能舞台上で演じるフィクションの死が、実はひとりの能楽師のリアルな死につながっていた。その死を想いつつ、舞台を観たのであった。
2016年2月20日、テーマ「生と死のドラマ」の横浜能楽堂企画公演には、能「仲光 」のワキに宝生閑が出演の予定であった。だが、この名人はこの2月1日に他界した。
わたしは、この演能がもしかしたら宝生閑最後の舞台かもしれないと、ひそかに思っていたのだが、現実の方に追い越された。見ること叶わなかった最後の演目は何だったのだろうか。
企画公演には識者の講演が付く。今回は能楽研究家の西野春雄氏が登場した。話の要点は、今回の能「仲光」には、これまでになかった新しい演出をしたとのこと。
正確に言えば新しいのではなくて、古い演出を復活してみたのであると言う。配布プログラムの「仲光」の小書きのところに「古演出による試演」と書いてある。予告パンフにあった小書きは「愁傷之舞」だった。
プログラムの一部を引用する。
「観世流の「仲光」(他流では「満仲」)は江戸期に上演が中絶していたようで、明治12年に梅若実により復局されました。今回は、能楽研究家の西野春雄氏の監修により、現行観世流の台本を活かしつつも、松井文庫所蔵の謡本「まんちう」(観世流節付)を基に、下掛り古写本も参照して、現在では仲光が舞う演出を、本来の美女丸が舞うように戻すなど、不整合を正して、試演します。」
能楽は600年もの伝統的古典芸能ではあるが、その間に変らないのではなく、継承しつつもその時代時代に新たな演出を加えて、次第に変容してきている。
それらいろいろな新演出のなかで、特に後世に継承するべきと評価されたものには、「愁傷之舞」のように名前を付けて、演目名に「小書き」として書き添える。
だが、今ある能には、よく分らないヘンな演出も伝えられているそうだ。どうやら、この仲光もそのひとつで、ストーリーと演出が整合しないところがあるらしい。
それを今回は考証し直して、昔はこうであったろうと戻して演じるというのである。そのほうが分りやすいのだそうだ。
新演出と言っても、ストーリーはそのままであり、最後のあたりの舞い手を、これまではシテの仲光がやっていたのを、子方の美女丸が舞うようにしたのだ。
そのほうが状況的にも詞章にも適切であるとのことだが、わたしは「仲光」を見るのは初めてであるから、それがどう違うのか深くは分からない。
西野は、今回の演出が今後どう継承され、そしてまたどう変化されるかわからないが、この演出が正式の小書きをつけられて舞台に乗る基本となるならば、今日の観客は、古典芸能の変容の歴史的瞬間に立ち会うことになるだろうと言うのであった。
ところで、この「仲光」のストーリーは、なんとも能楽らしくなくて、どちらかと言えば歌舞伎的なのである。能のストーリーは、どちらかと言えば単純であるが、仲光は人間臭いお芝居になってしまいそうなのである。
その歌舞伎的とは、『一谷嫩軍記』3段目「熊谷陣屋」と『菅原伝授手習鑑』4段目「寺子屋」において、他の身代わりに自分の子を殺す悲劇がテーマになっているが、この「仲光」もまさにそうであるからだ。
能の前段は、多田満仲なるバカ殿がいて、留学させてた息子の美女丸が戻ってきたので、聞いてみるとスポーツばかりやっていて勉強してないと分って激怒して、刀で切り殺そうとする。家臣の藤原仲光が、まあまあとなだめて止めるのだが、それならおまえが美女丸を切れとバカな命令をする。
この10世紀ごろは、主君の命令はどんなことでも実行するルールがあったらしく、仲光は命令と憐憫の狭間で困って悩むのである。それを見かねた仲光の息子の幸寿丸が、それなら同じ年頃だから私を切って首を持っていけば、分らないでしょうと言う。仲光はますますどちらを切るか大いに悩み、結局は自分の子を切るのだった。
美女丸は自害するというのをなだめて遠くの寺に逃がし、主君には切ったと報告する。すると満仲が、自分の跡継ぎの子がいなくなったから、お前の子の幸寿丸をくれと言う。どこまでバカ殿か。困った仲光は、幸寿丸は世をはかなんでどこかに立ち去ってしまったという。
後段は、そんなところへ、美女丸を連れた僧都が、バカ殿を訪ねてやって来る。この坊さんが宝生閑が務める役であった。僧都は美女丸と仲光を許してやれと、バカ殿を説得する。それで丸く収まって、祝いの舞を美女丸が舞うのである。
つまり、仲光が主君の命で、主君の子の美女丸を切るか、身代りに自分の子の幸寿丸を切るかと悩みに悩んだ末に、自分の子のを殺すという悲劇である。
だがこれは主君満仲が大馬鹿としか思えないし、仲光がその馬鹿殿になぜ従うのか、さっぱり納得がいかない。
後段にも、なぜ簡単に美女丸が戻るのか、なぜそれがメデタイと舞うことになるのか。仲光の苦悩を見せるのが狙いだろうが、ストーリー展開にかなりの無理がある。
舞台の演技に心を預けて鑑賞したいのだが、この納得のいかなさがはじめから最後まで心に引っかかっていて、安心して能にハマっていけないのである。
新演出なら、いっそのことそれらの無理筋も直してもらいたい。新作にしてもいいと思う。
