いつもの関内地区ぶらぶらで、神奈川県庁舎の前に来たら、今日は公開日ですと書いてある。
え、公開?、昔、仕事してた頃は、県庁に用事あってしょっちゅう来たこともあるが、普通には入れたけどなあ。県庁は県民が用のあるオフィスだから、いつだって公開してるはずだよなあ。
わざわざ公開しますなんてもったいぶっているのは、今は非公開にしたのかしら、おかしいよなあ。ああ、休日なのに公開しているという意味だろうなあ、それならわかる。
まあ、よろしい、このところ県庁に用がないので長らく入ったことがなかったので、入ってみることにした。
屋上に登って景色を見るのと、県知事の部屋を覗き込むのがちょっと面白いくらいで、ほかには特に面白くもない。廊下を歩き回るだけなら、平日に用ありげにやってくる方が立ち入り制限が少ない。
この神奈川県庁の本庁舎の建物は、1938年にできた建物で登録文化財となっている。
その姿は、いかにも権威主義的な帝冠様式といわれたデザインで、その当時のはやりの官庁建築である。戦前お役所建築の典型で、愛知県庁舎、名古屋市庁舎、静岡県庁舎も似たようなものである。
これをつくる前に、公開競技設計をやって案を募集したとて、その応募案の絵が展示してあったのが面白かった。
一等当選案もその他も、ほとんど同じように見える。まったく独創性のがないのが、時代の様相を見せていて、面白くもあるがなんだか怖くもある。
屋上にのぼったのは初めてである。新館のほうはよく行っていたので、展望レストランから港を見ていたものだが、こちらの屋上は視野が広くてよい。
真ん前に「象の鼻」が見えて、開港当時の港の風景をしのばせる。
左前に見える塔が、「ジャックの塔」よばれる横浜税関である。
この県庁舎の屋上に建つ塔が「キングの塔」で、近く開港記念館には「クイーンの塔」がある。
3階の大会議室では、「明日の歴史を生かしたまちづくり」なるシンポジウムがあるとて、野次馬気分で出席、けっこう大勢の参加者であるが、見渡せば、横浜歴史まちづくりフリーク感のある仲間内的顔ぶれの感もある。
わたしのこのシンポでの収穫は、発言された横浜の歴史的建造物の権威者たちの中のおふたりから、「歴史的建造物として、戦後復興期の防火帯建築をどう考えるか」という趣旨のおことばが、ほんのちょっとだけだが、とにかく発言があったことである。
ようやく、すこし日が当たりそうかなあ、ぜひ歴史的建造物の仲間に、群としての防火建築帯も入れてやってくださいませ。
わたしは保存原理主義者ではないが、せめて今のうちに何らかの評価をしてあげてほしい。一顧もされずに消えていくのは、さびしい。
なお、「防火帯建築」という方が横浜には多いようだが、その街並みを作った根拠法の耐火建築促進法には「防火建築帯」と書いてある。
◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
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