2013/02/13

721朝鮮半島地下核爆発と日本列島地上核毒バラマキはどっちが罪が重いか

 核実験と原発とは関係ないのかしら。
 どちらも原子核の分裂によるエネルギー発生を、装置として使ってるような気がするけど、違うの? 
 核実験はエネルギーを集中させて一気に使う、原発はエネルギーを徐々に出させて使う、こういう違いのような気がするけど、違うの?

 同じものを使いながら、核実験は「核」という言葉を使うのに、原発はどうして「核発電」と言わないのかしら、違うものなの?
 「核実験」はなぜ「原子力実験」といわないのかしら?
 あるいは「原子力発電所」は「核発電所」といったらどうなの?
 核実験で出てくる放射性物質は、福島原発から出てきたそれとは違うものなの?

 いま、世界でどれくらい原発があるんだろうとネットで探したら、こんなサイトを見つけた。
【地図】世界の原子力発電所からの【距離】
http://arch.inc-pc.jp/004/index_12.html


 あるわあるわ、いやまったくすごいもんだねえ、こんなにあるのかあ。お隣の韓、朝、中の各国にもたっぷりとそろっていて、かなりおそろしい。北東アジアは原発の巣かよ~。
 これらがエネルギーも作り出しているけど、同時に核毒ウンコもどんどん排泄していて、今のところその浄化槽はどこにもないから、多分、野積みなんだろうなあ。
 さらにかの発展途上大国では、もっともっと増設計画があるらしい。日本の原発密度を見たら、かの人口大国ではもっともっと必要でしょうね。

 あちらでは今、大気汚染の公害が著しいとのニュースが出回っている。日本が高度成長時代の事件と同じである。
 70年代には日本では誰もかれもがマスクをして暮らしていると、国際ニュースになったくらいである。
 それだけじゃなくて、偽物ブランド、無断コピー商品、安物衣料、安物電器などなど輸出して軽蔑されるって、昔日本がまさにそうだったよなあって、なんだか懐かしいニュースに思えてくる。

 
 で、原発であるが、アメリカとソ連という核爆弾と原発の先進国で原発事故が起きたように、日本もその後を追って原発事故を起こしたのである。
 アメリカの良いことも悪いことも倣って発展途上を抜けだしたと思った日本、やっぱり発展途上の大事故を起こした。

 さあ、次の原発事故はどこで起きるでしょうか。
 日本海や東シナ海の日本の向こう岸あたりで起きそうだなって、だれでも思うよなあ。
 近いうちに核毒まみれのPM2.ってえやつが降ってくるぞ。
 覚悟決めるしかないかもなあ、日本は、え、原爆を持つってことじゃないよ、原爆だろうと原発だろうと原子力だろうと、核抜き3原則でしょうよ。

 でもなあ、これだけたくさん作ったうえにもっと作り続けているのだから、もう引き返せないかもなあ。
 今に人類は自分がつくりだした核毒ウンコに埋もれて野垂れ死にするしかない、そう思えてきた。
 そのまえにこちとらは人間おさらばしているんだから、知ったことか、って言っていいのか、これって違うか?

(追記130219)
 先般、核発電装置(原発)の地図を発見してのせましたが、もっと探していたら、なんと核爆発の世界地図が見つかりました。
 地球上での核爆発の実績は、1945年から1998年まで、実に2054回、この後もまだやってるから、核発電装置とあわせて、いやはや、核の毒にすっかり侵されてしまった地球です。
 アーチストのさくひんだけあってメッセージ性のあるデザインです。
「"1945-1998" by Isao Hashimoto」
http://www.ctbto.org/specials/1945-1998-by-isao-hashimoto/

 

2013/02/12

720それにしても安倍さんにどうしてこれほど支持があるのだろう

 マスメディ屋さんたちがそろって安倍内閣支持率の世論調査。
 高い順に書くとこんな具合。
76.1%:TBS系(JNN) 2月11日(月)
71.0%:読売新聞 2月10日(日)
・64・5%:産経新聞社とFNN 1月26、27日
64・0%:NHK 2月12日
 なんかよくわからないが、いつも出だしのあたりは期待もあって支持率が高くなる傾向がある。調査方法にもよるのだろうが、ずいぶん差があるものだ。
 
