2010/11/09

348【世相戯評】尖閣事件極秘資料がネット流出して海保はオキノドク

 尖閣諸島での中国漁船と配乗保安庁の船との衝突事件のビデオ画像を、何者かがインターネット動画投稿公開サイトに載せたという。
 わたしもサイト検索して見た。グーグル検索サイトにあった産経新聞のページに入ったら、その画像へのリンクがあり、二つの衝突を見ることができた。
 TVのニュースではその動画のコピーを放映しているし、新聞もその動画からコピーらしい写真を載せている。

 海上保安庁が流出させた人を告発し、検察庁がそれを受理したから、この動画は違法流出容疑の代物であるらしい。
 で、どうも分からないのだが、違法容疑の代物を、そうやって勝手にコピーして、マスメディアで公開してよいのだろうか。
 これってその容疑者の行為を幇助していることのような気がするが、ちがうか。

 おりから、警視庁の公安関係文書がネットに流出しているが、こちらはTVも新聞もそのコピーを見せてくれないのは、どうしてだろうか。
 尖閣画像も警視庁安資料も状況は同じであろうに、不思議である。
 海上保安庁のように、警視庁はなぜ犯人を告発しないのか(告発と言う手続きのことはよく分からないが)。
    ◆
 もうひとつ気になるのは、尖閣事件画像の著作権はどこが持っているのだろうか。もしも海上保安庁が持っているなら、マスメディアはそこの許可を取ったのだろうか。
 これもおりから、村上春樹のベストセラー小説(わたしは読まないが)の中国語デジタル海賊版が、堂々とネット販売されているそうだ。ネット販売屋はそれが海賊かどうかは知らない、文句あるなら小説家か出版社が、それを書いた奴と話せよと言うのだそうだ。ニセモノを売っても、つくるやつが悪くて売るほうは関係ないというのだ。

 途上国だった1950~60年代の日本がまさにそうだったし(made in Japanとは安物偽物の代名詞だった)、今の中国がまさにそこにいるのだが、マスメディア屋は今も昔のままか。
 この論理で言うと、新聞もTVも著作権問題は、投稿した奴と海上保安庁で話をつけろってことか。著作権問題には人一倍神経質な新聞社が、そんないいかげんでよいのだろうか。

 いい加減で良いのなら、ぜひとも警視庁流出の公安資料も、新聞に堂々と掲載してほしい。でないと、海上保安庁だけがギャンギャン言われていて、なんだかお気の毒だぞ。



2010/11/07

347【横浜ご近所探検】横浜ご近所再開発流行り

 横浜都心に引っ越してきて8年、その間にあたりでけっこうたくさんの共同住宅ビル(わたしはあえてマンションと言わない、名ばかりマンションだから)が建ったし、今も建ちつつある。こんなに需要があるのだろうか。
 北隣では、2階の床までコンクリートを打っていたのに、去年4月、そこでデベロッパーが倒産したらしくて1年半ばかり工事を停止していた。
 最近になって買い手のディベロッパーがついたらしく、工事再開のお知らせパンフが郵便受けに入ってきた。プランを見るとほとんどが1寝室か1寝室+ダイニングキチンだから、もしかしたら投資型の区分所有共同住宅か。 
  参照→092隣に迫る大不況
 東隣では、小さな敷地に鉛筆のような細い共同住宅ビルが建設中である。これは1寝室ばかりの賃貸住宅らしい。これはその北隣の既存共同住宅を真っ暗にしてしまった。
参照→297共同住宅ペンシルビル
 2ブロック先に、2棟の県公社であったらしい1960年代と思われる古い共同住宅ビルがあり、戦後史を物語っているようで興味深かったが、2008年にそのうちの1棟が建替えられて高層共同住宅になった。
 もう1棟も同じかと思ったら、なかなかそうならない。だんだんと空き家が増えていく様子が見えていたが、この10月になって遂に撤去工事が始まった。区分所有型共同ビルになるらしく、宣伝マンが板囲いの前でパンフを配っている。
 気になるのは、今度のビルで始めに建ったほうは半分くらいは日陰になるらしいことだ。
 その北隣ブロックでも区分所有共同住宅が建ち、更にその隣あたりでは高齢者用の共同住宅が建設中である。わたしの家の前のブロックにも建つのじゃあるまいかと心配になってきた。
駐車場だからいつでもできそうだからなあ、そうなったら逃げ出すか、それもいいけど引越しがめんどくさいなあ。

