村越襄(1925~96)は、1964年東京オリンピックのポスターのデザインをした人である。あの有名なポスターである。
このポスターについては一般には亀倉雄策ばかりが有名だが、村越等と協同制作であると、わたしは初めて知った。
村越は広告業界で写真を使ったデザイナーとして先駆者的な存在であり、有名写真家の早崎治、篠山紀信、吉田忠雄などと仕事をしていた。
鈴木薫はデザイナーであるが、村越のもとで写真も撮っていた。
村越は晩年、自分自身の作品を作るにあたり、蓮の写真をモチーフに選んだ。
その『蓮華幻相』として発表された作品の根源テーマは仏教思想にあって、般若心経と往生要集を元にする文章と、お釈迦様につきものの蓮の花や葉の画像との組み合わせである。
いわば鈴木の画と村越の賛による構成であるが、実は両者は渾然一体となったアートである。
こう聞くと、いかにも抹香臭くて敬遠したいが、実際に現物を見るとその密度の高いデザインの迫力に圧倒される。
そのあまりにも迫りくる力を、経文と蓮の花が和らげてくれるとさえ思うのだが、その蓮さえも枯死しつつあるものさえあるのだ。
『蓮華幻相』シリーズは、鈴木の撮影した蓮の写真の上に金や銀の箔を置き、経典の文字をレイアウトしてゆき、5年もの歳月をかけて完成したと、協同制作者の鈴木はいう。
美術館で求めてきた図録も鈴木のデザインだが、ここにあらためて鈴木による構成、レイアウトされた作品を見ると、特に『蓮華幻相』の見開き絶ち落しは、また別の迫力があって目が離せない。
実は図録にある解説をまだ読んでいない。読むとなにか影響されそうなので、読むまえに感想を書いた。
『蓮華幻相』のために鈴木が撮りだした蓮の写真が、鈴木のデザイナーの延長上にある写真家としてのライフワークになっている。能の舞台写真もライフワークである。
その蓮の写真だけを展示したのが「蓮の肖像」展である。平面が8角形の展示場の出入り口を除く7面に、各三枚の巨大な写真を天井からつりさげた和紙にプリントしてある。
村越・鈴木の『蓮華幻相』は一枚一枚が迫力をもちしかも連作として問いかけてくるのに対して、鈴木の「蓮の肖像」は展示空間を文字通りに「蓮の台(うてな)」に仕立て上げ、そこに輪廻転生の時間を見せようとしているのである。
この二つの展覧会が同時であればこそ、このような興味深い見方を思ったのであった。
この展覧会は2013年2月24日まで、茅ヶ崎美術館で開催中。ぜひお出かけあれ。
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