2014/08/31

992【横浜都計審傍聴4】都市再生特別扱い提案はお手軽鵜呑み都市計画か

 (前回からの続き)横浜駅西口駅ビル計画の話を続ける。

・これでも都市計画なのか?
 
 この都市計画案の内容を、横浜市都市計画審議会の傍聴で知った時、都市再生特区は事業者提案だが、地区計画は市の独自計画だと思った。
 なぜそう思ったかと言えば、特区が超スポット的超容積率緩和だけの提案なので、いくら都市再生特別法による特別扱いといっても、それはあまりに虫が良すぎるから、横浜市としては地区計画でいろいろと規制やら社会貢献してもらうことにしたのであろう、ということである。

 ところが、地区計画を見ると、先にも書いたように、これがはたして都市計画なのか、という内容である。ほとんど建築計画説明書である。
 まわりの土地利用や都市基盤がどうであろうと、提案者が建てる建築敷地だけを対象にする地区計画なら、他の地権者の同意をとらなくてよいから、しごく簡単に違いない。
 そう、面倒だから周りには地区計画をもちかけなかったのだろう。
 でも、それは地区計画ではないでしょ、フツーは、あの横浜市がそんなことやるのか。ってことは、ここは、やっぱり、特別地区なんだな、、う~む。

 でも、どうもおかしいので、もういちど資料を読み返したら、なんと、地区計画も事業者提案であった。そうであったか、なるほど。そりゃもうお手軽にやりたいに決まってる。
 でもなあ、その提案を鵜呑み?にした横浜市って、これはいったいどうしたことか。都市計画行政の先端を行く横浜市にしては、いくら特別地区でも、これはおかしい。
 提案から6カ月以内に処理しなけりゃならないって、都市再生特措法にあるんだから、しょうがない、面倒なことしていられない、お手軽都市計画で行け、ってことにしたのかしら、。

 都市再生特別地区ってのは、そんなにも特別なんですか? 
 ねえ、都計審の委員さんたちよ、都市計画については何も審議しないで、建築計画の質問ばかりなさっていましたよね、たった3つだけど。
 都市再生特別法による都市再生特別地区内では、建築計画を地区計画で決めることになっていて、そういう提案があったら、横浜市は鵜呑みにするのかしら、どうも分らん。

・「エキサイトよこはま22」とはなんだ

 あ、わたしは、それがいけない、と言っているのではない。建築計画と都市計画がドッキングするのは結構なことであると、原則的には思う。
 でもなあ、そうやって敷地ごとに都市計画を決めると、都市計画っていったいなんなんだってことになるような気がする。このあと横浜駅西口地区の各建物敷地ごとに、特区と地区計画提案が出てきたらどうするのか。
 横浜市お得意の都市デザインはどうなるのか
 これに対してこういう答えが用意されているかもしれない。「エキサイトよこはま22」なる整備構想に準拠しますから、大丈夫です、と。

 しかし、地区計画の目標の記述に引用されている「エキサイトよこはま22」は、法定計画でもないし、地区計画ほどにも内容はツッコミがない。
 こういう計画がお得意の、きれいごとが並ぶお題目である。お題目がいけないのではなくて、これでは地区計画の目標ほどにも、法的規制が働かないのが問題なのである。
 ①都市計画マスタープラン→②エキサイトよこはま22→③都市再生特区→④地区計画(目標→方針→整備計画)の段階を踏んでいるつもりだろうが、その法的根拠のない漠然内容の②を引きあいにして、そこから、いきなり敷地に飛んでの③と④の都市計画提案は、都市計画を逸脱しているとしか思えない。
「エキサイトよこはま22」土地利用・空間形成概念図

・西口駅ビルのどこがエキサイトさせてくれるのか

 ところで、「エキサイトよこはま22」の「エキサイト」ってのはなんだろうか。
 駅のエキと、場所を言う英語siteと、英語exciteの、語呂合わせなんだろうなあ、たぶん。
 「みなとみらい21」を越えたくて、もう一世紀先の物まね命名をしたのか。

 しかし、siteとは「エキサイトよこはま22」が対象としているような広い地区を言うのではなくて、せいぜい敷地くらいの広さを言う。
 とすればこれは駅敷地構想ということか。そうか、横浜駅西口駅ビルの敷地を対象とする構想でるあるのか、、、だから特別地区も地区計画地区も敷地レベルなのか、、ヨクデキテイル。

 exciteってのは、他動詞で興奮させるって意味だから、ここではコーフンさせてくれるんだな。コーフンさせてくれるなにかを造ろうってことか。どこか品がないネーミングだよなあ。
 それは知的コーフンか、身体的コーフンか。

 西口駅ビル計画には、なにかコーフンさせてくれる機能があるのだろうか。地区計画という建築計画説明書を読んでも、文化施設はないから知的コーフンはなさそうだ。
 そのいっぽうで、肉体的にもコーフンしそうなものもない。なにしろ風俗営業禁止建築だからなあ、、。

