宮脇昭さんが逝去されたとのこと、SNSで知った(参照こちらから)。ご冥福を祈る。
あの不死身の現場主義学者もまた人間であったか、と想う。ここに少し思い出を書いて、その生涯への小さなオマージュとする。そして7年ほどもご無沙汰をながら、見送ることもできないお詫びの印としたい。
この高名な植生学者と知り合ったのは、1970年代初めだったような記憶があるから、もう半世紀も前であるのか。きっかけはわたしの知人が、宮脇さんが自宅を建てるのでその設計してくれと紹介してくれたのだった。わたしを信用して設計させてくれたゆえんは、その知人も私も宮脇さんも同郷(高梁市)であることだけだった。
中央のさすがに緑の多い敷地の住宅が宮脇邸 |
そして1974年にある新聞社主催で、宮脇さんを団長とするヨーロッパの都市緑化に関する調査団をだすことになり、わたしにも参加を誘われた。主にドイツ各地を見てまわったが、北欧や南欧ベネチアやアテネなども回った。(参照こちら)
実に有意義な調査団だった。わたしは自然の緑に対する目を開かされた。わたしは実は神社の森の中で生まれ育ったので、緑の樹林の存在があたり前すぎて、その成り立ちまで考えることは無かったのだった。
宮脇昭(中央)とラインホルト・チュクセン(右端白髪の人) 黒メガネがわたし、1974年調査団のアウトバーン緑化視察風景 |
宮脇さんの留学先の師匠ラインルト・チュクセンのもとを訪れて、その業績を知り、緑化事業現場も案内してもらった。余談だが、宮脇さんは師匠や研究仲間のドイツ人たちから、「イシ」と呼ばれているのであった。それは宮脇さんのドイツ語発音で、「ich」(イッヒ:わたし)がイッシになることによるそうだ。でもこれは郷土の岡山訛ではない。
それを縁として宮脇流植生学をしっかりと聞かされ実際の現地も見たわたしは、すっかり宮脇教に染まり、建築設計や都市計画にその思想や手法を取り入れるようになった(参照こちら)。
浜国大の宮脇研究室にもよく出入りしたものだ。そう、その緑の濃い大学キャンパスこそ、最初から宮脇方式の実験場として成果の賜物なのだ。(参照こちら)
横浜国大常盤台キャンパスは緑の森の中 |
1976年からわたしの仕事に、いくつかの大規模な森林開発レクリエーションプロジェクトのマスタープラン策定をやることになり、宮脇流の植生思想を取り入れたものだ。そのひとつについて現地植生調査を宮脇研に依頼した。現地の山の中に宮脇さんとその研究室の人たちが入り込んで植生地図を作り上げた。わたしも加わって現場で植生を学び、開発における植生にあり方のアドバイスを受けた。
宮脇さんは生態系の理論を現場実践を結び付けたところに大きな業績があったと言えよう。ただし、それまでの緑化事業をリードしてきた造園系の理論と実践派の人たちとの対立があったし、今もあるらしい。わたしから見ると対立よりも協調がよさそうに思うが、学者となると鋭く対立するものらしい。
90年代から、わたしの仕事の転換で疎遠になっていったが、宮脇さんはある時期から海外での緑化実践に乗り出していった。中国奥地の砂漠化地域の緑化とか、熱帯地域での植生回復とか、その活躍は超人的だったようだ。
その間、いくつかの一般啓発著書を出版、わたしはいつも入手した。その理論と実践の論展開は地球的規模の環境と歴史と文化に及び、言葉遣いしだいに宗教的な雰囲気さえ持つ感もあった。
そして俄かにまた日本でジャーナリズムにその名が登場したのは、2011年3月の東日本大震災からである。(参照こちら) 津波に襲われた地域の海岸に宮脇方式の自然植生樹種による「緑の長城」を築けとの提唱である。それは多くの人たちの賛同と支援を得て、プロジェクト実施が進みつつある。
わたしも一度だけだが、緑の長城づくりプロジェクトの応援ボランティアに行ったことがある(参照こちら)。そのときは植える苗木を育てる多ためのドングリ収集イベントであった。仙台から石巻あたりの自社の森で、落ちている常緑樹のドングリを何万粒も拾い集めた。
実は沿岸部の緑の長城は、神奈川県の湘南海岸に既に実現しているのである。戦前から形成されてきた長大な防砂防風風致林だが、これを宮脇さんの指導で松林から常緑樹主体の森に変えていった。いまは11キロ余にも及ぶ緑の長城が続く。宮脇さんはこの実績を持って地震津波に対応する提案を唱えたのであった。(参照こちら)
神奈川県の湘南海岸に実現している緑の長城 |
横浜国大にて 2014 |
そして2016年、その長城プロジェクトのウェブサイトで、宮脇さん倒れるの報に接した。病はあの元気な人を車いすに縛り、あの宗教者のごとき滑舌も止んだとのこと、鉄人も歳には勝てなかった。
宮脇さんから頂いたご著書2冊があるが、終活蔵書処分できないまま。このさいどなたか貰ってくださるとありがたい、希望者はメールをどうぞ。dateygアットgmail.com
・『日本植生誌・九州』1981年至文堂 270×210 484ページ。
(別冊:九州植生調査票32枚、別図:九州植生図版3枚)
・『日本の植生』1977年学研 270×200 535ページ
緑の長城は次第に築かれてきており、宮脇さんの大きな遺産は後世に立派に受け継がれている。合掌。 (20120802記)
参照:わたしはこれまで、宮脇さんの理論を考え、その実践を眺め、わたし自身も小さな実践もした経験について、次のようにウエブサイトに書いてきたので、ここに紹介する。
・【横浜国大】宮脇昭提唱の森の長城づくりの原点の森2014
https://datey.blogspot.com/2014/03/908.html
・【岩沼市相野釜】宮脇昭提唱の森の長城づくりと行政の現場2014
https://sites.google.com/site/dandysworldg/iwanuma-ainokama
・【欧州植生調査旅行】震災ガレキによる森づくりで思い出す2012
https://datey.blogspot.com/2012/04/611.html
・【森の長城づくりに参加】市民プロジェクト森のドングリ拾い2011
https://sites.google.com/site/dandysworldg/greatforestwall
・【森の長城】津波災害を防ぐ緑の森2012
https://datey.blogspot.com/2012/04/609.html
・【イオンの森と津波】壊すもの守るもの2012
http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
・【福島原発被災地】核毒の森づくりが始まる2011
http://datey.blogspot.com/2011/12/560.html
・【福島原発核毒地帯】21世紀の「谷中村」は「核毒の森」2011
http://datey.blogspot.jp/2011/08/47921.html
・【横浜国大キャンパス】ふるさとの森の大学2008
・【うるしの里】小さなふるさとの森づくりをした
https://matchmori.blogspot.com/2021/08/kawada2009.html
・【アウトバーン緑化】道路緑化の文化史的考察1983
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