2011/08/04

464戦後復興街並みをつくった市井の人々:書評「都市の戦後」初田香成著

戦後復興街並みをつくった市井の人々
書評:初田香成著「都市の戦後‐雑踏の中の都市計画と建築」

●戦後がようやく歴史に
 わたしは今は横浜都心に住んでいるが、徘徊老人の散歩で歩くこのあたりには、戦後復興の「防火建築帯」が今も現役で、街並みを構成している。
 それら地味な建築群は、何の評価も与えられずに、次第に建替えられていくのを見ていて、あの何もない時代にこれを建て続けたこの街の人々の努力を、なんらかの記録だけでもしようとは、誰も思わないのかと気にしていた。
*横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
*参照→横浜B級観光ガイドブック
http://sites.google.com/site/dateyg/yokohama-bkyuu-kankou-gaidobukku

 そのようなところに、戦後都市復興を都市と建築を結びつけ、それを成した過程で現場に登場する人々、特に民側にも目を向けた立場から書いている本が出た。
 この類のものは、これまでは制度と事業の結果を書いたものがほとんどであるに比べて、私自身が現場で生きてきたので興味深く読んだ。まさに私自身の社会での成長史を読むような気分になったある。
 戦後66年、どうやら戦後も研究対象となる歴史になってきたらしい。ということはわたしも古老になったということでもある。やむをえない。
 表紙の新橋駅烏森口の広場前のごちゃごちゃ街並みが懐かしい。
 あの頃に現場に身を置いていたものにとっては、その後の若者が歴史としてこれを叙述するのを読むのは、これを読むいまの自分とあの頃の自分の間を時間航行する気分になった。

●うらやましい父子鷹
 序章の出だしに吉祥寺の街の図が出てくる。著者は、自然発生的に構成する雑踏の街、吉祥寺のような街の土地と建物のありようの成立を追いたいというのだ。
 実を言うと、わたしは1970年前後の30歳台前半を吉祥寺防火建築帯の現場に入れこんでいた。だから、どのような分析がでてくるかとひも解いたのだが、本文にはなくて期待が外れた。
 著者は吉祥寺が自然遷移的にメタモルフォーゼしているととらえているようだが、わたしがやっていた仕事はまさに街を人為的に街を動かすことであった。できはよくないが街の将来像マスタープランもあったのだ。
 結果が計画的に見えないのはよいのか悪いのか、これも含めて吉祥寺まちづくりの歴史的研究は既にあるのだろうか。著者には次はそれを書いてもらいたい。
 序章に著者の研究の視点が書いてあるのだが、先行研究者のひとりに初田亨氏の名がでてきて、そうか、父君の都市研究の戦後版であるか、それにしても幸せな研究者親子であると,羨ましく微笑した。(つづく)
●全文は→戦後復興街並みをつくった市井の人々:書評「都市の戦後」
http://homepage2.nifty.com/datey/tosinosengo-syohyo.htm

0 件のコメント: