺の建築は、参道わきにある光明院表門(1665年)がある。

釈迦堂

 訪れたのは紅葉の盛りの時であった。特に池の西に立つ2本のイチョウの巨木が、金色にその葉張りをひろげて姿を主張しすぎている。銀杏は浄土の木なのだろうか。
まわりの山々は、昔は薪炭採取のために伐採をしたので落葉樹林であったが、いまはそれが不必要になったために、自然遷移で常緑樹が増えている。
 かつてはもっと華やかな一面の紅葉風景であっただろう。だからこそ、その中でただひとつ紅葉しない楓の話が、能「六浦」として語られるようになったのであろう。







2016/11/28

1235【能「六浦」】名芸能者野村四郎が舞う称名寺の楓の精がつくりだす能の音と姿の構図のあまりの美しい舞台に陶然として魅せられた

横浜能楽堂

●夢か現か無限の夢幻能

 ほんの短い前場がおわり、つづくアイ語りが前場のシテと同じことを繰り返すので、飽きてきて眠くなってしまった。
後場のシテの出からワキとの問答あたりまでは、半分眠ってぼんやり舞台をながめていた。

シテ「更け行く月の 夜遊をなし  
地謡「色なき袖をや 返さまし
 
 ここから序の舞の笛がゆるやかに流れてくる。シテがゆったりと舞いだす。
 普通ならここですっかり気分よくなって寝てしまうのに、ややっ、緑の楓の精が舞台を浮かんで空中を舞っているような、、、ああ、緑に金を刷いたゆるやかに長絹がなびく、、、銀色の扇がきらめく、、、おお、なんと美しいことか、。
 夢に落ち込むのではなくて、美しさに揺り動かされていっぺんに目が覚めた。
 特別な舞ではないのに、この自然の美しさを愛でる序の舞に、今日は惹きいれられ魅せられ、なんだか陶然となってしまった。
公演パンフよりコピー

 能「六浦」を観るのは2回目だ。舞うのは野村四郎、今月で80歳を迎えた。つい先ごろ、遅きに過ぎる人間国宝認定となった。
 若い女の姿を借りて楓の木の精が登場、その装束は緑に金が散る長絹の鮮烈さ。
 その装束そのものが美しく、それをつける能役者の舞姿がさらに美しく、どの場面を切り取っても絵になる。
 囃子と舞姿と地謡が混然とあいまって、舞台に音響と形態との見事な構図を、次から次へと絶え間なく繰り出し続けている。

 秋の楓の木の精であるながら、紅葉の色の装束ではなくて、緑色であるところにこの能の面白さがある。この楓の精の木だけが紅葉しないことが、この能のテーマであるからだ。
 今日のシテ装束は、萌黄と萌葱の中間あたりの緑色の長絹に、刷毛で横にササッと刷いたように金色が流れている。

 その緑の衣のなかから舞い扇が開き出て、その持つ手がわずかに震えて、扇面の銀色が折り目ごとにキラキラと跳ねる。
 それは月光を反射しているのか、それとも今を盛りに燃えるもみじ葉が、ハラハラと散る様を映しているのか。
 四郎の舞扇は細かく震える癖があり、時には気になるのだが、今日はそれが美しいきらめきに見えるのだった。

シテ「秋の夜の 千夜を一夜に 重ねても 
地謡「言葉残りて 鳥や鳴かましき
シテ「八声の鳥も 数々に
地謡「八声の鳥も 数々に 鐘も聞ゆる 
シテ「明方の空の  
地謡「所は六浦の浦風山風 吹きしをり吹きしをり 散るもみぢ葉の 月に照り添ひてからくれなゐの庭の面 明けなば恥かし 暇申して 帰る山路に行くかと思へば木の間の月の 行くかと思へば木の間の月の かげろふ姿となりにけり

 舞い終わってようやく橋掛かりを去りゆく楓の精を見送り、それまで詰めていた息をホッとついたのだった。いつまでもいつまでも舞っていてほしかった。夢幻能ならぬ無限能か。
 いま思えば、、わたしはずっと夢の中にいたのかもしれない。美しい夢だった。そのまま醒めねばよかったのに、、。

●前後の面と装束の変化

 この能では、面を公募によって選び、その新作の面をつける企画であった。野村四郎が選んだのは、前場は「深井」、後場は「若女」であった。
 普通は前後とも同じ面をつけるらしいが、後を若女とした野村四郎の解説にはこうある。
 「紅葉しなくなった楓の精の心の変化を表現するには、表情が表側に現れた面ではなく、内に秘めたような隠れた表情を持っている面が相応しい
 もっとも、見所のわたしの席からはその二つの面の違いを明確に判別するほど近くもなく、視力も及ばなかったのだが。
 

 そしてまた、わたしが魅せられた楓の精の明るい緑の装束だが、どうやらこれは日本の古典的な色名では萌黄に近いのだろう、そして前場の装束は萌よりも濃い萌とわかった。これは姉弟子に教えてもらった。
 四郎はそうやって面と装束の色をシンクロさせているのであったか。
 舞台写真の代わりに色見本を載せるが、実際はこの萌葱よりも若干濃い色だったような気がする。
 なお、この能は、前場と間狂言を省略して、半能にするほうがよいような気がする。

●能「六浦」(観世流) (2016年11月26日 横浜能楽堂)
 

シテ(里の女・楓の精)野村 四郎
ワキ(旅僧)殿田 謙吉
ワキツレ(従僧)大日方 寛
ワキツレ(従僧)梅村 昌功
アイ(里人)野村太一郎
笛 :杉  市和
小鼓:曽和 正博
大鼓:國川 純
太鼓:小寺 佐七
後見:武田 尚浩   野村 昌司
地謡:浅見 真州   浅井 文義
   藤波 重彦   下平 克宏
   坂井 音雅   青木 健一
   武田 祥照   田口 亮二
                     
●現代の六浦の楓に逢いに行く

 能の本筋の話はこれでおしまいだが、若干の余談がある。
 その夜に美しい序の舞を頭の中で反芻していたら、そうだ、称名寺に行ってこようとおもいついた。能「六浦」の楓の木があったとされる寺院である。
 まえから行ってみたいと思っていたのだが、能とからめて考えたことはなかった。今は紅葉の盛りであるし、思い立ったらすぐに実行するべき年頃(後まわしにする時間がない)だし、次の日に行ってきた。
 中世の浄土景観だろうか、伽藍配置はのびのびとして、広い池に赤い橋が架かり、紅葉の秋景色がなかなか良かった。

 能蹟としての興味はなかったが、金堂の前にこれがそうだと掲示板がある楓の木を発見した。でも、能とは異なって紅葉をしていた。
 能「六浦」にあるこの楓が、やってきた冷泉為相に「早く紅葉しすぎているよ」と歌に詠まれて、それ以後は秋が来ても青葉のままでいることにしたのは、西暦で1300年前後の頃のようだ。
 今やそれから700年余、この楓の木も何十代目かだろうから、紅葉しないで常緑のままでいる、つまり紅葉という栄を後進に譲るという(なんだか妙な)自主規制を、いつのころからか解いたのであろうか、それとも気が緩んだか。

称名寺金堂前にあるこの楓の木が能「六浦」にある
能にあるように紅葉しない楓であると
掲示があるが、実際は紅葉している


2016/11/23

1234【津波避難放送】福島で大地震で津波が来るからいますぐ逃げろとラジオ放送の迫力のすごさ

 あ、枕が動いているぞ、ふっと目覚める、天井照明器具が揺れる、ああ、止まらないぞ、おお、地震だ、大きい、長く続く、本が降ってくるかな、起き上がる。
 枕元のラジヲをつけると、なんと咆哮する如き放送が、、。

今すぐ逃げてください、津波はすぐ来ます、できるだけ高いところに直ぐに逃げてください、ご近所にも声をかけ合って、直ぐに逃げてください、決して引き返していはいけません、東日本大震災の時を思い出して下さい、福島浜通りで大きな地震がありました、沿岸部の方は今すぐ逃げてください、プルルルル―、プルルルル―、プルルルル―、津波警報です、すぐ逃げて、、、、、、、

 おお、おお、初めて聞いた緊急避難指示の放送だ、ド迫力がある、途中に状況の放送も入るが、ほぼこの文句がえんえんと続いている。
 このあたりは津波に関係なさそうだが、聴き続けていて、だんだん怖くなってきた。
 起きて居間のTVをつけると、画面中央に真っ赤な字で「すぐにげて!」とあり、海を映している。あ、あの海の向こうから津波がやってくるのかと。画面を見つめる。
 このとき、自分の心の卑しさを知った。津波が来なければよいのにと願う気持ちの端っこに、あの津波の押し寄せる怒涛の風景をまた見たいと思う気持ちが潜んでいるのである。


 しばらく眺めていてもTV画面の中に変化はないので、緊迫感が薄れて寝室に戻る。
 ラジオはあい変わらずに、逃げてくださいを繰り返していて、こちらの方がはるかに切迫感がある。TVとラジオの違いに妙に興味がわいた。TV画面は実況でありながら、なんだか作り物臭いのだが、ラジヲのアナウンサーの緊張感ある言葉遣いが、生々しいのだ。

 と、新しい情報とて、福島第2原発で燃料貯蔵水槽の電力供給が切れたと言っている。え~っ、それは大変だあ、、、。

 すぐに逃げてください、福島原発がまた事故です、もうすぐ爆発します、放射性物質の核の毒が降ってきます、原発から20キロ圏にお住まいの方は、大至急に避難してください、直ぐにできるだけ遠くに逃げてください、決して引き返してはいけません、すぐにも原発が爆発するかもしれません、風が北向きですから、浪江町・飯館村・南相馬市のかたは大至急逃げてください、そちらの方に避難しないでください、今すぐ逃げてください、核の毒が降ってきます、、、、、、

 幸いにして、こんな放送はなかった。でも、5年前の3月にはこんな放送があったのだろうなあ、たぶん、、、、いや、なかったのかなあ、、、。

 ところで、今回の地震は北米プレートなるものが原因にあるかとか、、、、あ、なんだ、トランプのせいなのかい、だからか、TPP離脱という津波が押し寄せて来たもんなあ。



2016/11/18

1233【東京・渋谷駅定点観測】日夜どんどん変わりゆく渋谷駅で老人はウロウロ、立体迷路のどこかから三途の川と黄泉の国へつながってるかも

 日々、絶え間なく変わっていく東京の渋谷駅、ここが変り切るころには、わたしはこの世にいないだろうが、その頃になったら、またまた変る動きが出てくるだろう。永遠工事中ステーションである。横浜駅がそうである。

 渋谷駅の東にあった東急文化会館の跡地に、ヒカリエができた2012年から、その11階と9階にあるガラス張りの見晴らし台を、ときどき訪れて定点観測的に見下ろす渋谷の駅と街、そこにはなんともはやカオスな風景が、いつもいつも広がっているし、見るたびに変るので、いつも見飽きない。
2012年、ヒカリエから西を俯瞰
2014年、ヒカリエから西を俯瞰、東横線渋谷駅が消え、東横百貨店が一部取り壊し
2016年11月、ヒカリエから西を俯瞰、東横百貨店本館が消えた

1997年、西にマークシティの工事が始まった
2004年、西にマークシティが建ち、南にセルアンタワーが建ち
東の東急文化会館取り壊し
2012年 東の東急文化会館跡にヒカリエが建った
2014年 東急線線渋谷駅が地下に移り、地上駅は廃止して屋根撤去、
東急百貨店の本館が取り壊し

見下ろす地上や地下の世界に降りれば、これはまたカオス体験ができる貴重な都市空間が待っている。
 地下駅を降りればいったいどこがどこやら、さっぱりわからない工事現場の中を通り抜けて地上に出る体験は、登るかとおもえば下り、右かと思えば左へと、昨日の道は今日はこちらと絶え間なく日ごと夜毎に変り続けているらしく、日替わり立体迷路遊園地である。

 渋谷に来たら年寄りはボケていられない。地下鉄や東急線の地下駅を降りたら、永遠に地上に出られないおそれがある。
 だからボケ老人が渋谷に用があるなら、地上を走るJR線か京王線で行くに限る。

 あ、いや、待てよ、地下のあのスゴイ迷路のどこかから、黄泉の国につながっているとも考えられるなあ。
 そうだ、近いうちにどうせ行くところなのだから、渋谷に行ったついでにそこから入ってみようかな。こんど渋谷に行ったら、その入り口を探すのを忘れないようにしよう。

 そういえば、ここの地下には渋谷川が流れており、その流路付け替え工事もやっている。実はこれが三途の川で、ある日、ざんぶりと地下空間に流れ込んでくるかもしれない。
 なにしろ、地下街や地下鉄のほうが深くて、その上を三途の川が流れているのだから。
渋谷の未来像では地下街の天井裏に渋谷川の水が流れる

●「伊達の眼鏡」ブログ内参照ページ
・1066ただいま渋谷駅は巨大な立体迷路遊園地
・746玉久三角ビルから東横デパートへ
・617渋谷東急文化会館の変身は戦後文化の変転