2016/01/21

1166【横浜ご近所探検】都市計画決定から2年経っても動いてない大船駅前北地区再開発は「湘南の武蔵小杉」をもたらすか

 アレ、全然変わってないじゃん、大船駅前。
 今日のわたしの横浜ご近所探検隊出動目的は、ちょうど2年前の2014年1月に都市計画決定した横浜市側の大船駅北第2地区市街地再開発事業の工事が、そろそろ目に見える頃だろうと見物にやってきたのだ。

●横浜の鎌倉

 久しぶりに鎌倉に行ってきた。といっても、いま、県美閉館で騒いでいる、あの鎌倉じゃなくて、大船という“もう一つの鎌倉”である。
 大船は大船市だと思っている人も、かなりいるらしい。まあ、一般の鎌倉イメージからすれば、海はないし、古い寺社はないし、寺社と言えばあまりにも新しい鎌倉観音ぐらいなものだから、無理もない。アチラは旧鎌倉、コチラは新鎌倉。
 ところが鎌倉の大船といいつつも、実は鎌倉の大船駅前と横浜の大船駅前があるのだ。鎌倉の横浜である。
 細い川をJR大船駅がまたいでいるが、この川が鎌倉横浜市境であり、大船の街を南北に分けて流れる。北が横浜市、南が鎌倉市である。
横浜鎌倉市境の川の上にある大船駅、右が横浜

 久しぶりに大船駅北口に出る。ここは横浜市の大船である。この真ん前に超高層建築が建ちつつあるはず、、、と眺め見れども、アレ、無い。14年前にわたしが鎌倉を離れた頃と、なにも変わらない風景である。
 再開発の都市計画決定した地区をぐるりと回り、再開発で建て直すはずの大型店に入って、屋上から眺め下ろしても、なにもかわりはない。再開発地区内の建物は昔通りに立ち並び、人々もバスも昔のままに動いている。
右の大型店が建て替えられて超高層建築を背負っているはずだが、。
左の高いビルが大船駅北第1市街地再開発事業で完了している。

●都市計画決定から2年経ったけど再開発は

 ほう、都市計画決定後2年間経っても、未だにまったく動かずか。なにが起きているのだろうか。
 都市計画決定手続きのときに、権利者の反対の声があったのを押し切ったが、まだ説得できないままだろうか。それとも景気が良くないから、保留床を売る算段が成り立たないのだろうか。
 でも、今どきの再開発事業は、そのあたりを全て解決しておいてから都市計画決定にもちこみ、その後は一気に事業を進めるはずである。どうしたのか。
 それらの解決をさしおいて、都市計画決定を先行して失敗している例が、すぐ隣にあるのに、ここでもまたそれを繰り返えそうとしているのか。
 鎌倉市側の大船駅前再開発事業は1972年3月に都市計画決定した。だが駅寄りの半分だけ事業ができて、残り半分は手つかずである。おかげで仲通り商店街のにぎわいは、昔のままである。
横浜側の再開発決定の大型店ビル屋上から見る鎌倉側の再開発決定地。
左下から右上に市境の川が流、左向うが鎌倉市。右の白い箱が鎌倉駅北口。
左の縦に細い道が仲通り商店街、右の山の上に大船観音が顔を出している
左が横浜市側の大船駅前、右が鎌倉市側の大船駅前
いずれも黄色枠内がまだ事業ができない再開発決定地区
鎌倉側の大船駅前仲通り商店街

この大船駅の北隣りの戸塚駅前西口の再開発事業は一昨年にようやくでき上がったが、これとて最初の土地区画整理事業の都市計画決定から52年、再開発事業に変更してから20年もかかっている。
 鎌倉側の大船駅前もそうだが、都市計画決定が早すぎたというか、いいかげんであったというか、強権的であったというか、そういう行政主導都市計画時代のことだった。いまどきの住民参加時代の都市計画はそうはいかない。

 特に市街地再開発事業のような、住民が事業に財産を投じて事業を行うという住民参加の極のような都市計画事業は、かなり慎重に都市計画決定をするものだが、この横浜市側の都市計画決定はどうだったか。
 そこで思い出すのは、これを決めた2014年1月の横浜市都市計画審議会における審議である。わたしはその審議会を傍聴して、その傍聴記録を書いているので、いま読み返してみる。
 ふむ、イイカゲンな審議態度にけっこうイチャモン付けているなあ。そういえば、今月25日に横浜都計審だから、久しぶりに行ってみようかな、ちゃんと審議できるかな。

 なんにしても、わたしは実情を知らないから何とも言いようがないし、再開発に期待しているわけでもないヤジウマに過ぎないが、都市計画決定してもう2年、どうなってるんだろ?
  2年前の都市計画審議会では、事業の都市計画なのに、その事業性については全く審議しなかったからなあ、審議能力がなかったようだけどね。

●「湘南の武蔵小杉」になるかも

 ところで、横浜側の駅前にある再開発で建替えられて店舗ビルの屋上に上がって、東を眺めると、大船の街は高層建築が意外に少ない。
 旧鎌倉地区は厳しい開発抑制があるから、鎌倉ブランドの共同住宅(マンションのこと)は大船側にたくさん立つだろうと思うのだが、そうでもないらしい。大船の街の鎌倉側は、昔の住宅開発地だから、土地が細分化されているので、大規模なビルを建てにくいのだろう。

 だが、横浜側の大船を見ると、こちらは大規模な工場地帯である。もともと大船のあたりは鎌倉側の駅前の住宅地をのほかは、戦前は工場地帯であったから、それが今も続いているのである。
 資生堂などの優良企業であるらしいが、もしもそれらがどこかに移るとか廃業するとかしたら、巨大な土地が出る。
 そうなると、連想するのは川崎の武蔵小杉である。大船もあのような超高層共同住宅群が林立する街になるかもしれない。
 再開発でできる超高層住宅共同ビル(いわゆるマンションのこと)が、その起爆剤となるのかもしれない。そうなると大船の街のキャッチフレーズは「湘南の武蔵小杉」、な~んて。

 そうだ重要なことを思いだした。
 旧鎌倉のほとんどは、もうすぐやってくる東南海トラフ地震の津波で壊滅する運命が待ち構えているから、この新鎌倉湘南の武蔵小杉に、早く引っ越す方がいいかもしれません。
左が横浜側工場地区、右が鎌倉側市街地
大船駅の東側の市街地現況
大船駅北地区再開発完成予想図


参照:
■2014/01/25「大船駅前再開発議案をまじめに審議していないぞ
■2014/01・28「最低でもこれくらいの審議は必要なんだけどなあ
■外から鎌倉を診る:大船・もうひとつの鎌倉(2007)

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