2023/11/21

1745【ぶら下がり健康法か】街なかの小公園に鳩のウンコに烏の針金の巣そして私の鉄棒

 日々の徘徊のたびに通る小公園には、ぶら下がって身体を延ばすのにちょうどよい高さの鉄棒がある。よく利用する。
 鉄棒体操とか懸垂とか逆上がりとか、子どものころにやったことをやるのではない。いや、もうそんなことはできなくて、ただただぶら下がるだけである。

 ある日もいつもの様にぶら下がり、ひょいと真上を見あげた。公園には欅の木が大きくそだち、枝と葉をを広げている。見上げる枝に鳩がたくさん留まっている。
 アッと気が付いた、あの真上の尻の穴が見える、奴が糞をしたら面倒なお土産が来る、と。早々に鉄棒ぶら下がりをやめたのだった。



 この公園の欅の木には、それぞれ別の3本の木の高い枝の間に、烏が作ったらしい巣がある。よく観察しなければ存在が分からないのだが、わたしは鉄棒にぶら下がりながら発見した。巣としては不細工な作りである。

 その巣の材料が、なんと針金であり、しかもそれは洗濯物ハンガーである。田畑があれば藁や草や小枝で作るのだろうが、ないからとてハンガーとはなぜだろうか。あの形のままに組み合わせるのだから、どうも巣にまとまりをもたせることは不可能だろう。居心地悪い巣のようだが、それで子育てしているらしい。
 せめて小枝にしてはどうかと思うのだが、都心のカラスは火災に備えて不燃性材料にするのだろう。あ、そうか、外装は針金だが内装は小枝かも知れないが、見えない。

 このぶら下がりを、もう20年くらい2,3日に一度はやっている。そうやって自重で身体を延ばすのは健康法らしい。経験的には腕や肩が痛いということがなくなっていくのだ。ぶら下がり健康法なるものが昔にはやってことがあるが、それなのかもしれない。

 面白いというか悔しいのは、この20年間に同じ高さの鉄棒でやって来て、次第に手が届きにくくなることである。昔はちょっと爪先立ちすれば鉄棒に届き、しばらくぶら下っていると、靴ばペタンと地面につくようになっていた。つまり背が伸びるのである。
 ところが今では、うんと背伸び爪先立ちしないと届かないし、次第に足が地に着くようなこともない。ということは、歳のせいで背丈が縮んでもう伸びようがないのであろう。そういえば身長を測った記憶がもう何十年もないなあ。

(20231121記)

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2023/11/20

1744 【まだやってる紅白歌合戦】TV見ぬ老人でも名だけ知る歌手10人、いまに紅青白歌合戦になるか

 個人的にはなにも感じないが、クリスマスとか年末が近いらしい。

 クリスマスが近いということについては印象深い記憶がある。
 あれは30年も前だったか、仕事でヨーロッパのあちこち訪問する旅があったとき、仕事とは関係のないウィーンに泊まった。11月25日の夜のこと、前の日までは静かだった街が、その夜から電飾がきらめき、街の広場は明るく照らされて沢山の屋台が出ている。

クリスマス市が立つウィーンの電飾 1994年11月25日

 クリスマスのちょうど1カ月前の今日から、クリスマス用品を一斉に売りだす習慣があるのだ。街のあちこちの広場に市が立つし、商店街はイルミネーションの飾りつけで明るい。それはクリスマスがもうそこにやってきたという、期待のある賑わいの雰囲気だった。
 そうか、キリスト教の国の街ではこうやるのか、さすが日本ではやらないなあ、日本のお正月飾りのようなものもあり、けっこう珍しくも楽しかった。最近は日本でもやっているのだろうか。

 日本では年末が近いとて、例の今年の新語流行語大賞候補の発表とか、年末恒例のNHK放送の紅白歌合戦出場者発表とかがあると、若干は季節の節目を感じる。
 だが、わたしはTVを全く見ないから、紅白歌合戦なんて忘れてしまった。今日の新聞の漫画にその話題が載っていて気が付いた。

 ネット検索して、今年の紅白歌合戦出場者名簿を探し出した。その番組を観ようというのではない。この漫画や新語流行語と同じで、わたしが出場者とかその歌とかをどれほど知っているかを調べてみたかったのだ。

 その結果は、意外と言うべきか、少しでも知っていた人たちがいたのが奇跡のような感である。
 全出場者数44人(組)のうち、名前を聞いたことがあり歌も何だったか聞いた記憶があるお方(印)はわずか3人である。
 名前だけは聞いたか読んだかした記憶があるが、歌は全く記憶にない人(印)が7人、後は全く名も歌も知らない。

