2018/06/16

1341【フェイスバカ2018年6月前半与太話】加計嘘学園、特殊女性、金トラ会談、キンモクセイウンコ、財務省捏造、ウヨ野田洋次郎


2018年6月1日 その場の雰囲気で大ウソ
多額の資金助成してくれる行政機関との会議で、「その場の雰囲気で」あんな大嘘を平気で吐く人が、事務局長ってお偉い役にいる加計学園、ふ~ん、ウソのつき方を教える学校法人か、
 「たぶん自分が言った」のもウソ、言った内容もウソ、「それ以外に誤りはない」のもウソだね、なにが本当かしら?ので、政官公学が手を携えて、ウソつき人材育成に頑張ってください。
 でもなあ、牛馬豚鶏犬猫にウソが通じるのかなあ。

6月1日 一般女性
「一般女性」って言い方があるのかあ、
じゃあ「特殊女性」又は「特別女性」もあるだろうな、
どんな人のことを言うのかなあ??
もちろん一般男性、特殊男性もあるんだろうなあ、
わたしはどっちなんだろうか??
一般と特殊の境目はどこにあるんだろうか?
でも、これって差別用語のような気がするなあ、

6月3日 長者町8丁目風景
横浜・長者町8丁目にあった、夏には目を楽しませてくれた緑の館が、2018年夏、こんな姿になっちゃった、つまんない
横浜都心部の戦後復興まちづくりの主役「防火建築帯」のひとつ、「長者町8丁目共同ビル」は、昨日前を通ったら、きれいに撤去されてしまい、敷地は白い工事用仮設塀に囲まれていた。その60年の生涯を終え、どんな姿に生まれ変るのだろうか。
このビルについては5年前にこんなことをブログに書いていたのだが、
http://datey.blogspot.com/2013/06/797.html

6月3日 【金さんガンバレ】
ガンバレ、金さん、トラさん、両国とも非核化するンだね、 エライッ。
交渉ごとの常識から言って、どっちか一方が非核化するんじゃないよね、相手に非核化を迫るなら、まず自分が非核化するのが常識だよね、これで地球上の2国が非核化するんだねえ、そうしたらロシアもチャイナもフランスもイギリスも雪崩うって非核化だね、エライッ、金さんにもトラさんにもノーベル平和賞きまり!、

6月4日 財務省捏造関係者懲戒処分 
他人事ながら、貧乏ショミンは案じておりまする。

6月5日 臭気公害 
昔々、汲み取り便所に、キンモクセイの香りの液体ボトルを置くことが、流行したことがある。
 わたしはそれ以来、本物のキンモクセイを嗅ぐと、ウンコを連想するようになった。その連想はさらに進んで、例えばエレベーターの中で、女性の強烈な香水を嗅ぐと、ウンコを連想する。
 この広告を見て、石鹸屋のような香料関連業界も、なんでも香り(匂い、臭い)をつけりゃよいだろうってことのオカシさに、ようやく気がついたらしい。
 ところでこの「シャボン玉石けん」って、まだあるんだね、昔々、「シャボン玉ホリデイ」って、TV番組を見たもんだなあ。

6月5日 財務省捏造事件
いろいろと解明できぬことを残して、半端な調査とゆるい処罰にしているのは、ヒマ老人の興味がまだまだ尽きないように、財務省による高齢者ボケ防止の福祉政策ですね、
ありがとう。

6月6日 捏造列島 
政府も捏造、銀行も捏造、自動車屋も捏造、捏が日本を覆ってる、わたしも、せめてネツ出して寝ようかな、

6月7日 コッペパン 
こんな新聞記事で思い出すのは、食い物の恨みだから、懐かしいよりも、むしろ哀しいのだけど、でもいっぽうでは、こんな時代になったことを喜ぶのでもある。
 わたしと同年輩老人が、ブログとかSNSとかを覗き込むことは稀だろうから、わたしがここに書いたことに、そのまま共感して読む人は稀だろうなあ。
 あ~あ、語り部老人になっちゃったよ、マッタク、、。

6月8日 カギ紛失
うちの共同住宅1階にあるゴミ置き場に、ごみを捨てにいって、手の持っていたカギを一緒に放りこんだ、わっ、見つからない、ビル玄関から入れない、うちに入れない、電話しようにも方法がない、どうしよう??

