ようやく腰を上げて、昔の姿で出戻りした東京駅を見てきた。
実はわたしは見なくても、20年以上の研究知識と近頃のネット情報で、どうなっているか分かっているのだが、一応は見ておかなばなるまい。
で、現実にはわかっている通りであった。
だが、ちょっと驚いたのは、なんだか見物客がやたらに多いことであった。南北ホールでは、顔やカメラを上に向けている人がやたらに多い。
外にもカメラはもちろんだが、東京駅外観を絵を描いている人があちこちにいるのであった。
たしかに見物に値する異様な景観が出現した。
ディズニーランドが出張してきたようだというと、けなしていると思う人もいるかもしれないが、わたしは褒めているつもりである。よくぞまあ、コピーをここまで成し遂げたものだという意味である。
でも、わたしはあのホールのデザインは、なんだか好きになれない。前のパンテオンデザインのほうがはるかに良かった。(下図)
南北二つのドームがあるのだから、どちらかひとつは戦後復興の姿で「保存」してほしかったと思うのである。これを戦争直後に作り上げた人たちの努力は、すさまじいものがあったのに、それには敬意を表しないのだろうかと、わたしは不満である。
参考までに、その人たちの努力を書いたわたしの記事「東京駅復興(その1)」を読んでください。
ただ、わたしは思うのだが、わたしのような東京駅に特別の関心のマニア、あるいは建築史に精通した専門家は別として、ごく普通の人々の眼には、この復元した姿がどのように映っているのだろうか。
こうやって再現した戦前の東京駅を見た人は今やごく少数であるが、戦災から戦後復興した東京駅を見た人は、ごく普通にわんさといる。
だがさて、その戦後の姿を見てきた人々に、今の姿はそのどこが変わったのか、わかるのだろうか。
なんだかキレイになったなあ、屋根を葺き替えて壁のレンガもきれいに洗ったなあ、なんてその程度であろうとおもうのだが、いかがか。現にわたしの息子は、そんなことを言っていた。
これは世の庶民をバカにしているのではなくて、一般に建築への関心はそんなものである。これを読んでいる、専門でないお方たちに聞いてみたい。
念のために、今回の復原前の姿を載せておく。冒頭の写真と比べてください。
東京駅に人気に比べて、お隣の中央郵便局の改築(JPタワー)に目を向けている人は、皆無といってよい。誰も写真を撮らないし、誰も写生していないのである。
こっちだって、あちこちから保存せよとなんやかや言われて、東京駅に負けない苦労して一部保存して、つい先日やっと復元したのに、この人気の落差はどういうことだ、こんなことならぶっ壊して立て直せば苦労しなかったのに、なんて、JPタワーは嘆いているに違いない。
やっぱり芸者厚化粧姿の東京駅に、モダンすっぴん姿の中央郵便局が対抗しても、庶民の人気はとてもかないっこない、らしい。
民営化した郵政会社がこれを壊して建て直すと発表したとき、ひと騒ぎあったことを、庶民のだれが覚えているのだろうか。
建築の専門家たちが、中央郵便局は吉田鉄郎の設計で、日本モダニズム建築のお手本だ、だから保存すべきだと叫んだのだが、東京駅の時ほどの保存の声は庶民からは上がらず、しょせん専門家のコップの中の騒ぎであった。
(2012年、東京駅と中央郵便局のどちらも復元工事後)
と、そこに鳩山邦夫さんという切手マニア?が登場、中央郵便局は新発売切手を買いに通った親しい建築であった(?らしい)。
彼がたまたま時の郵政所管大臣だったので、地位を利用してかどうか知らないが政治介入して、この郵政建築への愛着と保存を言い立てたのだった。
これに、一般ジャーナリズムが飛びついて、郵政民営化騒動にからめて面白おかしく記事にした結果が、今の形での部分保存復元である。
(2008年、東京駅と中央郵便局のどちらも復元工事前)
でも、隣に派手な東京駅ができたら、一般ジャーナリズムはそっちに気をとられてしまった。東京駅はニュースにとりあげても、JPタワーをとりあげないのである。
庶民はあの時の騒ぎは忘れて、なんだか超高層がもう一本立ったなあと思うくらいなものである。
復元した東京駅が好きな庶民は、このJPタワーにはほんとは感謝するべきなのである。
だって、東京駅の余剰容積率の一部をこのタワーが買ってあげたから、そのお金であっちは復元できたのだからね、その功績者の写真を撮って、写生もしてあげたら、どうですか。
復原した中央郵便局の内部もご覧ください。あの8角柱がちゃんと立ってますよ。
●関連ページ
101東京中央郵便局と保存原理主義
105中央郵便局再開発と都市計画
522紙ヒコーキ超高層ビル
022文明批評としての建築
093歌舞伎座の改築
585出戻りお目見え近い東京駅姐さんと紙ヒコーキビル
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