 その点、駅ビル付属の駐車場計画地の周りには、風俗系も飲み屋系もあれこれたくさんあるから、肉体コーフンさせてくれるよなあ。こちらが「エキサイトよこはま22」のコーフン拠点になるのかしら。
鶴屋町地区には肉体的コーフン施設があるなあ、エキサイトさせられるよ
とにかく横浜駅西口地区には、知的コーフンを起させるエキサイト拠点は今も計画にも見当たらないのは、どういうわけか。
 差別表現を承知で書くが、なにしろ出自が砂利と燃料置き場の荒れ地の、なにもコーフンのないところだったせいだろうか。いやまてよ、貯蔵燃料が燃えて大火事になり、市民をコーフンさせた事件が、昔々あったそうだなあ。

 さて、そうやって都市計画まで引き出して決めた駅ビルは、さぞやコーフンさせてくれる素晴らしいデザインであろうと、完成予想図を見ると、これが、、、。(つづく)

参照→991【横浜都計審傍聴3】http://datey.blogspot.jp/2014/08/991_30.html

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版)  ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

2014/08/30

991・【横浜都計審傍聴3】この地区計画は都市計画じゃなくて横浜駅ビル建築計画だよ

前回からのつづき)

・地区計画による建築内容規制

 横浜駅西口駅ビル計画について、JR東日本と東急は、計画都市再生特別措置法に基づく都市再生事業として、建設をしようとしている。
 そのために、都市計画の都市再生特別地区(手続き上は変更だが事実上は新設)と地区計画を提案した。そして今回の横浜都計審には、この二つの都市計画が議題に出されていた。

 ところが、この地区計画は、わたしが知っているこれまでの例と比べて、地区の範囲も内容も、異例の決め方であるとしか思えない。
 これが都市計画のひとつである地区計画なのだろうか、とさえ思う。
 地区計画は、用途地域等による規制では不十分な都市計画を、その地区にふさわしいないように規制するものであり、指定の範囲は街区を単位とする。
 つまり道路で囲まれている区域を、一体的に有るべき環境に誘導するものである。建築のひとつひとつを敷地ごとに規制するものではない。だからミクロの都市計画である。

 それなのに、この地区計画の土地の範囲は、横浜駅西口駅ビルの商業建築敷地、それに付属する200mも離れた鶴屋町駐車ビル敷地、その二つの敷地を結ぶ紐のような鉄道線路跡地の敷地、これら3敷地を計画の範囲にしている。それらの敷地を含む「街区」ではないのである。
 だから地区計画の範囲が、これまで他では見たことがないような、南北両端にこぶがある奇妙な細長い形であるし、あちこちに虫食いがある。
北から見る南へ細長い駐車場用地と鉄道線路跡地
地区計画範囲
駅ビル敷地(A地区)は、同じ街区の中で隣の敷地の相鉄ジョイナスや高島屋の建て替えがあるはずなのに、地区計画の方針区域にも入れていない。
 モアーズやその北の三角街区との間は、細い街路で歩道もないのに、建築セットバックするだけで地区施設として街路拡幅する気配もない。(下図)
右が駅ビル敷地 狭い前面道路だが地区施設として街路拡幅しないらしい
鶴屋町の駐車場ビルの敷地のある街区には、他に多くの建物があるし、この街区の西の道路は6m程度で歩道もない。なのにそれらを除外している。
 この街区周辺は、都市整備が必要な土地利用や都市基盤の状態である。それらについては、地区計画方針地区にも入れていない。ただただ駐車場用地のみである。
 要するにこれは地区計画ではなくて、駐車場敷地建築計画なのである。これが都市計画か。

 とにかく、このような建築敷地だけを対象にした地区計画、つまり敷地の都市計画には、初めてお目にかかった。
 なぜこういう都市計画になったのだろうかと考えているのだが、都市計画審議会の委員たちは、どなたも疑問に思わなかったのだろうか。その審議の無作為はどこから出ているのか。

・地区施設で建築動線を手とり足とり決める

 地区計画の区域ばかりでなく、その内容も建築計画そのものである。
 一般的に地区計画の方針は、もっとざっくりとした書き方をするものだが、ここでは事細かに建築の使い方を書いてあり、地区整備計画ではさらにそれが詳細になる。
 地区施設はほとんどが建築の屋内空間にあるから、建築動線計画を文章と概略図にしたようなものである。
地区施設位置図(都計審資料より)


地区計画(案)はこちら http://goo.gl/ieHUzQ
それらは、これほどの大きな駅の駅ビル建築計画をするなら、常識的に考えて当たり前に整備しなければならないものばかりである。都市計画の地区施設であろうとなかろうと、そうしないとここのように多くの人が利用する駅ビルとして機能しない。
 そのほかの用途制限も、工場や風俗系規制だから当然のこと、意匠についても社会責任のある大手の鉄道事業者なら、都市計画で言われなくても当然に守るべきこと、というより、まさか、やりそうもないことばかりである。

