2013/12/06

869【五輪騒動】都市計画談議(その4)地元提案都市計画だったけど気になることある

  <(その3)からの続き>
この新国立競技場を建て替えるための地区計画という都市計画は、地元の人たちが東京都に提案した結果でできたものであった。
地元とは地主たちで、国立競技場の持ち主の国はもちろん、東京都や明治神宮や、青山通りのビルの持ち主などである。

都市計画法に「都市計画提案制度」なるものがある。昔は行政が一方的に立案して施行するのが都市計画だったのが、今や市民参加の時代である。
地域住民が自分の住む地域を良くするために、今の都市計画を変更するとか、新しい都市計画を決めようと、行政に提案することができるのだ。これを受けて行政がその都市計画を行う。つまり地元からの都市計画というわけである。

というわけで、あの新国立競技場の都市計画「神宮外苑地区地区計画」は、競技場の持ち主の独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が提案したのである。
ただし、JSCの新競技場計画の土地だけの地区計画ではなくて、神宮外苑も青山通り沿いのビル街までも入っているから、これはJSCがそれらの地権者の代表となって提案したのだろう。

都市計画を提案できる資格者は、その対象地区の土地権利者であり、その人数と土地の広さの3分の2以上の同意が必要と定められている。
さて、あの地区計画の範囲にはどれほどの地権者がいるのだろうか。地区計画図のA-1、A-2、A-3、A-4の各地区は、東京都と国、B地区は明治神宮という大地権者である。

A地区がちょっと複雑で、秩父宮ラグビー場は国、そのほかにTEPIA財団、青山通り沿いの民有地があるが、一か所でもっとも地権者数が多いのは、A-4地区の裏になっている外苑ハウスという集合住宅であろう。
外苑ハウスは、1964年の東京オリンピックの時に外国報道関係者用に住宅公団がつくった宿舎で、その後、分譲した。196戸あるそうだから、地権者の数もそれくらいはいるだろう。

そもそも、新国立競技場だけの建て替えが目的だから、地区計画の区域をそこまで広げなくても良さそうなものだ。つまりA-1、A-2、A-3の範囲で十分だし、同意だって国と都だけだから簡単しごくだろう。それなのに、なぜそこまで広げたか。
多くの地権者に話をつけて同意書をもらったのだろうから、それなりに時間と手間がかかったであろう。なお、都営住宅の住民は土地権利者ではないから、対象外である。

ここでなぜ広げたか妄想してみよう。
都市計画提案制度は民間から積極的に都市計画に参加する制度だが、もしも国と都の土地だけで提案すると、それはお役所同志のなれあい都市計画だという批判が出ると危惧したのかもしれない。
あるいは、単に競技場だけの建て替えのための都市計画は、国のエゴであると非難も出るかもしれない。
そこで、まちづくりとして仕立てるために、周りの地権者にも話をもっていったら、参加者が増えたということかもしれない。
あるいは内部検討段階で情報がまわりの地域に漏れたとかで、どんどんと増えたのかもしれない。

では、なぜ参加者が増えたか。
妄想の2段重ねだが、新国立競技場がらみの地区計画で容積率や高さ制限が緩和されるのなら、うちの土地でもそれをやりたい、たぶん、そう思う人が結構いたのであろう。
じっとしているだけで不動産価値があがるのだから、こんなうまい話はない、これは美味しい都市計画だと、土地持ちは思うに違いない。
明治神宮も外苑の広い土地をもっと活かしたいと思うし、民有地はもちろん大きなビルに建て替えて儲けたい、そう思うに決まっている。
ということで、われもわれもとなって、あんなにもひろくなったのだろう、、、か。

いやいや、なにをいうのですか、わたしどもはそんなさもしいことを考えてはいませんよ、オリピック成功のためには協力を惜しまないってことに、きまってますでしょ、、。

おかげで官民協同の都市計画になって、国立競技場の建て替えというエゴ都市計画とならなくて、地域まちづくりに貢献できるという大義名分もできた、と、JSCは思っているかもしれない。
で、とりあえず計画内容が固まっている国立競技場がらみのところだけに、オリンピックの誘致運動のプレゼンにおいて建て替えの保障として言えるように間に合わせるために、先行して地区整備計画をかけておき、そのほかはおいおい追加しようという作戦であろう。

面白いのは、大部分が再開発促進区の緩和型地区計画の区域にしているのに、絵画館に関連する団扇のような形のところだけは、一般の保全規制型の地区計画の区域としていることである。
さすがに絵画館を建てなおして高層化するとか、軟式野球場に高層ビルを建てるのは、それこそ外苑の歴史的文脈から畏れ多くて無理過ぎるってことであろう。まことにごもっともである。
そのかわり、絵画館の周囲の道路の外側は再開発促進区だから、そのうちに地区整備計画が出てきて、高いビルが建つ可能性は十分にある。その用意はできたのである。

ところでこの都市計画案の近隣住民への説明会は、2012年の11月であったそうだ。つまり、あの国際コンペで新国立競技場案が決まった直後である。
当然、関係する地権者たちは知っていただろうが、ここで初めて知って一番びっくりしたのは、たぶん、都営住宅の住民たちだろう。
それよりまえに公表されたコンペの要綱を見れば、都営住宅が無くなることは明白なのだから、それまでには東京都の住宅局は住民に対して何らかの手を打っていたのだろう、と、常識的には思う。(つづく

参照→◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
 

2013/12/05

868【五輪騒動】都市計画談議(その3)立体公園という奥の手が登場した

  <(その2)からの続き>

新国立競技場建て替えがらみでこのあたり一帯にかけた「神宮外苑地区計画」の全体を眺めていると、いまに明治神宮外苑は建物だらけにする仕掛けが施されたのかと妄想がはたらく。
だが、その全体妄想話はあとにして、先ずはこの都市計画の震源地である国立霞ヶ丘競技場のあたり(A-2地区)から妄想していこう。
国際コンペ当選のザハ・ハディド女史デザインの競技場建築の良し悪しの話は、ここではさておく。もっぱら敷地と都市計画の問題を考える。

