2015/02/24

1061東電福島原発事故は浪江町請戸の住民たちを直接に殺していたのだった

福島県飯館村の長谷川さんの話を聴いたときに、同時に上映された映画が「日本と原発」であった。
 この映画は、福島原発被災住民を支援している弁護士たち(河合弘之、海渡雄一)が制作した。福島原発事故の悲惨さと原発なるものの非情さを、論理的かつ平明に伝える。
 
 そのなかで、わたしが昨年の秋に訪ねた福島県浪江町請戸地区が登場して、その被災者や救難活動の話がある。請戸のことは、わたしはここに書いている
 請戸は福島原発の有る双葉町の北に隣接する街で、地震、津波のうえに重ねて、核毒がやってきて3重苦をこうむった。
 その今や核毒の荒野が広がるむこうに、原発の排気塔が3本立っているのが見えていた。
 わたしがそこで余所者として見ただけでは、想像もできず実感もできなかった衝撃的な話が、映画の中で語られた。
福島県浪江町請戸 荒野の向こうに3本の原発排気塔が見える 2014年9月

3月11日、請戸地区の街は地震と津波で、完全に瓦礫の地に変わり果てた。その瓦礫の下には、生きたままに閉じ込められた人たちもおおぜいいた。すぐに救助活動が始まり、夜まで続いた。ある消防団員は、瓦礫の下から助けを呼ぶ合図を聞いいた。
 夜が更け、機材のない、大浪警報も出たので、明日来るから頑張れといって、去った。ほかにも生き埋めの人たちが居たに違いない。
 
 ところが、12日早朝に、原発から10キロ圏内からは避難せよとの指示が出た。救助活動よりも、住民避難誘導を優先せざるをえないので、救助に行けなかった。
 それでも13日までは何とかは入れたが、原発が爆発した14日からは、避難指示地域に指定されて入れなくなった。救助を待っていた人が居ただろうに。


 ようやく入れるようになったのは1か月後の4月14日のこと、それも規制をくぐってひそかに入った人が、意外にも低線量であることを発見したからだったという。
 原発はすぐ隣を超えて核毒を遠くに広くばらまいていたのだった。なにしろ絶対に起きないとされた事故だから、なにが起きるかだれもその対応を考えていなかったのだ。
 腐乱した遺体を搬出する作業になった。それは餓死かもしれないが、助かる命はあきらかに原発のために殺されてしまった。

 地震と津波の2重苦であれば、次の日に救助に行くことができたのに、3重苦めのせいで死が積み重なった。
 あの3重苦の核毒の荒野には、そのような恨みつらみがこもっているのであったか。
 被災地の実情は、眼でみなければわからないが、見ただけでもわからないことだらけである。

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