 一般には、地区計画区域内に複数の地権者がいて、それらに権利移動が起きると、それぞれの敷地で起きる建築行為を、任意の規定では守られないおそれがあるから法的規制をするのだ。
 ここのように、特定の事業のために、ここまで親切?に決めるのは、どうしてか。これが都市計画なのか。
 現役から遠ざかっているうちに、都市計画は建築計画と融合をしているのであったか。それはそれでよいことだが、、。
  
 都市計画行政の先端にいる筈の横浜市が、このような不思議な都市計画をするのが、不思議である。横浜市では、建築行政と都市計画行政は一体になったのか。都計審の委員は誰も、これを不思議に思わないのが不思議である。
 どうしてこういうことになるのか、ちょっと、このあたりのことを考えてみたい。都市再生特別措置法に問題があるのかもしれない。また、つづきを書く。 (つづく)
 
参照→990【横浜都計審傍聴2】http://datey.blogspot.jp/2014/08/990.html

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版)  ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

2014/08/29

990・【横浜都計審傍聴2】横浜駅西口ビル計画の容積率大幅緩和はどうやってひねり出したのか

前回からの続きhttp://datey.blogspot.jp/2014/08/989.html

・巨大駅ビル計画登場

 JR横浜駅をわたしが使い出したのは、1970年くらいからだったろうか、それから現在まで、いつもいつも工事をし続けている。その中には駅西口にあるホテルや駅ビルの工事もあった。
1960年頃の横浜駅西口駅前風景
今、それらが取り壊されて、東急線が地下に潜る工事がやっと終わったと思ったら、またもや工事である。それらの跡地に巨大ビルの計画が登場した。JR東日本が事業者となる「横浜駅西口駅ビル計画」である。https://www.jreast.co.jp/press/2013/20140302.pdf

 新しい駅ビルができることには、わたしも歓迎するのだが、これを都市計画の変更を伴う計画とするには、いくつかの疑問点がある。もちろん、この疑問は先日の都計審傍聴において配布された資料のみによるのであって、それ以上の情報は知らないから、的外れかもしれないがが、市民はこれ以上は知りようがないのである。
 この駅ビル棟及び付属駐車場棟の二つの建築とそれらを結ぶデッキ歩廊という3つの建築物について、3つの都市計画を定めるのである。

 3つの都市計画とは、第1には都市再生特区による規模と外形の決定、第2には地区計画による用途と地区施設等の決定、第3には建築物建て替えに関連して生じる地下特殊通路の変更追加決定である。
 これらの中で最もドラスティックな都市計画決定は、第1の都市再生特区による、容積率の変更である。現行都市計画による基準容積率は800%であるが、この特別地区指定によって124%に上昇する。なんと440%も容積ボーナスが出るのである。
 こうして横浜る駅西口には、天理ビル(1973年、27階建て、延面積38000㎡、高さ102m、容積率1040%、特定街区)、相鉄ビル(2008年、28階建て、延べ面積69000㎡、高さ115m、容積率1100%、特定街区)につづく第3の最も巨大建築(26階建て、延面積94000㎡、高さ130m)が登場することになった。
 3つの都市計画の内、この都市再生特区について、先ず疑問点を書く。

現行の都市計画で容積率は800%、それが都市再生特区で1240%に!

・都市再生特区の容積率大緩和はどう判断して決めたのか

 都市計画は、文字通り都市を計画するのである。建築とその敷地のひとつひとつについて規定するものではない。少なくとも複数の街区や公共施設を対象にする。
 ところが、この駅ビル計画では、その敷地だけをとりあげて容積率を5割増し以上にしている。いわゆるスポット都市計画である。これが街区ではなくて、街区の中の一部敷地であることに注視する必要がある。西口地区の2つの著いう高層ビルはどちらも特定街区であった。
 街区の中の一部敷地でも容積割増ができるのは、普通では考えられないので、たぶん、都市再生特別措置法なるバブルパンク後の不良債権解消と景気浮上のために、2002年に作った特別法を使うからだろう。
 この法律による都市再生事業を行いたいからと、土地をもっているJR東日本と東急の鉄道2社が、横浜市に都市計画で都市再生特区を決めて、容積率割り増しをしてほしいと提案をした。
 それを受けた横浜市は、その提案の通りに都市計画審議会に諮問したらしい。
 そんな、おれんちの土地だけ容積率をアップしてちょうだい』、なんて提案が通るものなんだと、驚く。しかも、なにか社会貢献の良いことをするから、ボーナスちょうだい、ではなくて、なんにもしないけどボーナスだけちょうだいって、提案である。
 それも100%増しとかじゃなくて、440%増しだからもっと驚く。
 西口地区に建った二つの特定街区建築は、それぞれ1040%と1100%だから、この駅ビル計画の大盤振る舞い要求ぶりがスゴイ。
 
