2022/05/20

1621【東京お登り見物】11年ぶり東京六本木あたりから見下ろし風景は変わり映えしない

東京お登り風景 六本木―青山―新宿

●4年ぶりの六本木は亡き人に別れる会

 久し振りに東京の六本木に行った。日記を見たら2018年5月以来4年ぶり、そう言えば東京の都心方面に行ったのは2020年の2月以来2年ぶり、コロナだからとて避けて行かなかったのではなくて、行くべき用事や遊びの機会が次々と消滅する日々だったのだ。コロナのほうがわたしを避けていたらしい。

 そして2022年4月21日になり、六本木の国際文化会館にようやく行くべき会合が発生、恩人の建築家近藤正一さんの1周忌にお別れ会が開かれたのだ。さすがのコロナの奴も、わたしを避けなくなったらしい。コロナ流行が幾分か収まる気配ということ。

 多くの人が集まり、超久しぶりの知人たちにも出会ったが、マスクをしたままだから、わずかの人だけを誰であるか判別できたが、先方から挨拶されても誰だかわからない。それでも30年ぶりの人でも名乗られると途端にマスク下の顔もわかるのがおかしい。こちらも挨拶しないで失礼してしまった人も多いだろう。マスク風習が人々を疎遠にした。

 コロナ禍中だから飲食一切なしで時間限定、会場を出ても昼の日は高い。主催者側の昔仲間と話していたら、一緒に飲みたい人たちがもういなくなっている。おいて行かれたらしい、ちょっと僻む。

●東京お登り見物
 しょうがないので、せっかく久しぶりだから東京おのぼりさんをやった。文字通りのお登りで、高いところに登って来たのだ。とは書いたが、実は初めからここの近くにある森美術館に行くつもりではあった。

 近くに建つ超高層ビル「六本木森タワー」52階に登って地上の風景を眺めて来た。90年代から六本木には仕事でよく来ていたものだが、ここまで高く登るのは2011年以来11年ぶり、その間に見下ろす東京がどう変わっているか興味あった。
 だが、久し振りの東京眺めおろし印象は、なんだ、たいして変わっていないな、超高層ビルがばらばらと増えたようだが、総体としては変わらないものだなあ、ということだった。

 六本木ヒルズという巨大再開発事業で六本木森タワーは2003年に完成した。わたしはここの展望台に2006年と2011年に来ていることがPCにある写真で分った。それはなにかこのビルで会合があったついでだったような記憶がある。

 もちろん詳細に見比べるとめだつ建物が沢山出来ていて変化の激しい東京だが、高いところから眺める分には、ゴチャゴチャに多少凸凹が多くなった程度だ。
 東京と言えども眺望風景は20年たつもほとんど変わらないのだった。

1997年の六本木界隈空中写真 中央上に六本木交差点 google earth

2021年の六本木界隈空中写真 左下三角地帯に六本木ヒルズ巨大再開発 google earth

  16年前の2006年に撮った写真があるので、2022年同アングル写真と比べてみる。

六本木ヒルズ森タワー52階からの眺め 2006年
中央の高層群は開発途中の東京ミッドタウン

上とほぼ同じ方向の2022年の眺め 右に東京ミッドタウン

六本木ヒルズ森タワー52階から新宿方面の眺め 2006年
広い緑地は青山墓地、上の超高層群は新宿あたり

上とほぼ同じアングルの眺め 2022年

 数多くの超高層建築が出現してきて、東京のゴチャゴチャさは地表から上空へと広がってきた。

六本木森タワー52階から北西方パノラマ 2022年
右端の工事中超高層ビルは麻布台あたりの巨大再開発の一部

六本木森タワー52階から西方パノラマ 2022年

六本木森タワー52階からの足元近く麻布や広尾あたりの住宅街の眺め 2022年

ミッドタウンの足元あたりの市街地 2022年

●六本木あたり回顧譚
 
 わたしはスッカリ年取ったから関連する回顧譚を書いておくことにする。もちろん他人にはどうでもよいことだが、どんどん記憶が薄れる自覚があるので、それに対抗して覚えているうちに書き留めておく、それが年寄りだと分る歳になったらしい。

