ここは7階の空中陋屋、セミなどいる筈がないと起き上がりバルコニーを見れば、天井に張り付いた一匹、けなげに鳴き続ける。風に乗ってやってきたか。
樹木にはりついてこそ樹液を吸って生るのだろうに、都会のセミはこんな無機質なコンクリ板にも樹液を求めるのか。
ここで昔の思い出になるのが歳よりの常、わたしの生家は神社の森の中にあった。初夏から初秋まで、いろいろなセミが順番に登場して鳴き続けていた。
それはもう、蝉時雨どころか蝉梅雨のごとくに降りしきり、森の空気をも染めてしまう。生れてからずっとその中で育った私は平気だったが、訪れる友人たちはそのうるささに閉口した。
降りしきる蝉の声の涼風の森、縁台の上で昼寝をする夏休み、遠くなりすぎた少年の日々。
鎌倉の緑の森の中から横浜都心のビルの森へ、地べたの小屋から空中の陋屋に越して11年目、バルコニーからの眺めは緩やかに変化していく。
遠景の山手の丘の緑の柔らかな稜線が、少しづつ建物の固い線に変わっていく。
中景にあったビル屋上の真っ赤な日産自動車の広告がまことに目障りであったが、去年それがビルごと消えたので喜んでいた。
その消えた期間も短く、今やそのあとに高層共同住宅ビルが建ちあがりつつある。こいつがどこまで上に伸びるのやら。完成したらまた日産自動車が、真っ赤な広告塔をその上に載せるのだろうか。
2003年
2013年1月
2013年8月
(追記 2016/08/07) 2016年8月
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