2021/04/12

1560【コロナ爺典:まん坊】まん防とは蔓延防止のことなのかマン濃厚接触防止かと思った

  3月末だったか新聞一面トップにでかい字で「まん防」なる言葉が登場、周りの見出しから察するにコロナ緊急事態宣言に次ぐ規制をおこなう法律用語らしい。

 ピンときた。そうか、ついにとうとう「そこ」まで来たか、「そこ」とは、マンだから人間とくに男に濃厚接触することを防止するのか、いやもっと人類共通の人と人が互いに濃密濃厚密着接触して行うアノ行為までもいまや防止か、そうかそうか、次は「マン禁」だな。
 十分にありうることと思ったが、もちろん大違い、ふふん。

 記事を読むと特措法に基づく「まん延防止等重点措置」を縮めて「まん防」というのあった。なるほど、緊急事態宣言なんて長たらしいよりも口にしやすくてよろしい。
 ようやくに法律つくる役人も、国民の身に危険が及ぶのだからその用語普及に考えが及ぶようになったか。どうせなら「まん重」とか「まん措」のほうが、わたしのような変な誤解まねかぬ感もある、いや、おなじか。

 ところが4月1日からその「まん防」めでたく開始なのに、「まん防」なる言葉がニュースににいっこうに登場しない。法律の通りに長たらしく「まん延防止等重点措置」と書いている。わたしはTVを観ないから、そちらはどうなのか知らない。

 どうしたんだとネットで調べたら、「まん防」ってちょっと語感がユルメでおふざけ感があり、緊張がなくなるのとかって、TV番組でそんなこと言った人がいるらしい。で、言わないようにと政府筋からの発言もあったとか。なんだよ、海で泳ぐマンボウが聞いたら名誉棄損だと怒るぞ。

 でもそんなことでこの覚えやすい言葉をさっさと捨てる世の中っておかしい。いちいち「まん延防止等重点措置」なんて誰も言わないから覚えないし、そのうち気にしなくなるぞ。
 「まん防」のほうが、次は「まん禁」だ、なんて連想するから緊張感を保つことができるってもんでしょう。

 そうだ、それなら「まん防宣言」といったらどうですか、緊張感出るでしょう。そもそも緊急事態宣言とは言っても、「まん延防止等重点措置宣言」といわないは、なぜなんだろうか。
 宣言という重厚感用語のあるなしで、感染ひっ迫度に差をつけたのだろうか。

 「緊急事態宣言」も同様で、もともと法には「新型インフルエンザ等緊急事態宣言」とあるから、これでも略したほうとしても、「緊事」とか「緊宣」とかって言えば覚えやすく口にするでしょうにねえ。
 これもいまではちっとも緊張感がない有様、ま、宣言といったとたんに、宣言する人物の権威とか信頼性によるからね、いっそのこと天皇が「朕思うに・・」って宣言したら効果あったか、。

 そういえばコロナ用語はなぜか略語にしない。「スマートフォン」なんて簡単な言葉でも「スマホ」と略すのに、「ソーシャルディスタンシング」なんて、いまだに「ソーデス」なんて言わないのはなぜか、あるいは日本語の「疎開」を使わないのも不思議である。わたしは「開間」という新語を提案しているのだが。

 さて「まん延防止等重点措置」の区域の指定は、次第に拡大する傾向のようだ。「まん禁」に格上げするときが今に来るだろうなあ。でも「蔓延」を「まん延」と混ぜ書きするのが何とも気になる。(20210412記)

 参照:コロナ大戦おろおろ日録

2021/04/11

1559 【コロナ爺典:ワクチン】先の無い老人は後回しでよろし、未来のある若者優先接種をどうぞ

●昔もあったワクチン

 小学生か中学生かわすれたが少年時のあるいっとき、BCGとかツベルクリンで腕が痛いとかよく話していた記憶がある。これは当時の大流行だった結核予防策のことだ。
 このBCGが今評判のワクチンであったと、ネットで調べて知ったのはたった今である。

 しかし、わたしはこのBCGワクチン接種をした記憶がないのは、その前に行うツベルクリン反応が陽性だったので、接種を免れたのだろう。ツベルクリンを2回注射した記憶ある。
 それ以来の超久しぶりに身に迫るものとしてワクチンなる言葉を聞く世の中である。

●露呈した医療後進国日本

 日本は科学技術先進国になったと聞いていたが、ここにきて分かったのは、ワクチンについては輸入に頼るしかないという事実である。
 そのワクチンなるものを、日本国内では生産能力がない、開発能力もないということらしいのが不思議である。USA、UK,フランス、チャイナ、ロシア産ワクチンはあるが、日本産が無いという科学技術後進国ぶりはどうしたのだろうか。

 いつ来るか分からないパンデミックに備えるよりも、目先のことばかり追いかける科学技術途上国になっているのだろうか。
 現在は世界各国でワクチン接種が進んでいるようだが、当然に生産国が優位にあるだろう。日本ではようやく接種が始まったばかりらしい。つまりワクチン輸入戦略に日本は後れを取った、ワクチン争奪戦争に負けたらしい。どうもなにかがおかしい。

 あのUSAトランプ政権でさえ、コロナワクチン開発に1兆円を投じたが、日本では100億円というその100分の1であると、今日の朝日新聞朝刊記事がある。
 これはなんとも情けないが、考えようによっては、1兆円も投じたのに世界一番のコロナ王国になったとすれば、それと比較するとそこそこの感染日本はうまくやったと、と負け惜しみを言うのかしら。

●老人を後回しでよろしい

 ところでその輸入がなかなか円滑ではないらしく、だれでもすぐさま接種に至らない。遅くて少ない輸入ペースなので、優先順位をつけて接種していくらしい。
 だが優先順位のつけ方が難しい。金持ちエリート層が優先になるではあるまいなあ、昔々、結核の特効薬ストレプトマイシン投与で、そんなことがあった記憶がある。

 輸入コロナワクチンを現在は医療従事者に優先接種しているようであるが、それはよく分かる。しかし、その次は老人を優先するらしいが、それがどうも分らない。
 わたしが老人だからあえて言うが、先が短い老人に優先接種するのは、先が長い若者への接種と比べて、コストパーフォーマンスが悪いと思う。というと経済効率判断のように聞こえが悪いが、社会的判断としてもコスパが悪い。

 老い先が短かく、外出や交友機会がすくなく、家族も少ない老人よりも、これから先が長い若者、外に出る機会の多い働き盛り、多くの家族持ちたちを優先すれば、それだけ感染機会が減少する効率が高いだろうと思う。

 広島県に住む同年の後期高齢者の友人は、昨日(20210410)の時点で、コロナワクチン接種予定日が6月6日になっているとのこと、だが、神奈川県のわたしには何にもそれらしい通知はもちろん新聞ニュースさえもない。
 もしかしたら神奈川県では若者優先接種かもしれない。それなら結構なことである。

 こんなことしているうちに、ワクチン接種階級と非接種階級の差別が起きて来るだろう。
 ホテル、レストラン、電車、バス、公園などは、場所別あるいは時間別に利用指定される。非接種階級は現金使用禁止になる。
 う~む、非接種ライブズマターだな。

●コロナ大戦後に生きる者たち

 ところで、老人のわたしがワクチン後回しでよいという理由には、実は大きな汚いかもしれない打算があるのだ。
 このコロナ戦争を生き抜いても、その戦後に待ち受けるのは巨大な借金なのだ。
 コロナ戦争がいつまで続くの変わらないから、その対策のために政府が国債として未来から借りる大金がいくらになるのか見当もつかないが、なんにしても長大借金になるに違いない。

 それを未来に生きる国民たちは返済をしなければならない。東日本震災復興税を10年後の今も負担しているが、それに加えてコロナ復興税が加わるに違いない。
 少ない年金からさらに高率課税天引きされるに違いない未来、未来老人の戦争直後の悲惨な生活体験は、この前の大戦直後でもうこりごりである。その前におさらばしたい。

 ここは未来をしっかりと長生きすることができる今の若者たちに、巨額借金返済を優先的に譲りたいのである。そう、老人の謙譲の美徳ではないのである。

  未来から借りた巨額借金あり生き残らせよ未来ある人

  コロナから生き残りても大借金まだまだ続く金窮事態

 ということで、コロナ救急治療ワクチン接種を若者優先で、というワクチン接種トリアージュ提案である。どうぞよろしくお願いします。(2021/04/11記)

参照:コロナ大戦おろおろ日録

2021/04/10

1558 【コロナ爺典:プラジャングル】飛沫対策透明プラ類はコロナ後に膨大廃棄か備蓄保存か対策は?

   


近頃は区役所やら郵便局やら店舗やらに入ると、あちらもちらも透明な板や幕だらけである。飛沫感染防止対策だそうだ。これの設置が法令により強要されているらしい。
 飛沫とはコロナウィルス含みの人間の唾、鼻水、涙、目くそ鼻くそ屁などの、微細排泄物であろう。

 空中を流れ浮遊する人間発の飛沫を受け止め富裕を遮る装置が透明板や幕で、人間への感染を防止するらしい。その透明幕や板には、ウィルス吸着能力があるのか、あるいはウィルスを殺す能力があるのかしら、それとも単なる遮蔽物なのか。
 遮蔽物にしては隙間だらけである。時には幕をめくり上げて店員と客が話している。よいのか。

 ということは、そんなことしなければならないほどに、一般的には空中には誰か分からない他人の排せつ物が飛沫となって飛び交っており、それを誰かが吸っているのであったか。う~む、なんだか汚いなア。
 大勢の人が集まって声を出すイベント会場なんて、実はものすごい唾や鼻水だらけの空気なんだ、う~むキタナイ、あ、面と向かって話すのも、実は汚いのかあ、どうしよう。

 コロナであろうとなかろうと、それを考えるとぞっとするなあ。
 いやいや、そんなところに出入りし、見も知らぬ他人も排せつ物をわが身に吸入しながらも、ここまでも長生きしてきたのだから、実はたいしたことないのか、もしかしたら多様な他人の飛沫を吸って、何らかの免疫を日常的につけているのかな、でもなあ、、。

 その透明遮蔽物の材料はガラスではなくて、プラスチックであるらしい。
 ネット検索すると飛沫防止対策板を売る広告でが、アクリル板、ビニルシートなど実にたくさん登場、段ボール製品もあるから、透明じゃなくてもよいらしい。
 今が稼ぎ時とて、あれやこれやと飛沫対策の工夫をした付加価値のある透明板やらカーテンが登場しているのが、なんだかおかしい。