6月9日 ウヨ野田洋二郎
その人がどんな歌を歌おうが、どんな思想を持とうが、わたしの知ったことじゃない。
 だが、あまりに古風かつ陳腐、しかも言葉遣いがちょっとおかしいのが気になる。
 こんなのが現代の若者に流行っているのかあ~、へえ~??
http://datey.blogspot.com/2018/06/1139.html

6月12日 ウヨ野田洋二郎続報
(2018年6月12日,伊達の眼鏡ブログに追記)
 なんと、野田洋次郎ってのは、確信犯じゃなくて、じつは単なる無知なバカ男と分って、こんなことを書いたこちらまでバカになった気分である。
 野田がツイッタ―に、今日、こう書いたのだ、アホッ。やっぱり単なるうけねらいだったのか。

6月9日 発言撤回
柴山さんって、お気の毒だったね、世の中は歌舞伎通ばかりだと、思ってらしたんだねえ。

6月9日 難読語
忖度(そんたく)、改竄(かいざん)、捏造(ねつぞう)、隠匿(いんとく)、廃棄(はいき)、理財(りざい)、加計(かけ)、……、政府のおかげで、いろいろ難読文字を読めるようになりました。高齢者ボケ防止福祉政策を、ありがとう。

6月10日 棺桶もみんなで入れば怖くない
2050年、ドラキュラ棺桶日本が来る。今の「釣鐘」の中のわたしは、その頃、とっくに消えてるから、どうぞ皆様、仲良くご一緒にどうぞ。

6月11日 ネパール旅行
ウヒョウ~、ネパールからやってきた動画。わたしも2011年にネパールに行ったときに、カトマンズからポカラまでチャーターしたマイクロバス旅行したが、こんな道を通ったなあ、運転手の隣りの一番前の席に座って、全く退屈しない8時間の旅だった。あれは、雨が降ってなかったから、まあ、よかったのか、。
https://www.facebook.com/anticorruptionabhiyan/videos/241814939886081/

6月13日  金トラ会談 両方とも完全非核化
アメリカ合州国が6450発、朝鮮民主主義人民共和国が10~20発、どっちもこの核爆弾を棄てて、完全に非核化するって、今回の会談で決めたんだね、よくやった、えらい、でもねえ、もともと持っちゃいけないもんだからねえ、ノーベル賞をやるようなもんじゃないね。

6月14日 金トラ会談 
国家を代表して #対等な会談 だろうから、#両国とも非核化 するってことでしょうね。

2018/06/15

1340【徘徊自転車】自転車のカギをゴミ捨てにうっかり投げ込んで紛失したがさてどうしたものか

 1週間ほど前のこと、ウチの共同住宅ゴミ置き場のゴミの山の中に、ごみ袋を放り投げ込んだら、指にかけていたウチの玄関と自転車の錠前のカギも、一緒に投げ込んでしまった。ウワッ、しまった~。
 直ぐに気がついて、そのあたりをかき回したが、ごみ袋の間か袋の中に紛れこんでしまったらしく、どうにも見つからない。徹底的にかき回すほどの根性はない、あきらめた。
 
 玄関カギはスペアがあるから問題ないのだが、スペアがない自転車カギについては、さてどうしようか。 
 2015年5月に自転車から落ちて、腰椎圧迫骨折なる大事故を起こして、危うく寝たきり老人になりそうだったから、それ以後は自転車乗りを慎重に控え気味にしている。
 今、ここで鍵がなくなったのは、もう乗るなとの御神託か、ウ~ム。

 たしかに、自転車乗りをやめるようかとも思うのだが、いっぽうで老人になった今だからこそ自転車が必要なようにも思うのだ。
 歩くのなら何時間でも平気だったわたしも老いてきて、近ごろは徘徊老人をやっていると、1時間くらいで脚が疲れて、ちょっと腰を下ろして休むようになったのだ。
 15分も休めば回復して、つづきの徘徊をやることはできるのだが、それでも歳と共に徘徊エリアが縮小の傾向にあるのがつまらない、情けない。

 だから脚が疲れにくい自転車こそが、徘徊老人には必要であると思うのだ。徘徊やめてボケるよりは、ボケ防止にそれがよいだろう。もっとも、ボケて徘徊ということもあるにはあるが……。
 問題は、自転車がふらついたら、とっさに立てなおす能力が衰えていることだ。まあ、ゆっくりと乗っていればよいのだが、つい能力限度を忘れてスピードだしたりするのがいけない。
 あ、そうだ、自転車に「スピード出すな、老人よ」と、自分に向けてハンドルのあたりに書いておこう。

