2013/06/04

787陸前高田の「奇蹟の一本松」レプリカ復元保存はどのような意味を持つのだろうか

陸前高田市では、3・11津波によって、ご自慢の「高田の松原」が壊滅した。
その中で、1本だけ突っ立っていていて、感激させた松も塩枯れしたのだが、これを「奇跡の一本松」と名付けて、レプリカ復元工事が完了したそうだ(2013年6月4日のニュース)。
 そこには「奇跡」として、多様な被災者たちが、それぞれの多様な物語を、このレプリカに込めていればこそ、1.5億円もかけても復原したかったのだろう。
 松も土地もユースホルテルのものらしいが、だれが管理するのだろうか。

 その復原工事の最後に、ひと騒ぎあったとのこと。
  くだんの枯死した松は切り倒されて、どこかに持って行って、幹や枝はプラスチック注入強化され、鉄の心棒を差し込まれ、葉は(たぶん)プラスチックでコピー再現された。つまり松はサイボーグになった。
 そしてまた元の場所に戻ってきて、元の姿に組み立てられた。
 ところが、市民から異議が出た。枝ぶりの曲がり方が、以前とは違うというのだ。やり直してどうやら完成したようだ。

 どうも地元でも、これについては復元是非論があるらしい。余所者のわたしには、この一連の事件を理解することは難しい。
 どんな気持ちが込められているのか、一人一人違うだろうから、それを類推しても仕方ないのでよそ者なりの感想を書く。

 この続きは「東北に大津波被災地を訪ねて【陸前高田】」https://sites.google.com/site/dandysworldg/rikuzentakada


2013/06/03

786こんな英文借金お願いメールが来て国際的な振り込め詐欺に引っかかりそうになった

 5月29日のこと、下記のような金を貸せとのBccメールが来た。発信者は、1か月半ほど前に旅先で初対面の方である。

Unexpected Sad Trip!!! Need Your Help!!!

 I really hope you get this fast. I could not inform anyone about my trip, because it was impromptu. I had to be in Manila, Philippines for a program. The program was successful, but my journey has turned sour. I misplaced my wallet and cell phone on my way back to the hotel i lodge in after i went for sight seeing. The wallet contained all the valuables things i have. Now, my passport is in custody of the hotel management pending when i make payment.

 I am sorry if i am inconveniencing you, but i have only very few people to run to now. i will be indeed very grateful if i can get a loan of $2000  from you. this will enable me sort our hotel bills and get my sorry self back home. I will really appreciate whatever you can afford in assisting me with just let me know what you can afford. I promise to refund it in full as soon as I return. let me know if you can be of any assistance. Please, let me know asap. Thanks so much..

 このあとに、お名前と東京の住所が書いてある。
 発信者の方は大学名誉教授であり、弟子だけでも多くいらっしゃるだろうに、Bccであるにしても一回会っただけのわたしにまで、送金依頼とは常識的にみてもヘンである。

 ご当人をよくは知らないのだが、この英文をしげしげと読みかえしても、発信者を特定させるところが全然ないし、ホテルの名前さえもない。
 どうもこれはインチキ偽メールであるにちがいない。とは思えど、気にはなる。どうしようか、誰かに聞こうかなどと、少し思い悩んでいた。

 6月2日夜、ご当人からBccメールが来て、やっぱりインチキ偽メールで、メールアカウントを乗っ取られた結果だそうだ。
 アメリカで多発している国際的振り込め詐欺の一種という。返信したら振込先を教えてくるのだろうか。
 ま、気を付けましょう。と言っても、どうすれば、、。
 あ、6月2日のメールが本当にご当人からなのかしら、、なんて。