野村四郎の演技は、能よりも歌舞伎狂言に近い、とまでは言わないにしても、直面(ひためん)に感情を現しつつの悩みの所作は、どこかリアルな演技に見えてきた。
子方の二人のどちらかを切るかと悩むとき、最後の美女丸の舞を見て嘆き悲しむとき、この2大山場の演技は、能の持つ抽象性による様式から、歌舞伎の具象性の様式に引っぱられたように見えた。
このあたり能としてみるか、歌舞伎としてみるか、などと余計なことを考えるからいけないので、もっと素直に見ればよいのであろう。
最後に、生き残った主君の子の美女丸が舞うのだが、これを家臣の仲光が見ながら、切り殺した自分の子の幸寿丸も生きていたら、二人の子が一緒に相舞をするのであろうにと、ふかく嘆き悲しむところで、この能は終わる。
この舞の終わりころに立ち上がって、橋掛かりに座り込んでの深いいシオリ、舞台に戻ってから、こんどはほんとに両膝を折って座り込んでのまた深いシオリ、このながい嘆きは歌舞伎的であった。
この深い嘆きの場面は、バカ殿の前で行うのだから、考えようによっては、これは理不尽な主君満仲への抗議の意味もあるかもしれない。
わたしは観ながらふと思ったが、この日の「仲光」のワキは宝生閑の予定だったのだから、この今いない死んだ子への仲光の嘆きは、実はこの舞台にいるはずでいない宝生閑への嘆きに重ねているのかもしれない。
そこに演技にリアルさが見えたのだろう。これが野村四郎の新たに切り拓く能楽かも知れない。最近は、ロミオとジュリエットなんて芝居もやったそうだから、年取るほど新しいことをやっている。
能楽での様式的演技とリアル演技については、狂言の「武悪」のシテ山本東次郎の演技をすごいとみたのである。実は「武悪」も初めて見た狂言である。
前段においてのシテは武ばった様式的な演技であって、笑いの対象とはならないが、その所作のいちいちがいかにもの感じで、引き込まれた。
それが後段では一転して、幽霊を怖がって震え上がる喜劇的演技になり、ビックリして転げるという漫画的な演技もあって、様式を逸脱する。怖がりながらも武張るおかしさを、自在に行き来する演技をして、東次郎はスゴイ。
そしてその後の仲光における四郎の演技と並べて考え、能楽における様式演技とリアル演技をどう行き来するのか、興味を持ったのである。
それにしても能役者野村四郎は80歳になるはずだが、観世流で舞台に登場する現役最高齢者だろう。近ごろそのお顔が、長兄の萬そして父6世万蔵に似てきた。ちっとも枯れない演技を続けるどころか、芝居に色気を見せる。今回は新演出のために、その美しい舞を見ることができなかったのは残念だった。
山本東次郎79歳、こちらも枯れないでますます磨きがかかる。宝生閑は、枯れてきていた感じだったが、83歳で逝ってしまった。
わたしが能楽を観るようになったのは、野村四郎師に入門した1991年からである。四半世紀も前であったか。
今回の舞台では、四郎師のひとり息子の野村昌司も地謡にいたが、しっかりした中年顔になっている。地頭の浅井文義はこんな年寄りになったかと自分の目を疑った。
ツレの観世銕之丞は、立派な貫禄になって、でも太り過ぎですよ、舞台では。太り過ぎと言えば、ワキの殿田謙吉もそうである。
そして、子方の二人は10歳と12歳だそうだが、キチンと務めた。特に美女丸の長山凛三は、謡も舞もすばらしかった。新演出が生きたのは、この長山君のおかげである。地謡にいた長山桂三の子息であろうか、役名通りの美少女のようであった。
●横浜能楽堂企画公演 (当日プログラムより)
「生と死のドラマ」 第3回 「『忠』と『情』の選択」 2月20日(土)14:00~17:05
能・狂言が花開いた中世。それは、「生」や「死」が今よりもずっと近しい時代でした。
それを象徴するかのように、能・狂言の作品には様々な生や死が描かれています。
人は死後も霊として現れ、草木などの自然にさえ人格が宿ります。
そして生きる者は、「生」「死」の問題に直面し一喜一憂します。
この能・狂言に見られる死生観は、600年以上経った今なお「生きること」「死ぬこと」を
永遠のテーマとする私たちに、何を示すのでしょうか?
能・狂言の作品と講演による4回シリーズを通じて迫ります。
講演:西野 春雄(能楽研究家)
狂言「武悪」(大蔵流)
シテ(主) 山本東次郎
アド(太郎冠者) 山本凜太郎
アド(武悪) 山本 則秀
能「仲光」(観世流) 古演出による試演
シテ(藤原仲光) 野村 四郎
ツレ(多田満仲) 観世銕之丞
子方(美女丸) 長山 凜三
子方(幸寿丸) 谷本悠太朗
ワキ(恵心僧都) 殿田 謙吉
アイ(満仲の下人) 山本泰太郎
笛 :一噌 庸二
小鼓:曽和 正博
大鼓:國川 純
後見:浅見 真州 谷本 健吾
地謡:浅井 文義 岡田 麗史
馬野 正基 北浪 貴裕
野村 昌司 長山 桂三
安藤 貴康 観世 淳夫
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