 思い出すとわたしは六本木の街ににはけっこう縁があった。六本木駅近くで森ビルが初めて市街地再開発事業として手掛けた「アークヒルズ」がある。計画中は赤坂六本木開発(略してARK)と言っていた。その中に建った「アーク森ビル」に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の大学院サテライト教室があり、非常勤講師(都市計画論)として数年間通っていたこともある。またそのビルには森ビル主催「ARK都市塾」なる企業の都市開発担当者を塾生とする社会人学校があり、それにも関係していて毎週通っていた。

 更にまた、地下鉄六本木駅の六本木交差点入り口があるあたりで、岐阜県の土地と民間店舗との共同開発ビル計画があり、県の依頼でコンサルタントをしていた。これは石原俊介先生からの話だった。都市局長から転身した梶原知事が東京に県の拠点を作りたいとのことだった。先生は県の顧問をされていたらしい。その官民共同ビルは完成して、今回の訪問で建っていることを確認した。文化の六本木にカブレて劇場なんか作ったけど、岐阜県はどうしているのかしら。

 それやこれやで六本木にはよく来ていたから、このあたりの開発を同時代的に見ていたので懐かしい。もっとも、夜遊びは知らない。
 総体的には森ビルがどんどんと街を蚕食、口の悪いものは森蛭の繁殖という。だが、なんでもない住宅地だった六本木を、東京のある種の文化都心として興したのは明らかに森ビルの連続再開発である。ついでながら森トラストを森虎と口さがないものは言う。そういえばわたしは故・森泰吉郎氏、故・森稔氏、森章氏たちに、もう忘れたがそれぞれ別に会って話したことがある。 

●超高建築の風景

 六本木交差点から四方を見ると、建て替わったビルも多いようだが、街のゴチャゴチャ感は変わらないままだった。麻布方面に建設中の胴太で巨大なビルが空を覆っているのが気になった。
 それは森ビルがやっている麻布台あたりでの巨大再開発のビルらしい。あんな広い市街地再開発事業は日本で一番の規模だろうが、よくまあ事業化したものだ。あのあたりは我善坊谷という谷底ゴチャゴチャ路地だったのが懐かしい。

 六本木駅近くの山下和正設計のピラミデビルも健在だったが、記憶の風景に六本木ヒルズの巨大な森タワーが重なっているのをはじめてみた。さすが力量ある二人の建築家作品の予期せぬ出会いが、都市の混迷と秩序のせめぎ合い風景となり、なかなかよろしい。

山下和正設計ピラミデと六本木森タワーの予期せぬ出会い風景 2022年

 かつては超高層ビルがその街のランドマークだったが、こうも増えて来ると街なかの雑多なペンシルビル群と変わりがなくなる。その中で六本木森タワーは六本木のランドマークとしての地位を築いているようだ。それにしてもそのでっぷりと太った形態はどうだ、外装デザインが浴衣をきているようで、まるで腹つきだした相撲取りに見える。

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●(参照)六本木や麻布あたりについてこれまでこんなことを書いている

2010/09/28 321【東京風景】六本木から神谷町へ徘徊https://datey.blogspot.com/2010/09/321.html

2013/07/08 805【東京路地徘徊】愛宕下路地は今や空き地だらけもうすぐ超高層ビルでも建つのか https://datey.blogspot.com/2013/07/805.html

2013/07/12 806【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・1】谷底に緑に覆われた家々がひっそりと立ち並ぶ東京の秘境か https://datey.blogspot.com/2013/07/806.html

2013/07/16 807【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・2】谷底の落合坂を行く(その1)https://datey.blogspot.com/2013/07/807.html

2013/07/19 809【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・3】谷底の落合坂を行く(その2)崖の上下の極端な出会いの風景 https://datey.blogspot.com/2013/07/809.html

2013/07/21 810【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・4】谷底の落合坂を行く(その3)南の路地とその上に見えるレトロ建築 https://datey.blogspot.com/2013/07/810.html

2013/07/25 812【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・5】谷底と丘上の交わらない二つの街の歴史 https://datey.blogspot.com/2013/07/812.html

2013/07/26 813【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・6】我善坊谷の住人たちー永井荷風をだました女 https://datey.blogspot.com/2013/07/813.html

2013/07/28 814【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・7】我善坊谷の未来を勝手に想像するhttps://datey.blogspot.com/2013/07/814.html

2013/09/07 832【東京路地徘徊】元麻布谷底街の路地上に狸の大入道が真昼に出てる https://datey.blogspot.com/2013/09/832.html

          (20220520記)    



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