 なんの話だっけ、そうだ、鍵のことである。
 近くの商店街の自転車屋で、カギをなくしたらどうすればよいかと聞いたら、金属切断用レンチまたは鋸で、錠前のバーを切断するのだそうである。
 ただし自転車屋に持ち込んで開けるとなると、それが盗品でないことを証明する必要があり、そのためには持ち込んだ自転車には盗難防止登録をしてあり、それが持ち込んだ当人のものであることを、警官に認めてもらう手続きがいるのだそうである。

 わたしの自転車はその登録をしていない。
 そうだ、インタネットに自転車カギ開け術が載っているかもしれないと、探したらあった。なんとも簡単なピッキング方法が書いてあるのだが、オカシイのは「悪用禁止」と注意書きがあることだ。それだけで免責になるのだろうか。
 でも、残念ながらわたしの錠前はそのタイプではない。

ということで、しょうがないから、幸いにも所持する金属切断用の鋸で、スポークの間を通っている錠前のバーを、ギコギコギコギコと30分ほどかけて切断した。
 これでまた自転車の乗ることができる。

 次の日曜日に、「B級横浜まちあるき」と称して、10人ばかりを案内するのだが、ガイドが先につぶれないように、この自転車で行こう。
 

 

2018/06/09

1339【現代若者バンド】陳腐稚拙な歌詞だけどウケネライでウヨってるのだろうなあ若者は

 知人がSNSに、こんな歌詞を呆れながら紹介している。

 わたしはこの歌も作者も知らないが、そのSNS記事にこんなコメントを書いた。
これって1940年代の歌ですよね、でも、わたしはこれを少年の頃に、歌ったことも聞いたこともありません、まさか現代の歌じゃないでしょうね

 ところがこの野田洋次郎って人は33歳の現代人で、「RADWINPS」というなかなか若者に影響力のあるバンドのミュージシャンらしい。
 
これがご本人の言葉、ふ~ん。

 その人がどんな歌を歌おうが、どんな思想を持とうが、わたしの知ったことじゃない。
 だが、あまりに古風かつ陳腐、しかも言葉遣いがちょっとおかしいのが気になる。
 こんなのが現代の若者に流行っているのかあ~、へえ~??

 それとも、若者ミュージシャンたちは、よほど種が尽きているのかな、だからウケネライでウヨっぽくやるのかなあ。
 それなら当ったね、ネット社会に賛否両論あれこれ書かれているのを読んだし、このわたしのような年寄りさえも、こうやって書いているんだから。

 では昔の歌でこんなのがあったから、どうせ陳腐なんだから、大いにご参考にして剽窃して書いたらいかがですか。

出征兵士を送る歌 https://www.youtube.com/watch?v=mtwtTE-vrfM
   作詞・生田大三郎、作曲・林伊佐緒 1939年
一、
我が大君に召されたる 命榮えある朝ぼらけ
讚へて送る一億の 歓呼は高く天を衝く
いざ征けつはもの日本男児
二、
華と咲く身の感激を 戎衣の胸に引き緊めて
正義の軍行くところ 誰か阻まんこの歩武を
いざ征けつはもの日本男児
三、
輝く御旗先立てて 越ゆる勝利の幾山河
無敵日本の武勲を 世界に示す時ぞ今
いざ征けつはもの日本男児
四、
守る銃後に憂いなし 大和魂搖るぎなき
國のかために人の和に 大盤石の此の備へ
いざ征けつはもの日本男児
五、
あゝ万世の大君に 水漬き草生す忠烈の
誓致さん秋到る 勇ましいかなこの首途
いざ征けつはもの日本男児
六、
父祖の血汐に色映ゆる 國の譽の日の丸を 
世紀の空に燦然と 揚げて築けや新亞細亞 
いざ征けつはもの日本男児

(2018年6月12日追記)
 なんと、野田洋次郎ってのは、確信犯じゃなくて、じつは単なる無知なバカ男と分って、こんなことを書いたこちらまでバカになった気分である。
 野田がツイッタ―に、今日、こう書いたのだ、アホッ。



2018/06/06

1338【哀しいコッペパン】腹ペコ、給食、脱脂粉乳、マイロ粉、ララ物資と連想ゲームになるのが哀しいコッペパンが今では流行の食い物か

 あのいっときは主食だったコッペパンが、今では軽食として、どこかおやつの様な遊びっぽい流行の食い物になったのかと、なんだか哀しい。
長かった15年戦争がやっと1945年の夏に終わったけど、世の中はまだ混乱していたその後の数年間、わたしも小学校ではじまった給食で、コッペパンなるものを初めて食った。