 TV観ないから当然のことに惨憺たるものだが、わたしとしては少しでも聞いたことある人が、10人もいることが驚きであった。
 それにしても紅白歌合戦なんて、少年のころに聞いたような記憶があるが、何時からやっているのかしら。
 そう思ってネット検索したら、なんとラジオで1951年1月からとあるから、わたしの記憶は正しい。5球スーパーラジオだったかしら。

 さらに続くとすれば、近いうちに歌合戦になるだろう。男と女とを別の組にし分けて競わせることに、異議を唱える人たちが必ず登場してくるに違いない。世に性別で競う遊びや文化はたくさんあるが、これから面白いことになりそうだ。

(20231120記)

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2023/11/19

1743【都市の高齢化率比較】歳取ればどの街に住むのが得なのかとZOOMで考えた

●年寄りにはZOOM同期会が適している

 リアルに出会ってやる飲み会とか同期会とかは、この4年間コロナで止められていたが、コロナが終わった(らしい)からもう解禁である。
 ところが、コロナ期間中に同期仲間は後期高齢者から末期高齢者に突入してしまった。そこで起きたのが、高齢化による身体やら家族やら、でいろいろな不都合なことである。コロナが終わっても、リアル飲み会の復活は無理になってきたのだ。悔しい、コロナの奴に腹が立つが、どうにもしょうがない。

 そこで登場したのがコロナ中にビジネス世界で大流行のZOOMである。それを動けぬ老人たちの遊びに取り込んだのである。ヒマツブシばかりではないが、それに近いことをだらだらと、同年のヨイヨイ同期生たちとPCに向かって話すのである。

 その老人無駄話ZOOMを、これまで1年ほどあれこれやったが、これははっきり言って、老人のボケ対策にまことに有効であると分かった。老人のボケ防止と言うか、ボケ進行遅延策と言うか、あるいは社会復帰の機会になるかもそれない。

 同じ釜の飯を食った大学寮仲間10人前後で、毎月2回の定例ZOOMである。話題はその時の持ち回り担当者が適当に決める。みんなにアンケートで話題を組み立てることもある。
 つい先日のZOOM話題は、「先般、敬老の日があったが、自治会とか自治体とかが、何かお祝いのようなことをしてくれたか」というものであった。

 参加者がそれぞれ自分の場合を話したのだが、内容はわたしのような「全く何もない」を最低にして、最高は「外国旅行券(くじびきだが)」というのまで、各種各様で地域の貧富の差というか、コミュニティの緊密度と言うか、それぞれだった。
 饅頭を10個ももらって老夫婦で20個もどうするかと問題にもなったとか、羨ましい話もあった。それらの話は措いておく。

 ZOOM参加者はみな85歳前後の後期高齢者どころか、今や末期老齢者になりつつあるものばかりである。本州の東から西へ11都市の11人、太平洋を越えたCALIFORNIAから1人であった。男ばかりというのが当時の理工系大学の様相だ。

●年寄り日本列島

 わたしが個人的に気になったのは、それぞれの暮らす街には、高齢者はどれくらいいるものかということである。そこでそれぞれの住む自治体の人口統計をネット検索して、参加者の住む都市の高齢者比率を比べてみることにした。それがこの表である。


 東から西へ並べた。大都市から小都市までそろっていて、高齢率も様々で面白い。久しぶりにこんな表を作った。少し驚きつつ、ほう、日本の高齢化はこうなのかと眺めてみた。なお、こっれらどの都市にも仕事か遊びで訪れたことがある。

 昔々、日本全体の人口のうち65歳以上が7%になると高齢社会に入り、その倍の14%になると高齢化社会に入ると、勉強したものだった。そしてある時14%になって、おやおやと思った記憶があるが、今調べたらそれは1995年のことだった。そうか、直接関係ないが、その年は阪神淡路大震災があったなあ、その年に死んだ父親よりも長生きしてるなあ。

 なお、7%を越えたのは1970年だそうだが、そのときの記憶はない。若くてあまり老人のことに気が回らなかった証拠か。2倍になるのに四半世紀かかって、今や28.22%だから酷いもの、いや、すごいものだ。
 なお、21%を超えると超高齢社会と呼ばれるそうで、わたしもそれに立派に寄与している。まさにその時代にいるのだ。