 プラスチックも段ボールも燃えるものだろうが、こうも流行してよいのか。
 火災になるとこれらが避難の邪魔になったり、燃えて人体に巻き付いたりすると、コロナどころじゃない騒ぎになる。それとも燃えないプラスチックや段ボールができたのかしら。
 まあ、どこかで飛沫防止対策物で火災時にでも死者が出ると、使用規制するようになるのだろう。そのうちに鉄板にせよってことになるかな、透明な鉄板とか、。

 ところで、もしもうまくワクチンが効いて、コロナ一掃した日が来たならば、これらプラ類をどうするのだろうか。
 次のパンデミックのために備蓄するのだろうか、でも50年か100年も後の時代だもんなア、その頃は本当に透明鉄板が出るかもなア、いやいやインフルエンザは毎年やってるから、それにそなえるために常設備品となるか。

 まあ、そんなことはなくて、たぶん、一斉に廃棄物になるのだろう。あちこちに透明プラ板や幕が積まれたごみの山ができ、川も海も透明プラ堆積物で埋まるだろう。
 世は地球汚染の原因のひとつとてプラ製品規制の方向であり、プラ製買い物袋を有料にしたくらいに身近な政策になりつつある。
 それなのに真反対の方向にこうもプラ製品が流行し、しかも法令で設置強要とは、コロナパンデミックのせいにしても、何とも矛盾した世の中である。

 今のうちに飛沫防止対策プラ製品廃棄対策を立てておく必要があるだろうが、やってるのだろうか。
 いやいや、コロナがあろうとなかろうと、この遮蔽物はマスクとともに人間生活にとって不可欠ななものとして、定着するのだろうか。

 あのふわふわ揺れる透明カーテンジャングルに入ると、水中にいるごとくに視界がぼやけ、わが身こそが浮遊コロナになりたる心地して、いとをかし。

(20210410記)

2021/04/08

1557 【怪しいハイテク】キイボード一部欠落でゲーム感覚文章書きを面白がる

 PC外付けキーボードを買ってきた。無線式で実に簡単につながってビックリ安心。

 実はこの半年ばかり、いつも使うノートブックPCのX、C,V,Mキイが死んでいたのに、そのまま使ってきていた。
 当然のことに文字入力にちょっと困っていたが、「ちょっと」がつくのは、それなりに面白がってもいたからだ。

 Mの他は困ることはほとんどなかったが、Mの死でマ行音の文字が出ないのには弱った。そこでいろいろ工夫をして打ち込む。
 第1の方法は、M音文字を使わないことだ。漢字に関しては、その音や訓で言い換えてよびだすのだ。例えば「山」は「さん」、「様」は「よう」のように。

 だが「面」のように音にも訓にもM音が入ると困るのである。そうなると第2の方法として、IME手書きパッドに入力して当該漢字を呼び出すのであるが、これはけっこうめんどくさい。

 ひらがなに関しては、手紙類で文末に「ます」が頻出するのが困る。「致します」を「致す予定です」とか言い換えるが、限界がある。
 それには第3の方法として、「まみむめも」と書いたテキストファイルをデスクトップにおいておき、必要な字をコピーペーストするのである。なんだかばからしい。

 そんなことを何回もやっているとおかしなもので、自分が書いている文にもうすぐM音字が登場するぞと頭の中に警告のようなものが浮かんできて、言い換え準備するようになった。けっこうおもしろい。

 こんな文章書きキイボードゲームを面白がってもいたが、さすがに飽きたし辟易もしてきたので、外付けワイアレスキーボードを買ってきたら、ワイアレスマウスもついてきた。
 なんだか進歩したような気もするが、ひもでつないでいたペットを放し飼いにするようになって気分でもある。そう、絆がなくなったのである。  (20210408記)

2021/04/07

1526【ZOOM事始め譚】ヴァーチャル画面で大勢が雑談する飲み会やるのは無理だなあ

 PCでZOOMなるアプリケーションを使って、多数の大学寮同期生の仲間と、顔を見ながらの会話機会ができるようになった。だが、使いこなすにはそれなりの努力と慣れがいるようだ。

 参加率は40名中の16名で4割である。この参加率は、全員が80歳代前半としては多いような気もするが、一方で理工学部出身としては少ない気もする。
 わたしのように電気から一番遠い建築卒もいれば、もろに電子工学卒もいるが、PCを扱う様子から察すると、どうも出身学科とは無関係なようだ。電子工学出でコンピュータで動かすロボット開発している男が、ZOOM操作に一番もたついているのがおかしい。それだけPCが一般生活に入り込んでいるということだろう。

 ZOOM画面での会話に参加していろいろ面白かった。まだ慣れないせいもあるが、感想としては、参加者を取り仕切る司会者がいる会議形式には適しているが、ワイワイガヤガヤの雑談には全く不向きであるようなのだ。

 一般に、直接に対面しあってのワイワイガヤガヤ雑談会は、誰かの話に突っ込みやヤジを入れたり冗談を挟むには、その時のタイミングが重要である。それぞれの身振り手振りや、笑いや声の大きさなど、その場で互いに五感で認識しあうことができるから、雑談会が成り立つ。

