2022/05/30

1622 【横浜寿地区観察徘徊】簡易宿泊所ドヤ街に登場した新築分譲共同住宅マンションのコンセプトは

 横浜の古い都心部にもう20年も住んでいる。
 年寄りの健康維持のために行く先の宛てもなく近所を徘徊する日常である。経路になる場所はある程度一定しており、それらの順番は日によって気分で異なる。
 繁華街、観光街、エスニック街、ドヤ街、元赤線街、元青線街、裏路地街、急坂町、墓街などなど、単に歩くだけではつまらぬので、キョロキョロと横浜都心風景の変化を追う。
 住宅街は静かだが、何年も同じところを見ていると、じわじわと変わるが実に興味深い。今日はドヤ街の観察徘徊記録である。
横浜都心部の寿町から松蔭町を中心に「寿簡易宿泊所街」がある











 





●寿簡易宿所街は繁盛らしい

 その徘徊住宅街のひとつに、大勢の貧困階層が高密度に集まって、林立する簡易宿泊所(通称「ドヤ」)という低級ホテルで暮らしている街で、通称「寿地区」あるいは「寿ドヤ街」である。
 正確に言えば住宅ではないが、実態は簡宿の泊り客たちのほとんどが住み着いているから住宅街である。実際にその街の風景は、知らない人が街を通ってみると、ワンルームの共同住宅ビルが多い街だなあと思うだけだろう。

横浜寿地区簡宿街メインストリート風景


寿地区簡易宿泊所分布状況


  横浜都心に住みだしてからもう20年、その間に寿町あたりも徘徊観察を続けて、このブログにも折に触れて観察記録を載せている。観察するだけで研究とか活動を一切しないのは、そんな気力がない老人だからだ。寿徘徊はその名称からおめでたい気分になる。

 それにしてもこの20年間、寿町の簡易宿泊所は増えこそすれ、減るようには見えない。ということは普通の住宅に住めない貧困階層は減らないということらしい。古くなった4~5階の簡宿が、次第に10階程度の高層ビル簡宿に建替えがじわじわと進んでいるようだ。
 新築簡宿ビルの入り口あたりに、エレベータ、インタネット、車いす対応等が完備と、時代に対応する設備を宣伝している。特に増える傾向にある老人対応が今の最先端らしい。

2020年1月 5階建て簡宿ビルが取り壊されて空き地に

2021年1月 その空き地に新築高層簡宿ビルが建った

看板アレコレ

●建替えられて高層化する簡宿

 今月(2022年5月)の寿徘徊で見つけた新しい動きのひとつは、周囲を簡宿ビルに囲まれた大きな空き地に、建設工事のお知らせ看板が登場したことである。読めばこれも簡宿である。その規模は10階建て、延べ床面積は2400㎡余とあり、部屋数とか宿泊定員を書いてない。例えば1室をグロス15㎡としても160室、160人くらい寿町の収容力が増えるようだ。

この空き地に新築お知らせ看板が立った

そのお知らせ看板を読むと高層簡宿ビル

 この寿町地区で去年に建て替えた簡宿が、観察徘徊では5棟あり、いずれも4~5階建てだったのが8~10階建ての高層ビルに替った。元に比べてかなり収容数が増えただろう。
 そして今年になって取り壊して空き地になった簡宿ビルが2棟ある。これらもいずれ新たな高層簡宿ビルになるだろう。この貧困ビジネス事業は景気が良いらしい。

 いずれにしても簡宿は簡宿であり、一室が3畳間から6畳間程度便所とシャワー室共用の構成には変わりはないらしい。何しろ泊まる客(実は暮らす客)の大半が生活保護費受給者だから、その収入から逆算して一泊1700円から2000円程度が支払い可能額だから、オーナーの投資もそれに対応するレベルで、できるだけ高密度に建てることになる。

新旧たち並ぶ簡宿ビル群

簡宿の典型的な部屋と基準階平面図

 その証拠には、どの簡宿ビルも同じような建築の姿になっている。中廊下を挟んで両側に3畳か4畳半の部屋がずらりの並ぶプランが標準らしい。
 住宅なら隣との建築の距離が採光通風のために法的に必要だが、宿泊施設はそんな考慮は不要で、隣との隙間もなく建てるから、窓と窓が真正面に向き合う。もっとも、近頃はファサードだけ妙に建築的デザインしている簡宿ビルが登場しているが、その中身はこれまでと同じらしい。
 思うに、その辺のドヤ建築と経営ノウハウは、これまでの長い歴史からしっかりと構築されているだろう。その運営受託を専門にする業者もいるらしい。

モダンぽいファサードデザインの簡宿

 近年はコロナ禍による観光低迷で普通のホテルなら経営難だろうが、ここは毎日を生活している宿泊者ばかりだから、宿泊客はコロナに何の関係もない。むしろコロナによる生活困難者の増加は、簡宿へと吹き寄せられて、宿泊客は増えているのかもしれない。
 ということで、この伝統ある貧困ビジネス街は、どうやら盛況らしい。
 その簡易宿泊所街の中に、この春になんと高層分譲マンションが登場した。

●マンションじゃなくて共同住宅という

 ここでちょっとマンション談議をする。マンションmansionとはアメリカ人に聞いたたら英語の意味は、大統領のホワイトハウスのような広大な庭もある邸宅、つまり日本語ならば御屋敷のことだそうだ。
 ところが日本語のマンションときたら、兎小屋のような狭い住居もあれば、オクションなる超広い住居もある共同住宅ビルのことであり、どっちにしても庭園なんてものはない。このようなビルを英語ではアパートメントハウスapartment houseというそうだから、要するにアパートである。