 高齢者を分類して、65歳以上~75歳未満を「前期高齢者」といい、75歳以上85歳未満を「後期高齢者」と政策的に言うそうだ。では85歳以上を何と言うか。政策的には超後期高齢者と言うそうである。
 でもこれはあまり聞かないなあ、わたしは語感から言って末期高齢者」と言えばよいように思う。末期とはマッキと読むが、マツゴとも読めるから適していると思う。

●年寄り比率の意外な都市

 こうして11都市を比較して見て意外に面白方。
 浦安市は高度成長時代に東京湾を広大に埋め立てて市域を5倍ほどにも広げ、隣接する東京都区内からあふれる人口を計画的に受け止めた。若い人たちやってきたから、いまも高齢者比率が低い。日本一の若い都市である。
 なお、わたしは1970年ころから10数年、浦安市の埋め立て地に何にもない頃から、都市計画の仕事として土地利用計画を作り、ディズニーランド周辺構想にも関わった。懐かしい街であり、それほどにも若い街であるのだ。

 関東の南近郊都市の横須賀市が、意外に高齢都市であるに驚いた。ここも80年代初から90年代末ころまで、仕事で都市計画にかかわった懐かしい都市である。
 この横須賀市に高齢状況が似ているのが、阪神の近郊都市の宝塚市であるのも意外だ。どちらもイメージが良い巨大都市近郊都市なので老後に住みに来る人が多いのだろうか。

 三鷹市宝塚市は地政学的に似た立地と思うのだが、宝塚市の方が高齢化率では大きくリードするのはなぜだろうか。
 同じ東海道筋の都市でも、三島市豊橋市の違いはなにだろうか。豊橋の方が若いのは工業化かによる違いか。
 韮崎市三次市は、いずれも地方小都市であり、予想通りにずれも日本の典型的な高齢化と人口減少中である。どちらも山間部の盆地都市であることが似ている。

 私が住む横浜市中区は、大都市としては古い都心部だから高齢化率が高いと思っていたが、意外にそうでもないのである。都心部だけに人の出入りが多いのだろうか。
 これらいろいろ私が意外に思うことは、人口学者には常識的なことかもしれないが、ちょっと興味をそそられている。

 年取るとどこの町に住むのが得だろうかと昔から考えていて、高齢者仲間に入ると同時に今のところに移り住んで20年になった。個人的には生活圏としては移転成功したと思う。
 しかし、あまりにも課題が多く積み残し過ぎているのが今に日本の居住政策だ。いや日本には住宅政策はあったが、居住政策はなかったし、いまもないと思うのだ。

(20231119記)

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2023/11/17

1742【難病再来?】ふた昔前の記憶にある痛みが身の内よりまた湧き出てくる不気味さよ

 あれ?、また例の難病か??、10日ほど前から、左の尻の奥の芯のあたりが、何となく痛むのだが、実はこの場所でこの痛み方には、苦い記憶がある、あの時によく似ている。

 それは2002年から2年間ほど悩まされた、不治の病と医師に宣告されたのに、実は自然治癒してしまったという、妙な誤診事件である。
 その病名は「大腿骨頭壊死症」であった。これな治療が公費負担されるほどの難病である。これが別の病目になって治ったのだ。

 仕事が忙しかった頃なので、痛みを辛抱して杖を突いて、全国各地のどこにでも出かけていた。医師は言う、今は痛くても歩ける、そのうちに股関節がぐじゃりと潰れて歩けなくなる時が必ず来る、今のうちに手術して金属製の関節に取り替えておくこともできる、などともいう。

 そういえば母の骨上げをしたときに、人工関節のセラミックボールが、きれいに焼け残っていた。母の様に手術するかな、どうしようかなあと悩みつつ、忙しい日々を過ごして半年ほどたった頃から、次第に痛み薄れてきた。医師が言う不治の病が治るはずがないからと、それでも杖を離さず、骨の壊死破壊を恐れつつ歩てていた。

 そして発病から1年半後のある定期診断の日、それまでとは別の医師がでてきて、おもむろに言った。これは病名が違っていた、実は「大腿骨頭萎縮症」と言う病で、数カ月で自然治癒する病だ、と。妊婦がかかりやすいとか。
 え、え?、ほんとう?、オレは妊婦か?、大逆転というか、地獄から突然天国へと言うか、いや、なんでもいいや、治ったあ~。

新旧杖2本
 つまり、もう痛くないないということは、とっくに自然治癒していたのであった。大誤診であると言うべきか。あまり落差にちょっと呆けつつも、良いことなので医師の気が変わらないうちに病院を逃げ出し、ニヤニヤと笑いつつ、杖を肩にかけて帰宅したのであった。