 ところがZOOMでは、それが難しい。PCにあるる小さな顔映像と、いつも一方からしか聞こえない音声では、発言者を瞬間に特定できないので、不規則発言は話の邪魔にしかならないようだ。
 発言者も身振り手振りなどの身体を使って発言の補完をすることが難しい。スピーカーあるいはイアホンの音だけでは、発言の微妙なニュアンスを認識できない。

 時には冗談もタイミングとかその前後関係がヘンだと悪口に聞こえてしまうし、それを補完する発言もうまく言うには相手が目の前にいないし、いわれてもうまく聞こえない。

 どうも会話に危険性がともなう。よほどの話上手でも大勢でのZOOM雑談は難しいと思う。娯楽的な集まりとしては読書会、短歌会、俳句会、カラオケ会のような一人一人が発表するには適しているようで、不真面目な雑談や猥談会には不適だ。

 更に参加者のPCやマイクやレシーバー等の性能にもかかわるようで、それが会話に大きく影響する。
 加えて年寄りとしての特徴的な問題は、耳や目が遠くなってきていることである。難聴を自覚している人はそれなりに対応しているようだが、自覚しない難聴者もいるようで(わたしもそうかもしれない)、バーチャル画面会話が特に難しくなるのだ。

 雑談にも司会者がいるようだが、それでは雑談が成り立つまい。大勢で話しているときに、複数発言が同時にあっても、リアル雑談だと誰が話したか判別できるようで、人間の認知能力はすごい。だが、バーチャル雑談だとそれができないから、人間能力はしょせんその程度というべきか。

 なんだかんだといっても、ヒマを持てあますボケていない老人には、PC遊びが持ってこいの娯楽だ。高齢者福祉保健政策としてPC無料配布をやってはどうか。

 もう一つの老人向きは、スマートフォンが老人用玩具であるとわかった。買ってもう2か月になるが、いまだに時刻確認、電話、裸淫くらいなものだが、ヒマなのでいじくっているうちに次第に使い方が分って来る。それが結構ボケ進行防止になるに違いない。
 使いこなせるようになった頃に、命が終わる仕掛けである。 (20120407記)

2021/04/01

1525【コロナおろおろ日録3月抄】難破船古老難日本丸に第4大波襲来、救援船ワクチン丸はまだ来ぬか

 コロナの3月が終わる。緊急事態措置区域指定なるものに関係なく、コロナ感染者数は第4回目の波頭に向けてじわじわと舳先を上げ、いまや第2波頭よりも高い位置にいる。この難破状態を救うのは、救援船ワクチン丸の到達を待つしかないらしい。

 全世界がコロナに侵されて人間たちはオロオロしていても、地球は滞りなく日本に春を届けてくれて、今や日本は桜の花盛りである。
 わたしも近くの花名所にちょこちょこと孤独な花見、人々はマスク姿でおとなしく花の下にたたずむばかり、花見宴会騒ぎを懐かしむばかり。
 来年も花は咲くだろうが、わたしは生きて見るだろうか、ああ、花の下にて春死なむなんて西行の気分が、だんだんと萎えてくる。
 
 わたしがオロオロしてもしょうがないので、泰然と構えるばかりで、泰然として街に徘徊に出かけ、いつものように街を観察し、ついでに花見をする。
 街の雰囲気は見たところではコロナ前と変わりなく戻ったが、大きな違いはだれもかれもが覆面であることだ。この風俗がいつまで続くのか、コロナ後もこれがファッションとして続くものなのか、興味がある。

 3月31日現在の日本と世界のコロナ統計を載せておく。

 日本では総感染者数はほぼ50万人に、死者数は1万人にそれぞれ届くところ。
 防疫日本一県は鳥取県、それに踵を接するようにして秋田県と島根県で、これらベスト3県が他県を引き離している。
 そしてワースト3は、東京都が断然トップを譲らす、その半分に至らないが大阪府が2位の位置、つづく神奈川県が追いかける。その後を追うのが埼玉県、千葉県、愛知県、兵庫県、北海道、福岡県、京都府、以上でワースト10だが、意外にそのすぐ後を追うのが沖縄県だが、どうしてなのか。

 世界全体では、断然トップはUSAで感染約3千万人、死亡約55万人。カリフォルニアに住んでいる同年の知人は既にワクチン接種したそうだが、日本ではいつだろうか。
 つづくのがブラジルインドで、これら3国で断然他を引き離して感染者数と死者数でワーストトップ3に位置する。意外に多いのがUKだが、いったいどうしたのだろうか。EUからの脱退が影響しているのか。
 国際比較すると、日本は何位になるのか知らないが、アジアではインドネシア、フィリピンについでのワースト3の地位にあるから、ぜんぜん威張れない。

 日記の3月分抜粋を「コロナおろおろ日録抄」として載せておく。

3月1日 【本づくり趣味】今年正月から編集、印刷、製本していた旧友の第4歌集120冊が完成、コロナ逼塞中の絶好の暇つぶしDTPだった。

3月3日 【伊達の眼鏡ブログ新記事:スマホ】原始ガラパゴス諸島を抜けだせども待ち受けていた電子スマホジャングルに踏み迷う。思い出せば、ガラケーの最初は30年近くも前か、息子が大学生の頃に就職活動に必要だ言うので買ってやったのが始まり、まだWi-Fiなんてない頃、わたしは仕事の旅先でノートパソコンにガラケーを繋ぎ電子メール交信に使っていたなア、ああ、ずいぶん遠くに来たもんだ。