2010/11/05

346【世相戯評】物の値段がわからん

 新聞を読んでいたり街を歩いていると、そんなに安くてよいのかという物の値段の広告に出くわす。今日の朝日新聞からそれを拾ってみる。
 13面に、安物PCの通信販売広告がある。中古品で1万円から3万5千円、それはまあよいとしても、「当社指定インターネット申し込み」で100円とはどういうことだ。
 新聞折り込みチラシ広告の新品PCでも、「当社…」だと3万円も安くなると書いてある。
 でもこちらはもう、昔きちんと金を払ってインターネットプロバイダーと契約したし、PCもきちんと買ったのだから、なんだよ~今頃って、もうバカらしくて新たにPCを買う気が、まったく起きなくなってしまった。
 もう買うのやめたッ、誰かからお古をタダで貰いたいものだ。
   ◆
 14面にも一面全部を使った通信販売広告がある。絹製パジャマ1980円、布団4980である。なんだか安すぎて気持ちが悪い。
 そんな安物にこんな全面広告の広告(多分1千万円を超える掲載費)をかけるのが不審である。
 どこか欠陥商品か、あるいは注文で知られたこちらの住所などが悪用されるにちがいない、うっかりひっかからないぞ、と思うこちらは、正常か異常か。
   ◆
 15面経済欄に、エコポイントなるなんだかよく分からないもので、安売り電器屋が大儲けしているとの記事がある。
 これって要するに税金を使って儲けてるってことである。大いに腹が立つ。
 同じ面に、小さな電気自動車を売り出して、その値段が398万円、ところがそれに国の補助金が114万円出るのだそうだ。
 おいおい、エコだからって自動車は自動車だぞ、作ること自体がエコじゃないし、走らせると電気エネルギー消費するし、衝突すれば人身事故がおきてこれこそエコじゃないし、なんで税金をつぎ込むんだよ。
 どっちもエゴポイントだよな。腹が立つ。
 車に乗らないオレ様がいちばんエコなんだぞ、114万円よこせ。
    ◆
 ファストフード牛丼屋の値段競争の記事もある。1杯280円250だそうである。
 わたしはどんぶりものはあまり好きではないが、昔、いそがしかった頃のこと、昼飯時間を節約するために安牛丼屋にはいったこともあるにはある。
 だが、アレはほんとに不味い。脂ギトギト肉と霜降り肉とを間違えているらしい。
 まあ、好きな人は勝手にどうぞだけど、時にはちゃんとしたすき焼き屋さんの牛丼も食いなさいよ。
    ◆
 17面の株値の欄、かつて生命保険(合名会社)にはいっていて、そこが株式会社になったとて、株を配給(というのかしら)してきた。
 20年以上も前のことであったが、そのときの株価が9000円弱であったと記憶する。今日の新聞のそれは1657円とある。
 経済のことは分からないが、あの頃の5分の1の景気ということかしら。あの株はわたしの会社を廃止するときに処分した。
    ◆
 小説家のよしもとばななと村上龍の写真が、35面にある。自分で電子書籍会社を作って、出版を始めるとのこと。
 村上は既に1500円でダウンロードできる小説を売り出しているそうだ。
 1500円が安いのか高いのか、よく分からない。
 紙に比べると安いようにも思うが、流通や印刷経費を考えるともっと安くてもよさそうな気もする。でも、小説は原価計算するものではないな。
 そうか、わたしの著作も「まちもり通信」で売ってみるか。買う人がいてもいなくても、流通原価はタダみたいなものだからなあ。