 さて、そんな体験のある病が、またも舞い戻ってきたのだろうか。日々少しづつ痛みが増してくる感がある。だが、これが大腿骨頭萎縮症ならば、この前の様に放っておけば自然治癒するのだから、半年ほどの辛抱ですむだろう。

 だが、もしも今度こそ骨頭壊死症ならば、ある日歩けなくなる。今の段階で医師の診察を受けて、骨頭壊死症と言われても、あるいは萎縮症と言われても、どちらも信用できない。いや壊死症と言われても絶対に信用したくない。

 ということは、要するにまだ当分は医師に見せたくないということだな、まあ、20年前と比べるともう末期高齢者だから、たとえ手術すると言われても、もう体力がないから無理だろうし、手術したとしてもすぐに死ぬ時が来るから、コストパフォ-マンスが悪すぎる。

 と言うわけで、近頃また20年前の杖を出して使ってみている。不治の病を治した縁起が良い杖だからとゲンをかついでいるのではない。
 今や老いと言う病で脚がふらつき気味なのを、杖でサポートする身になっている。ウォーキング遊び用の杖をそのメインにして、20年前の杖も予備としている。

 実はやってみて、老いの杖曳きは道を譲られる確率がかなり高い。こちらは譲られるほどのよぼよぼでもないのになあと恐縮がっているのだが、病の故の杖ならば、なんだか堂々と譲られてもよい気がする。 

 なんてことをくよくよ考えてヒマツブシの種が一つ増えたので、ここに書いておくのだ。 

(20231017記)

関連ページ:
思い出エッセイ「杖」
にわか身障者顛末記:大腿骨頭壊死症難病誤診事件

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2023/11/16

1741【コロナ後廃頽】コロナ消えまた街にあの喧騒そして地球にひろがる戦火

 コロナでバッタリだった外国から日本にやってくる人たちの数が、ようやくコロナの前の水準に戻ったのだそうだ。このグラフの訪日客の全部が観光客かどうか知らないが、まあ、ほとんどがそうなのだろう。


 思えばコロナのおかげで、日本も静かになっていたのに、あの喧噪な人々がまたどどっとやってくるのかと思うと、うんざりである。典型的なのが、近所の横浜中華街である。
 観光業で食っている人達は良いだろうが、地域生活者にとってはちっとも良いことはない。まあ観光地帯に近づかけねば良いのだろうが、日々の徘徊で時には気になるので、どんな感じだろうかと野次馬に出かけては、毎度毎度のガキの騒ぎに辟易するのである。
 コロナ中は中華街も港あたりも、静かでよかったなあ。

人影まばらで静かな横浜中華街大通り 2020年5月

 この訪日観光客相手に儲ける観光事業関係者は、地域生活者になにか慰謝料と言うか、迷惑料と言うか、呉れているのだろうか。観光収入を基にする税金がまわりまわってこちらにも何か恩恵があるのかしら。気が付かないなあ。

 その一方で、日本の実質GDPはこの7~9月期では、マイナス成長だそうである。良く分からないが、この外来観光客回復とGDPダウンとは無関係なのだろうか。不思議である。


 そしてこのままいけば、名目GDPはインドにもドイツにも追い抜かれそうとあるのだが、これもどういうことだろうか。

 生活者にとっては、この数年間はちっとも豊かにならないどころか、むしろ貧乏になろうとしている日常感覚が、このように数字に現われるのだろうか。

 生活圏は観光客に荒らされるばかり、日常物価は上昇するばかり、年金は目減りするばかり、地球は人間がいがみ合い、空気は汚くなってきたし、こうなればもう超高齢者は生きているうちに、この先に良いことはなさそうな世の中である。まったくロクでもない時代を生きたものである。ヤレヤレ。

 それにつけても思うが、あの静かな街を懐かしいなあ、またコロナがやってくることを期待しているぞ!

