2020/04/17

1455【世界コロナ大戦】人生2度目の世界大戦に遭遇して戦中の今をよく見ておいて更に戦後世界も見てから死にたい

●コロナ大戦後世界を見てから死のう
 
 この4か月ほどで突然に世界中の地域にゲリラ兵を展開して、人類に本格的な戦いを挑んでいるのは「新型コロナヴィルス」別名「COVID-19」、これが敵の名である。
 れっきとした殺人ゲリラであるが、コロナというとどこか可愛らしいような名前に幻惑されて、コロナ君とかコロナ姫とか言いたくなるし、COVIDというと小人とか恋人とか、これも可愛らしいのが癪である。
日本の新型コロナウィルス感染者数と死亡者数推移 20200416現在


世界各国の新型コロナウィルス感染者数 20200417現在

世界各国の新型コロナウィルス死亡者数 20200417現在

 今や地球を挙げて第3次世界大戦、別名コロナ大戦と言ってもよい。
 わたしは日本の十五年戦争の真っ最中に生まれ、少年時代に第2次世界大戦に遭遇したから酷い目に遭った。同世代の中では比較的に被害が少なかったほうだが、大人の戦争で子供がひどい目に遭うのは今も昔も変わらない。
   今回は大人も子供も参戦であるから過酷過ぎる。この前の大戦のように大人の対応がドジであれば子供世代が一番のひどい目に遭うにちがいないと、気が気でない。

 今が大戦の前半なのか真っ最中なのか、終わりが近いのか、それさえも分からない五里霧中だ。この前の大戦では、末期から終戦直後ころが最もひどい時代だった。今回の大戦でもあのようなものすごい貧困とすさんだ心の時代が、またもや来るのだろうか。
 そのような体験のない世代がリーダーの今の世の中は、どのように進むのだろうか。今のマスク2枚配給や現金10万円給付のドタバタ政策を見ていると、ほんとに大丈夫かと思うが年寄りのわたしは何もできない。

 第2次大戦後はそこそこに平和に生きてきて、まあまあよい人生であったと思いつつ終幕を迎えることができそうだ、そろそろピンコロと逝きたいと思っていた。
 そんなところにこれである。老年時代のドンつまりあたりで、またもや第3次世界大戦に出会うとは、何とも不運な人生である。

 だがこうなったならば、もうひと踏ん張り生きて、コロナ大戦後の世界がどうなるのか、その端緒でも見てから死ぬことにしたい。
 しばらくはピンコロ願望を棚上げして、長生き派に転向することにした。その時にひどい目に遭いそうになったら、さっさとピンコロにしよう。
 いったいどんな世界が来るのだろうか、このところ考えているのだがどうもわからない。でも考えるだけでも結構面白いのである。
 
●地球全部が突然変化の先にある社会は?

 最初にチャイナの武漢でコロナが発生してから、2月はジャパンでクルーズ船騒ぎでは、まだよそ事感があったが、3月になるとあっという間に日本中に、一方では世界各国へ、しかも先進国での過激な流行となり、最初から5か月で完全に世界戦争の様相になった。

 この戦争突入の劇的な速さに戸惑うばかりの人間世界、始末に負えないのは闘う敵が見えないどころか、隣の人が敵になる可能性があるということだ。
 人間相互の隔離は初めは都市隔離と国家間隔離だったが、今では一人一人の隔離が声高に叫ばれる始末である。

 つい昨日までは人々の交流こそが平和をもたらすとして、過剰なるイベント開催、過剰なる観光客引き込み、過剰なる商業娯楽空間への誘客、そして過剰なる高度土地利用で高密度都市づくりなどの、20世紀から21世紀にかけて70年ほどかけて作り上げてきた人間活動の在り方は、半年もしないうちにガラガラと崩壊してしまった。
 しかもこれがいつまで続くのかさえ分からない。すごいことになったものだ。

 たとえコロナ感染対策が医学の力でできてコロナ戦争が収まったとしても、その時には人々の心は変わり、暮らし方が変わり、都市にも産業にもコロナ後の新たな世界が来るのだろうか。それがどのような世界か分からない。
 人間は物理的に隔離しつつ電子的につながるヴァーチャル世界がメインとなるのだろうか。それは都市という目に見える形はどのような姿なのだろうか。

 それよりも、果たしてコロナ後の世界があるだろうかとさえ思う。アジア太平洋戦争中は少年で幼かったから、未来に思いをいたすことができなかったが、わたしたちの親世代の人たちは、アジア太平洋戦争末期や終戦直後のころ、何をどう考えていたのだろうか。
 あの疲弊しきった中で空腹を抱えて泣く子等を育てつつ、次のあるべき社会を考えて生きていたのだろうか。考えていたからこそ、わたしが歩んできた民主主義と高度成長の平和があったとしよう。今の大人はいったい何をしたらよいのだろうか。