2010/11/04

345【法末の四季】法末にも秋の色が濃い

中越山村の法末に秋がやってきた。棚田の米の穫り入れはもう全部終わった。
 今年の夏は暑すぎた。それなのに不思議なことに水は不足しなかった。こんなもうすぐ尾根になる谷川もないところなのに、どのような水路のネットワークがあるのだろうか、深雪が土中に蓄えられているのか。
 わたしたちの棚田の米の収穫は、去年の8割くらいだった。味は良いのだが、見たところ白濁粒が混じる率が多いようで、透明感に欠ける。
 売り物としては、一等米の率が少ないのはそういうところにあるらしいが、わたしたちは見た目よりも美味ければそれで良いのだ。
 もうすぐやってくる豪雪に備えて冬支度にとりかからなければならない。
この前の冬は豪雪で2メートル以上積った。道路は集落共同の除雪機がまわるけれど、自分の敷地内は自分で除雪しなければならない。
 しばらく留守にすると、庭に積った雪が屋根の雪とつながって、家はすっぽりと深雪に包まれてしまう。
 雪かきと言わず雪掘りというくらい深い。年とると雪国の冬は暮しにくい。
 家を放棄して街に暮らす人が増える。廃屋が増える。冬の雪がやがて廃屋を押しつぶし倒壊させる。そこに蔦が絡まり、木が生えてきて、そうやって村は自然に還って行く。
 四季の風景は、四季ごとにそれぞれ美しい。人間はいなくなっても、自然は全く自立的にその姿を四季ごとに装う。
 ●参照→山村の四季を愉しむ

2010/11/03

344【本づくり趣味】「本の雑誌」に本づくり趣味のことを投稿したら掲載された

「本の雑誌」という名の雑誌がある。椎名誠たちがもう35年も前に創刊した、本好き人間のための月刊誌である。わたしはその頃から愛読している。
 ちょっとマニアックな面もあるが、書き手がなかなかに興味ある人たちだし、小説やエッセイもあって面白い。
中に「三角窓口」という読者投稿欄がある。始めてそこに投稿したら掲載された。下記のような文である。

 若い頃は、読んでいる本を他人に知られるのが恥かしかった。紙カバーのかけ方を数年にわたっていろいろ工夫していたが、ある方法に落ち着いた。
 本誌6月号の「カバー掛けの旅」を見て、おお、わたしは「由緒正しい掛け方」に自主到達していたのだった。
 歳とって恥を知らなくなってカバーはやめた。本屋さんで「カバーはいりません」というと、かならず「恐れ入ります」というのだが、あれは本屋同盟の談合事項だろうか。
 本誌9月号に新潮社『幻の特装本』のイラストがある。わたしは専門書はいくつか出版したが、雑文はわがホームページに載せている。すぐに世に出せるし、売れなくても絶版はないし、世界中の誰かがどこかで読むし、だいいち金がかからないのがよい。
 でもせっかく書いてきたのだから本の形にしてみたい。そこで執筆、印刷、装丁、製本、発行を、机上のPCで5冊だけやると決心。栃折久美子さんの本を読んで、道具を百円ストアで揃えたのが3ヶ月前のこと。
 だが、まだとりかかってていない。そうか、どうせやるなら皮の特装本でつくるぞ。装丁がすごいのなら厚さもいるし、中味もそれなりにしなくちゃ。
 実は父の遺品に、三回の戦場体験の手記があったので、手製ブックレットにして息子や従兄妹に配ったのだが、今度はこれに自分史も加え水増しして大河小説仕立てにすると、それなりの厚さの本になりそうだ。これはなかなかの大プロジェクトである。
 問題は、締切がないので原稿が上がらないおそれがあることだが、人生の締切が近い年頃とも気がついている。
 果たして手製特装本はこの世に出現するか、本当に幻となるか。(伊達美徳 本屋徘徊老人ときどき越後に米つくり73歳・横浜市)