建物を建て替えるとき、計画する新建物が大きすぎたら普通はどうするか。ひとつは、今の敷地に入るように計画変更する。ふたつめは、他のところに条件に合う土地を見つけて引っ越す。三つ目は、まわりの土地を地上げして敷地を広くする。
新競技場はこの三つ目を採用したのだが、臨海部など広い土地はいっぱいあるのに、どうしてこの場所に拘泥して動かないのか、そこのところはいろいろと政治的なことがあったのだろうが、わたしの妄想能力を超えるので、言及しない。

ではどこを地上げするか。周りを見ると、東は絵画館だからこれは不可能だが、南東の三角地は何とかなるだろう。西と南は明治公園だから、この公園を廃止して取り込めばよさそうだ。
日本青年館もなんとかなるだろう。北にはある外苑のアイススケート場もよさそうだ。
こう考えただろう、たぶん。

で、結局は、東と北の明治神宮の土地はダメで、都の公園と日本青年館が地上げ対処となった。日本青年館はどこか別のところに建てればよいとしても、公園を廃止するのはいまどき問題になるだろう。
では、既に開設している明治公園を移設するにはどうするか。
南の公園(霞丘広場)のさらに南に都営霞ヶ丘住宅があるが、かなり老朽化しているからこれを地上げして、ここに公園を移すことにしよう。
そして日本青年館と東京都とに話をつけた、と、まあ、こんなことだったのだろう、たぶん、妄想は広がる。


としても、公園を取り込んだり道路を変えたり廃止したりするのは、民有地を地上げするのとは違って、都市計画の変更だからその手続きがいる。
変更手続きついでに、容積率や高さの制限も緩和させてしまおう。てなことになったのだろう。
ということで、ここから都市計画屋の登場である。

こういう時にお役にたつ都市計画の手法は何であるか、専門家だから知っているだろう。
はい、それはもうなんといっても地区計画でございましょう。地区計画は比較的限定的なエリアで都市計画を決めることができますが、とくに再開発等促進区の地区計画がここでは適してますな。

でも、あまり狭い範囲だと身勝手エゴ都市計画になりますので、広く網をかけてもっともらしい大きな方針を書いておいて、その一部に地区整備計画として本当にやりたいこと、つまり、容積率や高さとかの緩和やら、道路の付け替えなんかを書きこめばよろしい、、、てなことが話されたかもしれない、たぶん。

さて、問題は公園の地上げである。今の公園面積を減少させては、いくらなんでも市民からたたかれるだろうから、なにがなんでも同面積以上にする必要がある。玉突きで都営住宅をどかせた跡地を明治公園にするだけでは、どうも広さが足りない。
それに、ここの公園(四季の庭)を無くしたら、明治公園が連続しなくなってしまう。困った。


そこでウルトラC(ちょっと古いか、オリンピックがくるから勘弁)の手法登場、なんと西側の明治公園(四季の庭)を、都体育館との間の道路の上空と、競技場建築敷地の中の2階とに移すのである。道路や建物と2段重ねになった公園をつくってもよろしいという、立体公園制度の適用である。

これで公園の下にもぐりこんで、公園のエリアも含めて敷地に使うことができる。だから一階から地下にも競技場施設をつくることができるし、セットバックも公園の床下でもよいという奥の手である。
早く言えば、国立競技場が四季の庭にせり出してきて、2階の上に押し上げてしまった、ということである。
なんともはや、姑息なことであるが、でもまあ、これで公園のネットワークは、デッキレベルだけど保つことができた。

上の都市公園の変更図にみるように、この西側のデッキ上の公園(新四季の庭というべきか)の微妙なカーブが面白い。これは多分、コンペ1等当選のザハ・ハディドデザインの新競技場のカーブをなぞっているのだろう。都市計画は、建築計画の忠実な従僕である。
といっても、この立体公園計画を今年になって初めて考え出したのではなく、一連の都市計画全部が、たぶん、2年くらいも前から考えられていて、コンペで新競技場の建築計画案が決まったので表に出して手続したのだろう。
当然のことに、たくさんの関係者に事前に了解を得ているはずだから、けっこう早くから始めていたにちがいない。

現在この四季の庭の下には、新宿御苑あたりを源流とする渋谷川が暗渠になって埋められているが、これはどこかに切り替えるのだろうか。
渋谷川は暗渠で下流にながれて渋谷駅を過ぎたあたりで地上に顔を見せる。下水道化される東京の都市河川の典型だろう。
この立体公園となっては、ここではもう渋谷川が地上に姿を現すことはできなくなってしまった。もしかしたらデッキ上公園に、水道水の流れる似非渋谷川ができるのかもしれない。

さて、もうひとつの都営霞ヶ丘住宅跡地に移る霞丘広場の公園は、玉突き問題はないのだろうか?(つづく

参照◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/12/04

867【五輪騒動】都市計画談議(その2)なぜ隣近所を巻き込むのか

  <(その1)からの続き>
2020年東京オリピック用の国立競技場を建て替えるために、このあたりの都有地、国有地、神宮外苑用地、それに民有地など、64.3ヘクタールの広い地区に、地区計画をかけたのである。
かけたのは、東京都知事である。地区計画は3ヘクタール以上になると都が決定する。
だから東京都都市計画審議会がチェックをしている。もっとも、審議会議事録を読んだ限りでは、ほとんど実質的な審議をしていない。