 その頃は食料は政府からの配給だが、なにしろもとになる食糧がないのだから、満足に配給されない。だれもがいつも腹ペコだったから、こどもも大人もは食えるものなら何でも旨かった、いや、食えさえすれば味はどうでもよかった。
 もちろん学校給食だけじゃなくて、家庭でも主食として食った。配給切符をだしてパン屋でコッペを買ってきていた。
 そういえば思い出したが、家庭で「電気パン」なるものを作ったなあ。 

 給食と言っても、コッペパンが一個、もちろん何も挟んでない、それにペラペラアルミ製椀にはいった脱脂粉乳を湯で溶いたミルク、たったそれだけである。
 腹ペコ少年は喜んで食ったが、あのコッペは、本当にうまいものだったのだろうか。脱脂粉乳ミルクは舌にざらざらしたような記憶がある。
給食はたったこれだけだった
https://blogs.yahoo.co.jp/nenekiti37/13256755.html
そうだ、なんだか黄色のコッペパンが出る日があった。それはマイロコというトウモロコシ粉と聞いていて、マイロ粉だろうと今もその言葉を覚えている。
 腹ペコの身にはいやもおうもなく食べたが、その独特の味と臭いを今もほのかに思い出すのが、ちょっと哀しい。

 いま、ウィキペディアで「マイロ粉」を調べたら、「モロコシ」の粉であって「飼料用途としては、「マイロ」(Milo)という名称で鳥用に使われることが多い」と書いてあるから、あれは鳥の餌を横取りしたものであったらしい。
 マイロ粉はトウモロコシとは違う作物のモロコシの実でつくった鳥の飼料であると、いまになって初めて知った。
 あのころの少年はそれで命をつないで今があるのだから、鳥に感謝。

 そうそう、外国から日本食糧援助として入ってきたララ物資(LARA ; Licensed Agencies for Relief in Asia)というのがあったから、そのひとつにマイロ粉もあったのかもしれない。
 コッペパン、マイロ粉、ララ物資と連想ゲームになるのだ。
「第2次世界大戦後の多くの日本人を救ったララ物資」
と書いてある横浜新港埠頭にある記念碑
横浜新港を徘徊していたら、ここから戦争直後にララ物資を陸揚げしたとの、記念碑のようなものに出くわしたことがある。

 さて、いま、あの昔のままのコッペパンを、舌触りがざらついた脱脂粉乳液と共に食ったら、吐き出すだろうなあ。
 そうだ、このニュースの「魔女のコッペパン」屋で、あのときのコッペパンを復元してくれないかなあ、マイロ粉とメリケン粉で作り、脱脂粉乳ミルクを添えてね。
 まあ、売れることは絶対にないだろうが、元祖戦後コッペパン復元イベントだね。
 この新聞記事に登場するひとたちが食ったコッペパンと、わたしが食ったそれとは、たぶんかなり違う味だろうなあ。ほとんど別のものだろう。

 こんなニュースで思い出すことは、食い物の恨みだから懐かしいよりも、むしろ哀しいのだけど、でもいっぽうではこんな時代になったことを喜ぶのでもある。
 わたしと同年輩老人が、ブログとかSNSとかを覗き込むことは稀だろうから、わたしがここに書いたことに、そのまま共感して読む人は稀だろうなあ。あ~あ、語り部老人になっちゃったよ、マッタク、、。

2018/06/04

1337【フェイスバカ2018年5月後半与太記事】メイドインジャパン、元号問題、日大アメフト事件、金トラ会談、アホ防衛省財務省、ウソつき加計

5月16日【今朝の新聞広告】
1960年代、「メイドインジャパン」とは、「安かろう、悪かろう」の代名詞だった。
 それがなんとまあ、今は「髙かろう、良かろう」になってるんだなあ、半世紀たってようやくそういうレベルの到達したのかと、ほとんど買い物しない年寄りは、こうやって新聞広告で知るのであった。
 思い出せば、日本ブランド「安かろう悪かろう」を、ある時から「メイドインコレア」が継承していたようだが、今は、たぶん、「メイドインチャイナ」が、その栄誉に輝いているんだろうなあ。

5月18日【元号問題】
ほれ見ろ、コンピュータ様さえ困ってるよ、だから、ずっと前から言ってるでしょ、元号なんてやめなさいよ、わたしは西暦から換算できなくて、大迷惑なんだよ

5月21日【言葉の酔時記】
中国は人口が増えて、食料輸入を増やすらしい、「米から輸入増」にして、小麦や牛肉などに輸入量を広げていくらしい、そのうちに民主主義も輸入するようになるかなあ。