(20231116記)

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2023/11/15

1740【空中陋屋景観】つまらぬ名ばかりマンション群にオフィスビル新登場で景観に期待中だが

 わたしの住む空中陋屋のバルコニーのはるか向こう、公園の樹冠の上に鉄骨の骨組みビルが、毎日にょきにょきと成長してきている。名ばかりマンションの共同住宅ビル群の街は、はてどう景観が変わるのか楽しみである。

 この秋の初めころのある日、公園の欅の葉張りの上に鉄骨がにょきりとと出てきた。初めに左の1スパン(奥行き2スパン)分が、3日ほどでたちまちに7層まで上がった。
 ダイニングルームから眺めていると、それはプラモデル部品の組み立てと同じである。だが比較にならない巨大さだ。

左スパンが建ち上った 

中スパン建ち上げ中

右スパン建ち上げ中



全スパン建ち上げ完了

 工場から運んできた柱や梁を、順序良くクレーン車で吊り上げて組み立てていく。まず2層分の柱を立てる。その柱の空中に待ち構える鳶職に、こんどは大梁鉄骨を地上から吊り上げて、空中からそろそろと下ろす。

 地上から60mはあろうかという超高層ビル並のクレーンの先からぶら下がる、長さが10mほどの鉄骨を無駄に揺すったり振り回すことなく、しずしずと高い位置にいる鳶職におろしてゆく。あのとび職にちょっと憧れるのは、昔大学山岳部での岩登り好きの名残り。
 それを空中で受ける高所のとび職の技もすごいが、ここからは公園樹木に隠れて全く見えない地上のクレーン車の操縦者の腕に感心する。

 吊られる鉄骨の行方を飽きもせず眺める。鳶職は鉄骨を優しく受け止めて、空中の足元におろして檻でも作るように柱や梁で組み立てていく。その動作と音到達の時間差があって、カーンカーンと打つ鉄の音が聞こえてくる。
 それを繰り返して何本もの柱や大梁小梁床板などなど、よくまあ順序良く吊り上げ下ろしするものだ。現寸立体ジグソーパズルである。あの順序には深い意味があるらしい。

 吊り上げる鉄骨や部品などの順序を間違えると、現場が混乱するばかりか、危険であろうから、この鉄骨組み立て順序は、なかなかに精緻な工程デザインであるはずだ。
 遠くだから正確には見えないが、見えがかりは武骨で大雑把な鉄骨でも、実はそれと対極的な精緻な仕事として組み立てられているらしいと、楽しく眺めている。

 そうやって幅1スパン奥行き2スパンずつ、左から右へと順序良く3スパンが建ち上ってきた。徘徊ついでにそばで見てきたら、これで敷地はいっぱいである。
 こんな狭い所でよくまああの長いクレーンを振り回せるものだ。どうやら道路も仮使用しているらしい。交通量が多いから時間も制限されるから大変だな。この建物はまだ工事中で、いつごろ完成か知らない。

 わたしの住いの重要な方向の景観を形成することは確かだ。すでに幅も高さも全体のボリュームが仮囲い状態で登場して、その向こうの山手の緑が隠れてしまった。ここに住んで22年、バルコニーから見える緑の面積がどんどん減り、残るは手前の公園の樹木だけか。

 その原因はどれも共同住宅ビル(いわゆる名ばかりマンション)であるが、この工事中のビルは珍しく、研修所と表示してある。ふむ、これまで次々と登場してきた共同住宅ビルには飽き飽き、今度は目新しいデザインビルが登場か、どんな美しい景観か、楽しみである。

 しかしなあ、あまり期待すると、ろくでもないデザインのビル登場でガックリする心配がある。設計施工だから期待しないでおこう。
 実は昔から思っているのだが、どんな建築も骨組みだけの時の姿が最も美しい。特に鉄骨建築は美しい。仕上げが付くほどつまらなくなる。

(20231115記)

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2023/11/14

1739【敵材敵所】身をすてて納税義務の教訓を民草に垂れて副大臣退く

 岸田内閣ってよほど人材が豊富らしく、次々と任命しては次々と更迭して、そのたびにと適材適所の人材が登場する。さすがに自民党は人材の層が厚い。

 今日の新聞トップ記事は、財務副大臣が税金滞納常習犯であることが露見して、野党からボロクソに言われて、いたたまれなくなってしまったという、面白い事件である。
 岸田内閣改造してから二月で、既に3人目の更迭だそうだ。そして岸田さんは、いずれも適材適所で起用したと言っていた人たちだ。

 そこで3回目ともなると、政治にあまり関心ないわたしも気になった。あのお利巧な内閣総理大臣ともあろうお方が適材であるとして適所に充てた人だろうから、どこかそれなりの意味があるはずだ、それはなにだろうか。
 考えていたらわかった、今回の税金滞納常習犯財務副大臣こそ、適材適所の最たるお方であったと、悟ったのだ。


 財務省は、税金を国民から集めて、それを国家運営資金として政策に配分する大本の期間である。副大臣といえばそこのトップの大臣次ぐナンバー2であろう、たぶん。その人が税滞納の常習犯であったとはねえ、常習犯だから当然に財務省は知っていただろうし、岸田さんも知っていて登用したに決まっている。