 それにしてもどうしてこれほど支持があるのだろうか、安倍さんに。
 安倍さんになって起きたこと、株高・円安になっている数字だけはわかる。
 これをどういうわけか、アベノミックスと言うらしいが、株と円がミックスしてサンドイッチになってるのか。そういや昔、レーガノミクスってのがあったな。

 まあ、ミックスサンドでもミックスジュースでもよいが、景気がいいのは株屋と輸出屋だけで、株もなければ売るものもないこちとらには、な~んの関係もない。
 円安で海外旅行にも行けない。そのうちに円高になって旅行代金が安くなったころは、こちとらはヨイヨイになっていて、行きたくとも行けない。

 このところ大陸や半島あたりの国との関係で変なことが起きるたびに、それみろ、だから軍備拡大だ、軍隊派遣だ、憲法改定だとかって、政界も世論も安倍流に下司に盛り上がるのも支持率アップになってるんだろうが、それってかなり気味が悪い。
 

2013/02/11

719TV嫌いネット好きなわたしは浮世離れしすぎた年寄りだろうか

 NHKの研究所が毎年やっている調査らしいが、TVの見方について結果を発表している。
 世の年寄りはどう回答したのか興味あって、その中の一部をここに引用する。
 「あなたが欠かせないメディアは何か」という問いへの回答である。
まず、わたしの属する階層の「男70歳以上」では、どんな回答かしら?
 あれまあ、70パーセントもがTVを見なくちゃいられないよって、そんな回答をしている、驚いたなあ、ほんとかよ~?
 そしてまた、ウェブサイトはゼロであるらしいのには、もっと驚いたのである、まさか~?

 こうなるとTV嫌いでほとんど見ないし、ウェブサイトにかなりハマッているわたしは、つまり要するに、あまりに浮世離れしているってことになるのか。驚くこっちがおかしいのであったか。

 そういえば、FACEBAKAに書き込むのは、どいつもこいつも年下のやつらばかりかりだなあ、こちとらイイトシして恥ずかしいなあ、、。
 こりゃ、どうすればヒトナミの老後を過ごせるのかしらと、考え込んでしまうよなあ。
 せめて紙の新聞でも読んで、年寄仲間に入れてもらうしかないのか。
 でもなあ、ウェブサイトいじりは、庭いじりよりもボケ防止になると思うよ。
 そのうち老人ホームに入ったら、ウェブサイトいじりしようにも、そんな設備ありませんて言われそうだな、う~む、もっとボケが進むぞ。

 では若い奴ら「男16~29歳」の回答を見ようか。
 ウェブサイトが31パーセントで年代別ではいちばん多いが、意外に少ない感もある。
 驚くのは、たった2パーセントしか新聞に関心を示さないことである。これからは新聞は生き残れないのだろうなあ、だからせっせと電子新聞に切り替えろって宣伝してるんだな。でもそれって自分で自分の首絞めてるような。

 全体を俯瞰すると、活字メディアの新聞が、年齢とともに関心度が上がるのに対して、意外なのは本・雑誌・マンガが年代による大差がなくて、しかも少ないことである。
 男も女も50歳代になるとTV大好きになるようだ。これって、TVが普及進行する時代の世代であるような気がする。そこから下は普及しつくして、あるのが当たり前時代の世代だろう。

 ウェブサイトは、ただいま普及進行時代だから、このあとTVと同じような足跡をたどるのだろうか。
 今とは違うメディアが登場して、ウェブサイトを駆逐するとしたら、それはなにだろうか見当もつかない。
 まあ、かつてのTVもインタネットも今日ほどになるとは見当つかなかったのだから、わたしごときでは考え付かないのは当たり前だ。
 それに、そんなものが出てきたころは、こちとらはとっくにこの世に関係ないんだな、、、知ったことか、、。
 

2013/02/09

718茅ヶ崎美術館で村越襄+鈴木薫展を見て64年五輪ポスターは村越作品と知った

 茅ヶ崎美術館で開催中の二つの展覧会『村越襄 祈りのデザイン:蓮華幻相』と、『鈴木薫 作品展「蓮の肖像」』にいってきた。この二つの展覧会は密接な関係がある。

 村越襄(1925~96)は、1964年東京オリンピックのポスターのデザインをした人である。あの有名なポスターである。
 このポスターについては一般には亀倉雄策ばかりが有名だが、村越等と協同制作であると、わたしは初めて知った。
 村越は広告業界で写真を使ったデザイナーとして先駆者的な存在であり、有名写真家の早崎治、篠山紀信、吉田忠雄などと仕事をしていた。
 鈴木薫はデザイナーであるが、村越のもとで写真も撮っていた。

