2025/10/19

1916【老酔録⑥】コロナと介護で切れた世間に復帰するために陶芸教室という米寿の手習いへ

老酔録⑤】のつづき

 コロナと老々看護という、わたしの人生末期大事件で、世間と縁が切れてしまって、いまやすでに5年にもなる。
 コロナ期間では、老人は世間と交際するなとの、世間との縁をきらされてしまた。また在宅看護は、逆に見知らぬ専門あたちが入れ代わり立ち代わり毎日のように訪問してきて、それまでに経験したことがない賑わいであった。だが、これは限られた専門家たちであり、突然に看護相手が相手がいなくなると、突然に全く縁のない人々となった。

 もちろんその間も、全く世間と縁が切れてはいなくて、インタネットによるSNS、Eメール、ブログ、ZOOMで、限られた旧友たちとはつながっていた。だが所詮は、バーチャル空間の中のことであり、面と向かっての縁は切れた。

 コロナも在宅看護も解消したのは2024年の夏だった。2020年に始まった4年も経っていた。さて、縁が切れた世間と復縁しようかと思ったのだが、その間に世間の方が大きく変わって、わたしが復する場所がなくなってしまった。若ければあらためて石鹸を構築もできるが、いまや老残の身になってしまった、復するべき世間を見つけられないでいる。

 近所に「ケアプラザ」なる公的な高齢者支援施設がある。老々在宅看護を始めるにあたって世話になったところである。ここで高齢者向けにいろいろイベントがあるとて、パンフレットを見て参加するかなと思えど、どうもよろよろ相手の行事ばかりのようだ。こちらももちろんよろよろだが、それほどじゃないからなあ、と思う。実は一度だけ参加したことがあるのだが、10人くらいで体操して、」フレイル度合いを計ったくらいで、なんだかつづけるきょうみがでなかった。

 そんなとき、市の広報の片隅に見つけたのが、「陶芸教室」である。すぐそばにある「コミュニティハウス」なる公的施設でやるらしいい。そうか、これなら面白いかもと、申し込んだ。わたしは手先は器用な方であることは、本づくり趣味で自覚している。初めてでもなんとかなるだろう。陶芸といえば仕事で何度か多治見に行ったことがあるし、人間国宝の加藤卓男氏を市之倉の幸兵衛窯に訪ねたこともある。自分の陶芸とは何の関係もないが、ついそんなことも思い出した。

 そういえば、わたしはお稽古事を嫌いな性分であった。これまでそれらしいことは、人間国宝の野村四郎師匠に謡を20数年習ったことが唯一である。しばらく遠ざかっていた習いごとに、陶芸で復帰するのも面白そうだ。米寿の手習いか。これがコロナと介護で切れた世間付き合いの再出発点になるかもしれない。

 陶芸教室開催のコミュニティハウスに、受講申し込みに行った。簡単に受け入れてくれた。氏名と年齢だけで詳しい個人情報は一切聞かないのが、今時らしいのだろうか。年齢も65歳以上か否かだけを聞かれて、「ど~んと上の齢でございます」と答えた。受講生は6人とのこと、こちらもどんな人たちか聞かない。毎日曜日午後で5回連続とのこと。

 さて、初回の日、コミュニティセンターの一室にやってきたのは、わたしのほかは、講師も含めて全員が女性であった。中年以上だろうか、年齢をよく分らないのは、この間の世間と途絶が長かったからだろう。米寿の手習い仲間はどんな方々かしら。

 各人にそれぞれに道具一式をそろえて貸してくれ、粘土を1キロも用意してある。道具に中に小さな轆轤もある。粘土をこねて轆轤にに載せて回すのだが、意外にも難しい。他人が轆轤を回しているの見たことがある。あのようにまん丸くすーっと椀の形ができると思いきや、わたしはこんな不器用であったかと思い知らされた。

轆轤回しは意外に難しい

 それでも何とか形にしたのは、出だしは抹茶茶碗のつもりだったが、ひねた形の犬猫用のの飯茶碗みたいにである。そんなのを大小二つと、いびつな角平皿一枚ができた。他の人たちの作り様を見ることもなく見ると、どなたも洋食器の様子であるのに対して、わたしはいかにも下手の手びねりである。何やら基本的スタンスが異なるらしいが、別に構わない。初日はそれでおわり、次回まで部屋の内で乾燥させておく。いろいろな受講生がいろいろな質問をして、講師の先生は大わらわなようだった。