 これこそ、適材適所だ、野党から追及を受けてあれこれ言われるに決まっている。そうしたらクビにしよう。それによって税金を納めることの重要性を国民に知らせるとともに、野党にここで点数を稼がせて、本命の防衛予算から目をそらせよう、そう考えた(たぶん)。

 そしてその通りに、週刊誌が書き、野党は国会で攻め、本人は立ち往生の大恥かき、その姿が同時中継で全国ネットに公開、国会はしょうもない質疑で無駄に時間が過ぎていく。
 TVやネットで見ていた国民は、税を収めないと副大臣でさえこんな大恥をかくのかと納税意識向上とて大成功。これはもう副大臣の身を捨ててまでして尽くした功績であるから、彼こそは絶好の適材適所であった。

 この財務副大臣がズバリ職務適材であったのに比べて、ほかの早期交替の二人は、ひとりは小指のコレネタらしいし、もう一人は子分の選挙誤指導だから、適材性も適所性も劣る。
 でも、大がかりな夫婦しての法律違反で実刑を受けた法務大臣経験者が広島にいたが、この方の壮大な適材適所性と比べると、さすがにこの副大臣は器量が劣ることは否めない。
 そういえば身を捨てて憲法20条の大切さの訓に垂れた、首相経験者がいたなあ。

  あ、そうか、敵材敵所に犯面教師かあ、。

(20231114記)

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伊達美徳=まちもり散人
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2023/11/13

1738【外来白物家電】終活の最中なのに老朽洗濯機を買い替えたらチャイナ製がやってきた

 とうとう新しい洗濯機がやってきた。それがなんとチャイナ製品である。
 ひと月前にこんなブログ【ハイテクも歳には負ける】を書いた。13年前に買った洗濯機が壊れた話である。

 自動注水機能が故障したので、人力注水などしてだましだまし使いながら思案していた。これを買い替えてもまた13年先まで使うことは、確実にない。いや、新品買った途端に不要になる恐れもある。終活中なのに新品買ってどうする、などなど。

 かといって今更に盥で手もみ洗濯もできないしなあ、いや、できなくもないかな、もう年取って運動量が少ないから汚れ物は少ないからなあ、いやいや、これから介護段階になるともっと多くの汚れもの出るかなあ、なんて、どうでもよいことを悩み楽しむのである。

 ネットや近所の電器屋で、なにか安いいいやつはないものかと、探す楽しみもやっていた。意外にも近所にたくさんの古物屋、いまではリサイクルショップと言うらしいが、そこで中古洗濯機を売っているのも見つけた。ほう、こんなところにもあるのか、いつも前を通るのに気がつかなかったのは、用がなかったからだ。

 そうして1カ月、結局は近所の大型電器店で一番安いヤツを買ったのが、ハイアールなるチャイナメーカー製品だった。これまでいわゆる白物家電でうちに入ってきたものは、すべて日本メーカー製品だった。初めてのチャイナ製品である。小物の電気製品はチャイナ製がちょこちょこあるが、、。

 昔々1950年代から70年代だろうか、日本製品は安かろう悪かろうの国際的な評判であった。金のあるうちではアメリカ家電を買ったものだ。そのうちに日本製品の質が上がってきたら、次はコリア製品が安く入ってきた。これが次の安かろう悪かろうの評判であり、それにチャイナ製品が追随したものだった。

 しかし今では、コリアもチャイナも技術向上で品質が良くなってきた。なにしろその大陸や半島のメーカーたちは、U.S.A.や日本のメーカーを買収して製品を作るようになったからだ。ハイアールはいつだったか日本の三洋電機の白物家電を買収したから、うちに来た洗濯機は実はサンヨーの洗濯機なのだろうか。
 こうして安かろう悪かろうの波は、日本から半島へ大陸へと西へ移っていったが、今はもっと西の方に行ったのだろうか。例えばインドとか。

 やってきた洗濯機だが、白物であるがどうも白物過ぎるのだ。表示がすっきりと統一されていて、ひところのモダンデザインなのだ。年寄りにはどの表示も同じに見える。どれが何か迷う。

ハイアール製洗濯機

 どこから押せば洗濯が始まるのかもよく分からない。そこで、とりあえずスイッチにフェルトペンで丸を書いて番号を付けておいた。モダンデザインだいなしである。
 まあ、洗濯機なんてどのメーカーも同じようなものだろう。適当にやっていればそのうちに分かるだろう。でもなあ、こちらのボケる方が先にくる恐れもあるよなあ。