 これに対して、発行人の浜本さんから、「プロジェクトの成功を祈っております」とコメントがついていた。
 文中の新潮社『幻の特装本』とは、新潮社では自社発行の単行本で10万部を突破したベストセラーには、革で特別に装丁した本を4部を作り、2部を著者に寄贈、2部を保存するのだそうだ。
 その革で装本する職人芸をイラストで紹介した記事のことである。下手くそでもいいから、わたしもやってみたい。
●参照→325まちもり叢書縁起

●自家製ブックレット「まちもり叢書シリーズ

2010/10/30

343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した

 昨年4月にこのブログに「118父の遺品の蛇腹写真機」を掲載した。
 それをご覧になった方からメールをいただいた。承諾を得てその一部を引用する。

ご尊父の遺品のカメラですが、戦前に私の祖父が経営していた山本写真機製作所の製品の錦華ハンドカメラに間違いないと思います。1933年ごろの製品です。神田小川町に所在し、近くの錦華公園に因んでKINKAと名付けたようです。山本」(抜粋)

 おお、そうであったか。「日本製だろうか」と書いたけど、れっきとした国産であったか。身元がわかって嬉しい。
 さっそくウェブサイト検索したらCamerapediaというサイトがあり、そこにKinka plate foldersなるページがある。はじめのほうにこう書いてある。

The Kinka (錦華カメラ) 6.5×9cm plate folders were made in the early 1930s by Yamamoto Shashinki Kosakusho. One source says that they were released in 1931. The company later made a number of other cameras under the Kinka brand: see Kinka Lucky, Kinka Roll and Semi Kinka.」

 これによると錦華カメラは、1930年代に山本写真機工作所が製造販売したらしい。
そこにカメラ雑誌の「アサヒカメラ」1932年6月号に載っている広告の画像があるので引用した。
 このFAMOSEを辞書を引いても分からないが、FAMOUSの書き間違いだろうか。
 父がカメラを買ったのは、多分、初めての子が生まれた1935年だろうから、山本さんのメールにある1933年ごろの製品とすると年代的には合う。

 ここに載っているカメラと父のカメラとは、形はソックリだけど、部品はちょっと違うようだ。
 父のカメラのレンズは、Munchenとあるからドイツ製らしいが、シャッターはELKA T.B.C.T.とあって、Camerapediaで調べると製造所はよく分からないが日本製とある。

 値段もわからないが、広告にあるものと大差ないとして30余円だろう。
 物価の差を調べてみると当時の葉書が1銭5厘、今は50円だから3333倍、とすると30円の3333倍は10万円か、高いようにも思うが、今と違ってカメラは珍しい頃だからそのようなものだろう。

 父はどのようにしてこれを買ったのだろうか。昔、高梁の新町に写真機店(店名を忘れた)があったから、あとあと乾板を買う必要もあるからそこで買ったのだろう。
 現像と印画は家でやっていたようだ。薬や印画紙がたくさんあったが、少年のわたしが玩具にして露光させてしまった。
 なんにしてもインターネット時代はすごいものである。普通なら古物写真機マニアにしか分からないことが、こうやって分かるのだから。


2010/10/29

342【各地の風景】新潟の裏路地と巻町の鯛車を見てきた

新潟に行ってきた。毎年、各地持ち回りでやっている「全国路地サミット」なる会合である。
 昼間は路地をうろうろと歩いて、夜は飲む会である。それだけではまずかろうと、飲む前に一応のシンポジウムのようなこともやる。
 言ってることはいつも同じで、狭い路地はいいなあ、飲み屋もあるし、酔っ払っていても車は入らなくて安心だと、その開催した街の裏路地が好きなノンベの変人奇人たちがジマンするのである。

 新潟にもその類の男や女がいて、全国各地から来た物好きも入れて200人ばかり集まった。よそから来た奴も自分ところの路地のほうが狭い長い汚い綺麗とかなんとかジマンする。
 新潟の古町・本町あたりは、表通りは立派な中心商店街であるが、そのすぐ裏に入ると怪しげなお兄さんが客引きしたり、料亭・置屋・揚屋などの花街になるのが面白い。
 夜の宴会は、いまはもう閉鎖している待合をわざわざ開けて、仕出料理を取ってやった。さすがに新潟芸者を呼ぶには金の足りない会議であった。

