2011/02/03

375八百長相撲とプライバシー

 新聞に八百長相撲の証拠とて、相撲取りが出したEメールの内容がそのまま掲載されている。
 これって明らかに私文書であり、勝手に公開しても良いものとは思えない。プライバシーの侵害である。
 犯罪行為に関わっていて世の人々に注意を喚起する資料ならともかく(それでも公判で公開されたのでもないし)、そうでもないのにこういうことが許されてよいのだろうか。
 まさかメールの発信者が公開OKしたのではあるまい。
 相撲には興味はないが、新聞記者はどこからこれを手に入れたのか、警察からなのか、警察なら犯罪と決ってもいないのに私文書を本人の承諾なしに公表してもよいと、法律にあるのだろうか。
 八百長相撲の証拠がのこると分っていながら、Eメールに書き込むバカもバカである。
 相撲が国技だから神聖だなんていってるほうがおかしいので、いまや国際技であるのは見れば分ることだ。だからショーである。
 息子からメールが来た。曰く。
 また伊藤先生が忙しくなりましたねぇ。ま、いまさら相撲界の八百長なんて騒ぐのもどうかと。伝統ある互助制度みたいなものですから。
 まったく、伊藤先生と来たら何をしてしていらっしゃるのだか、うっかり理事なんて引き受けて後からあとからでてくるバカ事件にバカらしくなってほとほとお困りなのか、いや、先生のことだからもしかして面白がっておられるのか、どっちなんだろう。

374ニコタマ

 新聞に「ニコタマ」と大きな見出しが書いてある(朝日新聞2011年2月3日朝刊東京版)。
 東京の二子玉川のことを、ちかごろは堂々とこういうらしい
 わたしの若い頃は、これは隠語であった。
 だってさあ、ニコタマってアレのことだよ、え、わからん? じゃあはっきり言っちゃうけど金玉、え、金の球かって、じれってえなあ、睾丸だよ。
 むかしの二子玉川の略称は「フタコ」といっていた。そのころ東急には「多摩川園」駅があって、それと混同を避けるためだった。
 それをニコタマと言い出したのは誰がいつからか知らないが、わたしたちの世代が二子玉川をわざわざニコタマって言った頃は、卑猥ななにかがあったもんだよなあ。
 言葉は時代と共に変わる。卑猥言葉が普通言葉になった例である。

373積雪4メートル

ものすごい雪
最新情報の中越山村・法末集落のわたしたちの活動拠点の風景
左に見えている三角屋根は2階の上

こちらは2008年の1月の同じ風景
このときもすごい雪と思ったが今年に比べると幼稚園なみ
参照→山村の豪雪風景を見て考えこんだ

2011/01/31

372暖尻便座

 腰掛型便器の尻の当るところを便座と言うらしいが、ここにヒーターを備えて暖かくした「暖房便座」なるものが普及したのは当然であろう。
 文字通り便を利する便利なものである。あのヒヤッとしたのが清潔感があるといっても、冷たさには負ける。
 で、メーカーがつけた名称が「暖房便座」というのだが、不思議なのは、いくら設置する部屋が狭いといっても、あんなちゃちなもので房つまり部屋まで温まる「暖房」になるものだろうか。
 わたしの住む家にもあるが、そのものは暖かくても、暖房になっていることはない。
 もしも便座で暖房できるほどに熱くしたら、尻をやけどするにきまっている。
 名称を暖房便座ではなくて、暖尻便座に変えるべきである。
 誇大広告であるとしか思えないのだが、消費者庁はどうして取り締まらないのだろうか。
 それとも、わたしの家のものが尻だけ温かい欠陥商品なのだろうか。
   ◆
 コタツは暖房器具かという問題もある。たしかに60センチ四方の布団の中の部屋を暖めるが、あれが暖房器具だろうかなあ。
 アンカはどうか。あれも布団の中の20センチ四方ほどの部屋を温めるから暖房器具かしら。
 どちらも正確には暖房ではないから、誇大広告に相当するといってよいだろう。

