政治家も、行政マンも、そして多分もっとも痛切に住民さえもが、そう、だれかれもがそう思っている、そう思うしかないのだが、どうにも言いにくいことがある。
それは福島第1原発の周辺地域は、もう人間の場ではなくなったことである。
しっかりと核毒が降り積もっていて、これを解毒もできないし、どこかに持っていくこともできないのだから、当然のことである。
そしてまたもうひとつの言いにくいことだが、原発周辺地域を越えて広く薄く降り積もった核毒まじりの土砂や瓦礫などを持って行って置いておくのは、この人間の場でなくなったところしかない。核毒を振りまいた東電が引き取るのである。
そう、これをわたしは「核毒の森」と言うのである。http://datey.blogspot.com/2011/08/47921.html
ところが、ついにそれを公言してしまったのが、首相の菅さんである。
昨日(201年8月27日)、管首相は福島県知事と会談して、原発周辺では長期間住めない地域が生じること、県内に放射能汚染の土壌や瓦礫を中間貯蔵する場所を作りたいと、伝えたと新聞の報道である。そして怒る福島県に謝ったそうだ。
これは実は誰もがわかっていて、実に言いにくいことだが、誰かがいつか言わねばならないことだ。それもできるだけ早期に。
菅さんの次の首相に言わせて、彼は逃げてもよさそうだが、あえて言ったのであろうか。
もしかして次の候補者たちが原発にはあいまいな態度なので、ここで言っておかなければなるまいと奮起したのか。辞任の置き土産だろう。
菅さんの言葉は、長期間住めないとか、中間貯蔵とか、時間と空間をあいまいにして言っているが、はっきり言って人間の場ではなくなるのは明白だろう。
そんな汚れきったところで誰が働き、だれが暮らしたいと思うのだろうか。フクシマ「核毒の森」にならざるを得ないと、だれもが思っているに違いない。
そもそも東京電力が発した毒物であるから、原因者の東電が回収するのが当然のことだろう。
こういうときに首相の菅さんが登場して謝り、どうして東電の社長が出てきて謝罪と核毒回収を言わないのか不思議である。政府は東電の手先か。
そりゃ東電だけでは解決できない政治的な問題となっていることは確かだが、それにしても不思議きわまることである。モラルハザードの典型のような気がする。
受益圏と受苦圏という考え方が、環境社会学の世界であるそうだ。
事故以前の福島は、原発受益権だったのか、それとも受苦圏だったのか?
今まさに福島が受苦圏になったことの社会的な意味はどうなんだろうか?
一般に原発の受益圏、受苦圏はどう考えるのだろうか?
この受益圏と受苦圏について、もう少し考えてみたい。
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