 どこをどうすれば、そのような巨大ボーナスを民間事業者が獲得できるのだろうか。
 都市再生特区の指定については、一律の基準にによることなく、一件ごとに審査して定めるとされているから、これもそうしたのだろう。そして、提案されたそのまま鵜呑みにして決めた、ってことでは、まさか、あるまい。
 だとすれば、都市計画審議会は、なぜこの容積率巨大ボーナスを与えるのかを、きちんと審議することが必要だろう。しかるに、なにも質問もなく、もちろん意見もなかった。委員は理解しているのだろうか。
 若干言い過ぎを承知で書くが、この民間事業者への特定利益供与のようにも思える。だって、JR東は居ながらにして、その所有地の利用価値が5割以上も上昇したのである。どんな公共的公益的な貢献があるのだろうか。

・この後に出てく建て替えでも敷地ごとに大緩和するのか

 横浜駅西口地区では、相鉄ジョイナスや高島屋の建て替えが報道されているから、そのほかの多くの老朽ビルも、次々と建替えするかもしれない。
 そのとき、うちの敷地も800%を1240%に緩和してくれと、それぞれから都市再生特区提案が出てくるだろう。
 公平を期するとして、駅前広場に面する建築はもちろん、西口地区一帯では提案が出るごとにひとつひとつ、どこの敷地でも都市再生特区にして1240%に緩和するのだろうか。
 あのあたりの昔の都市計画による貧弱な都市基盤が、それに耐えられるのだろうか。景観はどうなるんだろう。

 このあたりの疑問を、都計審には審議してほしかったのである。
 委員の方々はなにも質疑されなかったのは、なにか私の知らない事情をご存じだったのでしょうねえ、教えてくださいな。
 敷地ごとに都市計画を決めていては、これはもう都市計画を逸脱している。
 だから同時に決める地区計画で、そのあたりをうまく補完しているのかと思ったら、これも疑問だらけであるので、次回からそれを書く。 (つづく)

参照→989・【横浜都計審傍聴1】
http://datey.blogspot.jp/2014/08/989.html

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版) ●本文版
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

2014/08/28

989・【横浜都計審傍聴1】素人委員ばかりで実質審議をしないまま原案通りに承認

・都市計画の素人ばかりで都市計画を審議

 昨日(2014年8月27日)の午後、横浜市都市計画審議会が開催され、わたしは傍聴に行ってきた。いつものように、どの議題も短時間に異議なし、原案通りに可決であった。
 今回の審議会の議題は6件あり、うち3件は横浜駅西口駅ビル計画であり、実質ひとつの議題である。あとの3件は特別緑地保全地区の指定である。
 これらの中で、大課題をもつものは横浜駅西口駅ビル計画である。わたしはその中身をある程度は知っていたので、この問題含みの巨大開発を、都計審がどう審議するのか興味があって、傍聴にいったのだった。

 審議会の時間はほぼ1時間15分、説明時間ばかり延々と長く、委員の発言者は4人のみ、それも質問ばかりで意見は無し、実質的に審議は10分くらいである。その中身も、都市計画決定事項の内容にかかわる発言は、皆無であった。
 出席委員は、委員総数25名の内16名であるが、都市計画専門家は会長ただ一人で、大学関係者7名が欠席、学識委員の出席者は業界代表ばかり。
 これに対して市議会議員の委員は、1名欠席の9名の高出席率である。
 簡単に言えば、ほぼ全員が都市計画の素人の委員で審議をしたのであった。都市計画の内容にかかる審議がなされなかったのは、当然のことである。

・審議すべきことを素通り

 横浜駅は、戦後の急成長して横浜の最も中枢に都心になった地域で、巨大開発があとからあとから連続している。ここにさらに巨大開発がはいってくることについて、都市計画としてどう評価するのか、そこのところを審議会で聴きたかった。
 わたしはこの議案の計画内容について、新駅ビルができることはよいのだが、都市計画的に若干の疑問があり、都計審がどう審議するか興味があった。
 疑問のひとつは、この計画は単なる二つの敷地の建築建て替え計画であって、どう見ても都市計画ではないような気がすること。
 もうひとつは、それにもかかわらず、駅ビル用地の都市計画の現行容積率800%を1240%に変更すること、つまり単独ビル建て替えに対して都市計画で5割以上もボーナスを与えるのだ。
黄色線枠内が都市再生特別地区と地区計画地区の範囲だがいかにもゲリマンダー

駅ビル敷地だけを現行容積率800%から1240%に大型ボーナス変更する

 委員からの発言は、質問が3つあったのみである。
 その1、高齢者にバリアフリーはどうか。市の回答は、事業者に努力するように指導する。
 その2、市からお金を出すか。回答は、地下の歩行者専用特殊街路整備費に3分の2補助するが、そのほかはない。
 その3、河川からの出水対策はよいか。回答は、防災センターを地上階に置き,地下に200トン貯留槽を設けて対応している。
 ということで、都市計画とは直接関係のない質疑だけで、実質審議時間10分足らず、ほとんど実質審議しないで、原案通り承認した。
 わたしが聴きたいことは全然でなかったばかりか、あまりにあっさりと承認したことに、ちょっと呆れた。というよりも、いつものとおりのアッサリ審議会(別の言い方だとダメ審)だなあと思ったのである。