3月4日 【男女差別糾弾】森山の事件以来女性差別発言にピリピリ。
 狂歌<生きにくい世>自粛警察接待警察はりきれば負けてはならじジェンダー警察
 狂歌<コロナ緊急事態慣れ>言い替えて超緊急か非常時か戒厳令か金窮事態か
 狂歌<ムリヤリ安全開催>オリパラは無観客で無選手で無競技にして金メダルはコロナ

3月5日 【伊達の眼鏡ブログ新記事:緊急事態措置期間延長宣言】宣言の効果の有無はその宣言発した人の信用力の有無、首相は昨日の記者会見で、緊急事態期間延長を「心からお詫び申し上げます」と陳謝、何か総理大臣にコロナ対策上で過誤があったんだね、コロナ出現は菅さんのせいではないだろうになあ、コロナ政策にドジがあったのか、よくわからん。

3月6日 【スマホ事始め譚:無料のはずが】1年間タダのはずの楽天スマホに、最初の今月支払い使用料金が930円、なぜタダと大宣伝している楽天スマホが最初の月でもう930円かを知りたいとスマホの中を探したが内訳を示す表示はない。スマホデタラメいじりして偶然に出た表示で、紛失時に保証してくれる保険に入れさせられていたとわかり、それが月々650円、おお、これか、契約解除はこちらと表示、大喜びで契約解除、たった1円のスマホに毎月600倍もの保険料金を支払うバカが居るものか。残り280円のうち220円は、どうやらウィルス感染対策(コロナじゃないよ)ソフトだろうと推測する。こいつをどうやって契約解除しようか。それら契約のときにこれらは有料との説明を聞いた記憶がない。

3月8日 【スマホ事始め譚:裸淫と落転】スマホ童貞脱出1カ月余、ただいまハイハイ状況、使用料タダ宣伝の「落転」なのに今月初請求930円、不審と不信が募る巣魔呆、デタラメいじり中にLINEアイコン発見、やってみるかとログイン、再度アカウント取得、ほとほと困るのは、あの蚤潰しのような文字入力、誤タッチばかりでヨレヨレ、顕微鏡で遺伝子操作してるのかッ。どうやらログイン、息子の名を見つけて入ったよと書き込むとやがて動画電話すると通知、おお、顔が見えるぞ、さすがスマホ、いや消えた、声もするぞ、あ、消えた、また出た、なんだよー、市内に住む息子は宇宙船か潜水艦にいるらしい、結局また文字でやり取り、裸淫のバカ、落転のバカと書き込む。それにしても可笑しいのは、これって「裸淫」と発音するんだね、NHKニュースでそうしゃべってた。わが落転スマホはいまだに、メールさえ出せず、自分のウェブサイト・ブログにも行き着けず、カメラだって分からぬまま、先の楽しみが山ほど待ち受け、高齢者ボケ進行遅延新兵器である。ちょうど政府に「出痔垂腸」ができるから、厚労省と共管法として「超高齢者スマートフォン所持法」を制定して配給するに違いない。

3月9日 スマホ事始め譚その2】無料大宣伝の巣魔呆にひっかかりボケていられぬ落転人生が始まる、【電車デビュー】最近電車に乗ることほとんどないが、たまに乗るとどうも電車用流行スタイルができたらしいのだ。それは一様にマスクして、一様に左手に蒲鉾板を持ち、それを右人差し指でつつくのだ。本日、わたしもようやくその流行スタイルで地下鉄スマホデビューしてきた。眼がショボい。

3月11日 黙祷圧力】昨日は東京大空襲の日とて、町田に居たら午後2時に黙祷せよとの地域防災放送、今日は東日本大震災10年目の日とて14時46分黙祷がネット内から圧力あり、8月15日正午にもあるが、一斉に何かさせられるのが嫌だ。

3月18日 【緊急区域措置指定解除】21日から緊急事態地区指定解除とか。感染者は減らないのに、なぜ。こうなれば指定宣言する人を替えてみたら効き目あるかも

3月19日 【ZOOMごっこ】巣魔呆に続いてZOOM童貞喪失した。それにしてもミーティングに入りにくいことったら、工学部出身の老同期生10数人が右往左往、これってわざと分かりにくい設計にしてるにちがいない、老人ボケ進行遅延策として、。

3月20日 【前衛音楽】県立音楽堂にて緊急事態の最後?の記念に、音楽会に行きコロナ憂欝気分を晴らしてきた。一柳慧作曲河合拓始演奏の前衛音楽を"見物"。

3月21日 男女性別が怪しい時代になり、法や制度が現実に追いつかない。
狂歌<新夫婦時代>こんがらかる夫婦別姓同姓か夫婦別性同性か論争
         同姓の同性夫婦や別姓の同性夫婦や別姓別性

3月26日 【大岡山花見2021老桜の花が新珍クマ建築を迎えて新たなキャンパス景観にブーイング 


3月27日 午後、近所の大岡川の桜見物、ちょうど盛りにて人出多し。いつも同じ花景色ながら来年は死んでるからなあと思って、いつもの年にやって来る。年とるとは先の時間がないこと。

3月30日 午後、三渓園に花見徘徊、大岡川の桜が川沿いにびっしりと咲き誇るのは、どこか品がないし、同時にこんなに咲くのが狂気の沙汰に感じて不気味、それにくらべて三渓園の桜の広い園内に散在し、周囲の緑の丘陵に散在するのが、全体的に品格があってよろしい。




3月31日 今日で3月が終わり、「願わくは花の下にて春死なんその弥生の望月のコロナ」を果たせなかった。世間では花見に加えるにコロナ第4波らしい。どうして緊急事態地域指定を解除したのだろうか?        