5月24日【元号問題】
呪文『明治ムナしく、大正イイぞ、昭和ニゴらず、平成ハヤし、次はイヤだな』、
これは和暦元号年を西暦年に変換するときに唱えるのだけど、なんだかおわかりかな。


5月24日【日大フットボール部大反則事件】
飴太じゃなくてアメフトって、素晴らしい競技なんだね~、これまで反則行為とか、怪我するって、まったく無かったんだね、だからこんな大騒ぎなんだね、他のスポーツとは大違いだな、一度も見たことないけど、

5月24日【森友事件まだまだ】
財務省ってすごいね~、次官や局長が辞めると、コロッと対応が変って、一部始終を白状するんだもんね、一番偉い大臣は変わってないのにねえ、そうか、大臣はお飾りなんだな。日大アメフト監督と同じだ、いや、辞めないから違うな

5月24日【イラク日報隠匿事件】 
防衛省って面白いねえ、「教訓課」ってあるんだあ、どんな教訓を扱うのかなあ、で、今回の事件で、どんな「教訓」を得たのかしら??

5月25日【日大アメフト反則・金トラ会談】
トランプ監督を忖度して、核実験場に反則タックルして潰したのに、シンガポールの国際試合に出してくれないなんて、ウワ~ン、、

5月25日【金トラ会談】
お呼びでっか?、オチをつけまひょか?

5月26日【加計の嘘つき事件】
「ウソついた」を愛媛あたりの方言では「誤った情報を与えた」と言ふー加計黒主ー
ウソを真に受けた県と市が、加計のためにせっせと働いて、大学は曲がりなりにも開学になってしまったから、地元としてはもう何が起きても一向にかまわないのだろうなあ、
でもなあ、ウソつかれた県や市のお方は、今はどんな気持ちだろうか。

5月30日【六本木界隈徘徊】 
六本木の裏道を、上を見ながらうろつくと、7年ぶりなのに、もう浦島太郎気分になるから、面白い。
 東京の都心部の変化は著しいが、髙い所から見下ろすと、変わってるのは、ほんの一部だけらしい。
 背比べしてる超高層ビルの、なんとまあ過密にして、さまざまなる形態であることよ、
 と思えども、上海やドバイと比べると、日本の建築家はおとなしいもんだねえ。



2018/06/01

1336【山口文象作品遍歴:北鎌倉「宝庵」】ゆったりと流れる時の中で関口泰と山口文象が仕組んだ空間を味わう

初夏の午後、緑したたる北鎌倉・浄智寺谷戸の奥、山口文象設計の茶室「宝庵」を旧友たちと訪ねた。いずれも山口文象の謦咳に接した弟子たちであり、中には40年ぶり訪問の者もいる。
2018/005/31 宝庵露地
2017/12/13 宝庵露地
わたしは40年前、去年、今年に訪ねているから、これで4度目の訪問である。今回は贅沢にも、わたしたちだけで借りきりである。
山口文象事務所が描いた設計図を広げて、実物を見まわし、例えば炉の位置、あるいは天井竿縁の方向とか、図と現物の違いを発見し、それは当時の現場変更か、後世の修復時の改変か、それは誰のどんな意図か、などと謎解きを楽しむ。
 正方形ばかりで数寄屋を構成するとはさすが山口文象だ、などと作品論も交差する。写した高台寺遺芳庵のほかにも京都には遺芳庵があるが、どちらが本物だろうか、などと京都に話が飛ぶ。
 そして今日の締めとして、一同は茶室に座り、静かにゆったりとくつろぎながら、茶をたてて喫してきたのだった。

 常安軒の4畳茶室で、開け放った広縁の向こうに庭を眺めながら、仲間のお点前で茶を楽しむ。この茶室からの庭の眺めは、京都大徳寺孤篷庵・忘筌の写しである。
 上を軒から吊る障子で見切り、広縁の横長の額縁の中に、野趣に富んだ草花に蝶が舞い、林から鶯が鳴き、時には霧雨のお湿り、風景の明度と彩度がわずかに微妙に変化する。
 ゆったりと流れる時の中で、抹茶を喫する贅沢な時間、関口泰と山口文象が意図したこの空間を、身体で味わう豊かな午後だった。お世話いただいた島津さんたち宝庵メンバーに感謝。
2018/05/31 宝庵 常安軒4畳茶室から忘筌写しの庭の眺め
茶室前の広縁に座れば、左向うの梅の実のなる葉隠れに、大きな真ん丸真っ白障子の吉野窓の夢窓庵が見える。この茅葺草庵は丸ごと、京都高台寺・遺芳庵の忠実なる写し茶室である。ただし、左右反転の鏡写し。
 そのまん丸吉野窓障子を左右に一尺ばかり引き分けて、吉野太夫が美しいかんばせをチラとのぞかせる風景を夢想する。
茶室広縁から遺芳庵鏡写しの夢想庵の吉野窓を眺める



鎌倉の谷戸に居ながらにして、京都の忘筌と遺芳庵をひとつところで楽しもうと、なんとも粋な写し茶室を企画した数寄者オーナーは、朝日新聞論説委員だった関口泰氏、それに応えたのがモダニスト建築家山口文象であった。
 二人はこの構想を1931年にベルリンで語り合った。その頃のベルリンでは近代建築の潮流が大きく渦巻いていた。そこで日本伝統茶室建築を企画する。

 そして、関口亡き後いっときは荒れていたこの茶室を取得し、復元修復して昨年まで保ち伝えた後継オーナーは、鎌倉の名建築家榛澤敏郎氏でああった。
 そして今のオーナーは、この谷戸の地主である名刹浄智寺(金宝山浄智禅寺)に移り、今春から公開されて、茶会の場はもちろんのこと、各種の市民文化活動の場になった。
 山口文象の戦前作品で、いまも当初の形態を保ち、かつ当初の機能のままに生きる建築は、これのほかには黒部川と箱根湯本の発電所がある。

詳しくは下記を参照
・「宝庵由来記https://bunzo-ria.blogspot.com/p/houan1.html
・「宝庵 北鎌倉」https://www.houan1934.com/

2018/05/23

1335【元号問題】和暦を西暦に換算する呪文は妙案だが来年からもっと長くなる呪文を覚えきれないかも

 幼馴染の友人が新聞に投稿して、和暦西暦換算呪文を公開しているのが、面白い。和暦の元号年を西暦年に換算するときに、この呪文を唱えるのだそうだ。
 『明治ムナ(67)しく、大正イイ(11)ぞ、
  昭和ニゴ(25)らず、平成ハヤ(88)し

 つまりそれぞれの「和暦→西暦換算式」は、次のようになっているのだ。
・明治X年=西暦(X+1967)年
・大正Y年=西暦(Y+1911)年
・昭和Z年=西暦(Z+1925)年
・平成W年=西暦(W+1988)年

 投稿は「1年後には新しい呪文を唱えなければならないが、さて…?」と疑問で結んでいるので、新呪文を勝手に考えてみた。
 「平成」の次の新元号が仮に「運成」とすれば(その理由はムニャムニャ)、その和暦→西暦換算式はこうなる。
「運成P年=西暦(P+2018)年」
とすれば呪文は、こうなるのだけど、どうですか?
『明治ムナ(67)しく、大正イイ(11)ぞ、
 昭和ニゴ(25)らず、平成ハヤ(88)し、
運成イヤ(18)だ』



 わたしは「和暦→西暦換算式」を覚えているので、その都度暗算してきたのだが、歳とって暗算能力が衰えてしまった。新聞とか本を読むときに、計算機を傍に置くことになった。
 換算式も忘れそうになってきたので、この呪文はありがたい。だが、来年から更に新元号が加わると、便利な呪文も長くなり、その呪文を覚えることさえ難しくなる。困ったものである。

 世の中はグローバルになってきて、時間を計る物差しは日本でも19世紀半ばにから太陽暦が標準になっているし、その通し年代記述についても、近世以前については西暦がデファクトスタンダードになっているし、近代以降もその傾向は強い。
 それなのに、官公庁や公的機関はいまだに元号を使用を止めないから、市民は元号使用を事実上は強制されていて、西暦と和暦の混在の中にいる。

 明治大正昭和平成が登場するたびに、グローバルに歴史的に物事を考えようとすると、いちいち呪文を唱えて回らぬ頭で換算したり、計算機を持ち出さねばならない。面倒なことである。
 なぜ、官公庁が西暦一本に踏み切らないのか、不思議でしょうがない。公共機関が発表する年代別統計の表やグラフに明治大正昭和平成の記述があるのだが、これは年が続いているのかしらと奇妙な錯覚が起きる。外国人はどう思って読むのだろうか。
 ネパールの本を読んでいたらビクラム歴による年代記述が出てきて、頭が混乱した経験がある。

 わたしは「元号をなくせ」とまでは言わないが、使用を強制するのを廃止してもらいたい。元号なんて使いたい人だけが使えばよろしい。
 どうしても官公庁で元号を使うなら、こうしてもらいたい。
次の元号を「西暦」とし、
そのカウントを「2019」から開始し、
今後は改元を一切しないこと

