髷を結い直し、簪を取り揃え、真っ赤に紅の厚化粧で出戻ってきた赤レンガ東京駅は、たくさんのお供を引き連れてのご帰還である。そのお供のどれもが大男(大女?)であるのが、ご自分の背が低いだけに目立つのである。
まずは東京駅の真正面からの、出戻り前の姿である。
出戻り前の姿の左端に見える2棟の超高層ビルは、大手町の東海朝日ビルと新日鉄ビルである。中央の屋根の左右に少しだけ黒く見えるのが、八重洲口の大丸百貨店(鉄道会館ビル)である。
それが出戻りしてきた今は、5棟も超高層ビルを従えている。
連れ戻ったお供のっぽビルは、丸の内側にもたくさんいるのだ。
東京駅のホームを越えて丸の内側を眺めよう。
肝心の赤レンガ東京駅舎は、中央線ホームが高いので屋根しか見えない。
で、ご覧のようにこちらにはぞろぞろとノッポお供がいる。このうち赤レンガ東京駅が容積を移転した先は、左端の新東京ビル、その右隣のJPタワー、中央の丸ビルを飛ばしてその右の新丸ビル、このほかにJPタワーの陰にあるパークビル、これらの4棟である。
だから八重洲側の2棟と合わせて6棟が、赤レンガ東京駅のお供である。
では、4半世紀前の丸の内側を眺めよう。
これは1987年10月に、八重洲口にあった大丸百貨店の屋上(10階か11階か忘れた)から撮った。
東京駅の三角ドームと赤レンガ壁(赤ペンキ)がよく見えるのは、中央線ホームが今のように高くなっていないからである。
周りはスカイラインが31mでそろっていることがよくわかるが、赤いタワーの東京海上ビルをはしりとして、スカイラインが崩れつつあることもよくわかる。
これから25年、先の写真のようになったのである。わが身のお化粧代を稼ぐために、わが身を切り売りした結果が、ノッポお供に取り巻かれて、なんだかいつも日陰になってしまった。
♪ あれ、なにをいわんすか、あたしゃ日陰者じゃないわいなあ~、、♪
では上空からの眺めを、1997年と2011年の比較をしてみる(google earthより)。
まず1997年である。
八重洲側も大きく変化中である。さてどうなるのだろうか。
●参照→
◆東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
◆まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)
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