(20210331記)


2021/03/24

1524【大岡山花見2021】老桜の花が新珍クマ建築を迎えて新たなキャンパス景観にブーイング

●本館前広場の老桜樹に新入生桜

 例年のように大岡山の東京工大キャンパスの桜見物に行ってきた。
 去年も今年も大学キャンパスは花見客お断りであるが、そこを何食わぬ顔で花見散歩してきたのだ。毎年同期生たちとともに花見を楽しんでいたのに、去年も今年も単独行である、つまらない。
 コロナが来ようと花はいつものように咲くから、花の報告は定点写真だけにする。



定番の本館前広場、3月23日はロープで囲って立ち入り禁止

3月26日は卒業式、大勢のフォーマルな服装の男女たちいっぱい、慶賀!
本館前の桜の広場、右方は図書館

本館を背にして


花やか


70年講堂前から桜の広場 白い新建築のことは後述

本館車寄せから花を見る


スロープ


スロープ下から70年講堂


唯一見かけた花見宴会 心字池ほとり


昔々このあたりに如月寮ありき 向こうに緑が丘に登る呑川の橋


緑が丘の上 昔々ここは全部が向岳寮だった
大きな建物は建築土木関係、左の小さい建物は新学生寮


呑川緑道の桜はまだ7分咲きくらい


緑が丘に登る呑川沿いの花の坂道 

 だが今年は、桜につていは大きな変化が生じつつあったのは、老いさらばえた桜の木の更新を始めていたことだった。一部は切り倒して植え替え、更に今の桜樹木の列の隣に、わたしが学生であった60数年前のような細い桜の樹を、もう一列植えている。
 これら桜の新入生たちが咲くころ、老樹列を切り倒すのだろう。桜の成長は早いから、2,3年もすれば花が盛んに咲くし、既に咲いている進入生桜もいた。

本館前の老樹の列の外にもう一列の新入生桜


こちら側にももう一列の新桜


引退老樹の後に植えた細い新入生桜はしっかりと開花中


1960年のキャンパス (森猛氏提供画像)


現在のキャンパス図

 近年の毎年の花見レポートは以下の通り。

●クマ建築が入り口真正面に出現

 さて桜も変わりつつあるが、今年のキャンパスに大変貌があったので特筆しておく。
 大岡山の校門を入って右に百年館があるが、左にそれと向かい合って(昔々テニスコートがあったところ)新しい建築ができていた。
 「Hisao & Hiroko Taki Plaza」という名称の国際交流拠点らしい。設計した建築家は隈研吾で、例の国立競技場(ヘタ)の設計者である。ぐるなび創業者の滝久雄氏の寄付によるので、この名称らしい(長いので「瀧プラザ」と書く)。

 去年までは校門を入ると桜の向こうに本館の塔が見えていたが、この新建築により桜は見えなくなり、わずかに党の頭だけを見えるようになった。
 この建築の詳しいことは知らないが、なんだその見た目がヘンなのである。

校門から正面に瀧プラザ、その上に本館の塔の頭


2017年の校門を入った所からの景観
 
左から瀧プラザ、図書館、百年館

 校門側から見る立面を低くおさええて、3階建ての屋上までを緩い勾配屋根にしている。その屋根には隈さんお得意の板張り簀の子を階段状に取り付けて段々畑というか棚田にしてある。低木も植えるらしいが、その上に登れるのだろうか、単に格好だけだろうか。
 つまり瀧プラザの百年館側の姿は、篠原一男の前衛的幾何学的立面と対峙するのを避け、身を低くしかも棚田に区切って、逃げを打ったらしい。ふむ、それも方法か、でも、あちこち全体にこなれの悪い姿。


百年館館を背にして見る瀧プラザ


前衛篠原対後衛隈対決?


瀧プラザ俯瞰 本館前桜の広場との位置関係 段々畑に登れるのか

 では残りの3面はどうしたか。これが驚くというか、酷いというか、笑えるというか、その詰まらなさと下手さと通俗さをつきまぜた姿は、なんとも言いようがない。町場の工務店の大工仕事か、いや、これはいわゆるアートかな?。

本館前桜広場から見る瀧プラザの姿 あれまあ裏かよ

図書館前あたりから見る瀧プラザ 屋根の簀の子がヘン


近づいて見る こなれの悪さよ


中に入って見ると棚田下がホワイエ 右から地下図書館へ

 3面とも裏路地に面しているのではない、桜の咲きほこる本館前の広場に面しているのだから、ひどい。もちろん隈さんはこれが良い、いや、これで良いとデザインなさったのだろう。わからん。

 対面する裏返しカマボコ百年館やチーズケーキ図書館との対峙を避けたとしても、そこまで卑屈に逃げなくてもよろしいでしょ、下手とはいえあの巨大大競技場設計の著名建築家なんだから。いや、谷口門下東工大閥建築群に東大閥から鈍刀一太刀か。