一般地区計画(これは規制型)と再開発等促進区地区計画(これは緩和型)の2種類の地区計画をかけている。
どうしてこの新たな都市計画を必要としたかと言えば、その目的は実に明白で、オリンピック主会場となる新国立競技場がデカすぎて、今の敷地に入らないので、敷地を広げるためである。
もちろん、地区計画の文章にはそうは直接には書いていなくて、このあたりをもっと良い環境にしたいから、なんて意味が書いてるのだが、計画図を見れば明らかに国立競技場対策である。

つまりたったひとつの建物の建て替えが、都市レベルに大きな影響をもたらすほどの大規模な建築であるということだ。
新競技場を入れるには、今の競技場敷地をまわりにふくらませる必要がある。ふくらむ先には道路、公園があり、建物が建っている。しょうがないから道路の上を公園にしたり、テニスコートに建物を移転させたり、都営住宅をどかせたりするのである。まあ、玉突き状に周りを変えていくのだ。

となると、都市計画で決まっている道路や公園を廃止したり、新設したりする必要があるので、それは都市計画で対応するしかない。
ついでに、建て直す競技場やJSCビルの建築のために、高さ制限や容積率の緩和もしてもらおうって、JSCは考えたに違いない。当然それには知恵を授ける専門家がいる。それは都市計画プランナー事務所の名門㈱都市計画設計研究所が、JSCから受託したらしい。
そこで都市計画提案制度なるものを使って、一気にやってしまおう。で、それに適する制度として考え付いたのが、容積率や高さ限度を緩和できる「再開発等促進区地区計画」である。なるほど、そうなのだろうと、わたしはちょっと感心した。

というのは、再開発等促進区は、密集市街地での再開発事業とか、工場地帯の市街地への転換、大規模埋立地の市街地への誘導などの、土地の利用の仕方が用途や規模が大きく変わり、道路や公園を新たにつくる時に使う制度とばかりに思っていたからだ。
まさか道路も公園も整っていて、しかも都市計画公園の中で、既存の施設を同じ機能で建て替えるだけのために、これを使うとは、ほう、頭がいいなあ、こういうのもありなのかと思った。

だったら、その関係する範囲だけでやればよさそうなものを、隣の明治神宮外苑の中まで広げた地区計画になっているのは、なぜなんだろう。
つまり今度の競技場敷地拡大に関係する土地は、国有地と都有地の範囲だけで、私有地の明治神宮外苑にはまったく及んでいないのである。それなのに明治神宮も地区計画当事者に引きこむ理由はどこにあるのだろうか。

この全くどうでもよい都市計画趣味人の疑問解決のためには、地区計画の図面をしばらく睨んで妄想を働かせるしかないのだ。その妄想をおいおい書いていく。
地区計画の全体の範囲は、明治神宮の土地である外苑の明治記念館を除く全区域、国有地(国立競技場、秩父宮ラグビー場、西テニスコート、日本青年館)、都有地(東京都体育館、明治公園、明治公園、都営住宅)、民有地(外苑ハウス、青山通り沿い)等である。

これらのうちで、新国立競技場の敷地に関わる土地は、地区計画図のA-2地区で、巨大競技場のために敷地拡大し、高さや容積率の緩和をする必要がある。
だからこの範囲を緩和型の地区計画である再開発等促進区として、その整備の詳細である地区整備計画を定めている。
普通に考えるとこのA-2地区だけに再開発促進区の地区整備計画をかければよさそうなものだが、どういうわけか、隣近所のA-1、A-3,A-4地区までも定めてある。そちらにもなにか大きなものを建てるのか。

なぜそうなのか、推理小説でも読むような解読(ちょっと大げさか)が、この都市計画談議の面白いところである。(つづく

参照◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/12/03

866【五輪騒動】都市計画談議(その1)デカすぎ論も歴史的文脈論もいいけど

オリンピックが2020年に東京にやってきたら、その主会場となる新国立競技場の建て直し計画について、一部か主要か知らないが建築家の方々が異議を唱えておられる。
異議の中身はいろいろで、デカ過ぎて景観阻害だから小さくせよとか、建てなおすよりも修繕したほうが良いとか、工事費が高すぎてもっと安くしろとか、国際コンペ(もう1年も前に終わった)のやり方がけしからんとか、あれやこれやだが、概して建築屋らしい言い分である。

わたしはオリピック嫌いだから、無駄使いだとは思うが、新競技場がどうなろうと知ったことではない。ただ、建築と都市計画を趣味としているから、横からイチャモンを言ってはみたい。
これまでも、ちょこちょこ言ってきたが、ヒマに任せてちょっと長く言いたいので、連載することにした。

建築家たちの市国立競技場案へのイチャモンは、いくつかあるようだ。
そのひとつは、去年やったコンペのやり方がおかしいというものだ。
でもなあ、1年も経った今ごろになってコンペがおかしいと言うのなら、なぜ、コンペのとき言わなかったのかって、わたしは思う。

ふたつ目は、あの形が大きすぎるので、景観的におかしいというのである。
でもなあ、これも今年の春にあの大きさを許容する都市計画を決める手続きがあった時に、どうして反対の意見書をだして、法的な対応をしなかったのかって、わたしは思う。
もちろん、今になってあれこれイチャモンつけるのは、それはそれでよいことである。
でもなあ、建築家ってのは専門家だろ、だのに公開手続きがとっくに終わってからあれこれ言うのは、素人と同じでしょって、わたしは思う。

気になっているのは、建築家たちや市民の反対派の言に、あの土地の「歴史的な文脈を尊重せよ」なる言い方がある点だ。
あそこの歴史と言えば、どこまでさかのぼるのか。
18世紀か、19世紀半ばか、20世紀初期か、20世紀後半か、はたまた縄文期か、それによって大いに異なる。多分、いま歴史的文脈を説く人たちの心の底にあるのは、明治神宮外苑ができた20世紀初期、つまり1926年あたりのことだろうと思う。