 村越は晩年、自分自身の作品を作るにあたり、蓮の写真をモチーフに選んだ。 
 その『蓮華幻相』として発表された作品の根源テーマは仏教思想にあって、般若心経と往生要集を元にする文章と、お釈迦様につきものの蓮の花や葉の画像との組み合わせである。
 いわば鈴木の画と村越の賛による構成であるが、実は両者は渾然一体となったアートである。

 こう聞くと、いかにも抹香臭くて敬遠したいが、実際に現物を見るとその密度の高いデザインの迫力に圧倒される。
 そのあまりにも迫りくる力を、経文と蓮の花が和らげてくれるとさえ思うのだが、その蓮さえも枯死しつつあるものさえあるのだ。
 『蓮華幻相』シリーズは、鈴木の撮影した蓮の写真の上に金や銀の箔を置き、経典の文字をレイアウトしてゆき、5年もの歳月をかけて完成したと、協同制作者の鈴木はいう。

 美術館で求めてきた図録も鈴木のデザインだが、ここにあらためて鈴木による構成、レイアウトされた作品を見ると、特に『蓮華幻相』の見開き絶ち落しは、また別の迫力があって目が離せない。
 実は図録にある解説をまだ読んでいない。読むとなにか影響されそうなので、読むまえに感想を書いた。

 『蓮華幻相』のために鈴木が撮りだした蓮の写真が、鈴木のデザイナーの延長上にある写真家としてのライフワークになっている。能の舞台写真もライフワークである。
 その蓮の写真だけを展示したのが「蓮の肖像」展である。平面が8角形の展示場の出入り口を除く7面に、各三枚の巨大な写真を天井からつりさげた和紙にプリントしてある。

 8角形の会場の中央に立ってぐるりと八つの花弁のごとき展示を見回すと、蓮は蕾、花、枯花、緑葉、枯葉など様々な姿を見せてくれていて、これはまさに輪廻転生である。

 村越・鈴木の『蓮華幻相』は一枚一枚が迫力をもちしかも連作として問いかけてくるのに対して、鈴木の「蓮の肖像」は展示空間を文字通りに「蓮の台(うてな)」に仕立て上げ、そこに輪廻転生の時間を見せようとしているのである。

 この二つの展覧会が同時であればこそ、このような興味深い見方を思ったのであった。
 この展覧会は2013年2月24日まで、茅ヶ崎美術館で開催中。ぜひお出かけあれ。

http://www.chigasaki-arts.jp/museum/exhi/2012-1209-224-murakoshi.html

2013/02/06

717あまり浮世離れしすぎてもいけないので代官山に行ってきた

 
 わたしは浮世離れしていると、天野祐吉さんに決めつけられてしまった。
白戸さんちが引っ越すという。こう聞いただけで分かる人はテレビの見過ぎ、わからない人はかなり浮世離れした人だが、ま、どうでもよろしい。(以下略)」(「CM天気図・白戸家の引っ越し」天野祐吉 2013年2月6日朝日新聞朝刊)

 TVのコマーシャルのことらしいが、TVを観ないし、たまに見てもコマーシャルになるとすぐに他の局に替えるから、知りっこない。
 これでおまえは浮世離れといわれては、へえ、そうでございますか、まさかそれほどでもないよ。
 天野祐吉のこのコラムは愛読者だし、辛口をうまくおっしゃる口ぶりをいつも学ぼうとしているが、まさかわたしがその辛口の相手になるとは思わなかった。

 浮世離れしすぎてもいけないので、昨日、東京目黒の代官山に行ってきた。今はなにやら先端的な街になっているらしいのである。
 行かなくても差しつかえないけど、無理に用事をつくって見に行ってきた。

 わたしは昔の代官山もちょっと知っている。
 大地主の朝倉家がヒルサイドテラスなる開発をする前の、この旧山手通りの緑が豊かな街並みの記憶がある。その写真も撮ったのだが、今探したけれども見つからない。
 そのかわり、開発初期の1975年の写真が見つかったので、ここに載せた。昨日とった写真と比べると、ほとんど変わっていない。
   1975年 ヒルサイドテラスの風景