追記:(130604)
「外務省海外安全ホームページ」
http://www.anzen.mofa.go.jp/の「フィリピンに対する渡航情報(危険情報)の発出 2013年03月08日」という記事があり、そこにこう書いてある。
(4)その他(振り込め詐欺と思われる標的型メール)
 2012年以降,実際に存在する個人のメールアドレス(Yahooなどのウェブメール)を用いて本人になりすまし,その家族及び知人等に対して外国送金を依頼するといった振り込め詐欺と思われる事案につき報告が寄せられています。
 メールは英文で書かれており,その内容は,概ね,フィリピンを旅行中に強盗被害に遭い,所持金を盗られてしまい困っていると切り出した上で,帰国旅費,ホテル等の支払いにお金が必要であるとして,外国送金サービスや指定した口座に至急振り込みをして欲しいとするものです。
 万が一,この種の内容のメールを受信した際には,メールの内容を鵜呑みにせず,まずは本人に事実関係を確認する等十分警戒する必要があります。


2013/06/02

785めったに見ないTVを見たら5千年前の凍死男が素っ裸でいじくり回される映像にちょっとびっくり

 
 10年くらい前、「五千年前の男」という本を買って読んだことがある。
 日本だと縄文時代か、ヨーロッパアルプスの氷の中から、5000年間凍ったままの死体を発見した物語である。詳しいことは忘れた。
 昨夜,ふと新聞TV欄に「アイスマン」の番組があることに気が付き、久しぶりにきちんとTV番組を見た。
発見したのは1991年で、あれから冷凍保存してあったのを、このたび初めて解凍して、あれこれ調べて新発見があったという。
 その死体発見から解凍、検査などの一連のことを映像にした番組だった。本の写真で見ていた死体が、映像で生々しくでてきた。
 当時の生活という考古学的発見から、実は殺されたらしいなんて猟奇的発見など、類推も含めていろいろ興味深い事実がわかったらしい。
 それはまあ、現代科学技術で可能なことなのだろう。

 わたしはそんなことよりも、面白いというか興味持ってみたのは、素っ裸の死体がいじくりまわされ、切りとられる様子を、そのまま映像にして公開していることである。
 TV番組をほとんど見ないから知らないのだが、こういう類のTV映像は、今では当たり前なのだろうか。
 5000年前に死んで、たぶん、もう親類はいないから、プライバシー侵害だと抗議は来ないだろう。

 それにしても、死体をこうやってTVで見ることが、当たり前の時代になったのかしら。わたしはリアリストだから平気だが、世間一般に平気な時代になったのかと、ちょっと気になったのであった。
 今に、現代死人も何か珍しいことでもあれば、こうやって公開映像に出るかもしれない。いや、もう出されているのだろうか。
 TV界文化の進歩はすごいもんだ。


 
 

2013/06/01

784道端で変な人に言い寄られたがこれは押し売りとか詐欺とかのきっかけづくりか

 知人がFACEBAKAに、新手の詐欺師かなにかに出会った話を書いている。
 路上で呼び止められた人から、突然500万円の札束を見せられて、奇妙に思い急いで立ち去ったというのである。
 それでわたしも思い出した、似たような、似ないような話をここに書いておく。

 10年ほど前、東京虎ノ門近くのNPOの本部に出入りしていた頃のこと。
 歩道を歩いていると、すっと寄ってきた乗用車に中年男2人、「シャチョーシャチョー」という。
 他に人はいないので何事かと寄れば、窓から小さな箱を手で突き出している。
「近くにたくさん卸しに行ったのですが、余ったのでさしあげます。どうぞ持って行ってください」

 その箱の中には、高級万年筆のようなものが見える。押しつけてきて、「ちょっと他にもあるのですが見てください」とて、ごそごそして、「それをさしあげますから、こちらを安くするので買ってください」という。
 はは~ん、新手の押し売りかと、箱を投げ返して、すたすた逃げた。

 それから1か月くらい、同じところで車から「社長、社長」、…「あんたねえ、わたしを覚えてないの?」と言い捨ててすたすた。
 それからまた数日して同じことがあったが、こんどはゲラゲラ笑ってしまい、向こうも苦笑。