 1週間後の2回目は、乾いて赤みがかった粘土色の器になっていた。これを鑢やサンドペーパーで修正整形して、これに化粧用の色粘土を溶いた溶液を刷毛で塗って、模様や色付けをするのだ。わたしは、椀については半分だけ白色を塗った。溶液に半分だけざぶんと漬けようとしたが、溶液が浅くて刷毛で塗った。できるだけ人手の跡が出ないようにしたいのだが、刷毛目が付きそうだ。今回はこれまでで、2週間の乾燥をさせる。

 今日はちょっと手すきになったので、講師の入選作品の掲載されている展覧会図録を見せちただいた。その入選作品は焼き物の先入観を破って、抽象的な現代アートであった。いま眼の前でやっていることとのギャップに、ちょっと驚いた。そうなんだ、器ばかりが陶芸ではないのである。としてもわたしにはアブストラクトセラミンクアートは無理である。

 3回目は、窯場のある近くの中学校の地域交流室に移動して、作品を持っていく。わたしは大丈夫とは思ったが、それでも途中で転んで割ってしまうの心配になり、タオルで包んでリュックザックに担いで持って行った。中学校には電気釜があり、これに入れて素焼きにするとのことで、それは講師に頼んで、今日はここまで。

窯から取り出した素焼き 右上ふたつがわたしの椀

 4回目は、素焼き作品を窯から取り出した。若干色が変わっていて、これでもうよいような気がしたが、これにさらに釉薬を塗って、色付け模様がけなどするのだ。色ごとに釉薬が何種類もあるのだが、小さな色焼き見本を見ても、実際にどんな色になるのか、ほとんど想像がつかない。えいやっと決めるしかないが、どうなるのかわからないのがむしろ面白い。

 わたしは二つの椀は、校庭でもぎ取ってきた木の葉に釉薬をつけて、器の底に印をすように葉脈模様をつけた。意外にうまく葉の形が付いた。何色になるのかわからない。もう少し小さいほうがよかったかなとも思うが、まあ、どう出るか分らぬのが面白からこれでよい。そしてこの二つの椀ともに、透明釉薬にざぶりと漬けただけであった。

釉薬をかけてこれを本焼きの窯に入れる どんな色に出るか見当がつかない

 平皿はイメージとして緑色だけの佐野乾山を真似したくて、織部と名がついている釉薬にざぶりと漬けた。果たして緑色になるか。他の人たちは、何やら繊細な絵付けをしておられるようだ。こうして釉薬を塗った作品を、今度は本焼きするのだ。それは講師の先生にお任せするしかない。先生はわたしの平皿を見て、釉薬が多すぎるから、うまく削っておくとのことで、ありがとうございます、よろしくお願いしますと、お任せするばかり。今回も初会のごとく、かなり講師の先生の指導が大変な様子であった。次回の窯出しを楽しみだ。

 今回で最後、今日は作品が出来上がる。窯の前に民集まって、先生が取り出すのを待ち受ける。おお、意外にわが作品はよくできているぞ。椀二つはほぼ思い通りの色だが、白色に刷毛目が出ているのが残念。葉の模様付の色が濃過ぎた、もう少し小さい葉の方がよかったかと思う。でもまあまあ、はじめただからこれでよし、自分に言い聞かせたのだ。

うまく焼きあがった、さっそくこれで菓子をいただこう

 平皿は緑色というにはは濃すぎた。わずかに縁のあたりが緑になったが、底は黒色だ。でも真っ黒っではなくて、薬が地に届かないままのいくつかが模様となって、地色が見えているのがかえって情緒がある、平皿の底に小宇宙の図、なんて思うことにする。えへん。
 ほかの方たちの作品もそれぞれ出来上がった。それを論ずる能力はない。どの方の作品もわたしのそれとはずいぶん違うなア、と思うばかりだ。

うちにもって帰り食卓で鑑賞中

 こうして陶芸教室は終わった。わたしはこれで社会復帰できただろうか。実のところはよく分らない。客観的に見て、わたしの教室での態度は、かなり不愛想であった。わたしは見知らぬ大勢の他人と話すのは、何の苦でもなかった。現役時代はそういう仕事だった。会議とか、講演とか、大学講義とかで、それが仕事だった。

 そのわたしでさえも、5年ものブランクは、不愛想人間になった。というよりも、見知らぬ他人との付き合い方を取り戻すために、その距離の取り方を常に意識して計っていたのであった。さて、次はどんな教室に行こうか。いつの日かそれを意識せずに話すようになるだろうが、その前に老いがそれを止めることだろう。

(2025/10/19記)

ーーこのブログの陶磁器関連ブログーー
2013/06/09・791【金継ぎ】琉球焼き物マグカップ金継ぎ修理https://datey.blogspot.com/2013/06/791.html
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