つまり、明治大帝賛美のためにつくった外苑の景観を保全せよ、こういうのだろうが、さて、その王権賛美の空間は今、どうなっているか、そこのところも考えなければなるまいし、それよりなにより、いまどき明治大帝王権賛美の景観とはいかがなものかと、わたしは思う。
あるいは、1940年の東京オリピックの時に、会場にするしないであれこれあった時の偉い人の言葉を持ち出すのも、なんともアナクロニズムであると思う。
デカすぎ論も歴史的文脈保存論もいいけど、話が冗長的いや情緒的にになって、なんだかなあ。

その話は、また別のところにとっておくことにして、ここでは都市計画のことを考えてみた。もちろん、王権賛美の景観は都市計画と大いに関係するのだが、それも別においておく。
ここでは、このたびの新国立競技場改築計画を実行するにあたって、この競技場の敷地とその周りに「神宮外苑地区地区計画」なる都市計画が新たに定められたことについて、ちょっと考えてみたのだ。
といっても、わたしが知る情報は、インタネットサイトにでタダで拝見可能な公開されたものだけであって、裏情報は全く知らないから、推理と言うか妄想を働かせて憶測するのみで、信用してもらってはいけないので、じゅうぶんにご注意を。

とにかく、国立競技場という、たった一つの建物のために、なぜ、まわりまでひろ~く新たな都市計画をかけ、公園や道路の変更もできたのだろうか。
普通は、オレのうちを建て替えたいから、容積率と高さの制限を今の2倍に緩和してよなんて、都知事に言いに行ったって、相手にしてくれないよなあ。それがここでは日本スポーツ振興センターが言いに行ったら、OKになっちゃった。  (つづく

参照→「新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢ページ一覧
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/11/28

865【五輪騒動】新国立競技場のザハ・ハディド女史デザインの実施役はなんとまあコンペで負けた日本建築家なんだ

2020年東京オリピック用の新国立競技場の設計について、これまでの案は大きすぎると建築家たちに文句を言われている。
その事業主のジャパンスポーツセンター(JSC)が今日(2013/11/26)が発表したニュースに、コンペ当選案の規模から延べ床面積を4分の3ほどに面積に縮め、工事費も圧縮するとか。

で、これがJSC発表の現段階での圧縮案の配置だそうである。
なんだか、ますます競輪ヘルメットそっくりになってきて、いっそのことこの形のヘルメットをオリピックグッズで売りだしたらどうですか。

で、これがJSC発表の現段階での絵画館からの見え方予想図だそうだ。
さて、明治大帝御棺を置かせ奉ったる聖なる場所にあらせられるという、歴史的文脈景観保全派の方々も、これくらいなら坊主頭並びになって、今の野暮な鉄骨照明塔よりはいいやって、お許しになるだろうか、いや、まだ駄目ですかね、そういう問題じゃないか。

そしてまたニュースによれば、コンペで1等当選したザハ・ハディドのデザインを、彼女の監修のもとで実現に向けてのお仕事は、日本の設計事務所の日建設計+日本設計+梓設計+アラップジャパンの4社が寄ってたかっておやりになると、もう決まっているそうである。

で、JSCサイトを見たら、日建設計と梓設計はあの新競技場国際コンペに応募していて、最終審査でザハ・ハディド女史に負けているんだよなあ。
つまり、コンペでザハ・ハディド女史に負けた建築家たちが、負けた相手の女史の指図のもとに、彼女の当選案の実施図面をつくるってことらしいのである。

まあ、わたしにはな~んの関係もないことだけど(あ、tax payerとしては関係あるか)、どうもなんだかねえ、これって建築設計界ではよくあることなんだろうか。
いくらなんでも、負けた相手のデザイン実現の図面かきなんて、くやしい、はずかしい、わたしなら嫌だね、なあ、熊さん、八っつあん、そう思うだろ。

あのねえ、ご隠居そりゃあ料簡が狭いってもんですよほれ、よくいうでしょ、 オリンピックは勝つことではなく参加することにこそ意義がある」ってね。 そのお手伝い設計料がよっぽど高いのかも。
 

追記(2013/12/06)
この件は japan sport councilサイトの落札結果情報ページに次のように書いてある。
http://www.jpnsport.go.jp/corp/tabid/117/Default.aspx

・「新国立競技場フレームワーク設計業務」 H25.5.31  日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体  299,250,000円  【公募型プロポーザル方式】消費税等含む。

ついでに他にも新国立競技場関係で、このような業務を発注している。
・「新国立競技場等整備に係る発注者支援業務(平成25年度)」 H25.8.30 山下設計/山下ピー・エム・コンサルタンツ/建設技術研究所共同体 75,600,000円 【公募型プロポーザル方式】
消費税等含む。
・「国立霞ヶ丘競技場整備に係る基本計画策定に係る資料作成業務」 H24.4.23 (株)都市計画設計研究所 49,665,000円 【簡易公募型プロポーザル方式(拡大)】
 消費税等含む。
・「日本青年館の土地の取得等に伴い通常発生する損失補償額の調査・算定及び土地価格の評価業務委託」  H25.5.22  一般財団法人日本不動産研究所  37,590,000円  【一般競争】 消費税等含む


●参照
◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html


861明治神宮外苑はやっぱり神社の境内だからお祭りの賑わいがよく似合う

建築家たちの新国立競技場デカ過ぎ論には肝心の都市計画問題が抜けている

842なぜ今頃になって建築家は新国立競技場の計画案に異議申し立てなのか

【長屋談議】2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

2013/11/27

864【言葉の酔時記】子、子ども、子どもたち、子どもら、複数の複数って?