 こうすると新元号による和暦→西暦への換算式は、
「西暦R年=西暦(R+0)年」、
つまり和暦と西暦が一致するのである。これでもう和暦と西暦が混在していても、永久に換算問題は解消する。
 なお、日本史上で「暦」の字を使用した元号は13回もあるから、「西暦」という元号は伝統に反していない。
 これって、元号使用派にも西暦使用派にも、実に妙案だと思うのですが、いかがですか。

2018/05/22

1334【フェイスバカ2018年5月前半与太記事】ネット広告、緑の家、横浜再開発未来像、戦争体験記、柳瀬さん、木造新国立競技場、ホントに邪魔な元号

5月3日 ネット広告は役に立つのか?
 fake baka屋の若オヤジが、なにやら殊勝なことを言っている。わたしが不思議なのは、ネット上の広告が、これら新興企業を成り立たせていることだ。
 わたしはネット社会に触れるようになって40年くらいだが、ネット画面の広告を全く目に入れることがない。この40年ほどで、そのように頭と眼の構造を自ら訓練してしまったらしい。
 汚らしい広告だらけの画面は大嫌いで、わたしが主宰するサイトやブログには広告は一切登場しない。ヤフーの汚さよりも、グーグルの汚さの方がまだマシとて、ヤフーを忌避してグーグルを使う。
 フェイスバカのタイムラインに広告が登場するが、わたしはそれがなにか見もしないで、2度とその企業広告が出ないように設定して削除する。もしも世の中にそんなことしてる人が多いと、ネット広告することは広告の死を意味することになるが、どうなんだろうか。


5月6日 緑の家 横浜中華街にて



5月7日【戯報新聞ニューススクープ】
 来年5月からは和暦の元号は「西暦」(セイレキ)と定めて、その元年を2019からカウントを始める。
 つまり今年は2018年(平成30年)だが、来年は2019年(西暦2019年)、再来年は2020年(西暦2020年)となる。
 これで西暦と和暦の呼び方は完全に一致!、西暦と元号の混在による混乱は解消、暗算の不得意な高齢者も低齢者も、もう和暦西暦換算に困らない!!
 そして今後はもう改元をしないものとする。
 どうです、名案でショ。
http://datey.blogspot.com/2018/04/1331.html

5月7日 横浜仲通り再開発の未来像
 横浜都心海辺の津波除け超高層壁づくり事業進行中、この壁ができる頃は、わたしは生きていないから、関係ないけどね。
https://www.facebook.com/dateyf/videos/1671939862881995/


5月9日 7歳児たちの戦争体験
 このような体験をした記憶を持たないように、この7歳児たち戦争体験記憶が、役に立ってほしい。
 ネット社会の登場で、リタイアしてリアル社会と遠ざかった老人たち、足腰弱って出歩けなくなった老人たちには、高齢社会のあらたな社会参加の場となっている。
https://datey.blogspot.com/2018/05/1133.html

5月11日 ヤ~ナヤナセさん
 モリカケのカケ問題は、愛媛県地方政府vs日本国中央政府の構図になってきたな、ヤナセさんは愛媛県民から嫌われてしまったな、もらった名刺を証拠に出しても、自分の名刺かどうか記憶にないと言うだろうな、そうしたら次はモリトモ問題の様に、音声録音が出てくるんだろうね、そうしたら自分の声を忘れたとか、それは捏造だって言ったりして、ワハハハ、こちとらヒマ老人にはヒマツブシになってありがたいねえ、え~と、近ごろ中央政府の首相をはじめ若いもんたちは、みんなバカになったのかねえ。


5月11日 新国立競技場は木造?
さすが国家的事業にふさわしい新技術!、木でつくった鉄骨だよ、すごいなあ。
 まさかとおもうけど、本当は鉄だけでいいのだけど、木で作ったように見せるために、お化粧したインチキじゃないでしょね、

5月13日 困ったもんだ元号
 コンピューターのために人間が、ありもしない元号を使うなんて、根本的に間違ってるよ、なんてバカなんだろ、
 そもそも行政システムに元号を使うからこういうことになるんだよ、こんなことが起きるって当然に分ってただろうし、また2~30年後に同じことが起きるって分ってるでしょうに。
 元号って使いたい人だけが使いなさいよ、行政システムに使うのはいますぐ廃止しなさい、西暦から和暦に暗算で換算できないオレが困るんだよ!!、