 しかし今、これほどに国際依存状況になっているのに、それを無理やり断ち切るしかない状況に、これから何が起きるのだろうか。一番心配は、自給率40パーセント以下になっている食料が、コロナ後にも輸入があるのだろうかということだ。
 国際孤立が続けば輸入が絶える、輸出制限がそれよりも人出が足らないくなって食糧生産がとまるかもしれない、すでに世界各国で食糧輸出制限が始まっているニュースもある。

●とりあえず戦中の今を見つめよう

 ところで、世界中から忌み嫌われているコロナ君のことを、これから褒めてみようと思うのだ。隔離蟄居してみると、いろいろ興味深いことがあって、暇つぶしになる。
 コロナ君がもたらした生態現象はまことに困るのだが、社会現象については単に困るよりも、おお、お陰でよくなったよなあ、なんて思うこともなくもない。コロナ大戦が終わると、けろっと忘れてしまうような気がするから、今の内に書いておこう。
 
 まずは半径5メートルほどの身近なことで褒めたい。もともと隠居してネット生活が中心だったから、コロナ蟄居になっても、実のところ生活の仕方はたいして違いはない。
 むしろネット世界の中に、コロナのコンテンポラリーなドタバタ騒ぎ話題が、次々と党のすいてくるから、ずいぶんと面白くなって、むしろコロナで脳が活性化してきた。これでもボケ進行が遅延するだろうから、コロナに感謝である。

 毎朝やってくる新聞が、コロナ以前には読まないページがずいぶんあって、それはスポーツ欄である。紙くずに金払っていると腹を立っていたのだが、いまはそのページががくんと減ったので気持ち良い。
 観戦スポーツには全く興味がないので、読みも見もしない。今はプロもアマもスポーツ界は何もできないから、スポーツ欄は1ページ程度で、まことにありがたい。

 オリパラになったら紙くずだらけになる新聞をスッパリやめようかと思っていたが、延期とてほっとしているし、加えてオリパラ延期騒ぎのドタバタが面白い記事でなかなかよろしい。コロナ君のおかげである。
 わたしはTVをまったく見ないから知らないが、そっちもスポーツ番組がなくなっているのだろうなあ。ラジオで毎朝聴くNHKニュースには一般ニュース枠とスポーツニュース枠があるのだが、前者はほとんどコロナ話題であるが、後者は競技開催とりやめ通知ばかりで、そんなのわざわざ聞かせてくれなくていいよ。

 近所の半径2キロメートルほどのエリアの横浜中心繁華街や、近隣商店街を観察する徘徊はなかなか面白い。
 政府の緊急事態宣言発令による休業等の要請により休業店舗は、特に全国チェーンとか大企業店舗がそれに応えているが、小さな地元店舗は頑張っている。問題は大きな店舗の休業で商店街が歯抜けになることだろう。歩く楽しさがないのだ。

 とにかく以前に比べて中心商店街の人出は2割くらい、近隣商店街は4割くらいだろうか。商店街っていつもは賑やかに込みすぎていると感じる。今くらいが歩きやすくて静かだし、具合がよろしい。
 伊勢佐木モールと横浜橋商店街を観察していると、打撃は買回り型商業のほうが大きく、最寄り型生業店舗は細々とたくましく頑張って生き延びる様子だ。しばらくこの比較観察徘徊をやってみよう。
淋しい伊勢崎モール 20200408

横浜橋商店街の人だかり「マスク入荷」

 一方、港あたりの観光街とか中華街ではいつもの1割の人がいるかどうかだ。
 閑散とした山下公園や赤レンガ倉庫って、なんだかコロナに貸し切りみたいで気味が悪い感もあるが、建物などの風景の写真を撮るには、人が居過ぎるという邪魔が無くて、具合がよろしい。
 まだゴーストタウンにまではなっていはいないから、これが普通の状況であれば、むしろ望ましいくらいである。コロナ君のおかげである。ずっとこうであってほしい、というわけにもいくまい。
コロナに貸し切り赤レンガ倉庫 20200409

 コロナで奇妙な繁盛している施設もあって、北仲通りに開業早々のアパホテルは全2300室そっくり神奈川県の借り上げで、コロナ感染者の療養施設になった。
 これって、この近くの港で立ち往生していた例のクルーズ船が、別の姿でまた現れたようなものだ。やれやれものすごいことである。
コロナ感染者療養施設になった開業早々のアパホテル(北仲)
   あっ、タワマンなる高密共同住宅ビルがそっくりそのままコロナクラスターになるってこと、まさかないだろうなあ。


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