 日本語は英語と比べて、単数と複数の区別があいまいである。そもそも複数の言い方がもともとなかったのかもしれない。だって、人の複数は人々、品の複数は品々なんて、
まったくもって原始的過ぎる。もっとも、英語のようにgooseの複数がgeese、childがchildrenなんてむちゃくちゃが多いよりも、はるかに使いやすい。

 昨日の新聞(2013年11月26日朝日新聞朝刊 文化欄)に、あるインタビュー記事があり、こう質問している。
「いま、子ども を宿していらっしゃいますね」
 ふむ、このインタビュアーは、インタビュイーが妊娠中であることを知っおり、しかもそれが双子か三つ子の複数であると知って、そのことについて質問しているのか。
 ところがインタビュイーは、その多胎のことには答えていないので、質問の意図はそこではなかったらしい。

 と、わたしは思ったのだが、ふと気が付いた。インタビュアーは「子ども」が複数接尾辞がついた複数名詞とは思わなくて、単に「子」の意味で質問したらしい。なら、「お子さん」と言いなさいよ。
 近ごろは、一人っ子なのに「うちの子ども」なんて言うこともあるようだから、今や新聞記者にしてそうであるのか。
 でも、「うちの子ども」は、「手前ども」とか「私ども」と同じで、元来は謙遜語のはずなんだなけどなあ。
 
 それどころか、その逆に「子どもたち」と複数名詞に複数接尾辞をつけて、2重に複数のしてしまうことが、新聞用語にもかなり普通になっている。
 これは多分、「子ども」が複数ではなくて単数だと思い込んだ結果の表れなのだろう。そのうちに「子どもたちら」と3重複数語を言い出すことだろう。
 これに関連して思い出すのは、「おみおつけ」なる3重馬鹿丁寧語である。たかが味噌汁になんだよ。

2013/11/26

863憲法違反選挙制度で選んだ憲法違反国会議員たちの体制翼賛政治の活躍がどんどんと現れてくる

熊五郎■ ご隠居、寒くなりましたねえ。落ち葉で焚火なんて、いいですねえ。
ご隠居● おお、熊さんや、ようやくわたし好きな焚火の季節がやってきたよ

熊■ 焚火ってのは、けっこう難しいですね。ほっときゃ消えるし、モクモク煙ばかりになってはいけないし、かといって、アッという間に燃えつきでもいけない。その点、ご隠居は上手だ、コツがありますか、教えてくださいよ。
隠● おまえも、ときには人を褒めるのだね。そう、これにはコツがあるんだよ、でもね、教えない。
熊■ 何をケチなこと言ってるんです?
隠● あのな、じつは警官がやってきてな、焚火のコツについては特定秘密に指定されることになったから、教えちゃいけないってことになったっていうんだよ。
熊■ え、あの、いま話題の特定秘密保護法のことですか、まさかあ、たかが焚火ですよ。
隠● ところがそうじゃないんだよ、「特定秘密保護法第3条第1項別表4のロ」に該当するってんだな。
熊■ なんです、その長たらしいのは?
隠● そこだよ、いいかい、よくおきき。原子力発電所に放火するってテロがあるとするだろ、そのとき、素早くうまいこと火をつけなきゃならんだろ、それには焚火のコツが必要なんだよ。だから、このコツは特定秘密なんだな。
熊■ まさかあ、うっかり焚火のコツを教えてもらったら、あっしもご隠居も逮捕されるんですか。特定秘密保護法ってのはスゴイなあ。
隠● 「焚火のコツ漏洩禁止法」ってのもできるらしいよ。
熊■ はは、まあ、ご隠居のいつもの与太話としても、なんでこんなことを心配しなけりゃいけなんですかねえ。
隠● なあ、熊さんや、お前さんはこの前の参議院選挙の投票に行ったろ。
熊■ ああ、行きましたが、ご隠居はいつものように棄権と言うか、投票ボイコットでしたね。
隠● そうだよ、あの体制翼賛選挙で、いまの国会議員を選んだおまえさんたちが、この特定秘密保護法なんてヤツの、そもそもの原因なんだよ。
熊■ あ、そうか、衆参両院間のネジレもなくしたし、絶対多数の与党にしたのも、み~んな、今の国会議員を選んだ投票をした人たちなんですね、あっしも含めて。ってことは、原発推進も、TPP促進も、消費税アップも、物価上昇も、み~んなおいらが選んだ道ってことですか。
隠● そうなんだよ、しかもだよ、先日最高裁判所は判決を出したね、あの選挙は憲法違反状態だってね。憲法違反をして選んだ投票者、憲法違反で構成する国会議員ってことだよ。
熊■ 憲法違反の中で進める政治って、いったいこりゃなんなんでしょうね。
隠● あのなあ、憲法違反したらどんな罰則があるのか知らないけど、この前の選挙で投票した人は、おまえさんも含めてみんな逮捕されるのかなあ。
熊■ えっ、脅かしっこなしですよ。
隠● だって、憲法ってのはなにしろ日本で一番エライ法律なんだろ、それに違反したら一番エライ罰、つまり死刑になるような気がするけど、どうだい?
熊■ すごいね、投票した何千万人かが死刑になるんだ、て、ことは、ご隠居は投票に行かなかったから無罪、生き残るんですね。
隠● そうだよ、もちろん。
熊■ やれやれ、偏屈ものばかりが日本に生き残るんだ、そのほうがよほど困るような気がする。

参照◆政治家選挙否投票独りキャンペーン日録2013年7月

2013/11/25

862【言葉の酔時記】あの建物は建築か建屋か、はたまた物件か

今朝の新聞(2013年11月25日朝日新聞朝刊)の2面に、写真のような囲み記事がある。コーヒー嫌いのわたしには記事内容には興味がない。
読んでてひっかかったのは、この店の特徴である「8m近い煙突」の話の続きに、「物件がなくて500件くらい探しました」とあるところだ。