2011/01/30

371歯抜け爺

 わたしの口中の唯一の義歯であった一本の前歯が抜けたままで、もう半年である。機能的にはなんの差支えがないが、容姿がちょっと気になる。大口を開いて笑いたくない。
 歯医者が言うには義歯を入れるには、ブリッジとか言って義歯の両側の歯を切って、3本くっついた義歯を作り、両側をきった歯の根につけるのだそうだ。まだなんともない歯を2本も切るのに抵抗があって、そのままにしてきた。
 歯抜け爺にはよく出会うものだが、自分がなってみてこういうことから起きると分ったのである。
 45年くらい前に名古屋の繁華街の真ん中で転んで、立ち上がったけどどこも傷はないが、しばらく歩いていて前歯がないことに気がついた。妙な転び方をしたものであるが、差し歯をした。
 この抜けた前歯の義歯は2代目で、はじめのは10年足らずで外れて、新しく入れなおした。だからこれは35年くらいもったことになる。
 これから入れる義歯が35年もっても、そのかなり前にわたしは必ず死ぬはずだ。さて、ブリッジなる義歯を入れたものかどうか悩んでいる。

2011/01/25

370参詣道

江ノ島に久しぶりに行った。橋を渡っての門前町の賑わいは、平日なので今ひとつであった。

 ここの門前町の風景は清水のそれとよく似ている。わずかに曲りつつもだらだらとした狭い登り坂の両側に土産物屋が並び、向うに目的の神社の鳥居や門が見え隠れする。

 この賑わいと見え隠れが、歩いていて楽しいし、参詣する社寺の境内へと誘導してくれる。

 浅草観音や長野善光寺も坂ではないが、両側の土産物屋の賑わいの向うに大屋根がいつも見えている。この両方とも軸線が明快で、いつも目的が見えているのがちょっとつまらない。
四国の金毘羅神社の参道は、長くて変化のある楽しい階段坂道が続いていて、わたしは大好きである。

 しかしそれは上のほうであって、下のほうの両側に商店が並ぶ石段の坂道あたりは、日よけがいっぱいぶら下がったり天井を作っていて、先がまったく見えないので楽しくない。

 商業主義で参詣道の本質を殺してはいけない。

2011/01/23

369Eメールのお行儀

 酔っ払ってEメールを送らないこと、これは自戒である。むかし、酔っ払いメールを送って、その書き方でトラブルになったことがある。
 でも問題は、酔っ払うと自戒を忘れてしまうことである。PCに自戒を書いた紙を貼り付けていても、見るのを忘れる。どうしようもない。
 Eメールの書き方については、まだルールができていないようだ。お行儀が悪いものがおおい。
 わたしがEメールを始めたのは30年も前のワープロ通信時代からだから、経歴は長い。Eメールも手紙の一種として、その書き方をEメール流にアレンジしている。
 しかし世の中には、手紙を書く習慣を忘れたか、もともと知らないか、そういう時代だからか、手紙ならぜったにしないだろうとおもう文章が来たりする。
 句読点もない、改行もないだらだら文章や、親しくもないのにガキが使うような挨拶文句だったり、目上には使わない言葉遣いだったりするのだ。
 出すほうはそれでよいと思っているから、どうしようもない。いちいち教えるのもアホらしいから、苦笑するだけである。
    ◆
 いわゆる迷惑メールは排除システムができたから昔のようにいちいち消す必要はなくなったが、腹が立つのは、手紙でダイレクトメールに相当する、宣伝メールである。
 勝手に送ってきて、これから送ってほしくないならその手続きをしろ、と言う失礼なヤツである。即座に迷惑メールに登録して以後届かないようにしてしまう。
 それにしても、迷惑メールの多さはすごいものである。題名だけ読んでもいろいろあるから同じやつが送っているのではないらしい。
 あんなにたくさん送るのは自動でアドレスを採集し自働で送信するのだろうが、もとの文章は誰かが書いているのだろうから、なんとまあ熱心なものである。あれでひっかかる人がいるものだろうか、そこが不思議である。
 手紙の書き方、Eメールの書き方を、家庭や学校でちゃんと教えなければならない時代になっているが、やっているのだろうか。
 あ、そうか、教える世代がメールを使えないのかもなあ。

