2011/08/07

466森まゆみさんと立ち話

 こんなこともあろうかと、自作まちもり叢書『丸の内貼り混ぜ屏風-見世物としての建築景観』を数冊もって、鎌倉西御門サローネの会合に行った。
 増田彰久、森まゆみ、菅孝能の3氏による「まちの文脈」というテーマの鼎談会であった。

 おわってさてまた暑いところに出るかとベランダで躊躇していたら、森さんから「どちらから?」と声をかけられた。
「これ、名刺代わりです」と持参の冊子をさし上げたら、気軽く受け取ってくださった。
「森さんたちの赤レンガ東京駅保存復原運動には、わたしは復原反対なので、そのひとりキャンペーンをネットでしていましたが、これは惨敗しました。次は、福島第1原発世界文化遺産登録ひとりキャンペーンに転進します」
「あら、ネットで読んだような。水俣も世界遺産登録っていってるようですよ」
 なんて4、5分立ち話、他にも話したい人が居てわたしは別れた。

 もう四半世紀ほども昔になってしまったが、森さんたちが「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」を立ち上げて、保存と復原運動をやりだした頃、わたしは建設省と国土庁関係の都市計画コンサルタントして、「東京駅周辺地区再開発調査委員会」(八十島委員長)の作業班をやっていた。
 愛する会の側からは「赤レンガの東京駅を壊す委員会」に見えていたらしいから、わたしは森さんたちの敵側であった。
 八十島委員会の動き必ずしもそうではなかったし、わたしも出自が建築史だから、裏方としての委員会資料は客観的につくらなければならないにしても、ついつい保全の方向の資料作りに熱が入ったものだ。
 建設省の担当者は建築職だから、表向きは言わないにしても保全に理解があった。

 愛する会の活動が赤レンガ駅舎の保全に、委員会外部からのおおきな影響をもたらしたことは間違いない。
 できれば保全したい建設省側、できれば建て替えたい運輸省側(国鉄)との間での委員会の結論が、玉虫色ながらも「現在地で形態保全(このフレーズ原案はわたしがつくった)となったことに、わたしはほっとしたものだ。

 書いた当人としては、移築などせず今の場所で、内部は鉄道駅としての使いやすいように変更しても、外部の形態は今の姿で保全(保存といわないのがミソ)する、というココロだった。
 さっそくに愛する方たちから「これは復原しないということらしい、ケシカラン」のような声が聞こえてきた。御推察のとおりである。
 わたしは復原することで、わたしたちの世代の原点としての風景であるあの台形大ドーム屋根や大ドーム天井が消えて、戦後の歴史が消滅することを肯んずることができない。

 しかし今、戦後の歴史を消滅させた姿の東京駅舎が、丸の内に現れつつある。
 原風景保全を訴える、たったひとりキャンペーン「赤レンガ東京駅復原反対論」は、完敗した。
 復原、非復原と関係なく、その保全によって今生み出された東京駅とその周辺の景観は、マンハッタンの谷間の赤煉瓦駅舎である。駅舎からの容積移転の結果である
 これを保全後遺症というべきか、再開発後遺症というべきか、保全と再開発の幸福な結婚の結果というべきか。

 わたしは森さんの熱心な読者ではないが、「谷根千」の初期の頃からのプチファンではあるから、はじめて話をしてちょっと嬉しかった。
 東京で仕事していた頃は、地域雑誌の「谷中・根津・千駄木」はよく買ったものだ。
 そしてまた、あのあたりは若い頃から徘徊好きのわたしのお得意先であった。
 特に春になると、出かけたついでに上野の山辺りで花見、そして谷中墓地から山下の町の名を忘れたが古い民家を改装した飲み屋へと足が向ったものだ。
 森さんがお持ちになった「谷根千」バックナンバーの終刊号と戦災特集号を買った。気がつかないうちに終刊となっていたのだった。
 そして森さんは地域雑誌の編集発行人から、まりづくり運動と文筆の人へと興味深い展開が続いているようだ。

 そうだ、鼎談のことも書いておかなければなるまい。
近代洋風建築写真を専門とされている増田さんは、もう日本では撮り尽くして、ちかごろは中国だそうである。
 ちかごろ洋風建築がもてはやされるのはなぜかとの問いに答えて、誰が見てもこれはすごいなあ、変わっているなあと、一般市民に分りやすい意匠だからだろう、とのこと。
 そう、だからその後のモダニズム建築の保存が、一般市民からの応援を得にくくて、難しいことになっているのだろう。東京駅は応援の声が高かったが、東京中央郵便局はそれがどうも盛り上がらなかったように。

 ひょいと思いついたのは、日本の洋風建築は歌舞伎であり、モダニズム建築は能であるってことだった。能は庶民にはとっつきにくい。
 で、やっぱり庶民には歌舞伎建築に限るって、丸の内では東京駅と三菱1号美術館では、無くなっていた昔の洋風姿をまたコピーで再現した。
 今や建築は見世物になったのである。無駄な金があるもんだが(東京駅は復原に500億円とか)、見世物なら御代をちょうだいして元が取れるんだろう。

 超高層建築もつまらないガラスのペロペロビルばかりではいかんと思ったか、ガラスで巨大な折り紙ヒコーキの形を作ってビルに貼り付けたのが、東京中央郵便局の通称JPタワーである。
 ほう、超高層に舞い降りる航空機!、9.11のパロディってか、なかなかの技あり見世物建築ですね。
 あ、また鼎談から話が逸れた。

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