 特に坂下の運動場や学食あるいは緑が丘方面トンネルから登ってくる道路の正面に、まともに面してアイストップになっているのだが、それをみて苦笑してしまった。なんとかならなかったものか、計画設計時に学内での景観チェック体制はなかったのか。


坂道のアイストップランドマーク

 できるだけ早く周りに樹木を植えて隠してほしい。百年館の前衛幾何学的立面が樹木の葉張りによって和らいで見えるが、こちらは葉張りの中に隠してほしい。


左から図書館、百年館(木の陰)、キャンパス外のビル、瀧プラザ

 クマ建築悪口がけっこう長くて、ヒマつぶしになった。なお、大岡山キャンパスの建築については、こんなことを書いているのでご参照を。
    東京工大プロフェッサーアーキテクトたち競作名建築群

(20210323記)


2021/03/22

1523【前衛音楽会】一柳慧作曲「ピアノ音楽」河合拓始演奏って超面白くてコロナ憂鬱しばし忘却

 春が来た日、久しぶりに音楽演奏会を聴きに行ってきた。コロナ緊急事態措置区域に指定されている関東4都県、明日から指定解除とのこと、その最後の日に行くのも記念になるかもしれぬ、なんて思う。

●前衛現代音楽って面白い

 一柳慧という音楽家については、日本の現代音楽の作曲家として、名前だけは知っていた。それは武満徹とか三善晃とかについても同じである。あるいは旧友が団員でいたころの新交響楽団定期演奏会に年2回通っていたで、何か彼らの作曲を聴いたかもしれない。

 春の日の午後全部を、その一柳の世界にどっぷりと浸ってきたのは、ひとえにコロナのせいである。この閉じ込め空気満杯の世で、何とかして月に1回くらいは非日常世界に出かけてコロナ忘却に浸りたい、それが先月までは能楽であったのが、今月は現代音楽の一柳慧になったのである。

 ただし、たまたまそれをネットで見かけて、会場が近所だし、コロナ逼塞の中で面白いかもしれないと、予約チケットを買ったに過ぎない。プログラム内容をほとんど知らぬままだったから、一柳氏には恐縮するしかないが、結果は実に面白かった。同プログラムで再度の公演あれば、またぜひ行きたい。

 一柳慧氏が神奈川芸術文化財団芸術監督就任20周年記念事業として、神奈川県立音楽堂で、3月20日13時から18時まで連続で、多様なジャンル、多様な演奏家、多様な演出の音楽が、次から次へと登場する駅伝レースのような演奏会、面白かった。コロナ憂さが晴れた。

 もちろん楽曲にも演奏にも教養は何もない、その良し悪しは分からない。現代音楽に関しては、NHKFMで毎日曜日の朝、西村晃による「現代の音楽」を、ただ面白いと聞き流すばかりである。それを今回は興味深く聴いたのは、眼で観る演奏も多かったこと、和楽器による演奏もあったことである。

 コロナがもたらした思いがけない体験を、まったくの初心聴衆のひとりとして、この日の感想を書いておく。3部構成になっている。


●Classicalの部

 出だしの一柳慧作曲「フレンズ」V成田達輝、ふむふむこれが一柳の曲であるか。


 つづいて、武満徹「一柳慧のためのブルーオーロラ」、舞台に紗幕が垂れ下がって、そのむこうに背丈ほどの高さに照明灯らしきものがついている。真っ暗な舞台になり、4人の演奏者が紗幕の裏にひそかに登場して演奏開始、楽器は4人ともサキソフォン、紗幕に抽象的映像が動きつつ映写、演奏者も動く、ふむふむ、これが前衛音楽だな。

 フランク「ソナタイ長調」V成田、P萩原麻未、おお、これって聞いたことあるぞ、そうか、前衛だけじゃないんだな今日は、、武満の口直しか、ちょっと安心なような。

 つぎはベートーベン「クロイチェル」P一柳慧、V成田達輝とプログラムにあるので、これは知ってると思えど、聴けば違うのである。
 単調なピアノ、抒情的なヴァイオリン、知らない曲だが気持ちよいからクラシックなんだろう。あとでプログラムに挟まれた訂正記述、アルヴォ・ペルト「鏡の中の鏡」に変更。臨機応変型音楽家一柳らしいと、このあとの幕間にホワイエでの片山杜秀の話。

●Traditionalの部

 舞台には3面の筝、三味線、胡弓、尺八、大鼓、小鼓、大太鼓がならぶ。黒子のような服装の演奏者たちは6人、和楽器ばかりだが、どうやら古典和楽でないらしい。
 わたしの和楽体験は能楽だけはけっこう多い、面白そう。プログラムを見れば作者にジョン・ケージとかノルドグレンとかスメタナとかあるから、やはり今日の日らしいと期待。

 知っている曲はスメタナ「モルダウ」だけ、でも、どうもなあ、前半はともかくとしても、後半の大河の表現は大編成交響楽団でなくては無理かなあ、筝をもっと数多くすればよいような。

 今日のための新曲初演の森円花「三番叟」、能の三番叟を頭に描きながら聴き始めたが、それと関係なく面白く引き込まれた。よかった。どうでもよい鑑賞方法だが、十五弦筝の柱を動かすのが忙しいことよ。