2018/05/08

1333【戦争体験記】『昭和二十年それぞれの夏』大学同期生七歳児たちの戦争体験記憶簿

 アジア・太平洋戦争が終ってここまで時間が経つと、戦争体験の無い世代が社会を動かしているから、戦争体験世代から見ると、危なっかしくてしょうがないことも、すらすらと世間に通る。ネット社会発言もそうだ。

わたしが学生だった頃の母校キャンパス風景と寮舎
戦争中は軍事研究メッカ、紙風船を飛ばしてアメリカ爆撃研究も

●大学同期生たちの戦争体験記憶

 最近、同世代連中と話をしていて、ちかごろ戦争体験が風化しているとの話になり、思い出したことがある。同期の大学寮仲間の戦争体験記憶を集めたことがあったのだ。
 2014年8月に大学寮同期仲間のメーリングリストを使って、語りあったのである。

 1961年に卒業しのだから、1945年の敗戦時は7~8歳児である。そして敗戦の日に居た場所は、北は満州、朝鮮、南は台湾、そして鹿児島から茨城まで、多様な地域に亘るのである。多様な地域での、多様な戦争体験がある。
戦争記憶簿に執筆した同期仲間たちが1945年8月15日にいたところ
実はそれらのメールをまとめたファイルがあるのだが、それをネット公開したらどうだろうか、公開価値があると思いついて、執筆した仲間たちに聞いてみた。
 ネット公開反対の者はないので、一部を修正したうえで、ブログを開設して載せた。

 「1945年8月15日あなたはどこで何をしていましたか」
   昭和二十年それぞれの夏 
七歳児たちの戦争体験記憶簿
東京工業大学1961年卒業向岳寮同期生有志著

●ネット公開は実名か仮名か

 ネット公開にあたって、公開そのものに反対はなかったが、多少の論議があったのは、元のファイルはそれぞれの執筆者名は実名であるが、公開にあたって実名とするか、仮名とするか、ということである。
 取りまとめ役のわたしがまたメーリングリストを通じて、最初にネット公開原案を示して公開の可否を聞いた。そこには執筆者名をとりあえずローマ字イニシャルにしたが、わたしだけは実名にしておいたのだ。

 そして実名にするかどうか、内容はこれでよいかと聞いた。内容については修正や追加の各自からの指示をそのまま入れた。
 執筆者名についての反応は、実名とするものは少数であった。わたしとしては、このような戦争体験記を公開するにあたって、内容に責任を持つために実名にする立場であるが、他に押し付ける気はまったくない。

 実名を出すべきでないとする意見が数名からあったが、どれもその理由は、ここから住所や電話番号等の個人情報を探り出す者がいて、年寄りのわが家に詐欺電話をかけてくるおそれがあるからという。イニシャルでも危ないからランダムに英字1字のみの仮名にすべきとの意見さえもあった。

 わたしの意見は、これは共同執筆ではなく、ひとりひとりの執筆の集合なので、全員をそうすべきとの意見には賛成しない、それぞれ執筆者の意向に沿うので指示をほしいとして、それぞれの意見に対応して個別に修正したり、そのままにしたりした。
 なにも反応ないものは、呈示した原案のままにした。

●ネットの功罪と高齢社会

 わたしたち世代は、ネット社会の草創期にはもう結構な年齢だったから、Eメールくらいはやるとしても、自分のウェブサイトやブログを持つもの、あるいはSNSを使うものは、かなり少数で珍しい部類に入るようだ。ネット社会とはある距離を持っている。
 それが自分の名前と文章がネット社会に登場するとなると、その功罪の罪の方に目が行くことになるのだなあと、興味深く思ったのだった。

 わたしは功の方がはるかに大きいと思っている。わたしがもう20年にも亘って、実名もメールアドレスも公表してネット社会へ発言してきたが、幸いにして不都合なことが起きたことは、一度もない。
不都合よりもむしろ、わたしが載せた各種の論考等を読んだ研究者や院生学生から連絡をもらって、その研究になにほどかは役立つこともあるくらいだ。

 この戦争体験記もなにかに役立つことを願っており、そのサイトの問合せ先にわたしの名とメールアドレスを載せておいた。語り部として責任を持ちたい。
 ネット社会の登場で、リタイアしてリアル社会と遠ざかった老人たち、足腰弱って出歩けなくなった老人たちには、高齢社会のあらたな社会参加の場となっているが、これもそのひとつである。

●参照:「昭和二十年それぞれの夏
http://kgr36.blogspot.jp/p/blog-page_8.html