 そして今年2月、代官山を歩いていると、すっと寄ってきた乗用車の中年男二人、「社長、社長、これさしあげます……」
 おお、今はこっちに河岸を変えて、まだ頑張ってるのかい~、サイナラー。
 それにしても、わたしは、ひっかけやすい風体なのだろうか。5度目に出会ったら、じっくり聞いてみたい。


2013/05/31

783国会議事堂・首相官邸周辺での原発反対デモはまだまだ続いている

原発やめろ~
福一事故は終わっていない~
福一事故の補償も終わってない~
福一事故被害に見合う補償をしろ~
 
シュプレヒコールが国会議事堂の壁に反射している。今日は定例金曜日、国会周辺原発反対デモの日、昨年7月から久しぶりに行ってきた。
 この前にきたときは議事堂正門前だったが、今日は気分を変えて、議事堂裏の首相官邸公邸前である。
 この前とは違うところだから比較できないが、参加者数は少なくなったようだが、衰えぬデモ風景である。継続している主催者の努力に頭が下がる。

 隣に日の丸の旗を振りまわす男がいる。
「原発反対に右も左もないんだよ、おれは月に1回は来てるよ」
 そのとおりだけど、なんだかあの珍妙な(一度だけだが横浜で遭遇したことがある)ガイジンヘイトデモとかみたいで違和感がある。
 まあ、このデモも原発ヘイトデモではあるが、。

参照「半世紀ぶりの国会デモ」http://datey.blogspot.jp/2012/08/6501960.html


2013/05/30

782白内障手術でよく見える眼になったが鏡の中のあのイケメンのオレはどこに消えたのか

 白内障両目手術での医者通いから、ついに卒業した。
 最初の検査が去年7月、手術が9月、予後の検査がやっと終わったので、あれからから10カ月である。 
 なにしろ医者なるものにはめったに行かないし、体内にメスが入って入院なんて、わが身には前代未聞であり、実に興味深い面白い一大事件であった。

 昨日が最後の検査、視力は両目とも裸眼で1.2、眼内を覗き込んだ医師が言う。
「ああ、きれいですねえ、レンズを覆っている膜に1年くらいで濁りがでることがあるのですが、両目ともきれいなものです。はい、これでおしまい、卒業です」
 というわけで、日常生活は眼鏡なしで遠くも近くも見える。

 問題があるのは、鏡の中のわが顔を見て、その老醜に愕然とすることである。そんなもの、よく見えるようにならなくてもよいのに。
 だんだんとその老顔にも慣れてきたが、それにしてもあの鏡の中にいた美少年のオレは、どこに行ったのだろうか。
 若いころは視力2.0であったから、駅で線路向こうプラットホームにある時刻表を読めたものだ。だからリアリストであったが、老眼になり乱視になり白内障になってロマンチストになっていただろうに、またリアリストに戻ってしまった。

 もうひとつ問題は、風景が深みに欠けてきたことだ。白内障手術前には、色彩に奥行と深みがあったのだが、手術後はどうも浅薄で明るいのだ。極端に言えば、油絵が水彩になった。目玉の濁りが無くなっったかららしい。
 若いころはこう見えていたのだろうから、その日を取り戻したことになるので、まあ、良しとしようか。これはもう手術前の記憶が薄れて、今は気にならない。

 眼の調子が眩しい暗い濁るボケるなんて、白内障かもしれないってお方は、わたしの白内障手術の一部始終をこちらからご覧ください。なにか参考になるでしょう。
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo

2013/05/29

781南海の虎がもうすぐ暴れてそこらじゅう壊して水浸しにするらしいが明日か20年後か予測がつかない

 こういう図が何度も出てくると、だんだんと不感症になりそうだ。
 今朝(2013/05/29)の朝日新聞に載った、南海の虎が暴れたらこんなになるンだぞ、という恐怖予想図である。覚えのためにここに載せておく。