(20231113記)

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2023/11/12

1737【老いとネット】八十路半ばヨレヨレ学校同期仲間ZOOM交流にも迫りくる老い

 高齢者にとって、ネット社会は果たしてよいものかどうか、考えることが多い。とくに例の変な名のマイナーカードによる、何でもかんでも取り込もうとする政府の暴走騒ぎで、思うことが多い。

 わたしとしては、人生がネット社会に間に合ってよかったと思っている。年寄りになって動きにくくなっても、ネットシステムを使って、あれこれ情報を手に入れ、情報発信し、情報交換することができる。よほどのことでもないと図書館に行かなくてもよくなった。USAにいる友人とも気楽に話し合える。

 わたしと同年代の人たちとの情報交流も、いまではネットを使っているから、ネットの無い時代と比べると格段に長い期間の交流が可能になっている。同年仲間は1930年の半ば以降の4年くらいの間の生まれだから、今では八十路の半ばあたりにいる。ネットへの親和性の有無は半分半分くらいだろうか。

 わたしの高校から大学時代までのいろいろな同期生たちとの交流は、実物の顔を合わせる同期会から始まり、当初はもちろん電話と手紙で連絡しあっていた。
 それが21世紀になってからはEメールを使うようになった。これによって格段に連絡しやすくなったが、一方でこれを使わない(使えない)人たちが、急激に疎遠になって来るという弊害もある。

 このわたしの同期生仲間は、高校、大学専攻コース、大学寮、大学運動部のそれぞれにメーリングリストで4グループがあるが、それらの人数を合わせると現在計109人になる。もちろん当初はもっといたが、死亡脱落等がじわじわと進んで来ている。母数はよく分からないがそれら合わせて300人以上いただろう。
 これらの間にメールが行き交うのだが、実際は積極的に発信する者はそのうちの1割くらいなものである。その他は読むだけ、もしくは見てもいないかもしれない。

 それらのメール仲間でほかのネットツールを使うものは、ごくごく少数である。ブログのようなネットページを発信する者はわたし一人だけのようだ。フェイスブックを使っているものが、確認できるだけで5人のみである。Twitter(現)など他のSNS利用者はいないようだ。ラインの利用者は結構いそうだが、最近わたしがやめたので数を分からない。
 
 その中でZOOMを利用するものが20人いるのが、意外と言えばいえる。これはコロナ中に年寄り外出が極端に制限されたことから、仲間の一部がこれを使って同期会をやろうと頑張って、仲間を誘い込んだことによる。
 なかでも活発と言えるのは、月に2回の定例ZOOM会をやっている大学寮同期仲間である。同じ釜の飯を食ったというしがらみが働いているのかもしれない。

 とにかく外出しなくても仲間と無駄話できるのが、八十路のヨロヨロ高齢者にはまことに都合がよいのだ。更にすごいのは、太平洋へだてた仲間も顔を見せて一緒に話すことだ。

八十路半ばヨレヨレ仲間のズーム談議風景

 しかし好事魔多し、ズームにも老いが迫り来る。そう、難聴だ、目がかすむ、指が震える、忘れてたなんてことで、ZOOMから脱落せざるを得ないことが起きるのだ。ボケや死で脱落は仕方ないが、その直前まで何とか続けたいものだ。
そこで待っているのだが、目や耳や指が不自由でもできる超高齢向けバージョンアップしてほしい。ZOOMでなくても同じようなものでもよいのだ。
 いろいろなハードウェアには高齢者対応製品が出てきているが、PCソフトウェアにもシニア・アプリケーションがあってもよい時代になっているのだ。

 
 

(20231112記)

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2023/11/11

1736【久しぶりオペラ】神奈川音楽堂でオペラ魔笛を観て能狂言と見立てて面白がる

 久しぶりにオペラを観た。モーツアルトの魔笛である。調べたら2018年横須賀芸術劇場で宮本亜門演出で、これも魔笛を見て以来のオペラ見物であった。
 それから今日までの間に、コロナ騒動で芝居全般に見物しにくい環境だったし、外国引っ越しオペラが来ても高価過ぎて行けなかったこともある。1年に一回くらいはオペラに行きたいと努力しているが、能楽に比べて高い。

韓川県立音楽堂の舞台 20231111オペラ魔笛カーテンコール


 今回は神奈川県立音楽堂で、横浜シティオペラによる公演であった。音楽専門の舞台だから、舞台には紗幕や装置はなくて、暗転そしてそのままプロジェクションマッピングであった。シーンによって具象と抽象を折り交ぜた映像が、反響板だけの舞台の背面や上面に映し出されるのも、まあ悪くない。

 だが最初に登場する大蛇が、もろに大蛇そのもの過ぎる具象映像であり、その後も邪悪の表現にたびたび巨大な蛇体が映って気持ちがよくない。もう少し抽象化してほしかった。
 ザラストロ神殿が、何やら古典派の建築様式の映像で登場するが、そのほかの場面はほぼ抽象映像だった。あの支離滅裂な物語を整理分類して見せる分け方かもしれない。

 舞台上には、奥に置き舞台が横長に配置されて、舞台が前後2段になっていたほかには、背の高い椅子が3脚、場面により位置を変えて配置され、舞台に変化を見せる。
 総じてあまりに簡単すぎて、これは能舞台にプロジェクションマッピングしてると同じだなと見ていた。これもよしである。

 当然のことにオーケストラピットはないから、舞台上手に電子オルガンとピアノが並ぶだけで、その前で指揮者が棒を振るのだった。
 今日のオペラの出来をどうのこうのと言う能力はわたしには無い。いちおう楽しんだから、良かったのだ。歌手たちの歌も良かった。定番の夜の女王のコロラトゥーラ・ソプラノもやっぱりすごい。でもこれってどこか曲芸でも見るように聞いてしまって申し訳けない。

 わたしは魔笛については、歌と曲が素晴らしいから好きだが、ストーリーの支離滅裂に呆れる。コミカルな狂言とシリアスな能を細切れにして交互に演じるというところか。これはパパゲーノが主役つまり狂言の太郎冠者である。今日のパパゲーノ役は良かった。
 そういえば、いつものわたしが見るオペラは(料金の都合で)天井桟敷並みだが、今日は能舞台並みの近さで見た。やはり芝居は近くで見る方がよい。

 今日のオペラは珍しく全部日本語であった。これまで劇場で観たいろいろなオペラはほぼ全部が、イタリア語かドイツ語だった。魔笛もこれまで見た3回ともドイツ語だったし、ユーチューブで見てもそうだった。ドイツ語は大学で習ったけどわかるわけではない。
 だが、魔笛を観るの何語であるかは関係ない、あの美しい歌さえ聞ければすべてOKである。見ていればなんとなくわかる。そうして今回の日本語さえもそうだった。つまり、それくらい支離滅裂な劇ということだ。ウィーンのフォルクスオパーで観たドンジョバンニもそうだった。

ウィーン VOLKSOPER HEUTE  DON JOVANNI 1994/11/26

 久しぶりにオペラ舞台をみて直ぐに思ったのは、役者たちの背格好がずんぐりしていることだった。見ているうちに馴れたが、このところユーチューブで西欧の舞台ばかり見ていたからだろうか。
 今回はザラストロやくは背が高くて恰好よかった。タミーナ役も背格好も容姿も歌もよかったが、演技はイマイチ。
 パパゲーノとパパゲーナのこどものキンダーラインとして、子役をあんなに大勢出したのなら、クナーベ3人をこそ本来の子役にしてほしかった。

 以上、久しぶりのオペラに、思いつくままにまとまりのない感想である。

 この音楽堂でオペラを見たのは2回目である。あれはもう20年以上前のこと、モンテヴェルディ作のオペラ「オルフェ―オ」であった。
 西欧でオペラが始まった頃の作品であり、古楽器の演奏の小オーケストラも舞台に上がっていたが、演奏会形式ではなくて舞台上の演技空間と一体になっていた。演技空間に中二階があった記憶がある。映像をつかうこともなく、それも面白かった。

 県立音楽堂は大改修したのだが、さすがに階段型の客席の前後関係の配置を変えることができなかったらしく、椅子の前後が狭いままであるのが困る。後から来た奥の人を入れるには、席をいったん立って通路に出て、後から来た人を入れてから元の席に戻って座るのだが、わたしの様に足が悪いと実に困る。相手をおおいに恐縮させるのが困るのだ。
 もっと困るのは、これもこちらが年取ったせいなのだが、客席空間そのものが階段だからその上り下りを歩くしかないのが大いに難点である。客席内の上下通路の一本で良いから幅を広げて、手すりを付けてほしいと思う。すぐできることは、今の両サイドの縦通路の壁に手すりを付けることだ。

(20231111記)

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