2011/01/17

368大雪の賽の神とお茶会

 今年の新潟は昨冬にも増しての大雪、その長岡の法末集落の小正月年中行事に行ってきた。
 わたしたちの震災復興支援仲間の活動拠点の「へんなかフェ」は、すっかり雪のふとんをかぶり、雪の綿の中に沈みこんでいる。玄関にたどりつくにはその雪をかき分けかき分けて、谷間のような廊下のような道をつくらねばならない。
 外の集落の道ももちろんどこもかしこも真っ白な谷間の廊下である。除雪車が毎日走って壁はどんどん高く、谷間はどんどん深くなる。
 久しぶりに大好きな囲炉裏に炭火をおこして粟餅を焼く。この餅は仲間が粟の実を畑に蒔くところからはじめてつくったものである。美味い。
 もちろんこれで暖をとるには寒すぎるか石油ストーブが燃えている。わたしは炭火をおこし、その火を見るのが好きなのである。ほかの仲間はどうも興味は無いらしい。
    ◆
 集落の小正月の行事は、賽の神という。
 会場は、集落の中ほどにある森の中のキャンプ場で、雪を均してある。朝早くから集落の家々から稲藁を持ち寄ってくる。
 集落の男達は、てっぺんに葉を残した竹竿を雪中に数本立てて、これに稲藁を添えて縄でまきつけて8mほどの上すぼまりの塔状に仕立てる。
 わたしたちも田圃の米つくりでとっておいたたくさんの藁束を、橇に載せて曳いて持って行った。10時半ごろ塔は建ちあがった。
 午後一時から行事を開始とて、集落の人たち、今日の行事に里帰りしてきた子供連れの家族、そしてわたしたち震災復興応援団17名も混じって、総勢40人余が取り囲む中を、恒例により年男二人が塔の裾の稲藁に点火した。
 配られたコップ酒の越の寒梅をそれぞれ手に持って、燃え上がる火を見つめる。
 90歳の長老が集落独自の祝い歌「天神囃子」のゆったりとうたい始めると、それに合わせてみんなで歌う。
 炎と勢いよく燃えあがり、森の中に煙が舞うと、黒い灰がみんなの上に降り、あたり白い雪も灰色になってくる。
 この灰を身にかぶり、コップに入った灰を酒と一緒に飲むと今年は健康に過ごすことができるのである。
 雪の上に立っったままでガヤガヤとしゃべりつつ、酒を飲み、火で焼いたするめや餅を食べる。
 集落にはいつもはいない少年や幼児たちが、よろこんで走り回っている。
 身内に不幸があった人たちは不参加なので、今年はなんだか参加者が減ったような感じである。
 いつも陽気な何でも知っている主婦のTさんが暮に逝った。歌の上手い長老のKさんは寝込んでいるそうだ。集落のリーダー格のSさん夫妻は、親戚の不幸で遠出だそうだ。
 でも元気な子供、幼児がやってきてよかった。
 降るったりやんだりの雪の日の賽の神のときだけ晴れ間が見えたのが不思議である。
 1時間ほどで藁の塔は焼けおちてしまって、解散。
    ◆
 さてその後は、新年大茶会である。
 これは賽の神のような伝統行事ではないが、仲間の女性建築家たちに茶道の心得のあるものたちがいて、5年前からはじめたのだ。今では集落の年中行事になっている。
 元小学校の「やまびこ荘」の食堂に集った一同は、神妙に机にむかって腰を掛け、正面で立礼式でお茶をたてている和服の女性たちのお手前を神妙に見ている。
 やがて配られたお菓子、抹茶をいただく。これを始めた頃はみんな戸惑っていたが、今は、お作法にそって堂々といただいている。
 幼児たちも神妙に、大きな抹茶茶碗に顔を突っ込むようにして飲んでいる。男の子は、ニガ~イとすぐ口を離して顔をしかめ、女の子はオイシ~イと飲んでいるのがおかしい。
 外は雪や霰の吹雪が降ったりやんだり、時には青空も見えたりと忙しく天候が変わっている。冬の中越のいつもの天気である。