 3・11以来、パンドラの箱か地獄の釜かの蓋が空きっぱなしになって、津波やら火山やら原発稼働やら地滑りやら洪水やら子殺しやら憲法改悪やら、コワいぞコワいぞなんとかしなくちゃ災害情報が、次から次へと出てくる。
 ええい、勝手にしてくれと、言いたくなる。

 でも情報を拒否はしない。不感症になってもきちんと見ておかなくっちゃ、とは思うのである。それは、自分が死ぬ原因くらいは知っておきたい、と思うからだ。
 わたしのこれまでの人生は、戦争直後の少年時の空腹の日々はひどかったが、そのほかはそれほど悪くはなかったのに、これはどうも最後に来てどえらいことに遭遇しそうだ。
 まあ、こちとらは歳が歳だから、明日にでも閻魔さまがこちらに避難しなさいって、お迎えにいらっしゃるかもしれないが、あの世の地獄とこの世のそれとどっちがいいかなあ。

 明日にでも南海の虎が暴れるぞって、その筋の専門家たちがもう20年くらい言ってるような気がするが、待ちわびてるのじゃないけど、まだ来ないのかよ~。
 とうとう、先生たちも、もういつ来るか予測がつかないよ~、って匙を投げたと、今日のニュースである。
 まあ、人間の時間と地球の時間とが、あまりにスケールが違いすぎていて、とても人間の時間で測れないってことだろう。

 

2013/05/28

780いったん出した鎌倉世界遺産登録推薦を成績不良だって取り下げるってカッコウ悪いだろうなあ

 「不登録」というのか、「不記載」というのか、分かりやすく言えば「失格」か、鎌倉世界遺産登録「逆お墨付き」が、ユネスコから出てきそうな騒ぎになっている。
 当局はしょうがないから、逆お墨付きが出てしまう前に、こちらから登録推薦の取り下げをすると決めたそうだ。
 大学入学試験の1次テストの成績が受験資格剥奪になりそうなほど悪すぎたので、2次テスト辞退して、傾向と対策の勉強しなおして、また先々に受験しなおすってことか。
 

熊さん「ねえ、ご隠居、もういつになるか分からないけど、こうなりゃ、このままず~っと世界遺産登録運動し続けるってのも、まちづくりの前向きの動機になって、なかなかいいかもしれないって、あたしゃ思うんですよ」
ご隠居「そうだね、もたもたしているうちに200年もたって、歴史文化感が変わってしまう、鎌倉時代よりも昭和時代のほうが遺産価値がある、なんてことになるかも」
ご隠居「その間に、本気で世界遺産に登録したけりゃ、ああもしよう、こうもしよう、そうもしようって、誰もかれもが一緒になってお節介さん(世界遺産)に、、、なんてね」

 
●裏長屋の世界遺産談義(2009/12/05)
http://homepage2.nifty.com/datey/kama-sekaiisan.htm
●鎌倉若宮大路景観戯造
http://homepage2.nifty.com/datey/keikangizo/wakamiyaoji.htm

2013/05/27

779中越震災から再生した山里の棚田で田植えして東北震災地の農業のことも気になった

 今年も山里の棚田で田植えをしてきた。2004年中越大震災復興の手伝いが縁で仲間たちと行くようになった、長岡市小国町法末集落である。
 ひんやりとした田んぼの泥水の中に両脚を踏ん張り引き抜きつつ、黙々と早苗を植え進んでいく。近くの林からカッコウ、ウグイス、ホトトギスのさえずりがひっきりなしに聞こえる。
 晩春の陽にゆるゆる照らされ、草木の緑に染まるほどに囲まれて、静謐な山里の風景に自分が融け込んでいることがわかる。

 もちろん遊びの米つくり(GIFアニメ参照)であるが、今年でもう8年目である。
 3段の小さな棚田を合わせて7アールの広さだが、10人ほどで1日半の田植え作業は、8年前のわたしに比べるとそれなりに年とったので、あの半端な中腰の姿勢を続けると、体にこたえることおびただしい。アミノバイタルを飲んだくらいでは効かない。
 周りの田んぼはどこも機械農業の中で、この3段棚田だけが手で植えて、手で刈って、自然乾燥という、古典的な手法をつかう米つくりである。
 もっとも、はじめは手による草取りもやっていたが、さすがにできなくなって今は除草剤を入れている。