 来年は東京の向島でやることに決まった。あそこは江戸時代の田圃がそのまま町になったところで、路地でないところを探すほうが難しいくらいである。
 あくる日は巻町に行った。鯛車でまちおこしの意気込みが面白かった。鯛車は新発田の金魚台輪が鯛になったものだが、大きさが断然違うのであった。

参照→住民による住民のための観光・巻町を歩く

2010/10/27

341【各地の風景】信州山中の金ぴか御殿

 信州安曇野の東隣あたりに、今は松本市に吸収されているが、四賀村というのんびりした農山村がある。
そこのクラインガルテンで野菜つくりと絵描きをしている旧友がいる。
 その娘夫婦は、いわゆるIターンでこの村にやってきて住み着き、専業農家をしている。いまどきそういう若者たちがいるのである。日本の将来は明るい。
     

 そこへ旧友の作った野菜を仲間で食べに行く「収穫祭」と称する小旅行を毎年やっている。
 この村は松茸の産地である。今年は松茸が豊作とて、夜は市営のその名も「松茸山荘」に泊まって、松茸料理コースを堪能(?)してきた。
 このあたりは昔は善光寺街道の宿場であり、今も伝わる古寺や街並みも魅力的である。
 食べるだけでなく、近隣の古社寺や隣の安曇野に美術館をたずねる文化的なこともやる。
だがなんといっても、田園の人文と山並みの自然が織りなす四季の風景がすばらしい。風景を描くのが好きな旧友がここに来たわけも分かるような気がする。
 
   ◆
 そのようなのどかな農山村の中を徘徊していると、突然、白亜に金ピカと彫像装飾だらけの西洋の古城が出現した。
 信州ゴールデンキャッスルと看板がある。つまり金ぴか御殿か。
 ふ~ん、こんな山の中でラブホテルかよ~、それもいいかもなあ、なんて近寄ってみんなで車を降りて立ち並んで、その周囲の風景との対比のスルドサに呆然として眺めいる。
 ヨーロッパのどことかのお城みたいだ、あ、ノイシュバンシュタイン城なら行ったことがあるぞ、でもちがうなあ。

 

 ゲートあたりでうろうろしていたら、中から宮廷衣装のお姫様ならぬ普通の洋服を着た女性がでてきて、案内パンフレットをくれる。
 聞けば、この地はなんとあの伝統ある居酒屋チェーン「養老の滝」の創業者である会長の故郷であり、その関連会社が経営する結婚式場だそうだ。
 まあ、ラブホと縁がないでもない。この白亜西洋古城風彫像行列デザインは、その会長さんのご趣味であるとのこと。

 裏山も西洋風か日本風か分からない豪華な造園をしておられて、庭のあちこちになんだか値段が高そうな銘石類を配置というか展示してあり、ひとつひとつに名札を立てておられる。ついでにお買いになったお値段も書いてくださると分かりやすいと思った。

 多分このあたりの大地主さんだろうから、これからは裏山のほうばかりではなく、周囲の農家も田圃も全部に手入れをしていただいて、田園はベルサイユ宮殿ばりの花咲き池のある大庭園に、家屋は西洋農家風にフランス瓦とスタッコ壁で緑の窓枠なんて模様替えして下さると、実によろしい様な気がいたしました。