 この計画の何が問題か都計審の委員は分っていないらしいので、明日からそれを書くことにする。つづく

参照→これまでの横浜都計審イチャモン弧乱夢

参照→●あなたの町の都市計画はこんな会議で決めている(要約版) 

2014/08/27

988エエッこんどは日本海大津波だとかでもう日本列島に住むところがない

 エエッ、おお~、今度は日本海地震、最大23m高さの大津波だってえ~ッ、。
太平洋岸が東も南も大津波で大変なのに、こんどは日本海沿岸も、だそうである。
 そして、こちらの海岸にも、ちゃんと原発群が、待ち構えているのであったか。
 それじゃあと言って、山に居を構えると、土石流の山津波に襲われる。それではと、川っぷちの平地に住めば、ここにも氾濫洪水がやってくる。

 原発がないからと沖縄に逃げると、広大なアメリカ軍基地が待ち構えている。
 集団的ナントカかんとかで戦争できる日本国になったらしいから、戦争になったら敵国から一番に攻撃を受けるのが沖縄かもしれない。
 日本列島に安心して暮らすことができる場所は、いったいどこにあるのだろうか。

 でもなあ、考えてみると、災害を怖がるのは、自分がそれで死ぬという恐怖なんだよなあ。
 だとしたら、人間だれでもいずれは死ぬんだし、わたしはその時期にかなり近づいているんだから、ここでじたばたしてもしょうがない。
 海津波でも山津波でも核毒でもミサイルでも、なんでもいらっしゃい、どうせ死ぬ身がちょっと早まるだけだもんなあ、ってなもんである。

 しかしなあ、こういっている老人が、いざというときに泰然自若とするかというと、実は一番にオロオロして、あたりに迷惑かけそうな気もする。
 もっとも、大勢のジジババが、津波が来ようとミサイルが来ようと、泰然自若として梃子でも動かなくなると、それはそれで救助隊を困らせるだろうなあ。

地震津波核毒原発おろおろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

2014/08/24

987超安物新品千円CHINA扇風機と高額修理費でも3連続故障CANONプリンター

 近所の中型電器屋で、扇風機をみつけ。それがなんと980円!、ついふらふらと買ってしまった。いつだったか、なんでも百円屋でつい買った時計と同じく、安物買いである。
 まあ、買った理由というか、言い訳がないこともない。今わたしの書斎兼寝室にある扇風機は、もう30年くらい前に買ったような気がする代物である。
 いや、あの真っ黒な羽根がブンブン回るヤツじゃないよ、それほど古くはない。タイマーがあるし、首ふりもする。
新旧扇風機出会いの図 右の旧がしょげている様子

 これを使っていて気になっていたのは、長く回すとモーターのあたりが、熱いほどではないが、温まるのである。なんでも古い扇風機が燃えたという話を読んだこともあって、ちょっとは気にしていたのである。
 だから、新品を買うべき理由があると、自分に言い聞かせて、千円札でおつりが来る値段に反応したのであった。

 旧の値段は、忘れたが1万円以上はしたような気がする。10分の1以下とはどういうことか。80年代(70年代かも)の東芝製だから、あのころは日本で作っていたのだろう。人件費が高かったのか、需給関係でメーカーが強かった頃か、。
 新は聞いたこともないユアサプライムスという日本の会社らしいが、これはあの電池メーカーの関連会社だろうか。made in chinaと小さく書いてある。ネットで見ると卸売業とあるから、中国製品にブランド名だけつけて輸入販売しているのだろう。

 新は重さが旧の7割くらいになり、旧は回るとき若干の振動があるが新にはない、旧は羽根が4枚で新は5枚など、簡単な製品でもそれなりに技術革新があるらしい。
 百円屋のダイソーで以前に買った百円時計(中国産)は、まれに独断休憩をすることがあるのだが、この千円CHINA扇風機もそうするだろうか。時計と違って中休みされても、こちらに不都合は発生しないが、さて、、。
 なお、この新扇風機は2014年製造であるが、説明書に6年間使用が可能と書いてある。それを過ぎると独断休憩したり、火が出たりするのかもしれない。

 うっかり扇風機を買った店に行った目的は、プリンターが故障したので修理に持って行ったのだ。7月からこれで3回目の修理である。
 このプリンターは4年前に26800円で買ったので、それなりに高い代物である。本づくり趣味のためによく働いてくれた。

 7月の故障で修理代を11500円支払っている。これだけ出せばいまでは新品を買える。
 その7月の修理から戻ってきて1週間目に、また故障した。その2度目の修理から戻ってきて20日目に、また故障である。新品が買えるほどの修理代を取りながら、真面目に修理したのか、CANONは。

 CANONプリンターってのは、4年使ったらもうおシャカになるって代物か。
 そういえば、プリンター用のインクを百円屋で売っているなあ、ならば、千円プリンター出現も近い。ユアサ何とかさん、よろしくお願いします。
 