 
 田植えしてきたといっても、田植えまでには現地でいろいろな作業がある。それは現地住まいの仲間がやってくれる。
 次は稲刈りだが、そこにいたるまでにはいいろいろと日常作業がある。植えておけば稲が勝手に育つのではない。
 夏には緑、秋には黄金の敷物で覆われる美しい棚田風景は、天候を見ながらの絶え間ない管理があればこそである。

 だが、集落のあちこちの棚田が耕作放棄されて、草が生い茂り、萱原となり、木々が育つ風景が見える。農業機械が入らない場所や、震災で水の道が絶たれたり、営農者が高齢化しても後継者がいないなどが主な原因である。
 営農をしたいと新住民が入るには、豪雪の棚田の山里はなかなかに難しいようだ。でも、冬は近くの街の中に住まい、雪解けになったら山里に住んで農作業するという生活スタイルはありうる。
 現に山里生まれ育ち山里住まいであった人たちの中で、街に住まいを持ち、いわゆる2地域居住をしている人たちもいる。

 今、こうして平和な風景だが、2004年からの数年は、今、東北地方で起きていることがここでもあったのだ。地が割れ、棚田は崩れ、道が切れ、家が傾き、集落全員が避難所生活を強いられた。
 話題は漁業集落のことが多い東北でも、実は農業集落で広大な農地が津波で潮をかぶって被災している。
 中越地震被災の山里では、崩れた棚田をブルドーザーが動き回り、幾何学的な棚田に作り直した。風景としては味気なくなったが、農作業をしやすくなった。営農者は減ったが、棚田面積は増えた。
 さて、東北の津波塩害農地は、どう復興するのだろうか。

 

参照:中越山里の暮らしコラム


 
 

2013/05/24

778昔々山岳部のオレも三浦雄一郎みたいに広告媒体になってもいいからヒマラヤに登りたいものだ

 三浦雄一郎なる80歳の年寄りが、チョモランマ(ネパールから登ったのだからエベレストじゃない)に登頂したとて、報道屋が騒いでいる。
 先般、ネパールに行ったが、聞くところによれば、近頃はヒマラヤの高峰でもカネさえ出せば、シェルパたちが背負って連れて行ってくれて、ヤッコラサと押し上げてくれるのだそうだ。あ、三浦さんのチョモランマのことじゃないよ、あくまで一般論、、。

(この写真は本文と関係ありません。2011年4月にわたしが撮ったポカラから見るヒマラヤ)

 ポーラー法登頂時代から、ルートハンティング時代になり、無酸素とか単独行とかのプロフェッショナル時代も過ぎて、今じゃあヒマラヤ高峰に登るのは女性でも珍しくない時代になった。
 だから、年齢とか回数とか特別のことだけがニュースネタになる。

 そしてただ今のニュースでは、現地で81歳の男がチョモランマ登頂準備中だそうだ。ネパールの人だそうだから、もしかしたらシェルパか。
 考えてみると地元のシェルパの登頂はニュースにならないが、かれらはもう何十回もそして超高齢者も登頂しているに違いない。
 次は若さ競争になって、少年が、いや乳幼児が登頂する時代になるんだな。

 今朝の朝日新聞(2013年5月24日)の一面に大きく、三浦さんが旗を持っている写真が載っている。そこにこの登頂の金蔓らしい企業名などが書いてある。(こちら
 なになに、酒屋、原発屋、金貸し、車屋かよ、、、ふ~ん、なるほどそうか、マラソンのゼッケンと同じで、これも広告媒体の三浦さんであったか。
 ああ、昔々山岳部のオレも、チョモランマ登りたいなあ、、だれか、、。
 
参照→156昔山岳部 
http://datey.blogspot.jp/2009/07/156_18.html