たった8mほどの煙突の材料なんて、鋼管でもコンクリでもそこらに普通にあるもので、探しまわるほどの建築材料ではあるまいと思ったのだ。
記事全部を読み終えて、ふと気が付いた。そうか、この物件とは、建築材料物件ではなくて、店を構える不動産物件、つまり8mの煙突の付いた建物のことであるか。

不動産屋が扱う土地や建物のことを「物件」というのは、不動産業界用語だとばかり思っていたが、いまや一般用語になっていたのか。
この記事のように、「建物」あるいは「建築」のことを「物件」というのが普通とすれば、「建築家」は「物件家」となるのであろうか。

そうだ、「建屋」という言葉もある。原子力発電所の建物のことである。震災による破裂と核毒バラマキ事件で初めて知った、
タテヤと聞くとなんだか軽々しくて、とてもあんな危険な原子炉を入れておくところには思えない。もしかして、本当に軽々しく造ってあったので、あんなに軽々と吹き飛んだのだろうか。
「建築」と「建屋」はどう違うのだろうか。原子炉用の建屋を設計した「建屋家」は、どう考えていたのだろうか。
もしかして原子炉建屋は、普通の建築よりもはるかに重要な物件だから、丁寧に設計したので、名称も別にして「建屋」としたのだろうか。それでも吹き飛んだのだから原子炉は怖い。

では、いま話題の2020年オリピック用の新国立競技場案は、建築か建屋か。
原子炉ほどの超重要なものを入れるのが建築じゃなくて建屋なら、国際的あるいは国家的行事のオリンピックメイン競技場だって、これはもう絶対に建屋と言うべきだと思うが、どんなもんだろう。
そうだ、原子力発電所とかオリンピック競技場のような超重要建築の設計をする者は、「一級建屋士」の資格を持った「建屋家」でなければならないように、制度改正してはどうか。

与太話はさておいても、「建築家」という言葉は何とかしたほうが良いと思う。「家を築き建てる」って、つまり大工さんのことでしょ、architectの翻訳語としてはかなりへたくそだと思うよ、忠太くん。

2013/11/23

861【五輪騒動】明治神宮外苑はやっぱり神社の境内だからお祭りの賑わいがよく似合う

国立能楽堂で「盛久」公演が終わって、ぶらぶらと神宮外苑方面に歩いて、そのまま青山から渋谷まで歩いてしまった。
絵画館前のイチョウ並木が、ちょうど葉を金色に輝かせていた。このイチョウ並木を青山通りから絵画館方面にまっすぐに見通させるのが、外苑ランドスケープデザイナー折下吉延の一番狙った風景デザインなのだろう。

視覚の焦点に絵画館の中心のドームタワーを据えて、イチョウを針葉樹のように頭をとがらせる剪定をして、しかもその高さを青山側から次第に低くなるように頭を切り、パースペクティブを強調する。
もともとイチョウの木はあのような円錐の樹形にはならない。自然には横に大きくばらけて広がるものだ。ここの並木の樹形は不自然きわまる風景をつくり、そして、そこにこそ意味があるのだ。

ヨーロッパの王族の造りに造り込んだ庭園を真似て、明治天皇の事績を表す絵画館への視点を絞り込むことで、日本にはなかった王権賛美の風景をつくりあげた。
日本の王権賛美の風景とは、奥へ奥へと王権そのものが見えないように囲い込むことで権威を高めるものだから、正反対の風景が登場した。それが日本の大急ぎの近代化の風景のひとつであった。

それにしても、あの高い木の剪定はクレーンに乗ってやるのだろうが、形がよくそろうものだ。毎年ではあるまいが、本数も多いから時間も金もかかることだろう。
イチョウ並木の道はほかにもたくさんあるが、あのような揃え方をしているところはないだろう。横浜の日本通もイチョウ並木だが、もっとおおらかである。王権賛美の風景のためには、あれほどの手間がかかるというものだ。

視界を前方に限定されていたイチョウ並木を抜け出ると、丸い噴水池が現れて風景の出直しを演出する。
そこから先には、芝生の大広場が出現して視界が広がり、その向こうに絵画館の威容が全貌を見せて、芝生の大広場の真ん中をまっすぐにつき切る園路が行動を絞りこみ、絵画館が待ち受けるという風景の新展開があるはずだったが、今はそうはならない。

ちょうどイチョウ祭りとかいうイベントが行われていて、イチョウ並木の終わる噴水池の周りには、B級がC級グルメだかなんだか知らないが、雑多な食い物屋台が並んでいて、猥雑にして喧騒な風景に取り囲まれる。
その屋台の向こうに、絵画館が坊主頭だけちょこっと見せて隠れている。なかなかの劇的な風景展開である。面白い。これこそ神社のお祭り風景である。

そう、ここは明治神宮の一角であった。内苑でお祭りをやっているのかどうか知らないが、外苑は秋祭りである。
ではその屋台の向うに回ってみると、下世話な草野球が何チームも現れて、ウロウロわあわあと眼にも耳にも喧騒なことである。ここが草野球の場になったのは、戦後の進駐軍に接収されてからだろうか。あ、そうだ、ここはあの「血のメーデー」デモ出発点だったところだ。
野球広場のまわりには何やら仮設小屋のような建物がいくつもあるのは、屋内練習場やら更衣シャワー室などらしい。向こうのほうには鳥かごのようなものとか、照明塔も見える。
今日は野球をしていたが、祭りの休日には大道芸とかもここでやるらしい。
その庶民的猥雑な雰囲気と絵画館の権威的な姿との対比が、なんだかもう笑いたくなるほどに面白いのだが、これらを折下吉延が見たら怒り狂う風景だろう。