   2013年 上とほぼ同じところの風景

 1975年にヒルサイドテラスを訪ねたときのわたしの感想は、なんとまあ、あの豊かな緑が無くなって真っ白な箱建物ばかりになったもんだ、いくら有名建築家の設計だといっても、こんなにハゲハゲになるのがよいのかしら、というものだった。
 いま、その昔の緑の豊かさの名残は、開発された旧山手通りから裏に入った南の斜面に見ることができる。ここも朝倉家の土地だろう。
 空中写真でこのあたりの移り変わり状況を見よう。

   戦前の1936年(国土地理院)

 戦後初期の1947年(国土地理院)

ヒルサイドテラス開発初期の1975年(国土地理院)

   1997年(google earth) 
   右上に同潤会代官山アパート再開発事業の敷地整備中

    2009年(google earth) 
   蔦屋書店はこの後に左上の空き地にできた

 そして今、旧山手通り沿いは、緑豊かなお屋敷の風景は消え去って、白い箱の建物が次々と並んでいる。
 それらの建物群が、ある一定の枠の中にあるデザインであり大きさなので、それが街並みの気持ち良さの原因であろう。それは開発オーナーの考えであるだろうし、地区計画がそれを支えている。
 そして開発オーナーが独自の考えをもっての用途構成も、代官山というブランドを作り上げているようだ。若い女性が多いのは、そういうターゲットなのだろうか。

 最近の開発の評判は、「代官山 蔦屋書店」であるらしいので、昨夜はそこで3時間ばかり過ごした。そのうち2時間はレストランでの打ち合わせだから、正味は1時間である。
 だが、面白いことにレストランやら書店やら分からない場所での打ち合わせであったことだ。図書館の中にレストランがあるような雰囲気なのだ。

 ジャンルごとに囲われたフロアの売り場があり、そのジャンルごとに店員のテーブルがあって、まるで図書館のレファレンス係(蔦屋ではホテル並みにコンシェルジェと言っている)のようである。蔦屋だからもちろんディスクもある。

 おやっと思ったのは、古本も置いてあることだ。
 新書と古書の両方が混じる本屋か、なかなかやるもんだ。
 あっ、まてよ、もしかしたら全部古本かもしれないなあ、、う~む、やるなあ。

 この書店は、全体に本屋というよりも開架式図書館の雰囲気である。本を売っている図書館といってもよい。テーブルや椅子もたくさんある。CDの試聴も自由である。
 これはなかなかよろしい。なにしろ、立ち読みならぬ座り読みしながら、コーヒーでもサンドイッチでも食ってよいのであるらしい。

 わたしが近くに住んでいたら、毎日ここにやってきて、そのへんの適当な本を抱えて座り込んで一日中すごすことができる。本は買わないのだ。
 もっとも毎日やってると気が弱いから買わざるを得なくなるかもなあ。

 レストラン、喫茶店、コンビニエンスストアも一体的に併設されているから、昼飯も食うことができる。どこの書店でも飲食お断りが普通の世の中で、これは意外であった。
 わたしがそうしたいと思うように、おおぜいの若者があちこちの椅子テーブルの座り込んで、本を読み、モバイル機器を操り、飲食をしているのであった。

 かなり実験的である。おいてある本も、わたしは好感を持ったが、かなり偏っている。どこかマニアックでさえある。売れるのだろうか。
 余計な心配だが、そのような書店が経営的に成り立つものだろうか。
 このあたりのことに詳しい知人に聞いたら、非上場会社オーナーの趣味に近いらしい。蔦屋というブランドの実験店なのだろう。
 昔々の京橋丸善の、洋書+バーバリー+ハヤシライスという古典的スノッブ取り合わせの、現代的翻訳が代官山蔦谷書店かもしれない。
 代官山は先進的、実験的な事業をしやすいところなのだろうか。

 先進的で思い出したが、この地には戦前の実験的・先進的な住居群があった。
 代官山同潤会アパートである。いまは再開発事業で超高層ビルと店舗群に建て替わったが、そのプラニングやデザインの先進性は有名であった。
 1975年に写したその風景を載せておこう。


2013/02/05

716こないだ勘三郎が逝ったと思ったら團十郎までも死んでしまった

 あれあれ、團十郎までも死んでしまった。こないだ勘三郎が死んだばかりなのに。

 で、ちょうど歌舞伎座建て直し中だから、もしかしたらこの建て直しが祟ってるのかも。
 なんて冗談を書こうとしたら、なんと筒井康隆が「偽文士日録」2月4日版に、「歌舞伎座を改築するときにちゃんとお祓いしなかったからいけないのではないか」なんて書いている。
http://shokenro.jp/00000882