参照→豪雪の山村で考えこんだ

2011/01/14

367伊達直人さん

 最近なんだか新聞やTVで、伊達直人なる名がしきりに出てくる。
 伊達公子と菅直人がくっついたのかしらと思ったら、タイガーマスクがどうのこうのという。
 インフルエンザが流行るから、なにか特に効き目のあるマスクが売り出されたかしらと思ったら、マンガの主人公の名らしい。
 じゃあ伊達直人は主人公じゃないのかしら。
 よく分らぬが、善意であっても伊達なる名を詐称する人が多くなるのは、ホンモノの伊達としては困ったものである。
 いや、イタチとかイダテとか読む人が少なくなるからよしとするか。
 ところで本名が伊達直人っていうひとがいたら、ほんとにあれこれ困るだろうなあ。

2011/01/10

366ネパールへ行こう

 大学同期の友人からネパールに行こうと誘われた。ちょっと考ええすぐに、よし、行こうと返事をした。
 いつか行けるからそのうちに、なんて思っている時間はない年頃だから、できそうなことならあまり分別もなく実行するのだ。
 この前の海外旅行は2007年にヨーロッパアルプスだった。そのときもそんな感じではあったが、大学山岳部のときのあこがれを満たす目的に適う旅であった。
 こんども同じような憧れを満たす目的に適うらしいのは、ヒマラヤがすぐそばだからトレッキングにいけるかもしれない、いけなくてもダウラギリやマナスルをこの目で拝むことはできる。
 商業ツアーではなくて、何かボランティア団体に関連するひとが個人的に企画しているらしいが、実はよくわかっていない。誘ってくれた親友が,以前にもそれで行ったというから、信用していくことにした。
   ◆
 概略旅程は次のとおり。
 関西空港→バンコク→カトマンズ→タラコット→ポカラ→ルンビニ→カトマンズ→バンコク→関西空港(3月28日~4月5日)
 カトマンズとポカラではヒマラヤにトレッキングかヒマラヤ飛行機遊覧か、ぜひやりたい。大学時代の憧れを満たしたいのである。
 カトマンズでは迷路のような町をうろうろと歩いてみたい。わたしの大学での研究指導教官であった恩師の藤岡通夫先生は、ネパール王宮の研究をなさっていたことを思い出したので、王宮を訪ねたい。
 釈迦の生誕地ルンビニ訪問は、わたしには釈迦生誕地としてはまるで興味がわかない。
     ◆
 ネパールに行こうと思うと建築同期の友人に話したら、同じく同期の親友であった建築家の後藤宣夫が、設計監理担当した博物館の建物がルンビニにあると教えてくれた。
 2000年になくなった後藤宣夫は、丹下健三事務所の在籍していた1984年に現地に滞在してこれに携わったと、彼の作品集の年譜にもある。
 釈迦が生まれた聖地を「ルンビニ園」として整備する計画を、丹下健三がマスタープランを作成したのだ。その中にルンビニ博物館がある。
 ネット検索したら見つかった。
・Lumbini Museum
http://daishinji.net/essay/lumbini.shtml
http://www.panoramio.com/photo/15251567
 ボールトの連続デザインは、なんだかルイス・カーンを連想させるが、この地域のデザインモチーフは共通するのだろうか。行って見れば分るだろう。
 隣に国際研究所なる建物もあり、ソックリのデザインだからこちらも後藤担当だろう。
・Lumbini International Research Institute
http://www.panoramio.com/photo/4755616
 釈迦の誕生地なんてまったく興味なかったが、これで楽しみになった。
   ◆
 昨日、黄金町にあるアート系の古書店にフラリと入って棚を見ていたら、おや、藤岡先生の書いた「ネパール建築逍遙」がある。見覚えのある本なので家の本棚にあるかもしれないが、偶然ながらタイミングがよすぎて、これはなにかのお導きだろうと1000円で買った。
 実はそのときまで忘れていたのだが、上に書いたように恩師はネパール建築の研究者でもあったのだった。
 美術出版社から発刊した分厚い大きな高価なネパール王宮の研究書があったような気がする。もしかしたら買ったかもしれないとわたしの書棚を探したがそれはなくて、おなじような高価な本の「京都御所」はあった。
 ネパールも実はちょっと身近になった。
 旅に出る前に事前勉強をしない主義できたのだが、こんどはちょっと勉強して行こうと思う。