 和楽演奏というと「春の海」とかで琴ピンコロリンシャン尺八プオーだが、これは大いに違って面白かった。この楽団(というのか)J-TRAD ensemble-MAHOROBAの演奏会あれば行きたいと思った。

●Expeimentalの部

 これが一番面白かった、そう、これは前衛音楽そのものだな、ほとほと参った、おそれいった、クセになりそう、すごい、再度聴きたい、いや観たい。

 一柳慧「ピアノ音楽第1,2,3,4,5、6、7」P河合拓始、聴くというよりも観た眺めたといいたい。演奏者を待つ舞台には、蓋を取り払ったグランドピアノ、演奏者の椅子のまわりにテーブル、その上にガラクタらしき小間物がたくさん、気になる。


 下手から出てきたのは、くりくり坊主、柄シャツ、首に白タオルを巻き、裸足、おお、町工場のおっさん、ピアノ故障直しかよ。なんの予備知識もないから、まさかとは思いながらも、半分はそう思った。

 プログラムには演奏順番は、その日に決めるとあった。そしてそのオッサンは、「今日は1番から順番に演奏する、各パートごとに準備で時間を取るからその間はしばらく待て」とのご注意あり、そうかこの人が演奏者河合であるか。 

 そばの小間物屋の店先から、空き缶やら紐やら何やらとりあげて、蓋の無いピアノの上にかがみこんで、弦に取り付けている。演奏は鍵盤をたたくよりも、弦に直接手を突っ込んで,弾いたり擦ったり叩いたり、時には柄杓、箸、棒、鏝などで弦をつつくほうが多い。

 でたらめ、いや、即興かと思えばそうでもないらしく、楽譜らしき紙を手にとって観つつ確かめつ、小間物を取り上げてピアノにセットしたり、やおら演奏したりしている。
 どこが終わりではじめやら聞いても観ても分からないが、河合が一応は切れ目でお辞儀するから、こちらは拍手をする。

 アッ、ホワイエに展示してあったくさんの抽象画とか詩のような書き物は、この楽譜だったのかあと、いまごろ気が付いた。
 よく見ておけばよかった、とは思えど、見たって今の演奏との関係を理解できるはずもなく、ただただその演奏と曲間の準備とを興味深く眺めいるばかり、準備動作も演奏であろう。

 そうか、これこそが前衛音楽だな、第4(?)ではピアノのそばを歩きつつ、手を突っ込んで演奏、初めのうちは触っているだけで音を出さない静寂ばかり、その間に1観客のイビキがクークーと響く、おおこれは「4分33秒」か、そう、一柳はジョン・ケージに師事したとある。

 ピアノをいじくる演奏者の動き、ピアノから出る音、いったいどうやって河合はあの抽象楽譜から、このような演奏というかピアノ調律というかパーフォーマンスというか、それらを生み出すのか、興味津々で鑑賞していた。おもしろい。

●コロナ禍中演奏会と環境整備

 コロナ対策で、ホールの暖房をしなくて換気だけだろう、だんだんと寒くなってきた。今日の陽気に誘われてつい油断した服装で来たのであった。年寄りは困る、先ほどのインタバルに飲んだコーラが体外に出たいとしきりに訴えてきている。第5終ったところであわてて扉の外に出てしまって、第6、第7を聴き逃し見逃したのは残念。

 あのスタインウェイのピアノは、あんなに弦をいじくられても大丈夫かしらん、もしかして見なかった最後7番でピアノ破壊なんてのがあったかもなあ、あ、そうだ、終演予定の18時ころ大きな地震がったが、その時も演奏していたのだろうか、前衛音楽にふさわしいアクションがあったのだろうか。

 それにしてもこのコロナ緊急事態指定の地域でありながら、よくぞ開催してくれた。途中2回のインタバルにホール内をカラにして消毒作業とのこと、その間にホワイエで片山杜秀が一柳と対話とて、なかなかしゃれている。
 おかげで予期しない音楽会で予期しない演目演奏にであって、現代音楽にはまりそうになっている。コロナのおかげである。

 もっとも、コロナのおかげだろうが、コーヒーくらいは出すコーナーを開設するだろうと思っていたらぜんぜんなくて、自販機コーラに頼る始末。そういえば紅葉ヶ丘文化ゾーン唯一だった青少年センターのレストランがコロナせいか去年閉店、いまや飲み食いなにもできない。コロナ時代向きであるが、、。

 そばの掃部山では桜花がちらほら、よい季節になった。だが環境に大いに不満がある。
 この文化ゾーン施設を県が再整備してのが1昨年、けっこう繁っていた樹木をり倒した。管理上それは仕方ないとも思うが、この音楽堂前の殺風景広場をなんとかしてほしかった。


 広いコンクリート駐車場にタブノキがたったの一本だけ、夏はとてもいられたものではない。駐車場が必要なのはわかる、駐車場でよいからその中に樹木を植えてはどうか、復元的整備とてこのようにしたのなら、それが間違っている。

 これが建った頃はまわりには樹木の多かったし、広場は砂利敷きだったし、音楽堂には楽屋がなかった。そう復元するのでないなら、現代に対応する復元をするべきである。東京駅のように復元さえすればよいとの考え方は間違っている。(202121記)