2014/08/23

986少年の戦争の日を語るアラキジュ仲間生前遺稿集でも作ろうかなあ

 いまやわがことながら昔々になってしまったが、東京の大学寮で暮らしていた時期があった。
 その同じ大学の同じ大学寮で生活をしていた、わたしの同期生たち39名のあいだで、メーリングリストによる連絡網がある。その管理人を、わたしがしている。

 靖国神社と千鳥ヶ淵に野次馬徘徊に出かけた日、ふと思いついて、
「1945年8月15日の終戦の日に、あなたはどこで何をしていましたか」
と、この連絡網でみんなに聞いてみた。
 誰もがいまは喜寿のあたりだが、その時は国民学校初等科の1~3年生、ようやくに世の中のことが見えてきて、記憶をもっている年頃だ。
 日本の大激変の日、少年の行方を決めた日を、どう迎えたか。

 大学の中にあった学生寮だから、全国各地から東京にやってきた者たちである。
 大学のある東京に家があったものも、その頃は空襲を避けて疎開で各地に移っていたから、東京でのその日の体験者はないようだ。
 ほかの都市に住んでいたものでも、田舎に疎開してそのまま住みついて長じ、大学に入ってきたものもいる。

 わたしのように、小さな田舎町でのほほんと育った者もおおいが、それはそれなりに戦争を体験している。わたしはあの日、あの放送の時の大人たちの沈黙しきった姿を記憶しているし、それから始まる飢餓の日々の記憶の方が多い。
 あの夏、原爆も含む空襲による戦災、満州や朝鮮の外地から引き揚げなど、混乱の中で生命の危機に係わる過酷な体験をした者たちもいる。
 原爆について言えば、しっかりと被曝して生死をさまよった者、きのこ雲を遠くから眺めた者、被爆した近親者がいる者など、複数のそれぞれ原爆体験者がいる。

 若い日々のある年を一緒に過ごした仲間のひとりひとりが、幼少時の1945年という同じ年の同じ暑い日々を、まったく違う土地で、まったく違う環境にいたのに、戦争でつながる体験を語るメールが、次々とやってくる。
 実は、このメーリングリストは、平素はたいして情報交流はない。ときどき書き込む常連がいるが、その一方で読むだけ常連の方が多い。

 それなのに、この問いかけについては、過半数の仲間が語ってくるのを読み続けて、この暑い日々は驚いたり感銘したりして過ごしている。
 それらはまるで、敗戦の年の日本の縮図である。
 そろそろ戦争のことを語っておこう、と思うアラキジュの年頃になったせいかもしれない。
 みんなのメールをまとめて編集して、「少年の戦争の日々を語る生前遺稿集」にでもしようかなあ。

参照→「少年の日の戦争」(伊達美徳)


2014/08/21

985【地震津波火事原発】土石流想定地域の真っただ中に人々は住んでいる現実は!?!

近ごろ災害が多いような気がする。しかも、自然の変調によって起こる災害が。
 自然が変調しているとは、なにか地球に異変が起きていることだろうか。では、昔はそれほど変調がなかったのだろうか。
 統計を見ないと分らないから、単に多いような気がしているだけかもしれない。

 災害の意味を考えているのだが、災害による被害者は人間である。まあ、牛とか犬とかも被害獣になりうるが、これを災害というときはそれらに持ち主がいて、金銭的あるいは情緒的な被害があるときで、野良牛野良犬なら被害とは言わない。
 人間がいるから災害が起きる。とにかく人間がいなけりゃ、災害は起きない。この世から一切の災害がなくなるのは、人間が途絶えるときである。
 絶海の無人島で火山が爆発して溶岩がどんなに流れようと、災害は起きたとは言わないのは、いま小笠原の西の島で現に起きている現象である。

 地震津波山崩れ洪水などを自然災害と言う。だが、自然の側からは、こう言うだろう。
「そりゃ違うでしょ、人間災害でしょ、こっちは自然の摂理で動いているだけだよ。
 人間が、山を削るから、谷を埋めるから、海を埋め立てるから、それらが元の地形に戻るように身震いして動くのが、自然の摂理なんだよ。
 人間が勝手にそこにいて災難に遭っているので、文句あるならよそに行きなさいよ。
 地震が嫌なら地盤の良いところへ、津波が嫌なら山間部へ、山崩れが嫌なら山から離れて、洪水が嫌なら河川から離れて、そういうところに住みなさいよ。
 そっちから飛んで灯にいる油虫どもが、何を言うか」

 放火とか原発事故のような人為的な原因での「人為災害」と区別するために、自然の摂理がもとで起きた災害を「自然災害」と呼ぶのだろう。
 そういう自然災害が起きそうなところは、その昔は人々の長い間の知恵で、住まないようにしてきたのに、人口増加時代には、そんな所は土地が安いので、開発して家をつくって住んでしまうことになった。
 当然のことに、そこには災害が起きる。災害が起きると、ここは危険な区域だったのに、行政がそのことを知らせなかったのはけしからん、などという人が出てくる。
広島市南安佐区の土石流被災地の被災前の姿  住宅地が急斜面を登っていく  数字は標高

