2015/05/13

1088【世界遺産登録騒ぎ】お隣から文句言われて屁理屈こねてる明治日本の産業革命世界遺産登録

 またぞろ世界遺産である。このへんには世界遺産を好きな人たちが多いらしい。
 こんどはお隣から文句を付けられて、屁理屈こねている。

 ニュースによるとこういうことらしい。http://www.asahi.com/articles/ASH5D56BKH5DUHBI01B.html
「韓国国会は12日の本会議で、日本政府が「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を推進していることを糾弾する決議を可決、採択した。朝鮮半島出身者が強制労働をさせられた施設が含まれていると強調し、登録するかを最終決定する世界遺産委員会に慎重な対応を求めた。
 韓国側は、対象となる23資産のうち、高島炭坑など7資産で計5万7900人の朝鮮半島出身者が徴用されたとしている。決議は、日本政府が登録を進めることを「外交的な挑発行為」などと批判。韓国政府にも厳しく対応するよう求めた。」
 
 これに対して日本側は、こう言うのだそうである。
http://www.sankei.com/world/news/150511/wor1505110041-n1.html
「超党派の日韓・韓日議員連盟の合同幹事会が11日、ソウル市内で開かれた。日本側は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に韓国政府が反対していることについて、政治問題化しないよう韓国側に理解を求めた。日韓議連幹事長を務める自民党の河村建夫元官房長官が会議終了後に明らかにした。
 河村氏は会議で「徴用を否定しないが、(遺産の対象となる年代と)時期がずれている。日本が近代化を遂げた際の歴史的、文化的遺産だ」と韓国側に説明した。これに対し韓国側は「微妙な問題だ」とし、賛否について回答しなかったという。」

 この「(遺産の対象となる年代と)時期がずれている」とは、こういうことらしい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150508/k10010072911000.html
「これについて岸田外務大臣は「今回の遺産は、対象の年代が1850年代から1910年とされており、韓国が主張しているような朝鮮半島出身の旧民間人の徴用工の問題とは年代や歴史的な位置づけ、背景が異なる。あくまで産業遺産としての顕著な価値に着目したものだ」と述べ、韓国側の主張は当たらないという認識を示しました。」

 どうもよく分らない。
 今回の世界遺産登録に出した構成資産は、日本の近代化時代の産業遺産であるらしいが、当然のことに産業だから1910年に、ばたり突然に廃墟になった遺跡ではない。
 なかにはいまだに工場で活躍している施設も構成資産である。そして、近代の構築物だから、今生きている人にも記憶に生に存在しているものでもある。
 韓国会が言わなくても、日本人にだってけっこう悲惨な歴史の記憶があるはずだ。現に私だって、三井三池炭鉱の大災害や大争議は、同時進行に新聞で毎日見ていた記憶がある。

 それを1910年以前にできた施設だから、関係がないと言っては、歴史文化資産に失礼というものである。
 歴史とは、それら悲しいことも、嬉しいこともすべて包摂することでなりたつものだ。ある時点でとどまることはないのだ。
 1910年以前だからというところが、いかにもわざとらしい。韓国併合以前だから、文句は言わせないって、姑息極まる。
 これって、たぶん、隣国から文句が出たらそう答えるんだと打合せしつつ、1910年以後の資産を除外して登録手続きに出したのだろう。姑息である。
 
 朝鮮半島の人だろうが日本列島の人だろうが、近代日本の発足時の追いつけ追い越せと励んだときに、悲惨な労働環境で低賃金で働いた人々がいて、ようやくテイクオフできたという事実は否定できない。
 炭鉱労働が囚人の懲役の場であったことが、物語るところは深い。
  韓国会は、登録に反対するよりも、そのような強制徴用工の悲惨な歴史も、これらの文化遺産のコンセプトに込めるように働きかける方が、はるかに賢明であると、わたしは思う。

 端島炭鉱が軍艦島といわれて、ヘンに廃墟観光名所になっているが、あの超過密な孤島牢獄のような生活環境に暮らし、その地底や海底に働いた人々は、はたして幸せだったのか。どんな暮らしで、どんな労働だったのか。
 現場にいたことで負の思いをもつ人たちは、日本人でもいるはずだが、隣国からのように声をあげることはできない気分かもしれない。
 いまや世界遺産反対なんて言うと、国賊あつかいだもんなあ。
 美名だけが大手を振って、それが世界遺産の本質なんだろうか。だったらやめなさい。

 韓国会の抗議に真摯に応え、そのような事実も含めて、日本近代化の遺産の持つ正の価値も負の価値も包摂して、登録したければすればよろしい。
 だって、日本にはすでに原爆ドームがあるでしょ。あれだって、登録時は政治的な反対が太平洋の向うからあったのですよ。
 ビキニ環礁を世界遺産登録するときに、あの久保山さんが死んだ被曝事件をもとに、登録に抗議しなかった日本政府は、寛容なんだろうか、それとも単なる無知か、アメリカさんの言うことに反対不可能だったのか。
 
 三菱長崎造船所は、戦争中はたくさんの戦艦、兵器をつくった、いわば戦犯級の施設である。そのことに頬被りしてはなるまい。
 この幕府の長崎製鉄所の末裔が登録になるならば、これよりも先に起きた横須賀製鉄所の末裔であるところの、横須賀米軍基地をなぜ登録しないのか。
 歴史的価値ならば同等以上のはずだ。こちらには1871年にできた日本最初の船渠があるぞ。今回の登録にかかる三菱第3船渠の1905年より歴史は古いぞよ。
 だが、これこそまさに政治的に登録不可能な代物だ。まったく同じかそれ以上に貴重なコンセプトのうちにありながら、登録不可能な現実に眼をやることもなく、一方の登録に熱をあげるのも何かヘンである。
横須賀アメリカ軍基地内にある横須賀瀬鉄所時代の船渠 1998/04/04 DATEY
あの端島の廃墟を保全しようと考えているらしいが、やめてもらいたいものだ。廃墟になったことそのものに歴史的意味があるのだから。
 あのような人間が住む働くようなところでない環境に築いた人工の構築物が、いま、自然の揺り戻しで海に戻りつつあるのだから、そのまま自然の手に返してやればよい。
 廃墟が次第に自然に戻っていく姿、やがて消滅する過程をしっかりと見つめて、人間の営為とは何であったtかと思い考えることこそ、歴史文化遺産の価値である。
 廃墟に人工的な手を加えた途端に廃墟でなくなり、観光施設という物見遊山の見世物になってしまう。それは歴史と自然に対して、あまりに失礼千万である。
 レリホ~って歌が流行ってるんじゃン、ねッ。

 さて、近い将来、朝鮮半島あるいは中国大陸あるいは南アジア地域における戦争遺跡が、世界遺産登録の話題になる日が来るに違いない。
 文禄慶長の役、日中戦争、太平洋戦争について、歴史観をそれらの地域から問われることになるであろうことを、覚悟しておく必要がある。

裏長屋の世界遺産談義(2009.12)
再び唱える「福島第1原発を世界遺産にしよ(2013.4)

 

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