だが、考えるまでもなく、ここは神社の境内なのだから、お祭りには露店、屋台が出るのは当たり前、サーカス、怪見世物、お化け屋敷などが小屋を建て、素人芝居の仮設舞台が出現するべきなのである。これこそが神社境内のあるべき風景なのだ。
浅草にみるように、やがてそれらの小屋が常設になる。神宮外苑では、素人芝居舞台が軟式野球場であり、見世物小屋が神宮球場である。絵画館は当初から造られた見世物小屋である。あ、あれは絵馬殿だな。
野球場やテニス、プールなどは、いわば貸し小屋で明治神宮のご商売の場であって、宗教活動じゃないから税金がかかるらしい。

隣接する国立競技場も秩父宮ラグビー場も東京都体育館も、その一連のものだ。これらも神宮外苑の施設と思っている人が多いようだが、外苑の外であることはこの案内図に見る通り。

なんでも7年先には、地球上の各地で4年ごとに持ち回りするお祭りがここにやってくるとかで、それに対応するために常設小屋のひとつを建て替えるとて、なんやかやと騒がしい。

屋台や草野球の喧騒を抜けだし、まっすぐに行けないので横に回り込んで絵画館にようやくやってくる。ここは聖域かと思いきや、絵画館のまわりの広場は駐車場と言う物置場になっているのであった。うっとしい風景である。
せめてここくらいは折下さんの意図を実現してあげてはいかがでしょうかと、思いたくなる。

では、この外苑計画のもっとも焦点たる聖なる場所に行ってみようと、駐車の間を抜けて絵画館をまわりこむ。
明治天皇の葬式を記念する葬場殿址があるはずだ。いわば絵画館は拝殿であり、葬場殿址は本殿ともいうべきところである。ところが、ここも駐車場なのであった。
明治天皇の棺をとめていた聖なる場所が、大きな記念樹となって姿を見せているのだが、まわりは変哲もない団体バス駐車場である。ここが聖なる場所としてデザインされたとは、誰が見渡しても思わない風景である。

おやまあ、明治天皇の葬儀の場をもって聖なる場所としたのではなかったのか、なんだか肩すかしを食わされた。このあたりのランドスケープデザインには、佐野利器がとりしきっていて、折下吉延は腕を発揮できなかったのか。こういう奥の風景は、日本的な仕掛けなので、折下にはむかなかったか。
あるいはかつては、聖なる場所としてランドスケープデザインされていたのだが、いつのまにか車置き場の修景植栽に改変されてしまったのか。
わたしは、聖なる場を求めているのではないが、なんだか外苑の王権的デザインの心理的なあるいは宗教的な焦点が見えなくなっていることを、不審に思っているのだ。

佐野利器は、イチョウ並木の青山通りの入り口両側に、石積みゲートをデザインし、並木の視点の行き着く先の絵画館の奥に、こちらにも石積みで囲う樹木による葬場址記念シンボルをデザインし、両端で完結したつもりだったのだろう。
さて、今はどちらも見忘れられたというか、無視されているようだ。
それを妙に考え過ぎるとすれば、明治天皇が死んで1世紀、日本もようやくに王権の風景を捨て去る時代になったと見ると、それはそれでよいことである。

黄金色のイチョウ並木は美しいが、わたしの生家のあった神社境内の巨木のイチョウのことを思い出せば、秋に散り敷く落ち葉の掃除が大変だった。ギンナンの実が臭かった。

(関連ページ参照)
◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

長屋談議 2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

2013/11/21

860国立能楽堂で能「盛久」(シテ野村四郎)の英語字幕を見てお経の意味がわかった

久しぶりの国立能楽堂、今日は野村四郎と宝生閑という、今の能楽界では大ベテランによる能「盛久」である。

1年ほど前に来た時はなかったような気がするが、各椅子の背に字幕が出てくる装置がついている。出てくるのは日本語と英語。日本語は謡の古語のままだから、耳で聞いて分からないところは読んだとて分らない。

英語は読めばわかるが、日本語のニュアンスは伝わらないのは仕方ない。だから耳では日本語、目では英語と言うのは、古語の解説つきで能を見ていることになり、これをやってみた。

文楽や沖縄の能である組踊、外国語の演劇やオペラなどでは、舞台の横に字幕が出てくる。この場合は、舞台の動きと字幕を同時に見ることができる。
しかし、国立能楽堂の前の席の背にある字幕と、舞台と同時に見ることは不可能だから、ちょっと都合が悪い。字幕を読んでいては舞台の動きを見逃してしまう。
なにしろ能はちょっとした足の動きで数百キロを動いてしまうし、ちょっとした首の動きで感情を表現する。だから、動きない場面でのみ字幕を読んだが、実はそれが役に立った。お経の意味が分かったのだ。

「盛久」ははじめて見る能なので、事前に岩波の謡曲集の中の逐語解説を読んできたので、筋書きや謡は分かっている。
だが、謡にお経の文句が入っていると、世にお経のようなものと言うごとく、どうせ分らないのだからとて、そこは読む気がしないのだ。
舞台で盛久が経を読むところは動きがないので、字幕の英語を読んでいたら、お経の意味が書いてあった。ああ、お経にも意味があるんだと知り、その経文(実は「偈文}というらしいが)の意味が、実はこの能の重要な役割なんだと知ったのである。

歌舞伎にはイアフォンガイドなる器械の貸し出しがあり、無線放送で耳に解説を送る。能楽でもこれをやろうとしないのはなぜだろうか。
能の舞台がわかりにくいのは、歌舞伎のように舞台装置やら舞台転換やらが、まったく無いことと、上演言語が古語のままであることだ。
その上、削ぎに削いだ筋書きと演技だから、観客の頭の中で演劇として組み立てることを要求する。そこに能の真髄とされる面白さがある(らしい)。
それを解説するイアホンガイドがあってよいだろうと思うが、ないところを見ると、日本オペラなんだから、耳でしっかり舞台の音を聞け、ということだろう、たぶん。