上の写真の被災中心部の被災前の風景 右が県営住宅 google street
いまではハザードマップを公表するようになったが、かつてはその公表には社会的抵抗があった。土地建物の資産価値が下がるからと、各方面からの抵抗である。不動産業界はもちろんだが、住民に根強い抵抗がある。
 東日本大震災で、津波に襲われた沿岸各地では、都市計画でその被災地を原則的に住宅建設を禁止にしたところが多い。それらの地域では、津波被災は3・11が初めてではないにもかかわらず、被害に遭ってはじめて住宅禁止にできたのだ。

 東南海トラフが暴れる大津波がやってくることが、そう遠くない時期らしいと、今では誰もが分っている。
 それなのに、関東から九州にかけての太平洋沿岸の津波被災予想地域での、住宅禁止の都市計画の事例を知らない。みっしりと立ち並ぶ現在の住宅地を、今の段階で住宅禁止区域に指定するには、膨大なる抵抗があるだろう。

 わたしたちは実際に被災を経験しないことには、災害予防の対応ができないのだ。
 たぶん、東南海大地震に伴う大津波がやってきた後になれば、住宅禁止指定できるのだろう。
 都市計画で自然災害を予防することは、どうも無理らしい。

(追記2014/08/24) 広島県が「土砂災害ポータルひろしま」として公開している災害危険地図サイトを知った。
http://www.sabo.pref.hiroshima.lg.jp/portal/map/kiken.aspx
 今回の災害があったあたりの、土石流の巣のような地図が、以前から公開されてたようだ。下の画像はその中の安佐南区八木のあたりのコピー。
 これと上の災害前の空中写真を見比べて、いやまったく、
土石流想定地域の真っただ中に人々は住んでいる現実は!?!


地震津波火事原発おろおろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html 
 

2014/08/20

984・戦争でも死んでしまえば敵も味方もないだろうと地域別戦没者数を見て思う

 8月15日に訪れた千鳥ヶ淵戦没者墓苑の入り口の脇に、大きな説明版がある。東アジア、東南アジア、中部太平洋の地図に、各地域ごとの戦没者数が書いてある。

 先の大戦における海外主要戦域別戦没者数一覧図 
 総数 2,400,000人
 備考
 1.本図の戦没者数は、昭和12年7月7日以降、各主要戦域毎の軍人軍属及び一般邦人の数    である。
 2.国名地名は、平成15年4月1日現在の表記である

 つまり、盧溝橋事件の日、日中戦争が本格的に始まった日からである。
 ということは、日本の戦間期は、日露戦争が終わった1905年から、この1937年までであったのか。でも、わたしの父は、その前の満州事変と言われる戦いに兵役について、万里の長城で戦闘に参加した。

 地図に記載されている主な地域の死者をあげると、中国本土465,700、旧満州245,400、フィリピン518,000、中部太平洋各地247,000、東武ニューギニア・ソロモン諸島246,300、ミャンマー・インド167,000などなど、ものすごい数である。

 そんな遠くまでそんなにも大勢が出かけていって死んだのか。しかもこの数字は、「軍人軍属及び一般邦人」とあるから、軍隊の構成員でない人たちも含んでいる。
 その一般邦人がどれくらいの数だろうかと気になった。ネットで調べていて、下記のサイトを見つけた。
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html

 そこには軍人軍属の戦没者数を書いてある。これに、上記の墓苑のにある掲示の数字をそれぞれに赤で書き込んで比較して見た。
 これをみて驚くのは、旧満州地域である。軍人軍属が46,700人に対して、一般人が20万人近くも死んでいることである。
 軍の庇護のもとに進出して行った日本人たちでさえ、これほどの死者数ならば、現地の住民たちはどれほど死んだのか。

 さらに驚くのは、沖縄では軍人軍属89,400人に対して、一般人が10万人近くが死んでいることだ。
 日本での地上戦でこれほど死んだのなら、そのほかの各国の各地の地上戦では、そこに暮らす人々がどれほどの人が死んだのだろうか。

 死んでしまえば敵も味方もないだろうから、両方の戦没者を記録することが、次の戦争を防ぐための道だと思うのだが、どうしてそうならないのだろうか。
 地域ごとのその国の人々の死者数をネットで探したのだが、どうしてもうまく見つからない。

参照→靖国神社の喧騒と千鳥ヶ淵墓苑の静寂


2014/08/16

983終戦記念日の靖国神社の喧騒と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静寂に思うことども

 今年も8月15日に、靖国神社に行ってきた。参拝ではない。まあ、徘徊老人のヒマつぶし野次馬見物である。この暑い陽射しの中を物好きなことである。
 実は去年もこの日に行っているし、その前は2005年に行っている。
https://sites.google.com/site/dandysworldg/yasukuni20130815