2010/10/25

340【各地の風景】上高地に山岳部時代思い出センチメンタルジャーニー

 何しろ晩年を迎えているのだから、特に深刻でもないが、今のうちにできることをしておこう思う。そのひとつにセンチメンタルジャニー、つまり感傷旅行がある。
 若い頃に訪ねて印象深かったところを、もういちど訪ねて、わが人生を振り返るのである。振り返ってどうするってことではないが、まあ、身体能力の差を明確に確認することはできる。
    ◆
 信濃から越後へと1週間の旅をぶらぶらとしてきたが、その中で日本アルプスの登山基地である上高地を訪ねる感傷旅行をした。
 半世紀以上も昔になったが、大学山岳部の春合宿で、初めて上高地に入り、帝国ホテルに泊まった。といっても積雪期はホテル営業はしていないし、たとえ営業していても学生が泊まれるところでもなかった。泊まったのはホテル管理人の家であった。登山者たちを泊めてくれていたのだ。
 その後、いつの日か上高地帝国ホテルに泊まりたいと思っていながら、いまだに果たせていない。それで今回は遂にその宿願を果たした。というのは嘘で、松本駅前のビジネスホテルに泊まっての日帰りであるのが、情けない。
 上高地までバスで行き、帰りのバス時間を決めておいて、その間で行き着けるだけ行って戻ってくることにした。
なんだか東京繁華街並みのにぎやかな河童橋あたりを抜けて奥へ奥へと歩き出す。
 紅葉が美しい林の中を植生を楽しみながら、ときどき林が切れて梓川と穂高の山並みが顔を出す雄大な風景を楽しみながら、徳沢園まで6.5km、往復13kmを歩いた。

    ◆
 昔々、初めて上高地に入った山岳部合宿のときは、西穂尾根に登って西穂高岳まで行く予定は、尾根の上で吹雪の日々が続いてテントに閉じ込められて敗退した。もちろん島々から重い荷物を背負って雪道を徒歩で往復である。
 次の年の夏は剱岳から縦走してきて、横尾にテントを張って屏風岩を登攀した後に、歩いて上高地に下り、更に歩いて島々まで下った。
 その秋だったか、島々から徳本峠を越えて上高地に入り、涸沢でテント生活数日、北穂高岳滝谷の岩場登攀、奥穂から槍ヶ岳に縦走して帰ったこともあった。
それが今ではもう下から眺めて、それらの思い出を心の中で反芻するだけの、センチメンタルジャーニーである。もし次のチャンスがあるならば、せめて横尾から屏風岩の下まで行って見たい。往復20kmを超えるが。

2010/10/18

339【世相戯評】ミラノとベルガモを間違えたように羽田と成田を間違うよ

 羽田空港が国際化されて、成田と両方が国際空港になるそうだ。不案内の外国人が困ることが起きるであろうと、他人ことながら気になる。
 それは、わたしが困ったことがあったからだ。

 ミラノにはマルペンサとベルガモの二つの空港がある。あれはもう15年ほども前のことだったか、知人と二人でフランクフルト経由でミラノに降り立った。
 ミラノ都心までバスで行く予定にしていたので、バスターミナルに行った。

 ところが事前に調べていたミラノ都心行きのバスが見つからない。そのあたりの人に聞いても、そんなバスはない、ミラノ空港行きバスならあるという。
 だってここはミラノ空港だろう、何言ってるんだよって、数人に聞いても同じようなことを言って、なんだかよく分からない。もちろん言葉が通じにくいのは当たりまえ。

 どうも変なので、空港の中まで引き返して案内所で聞くと、分かった。
 ここはミラノ空港ではなくて、ベルガモ空港だという。え、ミラノじゃないの?
 なんとまあ、ミラノが霧で降りられなかったので、ここに降りたという。だからミラノ空港までのバスで行って、そこから都心に行けというのだ。

 こちらはてっきりここはミラノ空港だばかり思い込んでいて、その前提で人に聞くから、変なことになっていたらしい。間違いの原因はこちらにあった。
 でも、それならそれと飛行機の中で言いそうなものだと思ったが、考えてみるとフランクフルトで乗り換えたのが、ヨーロッパ内のローカル線なので、こんなことはよくあることとて、放送はしたのだろうが、ごく普通の調子であったのだろう。こちらはそれに気がつかなかった。

 羽田に下りたはずが成田だったの感じで、ずいぶん距離は違う。そんな間違いがこれからありそうだ。