それもわかるが、わたしの隣にドイツ語を話す西洋人の風貌の3人の男たちが座って「盛久」を見ていたが、わたしでさえも眠くなったのに、字幕も見ず眠りもせずにいたのが不思議だった。
終ってから、そっと小さい声で笑い合っていたのは、なんだかさっぱり分らなかったなあ、と言っている感じだった。イアホンガイドがあれば良かったろうに。

さて「盛久」である。
作者は『歌占』『隅田川』『弱法師』などの名作者の観世十郎元雅、父の世阿弥が「子ながらも類なき達人」と期待したほどだが、惜しくも若くして死んだ。
でも、わたしには他の作品と比べてまったく面白くなかった。はじめからしまいまで清水寺の宣伝演劇である。弱法師が天王寺を舞台にしても、別に天王寺の宣伝にはなっていないのに、これは何かスポンサーとかの事情があったのだろうか。

開演と同時に、揚幕を出てきた囚人護送されている途中の盛久が、護送する側の責任者らしい土屋某に話しかけるのだ。
まだ橋掛かりの上を舞台に向かって登場の途中である。こういう演出ははじめて見た。面白い。
たいていの能は、ワキとかシテが自分はなんのなにがしであると、名乗ることから始まる。能に慣れれればそれが当たり前だけど、舞台の初めに自己紹介するなんてのは、演劇台本としては出来が悪い。

この能は、場面が何度も替わるのだが、もちろん能では観たところは全く変わらないから、観る方の頭の中でそのたびに舞台装置を造るしかない。これがつくれないと能を見る面白さが分らない。
舞台場面は、まずは京の街の中、つづいて桜の咲く清水寺、そして京から鎌倉への東海道下りの道中、鎌倉での屋敷内、由比ヶ浜、最後は頼朝館と変わっていくのだが、謡や動作をもとにした頭の中でやっている舞台転換を、視覚的に補完してくれるのが、囚人護送の輿(こし)の駕籠である。

盛久は、源氏に敗れて逮捕された平家方の武将であり、罪人として処刑されるべく鎌倉に護送用の駕籠に閉じ込められて東海道を東へと送られるのである。
その移動中は駕籠の中にいるので、舞台ではワキの駕籠かき二人が盛久の頭上に、駕籠にみたてた屋根のようなものを掲げる。
この駕籠かきと屋根とが登場したり引っ込んだりすることで、場面転換がわかる仕掛けである。東くだりの道行き場面では、駕籠かき役2人は屋根を掲げる片手を長時間あげっぱなしで、さぞ疲れて大変だろうと、見ていて気になった。

盛久は、清水寺の観音信仰に凝っていて、鎌倉について次の日に斬首されると言われて、その経文を読んで、観音の慈悲にすがるのである。
じつはここで上に述べた字幕を読んでいて、その経文がなんともすごい意味なのである。お経だから聞いてもさぱりわからないが、英語で意味を知って驚いた。ちょっとアレンジして日本語訳するとこうである。

「あのね観音様よ、わたしはあなたをこれほどにも信じているのだから、生きているうちにご利益をくださいよ。死んでからご利益あるなんてのでは、あんたは人を救う能力がないよ。むかしある人が王様の怒りにふれて、刀で処刑されようとしたときに、観音さまの力を信じて祈ったら、刀がいくつかに折ればらばらに壊れたそうだよ、どうだね」

ちょっとどうも、観音さまを脅迫している。そしてその晩に、誰かが替わってくれて命が助かるなんて、都合の良い夢さえ見るのである。
さてその次の日、処刑場の由比ヶ浜で、観音を脅迫して祈った通りのことが起きる。不思議に思った頼朝は盛久の処刑をやめさせるというのが、この能の話である。
清水寺の観音様のご利益はすごいもんだと宣伝しているのではあるが、へそ曲がりのわたしは、なんだかどうも素直にはそう読めないのである。

史実の盛久がどうやって死んだか知らないが、これは現在能ではなくて、様式の異なる夢幻能であろうと思うのだ。
世阿弥が発明した夢幻能形式は、後場で過去の出来事をワキが夢で見るのだが、この「盛久」では、シテ盛久が霊夢を見たと言った後は全部、彼が見た夢であろうと、わたしは思う。
これならば、古拙な信仰劇よりも現代的な演劇としての見方ができる。

後場での、盛久が頼朝の面前に出る重要な場面なのに、頼朝が舞台に登場しないのも、盛久は頼朝を見たことがないのだから夢にも登場させようがなかった、ということでは、どうだろうか。
そして延命して喜びの男舞から妙にあっけなく終幕となるのは、夢から覚めたのであると解釈するのだ。現実の盛久は無惨に斬首されるのだ。
こうやって勝手に頭の中で作り上げて観ることができるのが、能の面白さである。

謡いも語りも多い長い長い能で、上演1時間半もかかった。後半は調子が上がったが、前半はかなり冗長で、演劇と言うよりも謡を鑑賞するのであろう。退屈である。
ある場面での野村四郎の語りに、地頭浅井文義(の声のような気がしたが後見の浅見真州だろうか)のプロンプトが入った。空耳でなければ、わたしが観た四郎の舞台では初めてのことである。
野村四郎、77歳、次は12月の「関寺小町」、円熟した大家の大曲である。

国立能楽堂定例公演 2013年11月20日
能【観世流】盛久
シテ/盛久     野村四郎
ワキ/土屋某    宝生 閑
ワキツレ/太刀取 宝生欣哉
笛                      一噌隆之
小鼓                    飯田清一
大鼓                    安福健雄
地頭                    浅井文義

●参照→「能楽師・野村四郎