 それにしても團十郎家は、薄命の家柄らしい。父親の11代目も役者にしては早逝だったといってよいだろう。美人薄命才子多病のたぐいか。気を付けようっと、あたしも、、、  ?。

 で、歌舞伎座である。4月のコケラ落し興業のサイトを見ると、團十郎の名が第1部と第2部に上がっている。
 差し替えてだれになるのだろうか。主役が突然いなくなって、松竹も困ってるのだろう。

 その建物の外観はどうやらでき上がったらしい。さて、5代目歌舞伎座はどんな姿になったか?
 え、なんだ、結局のところは、建て替え前4代目と同じ格好かよ~。石原慎太郎に風呂屋みたいってさげすまれたあの形である。風呂屋が怒ってるだろうが。

 建築家隈研吾も大資本が支配する伝統芸能の世界には、個性を持ったデザインで切り込めなかったのか。なら、なんで隈さんが必要だったのだろうか。
 超高層ビル(丸の内ビル群を見よ)と古典コピー(三菱一号館美術館を見よ)なら、三菱地所で十分どころか隈さんより得意だったろうになあ、なにかあったんだろうなあ。

 もっとも、隈さんてひとはどんなデザインもできますって器用な人らしいから(昔々、エーロ・サーリネンがプレイボーイアーキテクトと言われたみたいに)、別にモダンデザインじゃなくてこれでもやりたかったのかもしれない。

関連→093歌舞伎座の改築
http://datey.blogspot.jp/2009/02/blog-post_04.html
 

2013/02/02

715うちの本棚にある未読数とわたしの余命数とが釣り合ってきたようだ

 暮れと正月の閑な日々(実は毎日ヒマだけど世間なみに格好つけて)に読む本を、伊勢佐木町有隣堂の地下売り場で探していて、Jeffrey Archerの新作らしいペーパーバック2冊を見つけた。アーチャーの小説はこれまでほぼ読んだ。
 どっちか一冊でいいやと、安い方「Only Time Will Tell」を買ってきた。あまり面白い出だしではなかったが、途中から面白くなって最後の450ページまで一気に読んだ。

 ところがなんと話は終わらなくて、「The story continues in THE SIN OF THE FATHER」と書いてあるのだ。
 ここで主人公はイギリスからアメリカにわたり、ちょうど窮地に陥っている。どうなるか気にかかるところである。続巻が図書館にあるかと探したが、ない。

 しょうがない、正月が終わってまた有隣堂に、このまえ高くて買わなかった「THE SIN OF THE FATHER」を買いに行った。
 さて、主人公は窮地を脱してイギリスに戻り、またもや難題に直面、さてどうなるかと最後429ページ、ああ、またもや「 The story continues in REST KEPT SECRET」ときたもんだ。今年3月出版だってよ。
 もうういいや、これまでのアーチャーの作品と比べて、大して面白くもなかった。
 その間にジェフリー・ディーバーの新作を図書館で借りて読んだが、アーチャーのほうがだんぜん読みやすい。わたしの英語力ははまだちょっとたりないが、三文小説だから何とかなる。
 ケン・フォレットも読みやすい。フォーサイスはちょっと面倒だがまあまあ。イギリス作家の英語のほうが読みやすいのはどうしてだろうか。

 この数年前から、本は買うものではなくて、図書館で借りるものとしたのである。
 もうどうしても今すぐ読まなければならないような本があるわけもなし、金ももったいない、本棚の余裕もないし、というのが理由。

 その上、うちも本棚にはまだ読んでいない本がいっぱいあるし、読んでいたとしても忘れている本が山ほどある。これを片端から読めば死ぬまで続くと、ようやく気が付いた。つまり未読本の多さと、余命の短さとが釣り合ってきたということである。
 いっぽうで、もう読む気のない本がいっぱいあるのだが、これをどう処分するか。処分も金がかかる時代になったからなあ。

 ただいま図書館納入待ちのペーパーバックは、ケンフォレッの20世紀三部作の『Fall of Giants』 (2010)の第2巻『Winter of the World』である。まだかなあ。