 何を見物かと問われれば、あそこは日本社会のある断面の歴史が、ギュッと詰まっているところであり、それが8月15日になんとなくほどけて、なにやかやが露出してくるようなので、それを眺めに行くのだ。
 参拝しないのは、まったく宗教心はないし、霊なるものをまるで信じないからだ。ここに限らず神社仏閣教会いずれでも、拝礼しない。ちなみに、わたしは町の鎮守社の宮司の子に生まれ育った。

 去年は8年ぶりだったので、ちょっと面白かったが、今年は去年と同じ風景で、野次馬見物客としては、なんだか興が冷めた。
 九段坂には、あい変わらぬ右っぽい人たちが露店のごとくに構えていて、ビラを配り署名運動をしており、多くの人が署名している。
 境内でも、河野談話とか従軍運慰安婦とかに異議を唱える書物を積み上げて売り、戦没者慰霊施設設置反対やら、天皇参拝を望む署名活動をしている。

 広場の群集の中に軍服コスプレ男たちがいて、拝殿の前から参拝の長い行列、VIP参拝用の社務所玄関にテレビカメラが何台も国会議員を待ち受け、遊就館なる戦争賛美博物館も賑わい、群衆には男女の若者が多くいて、それは初詣の風景と見まがうのであった。
 この暑い日差しの杜の中の喧騒は、なにもかも去年と同じであった。 

 そこで今年は早めに切り上げて、靖国神社が目の敵にしている、千鳥ヶ淵戦没者慰墓苑に行ってみることにした。初めてである。
両岸の桜の杜の緑が濃い千鳥ヶ淵に沿って歩けば、ここは喧騒から逃れて、セミ時雨が降り続けている。ふとおもいついて、セミ採りならぬセミ撮りをしつつ行く。
 横浜都心のセミもそうだが、ここのセミも逃げないので、手を伸ばせばひょいと捕まえてしまうことができる。少年時に育った神社の境内のセミは、近寄ると素早く飛び去ったものだ。しかも小便をひっかけて。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静寂なることは、喧騒の靖国神社とは大違いである。こちらは十数名、あちらは数千人、今日が特別な日であるならば、なぜにこうも違うのか。
 こちらは36万人の無名の死者たち、あちらはA級戦犯など超有名人も含めて名を持つ246万人の死者たち、この差だろうか。
 もうひとつ大きな差があるのは、こちらは遺骨という実体があり、あちらは遺名だけで実体が無いことだ。
 死者は生者の心にしか生きられない。実体があろうがなかろうが、生者は名も知らぬ死者に礼を尽くすことはない、ということか。一般にそういうものなのか。
 もっとも、無神論者のわたしは、どちらにも礼を尽くさないのである。

 献花の名札を右から順に、フォーラム平和・人権・環境福山真劫、衆議院議員簗和生、民主党、公益社団法人日本会、内閣総理大臣安部晋三、天皇皇后両陛下、呉竹会頭山興助、社会民主党党首吉田忠智、う~む、この右から左までの取り合わせが、この墓苑の今の位置を示すのか。

墓苑の入り口の脇に大きな説明版がある。そこに東アジアの地図「先の大戦における海外主要戦域別戦没者数一覧図」があり、総数240万人とある。
 地図に記載されている主な地域の死者をあげると、中国本土465,700、旧満州245,400、フィリピン518,000、中部太平洋各地247,000、東武ニューギニア・ソロモン諸島246,300、ミャンマー・インド167,000などなど、ものすごい数である。
 そんな遠くまでそんなにも大勢が、わざわざ行って死んだのか、と眺めていて、ふと気が付いた。
 出かけて行った先は外国である。そこで戦争をして日本人が死んだということは、外国の戦争相手や巻き込まれ住民たちも戦没したはずだ。その数はいったいどれくらいか。

 日本軍はフィリピンのマニラで市街戦を行ったので、巻き込まれた住民が10万人以上も死んだという。ほかの地でも同様なことが起きただろう。わたしの叔父もマニラで戦ったが、追われて東部山地で戦死した。
 戦争をしに出かけて行ったこちらは死も覚悟だろうが、やって来られて戦争された住民はたまったものではない。その向うの立場の視点を忘れそうになる。
 生者に生きる死者は、生者に対して死者の側からのみ過去を見させるのだろう。

 この海外戦没者の地図を見ていてもう一つ気になったことは、国内戦没者もいたことを忘れてはいけないことだ。
 1942年から全国各都市が空から爆撃を受けた。それによる死者は33万人とある。45年3月の東京大空襲の一晩で10万人も死んだ。
 そしてこれこそが、上に述べた外国のその地の人々の戦没者と同じ立場に、日本人もあったのだ。攻撃が地上か空かの違いだけで、マニラの市街戦と同じである。
 戦争が終わってあしかけ70年、客観的に俯瞰することができるだけの時間は十分に経ったと思うのだが、靖国神社ではいまだに死者の戦争が続いている。

 墓苑は静寂だったが、納骨堂からふと振り返ると、その景観は靖国神社よりも喧騒であった。