●関連
182 Japanese knotweed
http://datey.blogspot.jp/2009/09/182japaniese-knotweed.html
535 千ページ英語小説一気読み
http://datey.blogspot.jp/2011/11/535.html

2013/02/01

714新聞がそのデジタル版広告を載せて購読料を取るのはけしからん

 今日の朝日新聞夕刊に2ページ見開きで、デジタル版新聞の広告を載せている。
あのなあ、それっておかしいよ、新聞に新聞自身の広告を載せるのなら、その分の新聞購読料を負けなさいよ。
 それもたまになら許せるが、最近しょっちゅう朝夕刊ともにその広告が載る。

 ほかにいっぱい広告があるのを我慢しているのは、その広告の掲載料収入でで新聞社の経営をしてるのだからと思っているからだよ。
 それがあんたのところの広告が2面も占めてるは、その分、広告料が入らなくても経営できるんだってことでしょ。
 ならば購読料をその分だけ引きなさいよ。

 さらに気に入らないのは、どう見ても広告そのものであるのに、「全面広告」って記載をどこにもしないで、一般記事を偽装していることだ。
 一般記事だから購読料の対象だって言いたいんだろうが、そりゃおかしいよ。

 さて、新聞がデジタル化して、紙でなくなるって時代はすぐ来るだろう。新聞が紙であったことが忘れられるだろうから、今のうちにそのことを書いておこう。

 昔々、新聞がまだ紙だった頃のことだとさ。
 新聞は、弁当の包装紙だった。うん、結構保温能力があるので便利だったし、弁当を食べるときに読んだものだ。
 新聞は、畳の下に敷く湿気防止用紙だった。大掃除の時に畳をあげてそとに干すのだが、つい古新聞を読んでて怒られるのであった。
 新聞は、八百屋の包装紙だった。野菜の大きさに対応して、いろいろに包んで売ってくれたもんだ。
 新聞は、便所の尻拭き紙(トイレットペーパーの正式名称)だった。家庭の大便所の中には、きれいに切りそろえた新聞紙が重ねてあったもんだ。あのころ日本人は肌が丈夫だったんだなあ。
 
 新聞は、保温材だった。大学山岳部のころ、雪山でのテントの中で寒さに対抗するには、ヤッケの下に新聞を着ると暖かいのだ。動くとガサガサやかましかった。
 新聞は、蠅たたきだった。丸めてバシンと打つ。あ、いまでもゴキブリにそうやってるな。
 新聞は、飛行機だった。大きな折り紙飛行機を、2階の窓から外にふわふわと飛ばしたものだった。そういえば、折り紙の兜も新聞の大きさだからできた。
 新聞は、薪を燃す焚きつけだった。風呂も焚火でも野営場の炊事でも、薪に火をつけるには新聞紙を軽く丸めて下のほうにおいて火をつけるのである。これは今もそうだろう。

 デジタル化するとこれらの使い方は出来なくなるのが寂しいが、でも、もうどれも過去のことばかりになっている。
 今じゃあ新聞紙を毎月のゴミにして出している有様だ。
 デジタル化すると、寝ころんで読むのは、まあ、携帯型あれやこれや電子機器でできるから紙新聞と大差はないだろう。
 寝ころんで天井に投影して読むと、手がつかれないだろうなあ、そういうのあるかしら。
 今にわたしもそうするときがくるだろうが、まだしばらくは紙で過ごそう。

2013/01/31

713スポーツ競技はもとが暴力行為だから指導者が暴力ふるって当たり前かも

 このところ運動競技に関して、その指導者が暴力をもって運動方法を教えているとて、その暴力でいじけた教え子が、自殺したり、上部団体に集団で哀訴したりして、事件になっているらしい。

 報道屋は面白がってケシカラン、政治家も尻馬に乗ってケシカランと合唱、運動団体の役員さんはお決まりのお詫びお辞儀記者会見。
 
 まあその通りだけど、どだい体力勝負の運動競技ってのは、もともと暴力沙汰である行為を、運動競技っていう一見きれいごとに仕立てたものである。

 柔道、相撲、拳闘、レスリングなんて格闘技の試合は、その典型的なもので、つまり喧嘩ですな。
 ラグビー、サッカー、ホッケーなどの試合は集団暴力行為、つまりデイリですな。
 これらが暴力でないなんて、チャンチャラおかしい。

 その競技の指導者とか監督なんてのは、つまり暴力方法にたけた人であるだから、教え方も暴力になるのが当たり前だろう。
 暴力の使い方を教える人に、暴力を使うなって言っても、そりゃ無理というもんでしょう。

 運動競技の世界には、もっとひどいこともある。
 銃による殺人事件が起きて社会問題になっているのに、ピストルやライフル等の銃砲を使った運動競技が平然と存在するのだ。
 平和の祭典なんてキレイごとを言っているオリンピックにさえあるのを、誰もおかしいと思わないのかしら。

 ところで最近はシゴキって言葉はないのかしら。わたしが高校や大学で運動部にいたころは、そういったものだ。
 例えば、山岳部では体重ほどの荷物を背負って歩いて疲れ果て、アア、今日はシゴカレタ。
関連:156昔山岳部
http://datey.blogspot.jp/2009/07/156_18.html

2013/01/30

712日暮里富士見坂から半身不随の富士山と満身創痍の都市風景が見える

 東京日暮里に富士見坂なる名前の場所がある。
 その名の通りここから、まだ富士山が見える。でも、そのうちに見えなくなる予定であるらしい。富士見坂と富士山との間にビルが建つからである。

 その富士見坂に、今日、大勢の見物人がやってきたそうだ。
 ここから見る最後になるかもしれない富士山頂上に沈む太陽を見るためである。まったく暇な物好きな人が多いものだ。
 なにもわざわざ日暮里まで行かなくても、太陽は毎日沈んでいるのだから、毎日どこかで富士山頂上に沈む太陽を見ることができる。今日に限らなくってもよさそうなものを。

 なんていうと怒る人がいるだろう、何をバカなことを言っておるか、富士見坂から見るから価値があるのだと、。
 でもね、「山あて」の道や坂はどこにでもあるよ、ここだけじゃないと思う、富士見坂ってのは、。
 で、ウェブサイトを見たら「東京の富士見坂」というのがあった。
http://www.t3.rim.or.jp/~kuri/fujimi/
 ここにも物好きな人がいて、都区内18か所の富士見坂を訪ねて、富士が見えるかどうかを確かめている。
 なんと富士山が少しでも見えるのは、たったの3か所だそうである。

 つまり日暮里の富士見坂におおぜいのヤジウマがやってきたのは、坂の名前に由来する風景が見えなくなるという噂に、ちょうど今日が太陽がてっぺんに沈むという現象とが重なった貴重なチャンスということだろう。
 で、その富士見坂から富士山をみえなくするビルが建つことに関しては、その眺望の消滅を惜しむ人たちにが建設反対運動を粘り強く続けているらしい。
 今日、ダイヤモンド富士を見に来た人たちは、もちろん、ビル建設反対運動をしているのであろう。

 ただし、そのビル建設を法的規制することは不可能だろう。今すぐできることは、だれか奇特な金持ちがそのビル用地を買い取ることしかなさそうだ。
 そのような奇特な人がいたとしても、富士見坂から富士山まで視線上にある土地あるいは視線を妨げる範囲の空中権を全部買い占めなければ、今後も同じことが起きるに決まっている。
 では、法的制限方法はあるか。都市計画でそれを決めることは法的には可能である。
 ただし、その制限受ける範囲の地権者や関係市町村の市民の意見も聞かねば決められない。さてそれは、どれだけのおおぜいになるのだろうか。

 ほかの富士見坂でも、こんな富士山夕陽見物とか眺望消滅反対運動が起きたのだろうか。それとも、誰もなにも言わなかったのだろうか。その違いはなんだろうか。
 かつての高度成長バンザイの貧乏な時代を抜け出て、景観にも目を向けるよう豊かな時代になったということだろうか。

 だが、それもなにかおかしい。日暮里の富士見坂から富士山の方向を見る風景写真は、ウェブサイトにたくさん登場する。
 それらを見てわたしが奇妙に思うのは、もはや富士山は左肩(右肩か)を失って半身不随、そしてその富士山を取り巻く都市風景は満身創痍であることだ。都市風景についてはだれも何も言わず,富士山が見えないことだけを言うのは奇妙である。
http://www1.ttcn.ne.jp/fujimizaka-hozen/shinnookubo/20111007-1.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/07/96d0fae037f5d656083f8876db406c03.jpg

 いやはや、この日暮里富士の頂に夕陽の光背が輝けば、これは片翼を失った鶴が掃き溜めで昇天するの図である。