 ところが日本語のアパートときたら、2階建て程度の兎小屋が並ぶ共同住宅のことだから困ったものだ。もっとも、戦前は中層以上のコンクリ造共同住宅をアパートメントと言っていた。ちょっと高級感があった。
 それが戦後になって中高層共同住宅ビルが登場し、不動産業者がそれまでのアパートメンハウスと差別するために誇大広告としてマンションと言って売り出した。そのうちに世間ではアパートメントは取り残されてアパートとなり、共同住宅ビルはマンションと言うようになった。更に奇妙だが「マンション建て替え円滑化法」なんて行政用語にもなった。

 マンションという日本語には、外国人に話すときにこんがらかるし、業者の誇大広告にのせられるのも癪にさわるし、わたしにはどうも違和感が大きい。建築基準法が言うように「共同住宅」ということにしている。丁寧になら「区分所有型共同住宅ビル」とでも言うか。

●簡宿街の中に一般分譲の共同住宅ビルが建った

 話を寿町に戻して、簡宿街の中に1棟の10階建ての共同住宅ビルが立ち上り、この春から入居が始まっている。ということは、この街の中で普通に暮らしたい家族が大勢住み始めつつあることだ。

周りは簡宿ビル街の中の登場した分譲共同住宅ビル 2022年5月

 もちろんこの街は簡宿専用ではなくて、普通の街として店も事務所も診療所もある。事務所ビルの上層階が共同住宅のビルもいくつかあるし、市営住宅もあるから普通の住宅も少ないが存在する。
 この新登場共同住宅ビルも、じつはその土地には以前に1,2階が民間事務所で3~5階が都市再生機構(UR)賃貸住宅であった。UR前身の日本住宅公団が市街地住宅を幾つも建てているが、そのひとつが建替えられたのだ。

上の写真の共同住宅ビルが建つ前にはこんなビルが建っていた 2018年11月

 寿地区(正確にはこのビルは松陰町にあるのだが)ではかなり大きな敷地の建築であり、それが取り壊された2018年から跡地に何が建つのか興味を持って徘徊観察していた。
 その工事看板に分譲式の共同住宅が高さが2倍くらいなになって登場すると知った。この立地で普通に売れるものだろうかと興味があった。
 先にその結果を書くと、当該共同住宅ビルの公式サイトによると、既に「完売御礼」とあった。どんな販売作戦だったのか気になる。

●外人専用かとカン違いした

 まずはその共同住宅ビルのネーミングであるが、竣工間近らしい2月中頃に、看板など付いただろうかと見に行った。入り口上の壁に「DEUXFLE YOKOHAMA ISHIKAWCHO」とある。また一階壁面の照明器具に「THE LIGHT HOUSE」ともある。元かドアの横に小さな字で内部の施設案内らしいこと掲示があるが、これも全部英語らしいローマ字である。ほかに日本語の掲示を探したが全くない。

どれがこの共同住宅の名前なのだろうか

 おおそうか、外国人専用のAPARTMENT HOUSEにするのだな、なるほどそれなら地域的偏見がない市場開拓でなかなか良い作戦だ。5月初めに行ったら、引っ越し荷物トラックが来て入居者たちらしい姿もあるが、どうも外国人には見えない。

 そのローマ字名でネット検索したらあった。「THE LIGHTHOUSE(デュフレ横浜石川町)」というらしい。各項目のタイトルは英語だが、説明文などは日本語であり英訳はない。内容を読めども外国人専用ではないらしい。
 周りにある簡宿群の名は〇〇荘とか〇〇館とかが多く、なかには〇〇ホテルもあるから、ローマ字だけでしかも読めないDEUXFLEとは、簡宿との差別化の意図があるのだろう。

●販売宣伝文の中の寿地区表現

 デュフレ横浜石川町の住戸構成は、129戸の1LDK~3LDKの専有面積は34.80㎡~75.47㎡で、普通の世帯向けの分譲区分所有型共同住宅、つまり世間でいうマンションである。
 デュフレビルの姿かたちも簡宿とは大きく異なるかと言えばそうでもない。また、いかにも共同住宅に見えるようでもなく、街並み景観を乱すほどの差異化デザインでもない。

簡宿とデュフレがつくる街並み景観

 デュフレ横浜石川町のウエブサイトに、寿町地区(松蔭町も含む)の環境についてどう書かれているか、そもそも書かれているだろうか。いわゆるマンションポエム流の説明が、英語の項目で日本語で書かれている。

 寿町に触れているのはTOWN LIFEの中のAREAページにあった。寿町地区でホステルヴィレッジという地域活動を続けている岡部友彦さんへの取材形式で地域の歴史を語っている。寿町地区ではなくて松蔭町エリアとして、その多様性とコミュニティの存在に触れるが、寿町地区の実像には遠い。

 LIFE INFORMATIONに近隣の公園や公共施設がリストアップされてるが、そのなかに最も近い「寿公園」はない。寿公園では休日に、ボランティアによる貧窮者たちへ炊き出しで食事提供がなされる。

寿公園で炊き出しを待つ人々 2020年元旦
 また、この地区の最も重要な公共施設である「横浜市寿町健康福祉交流センター」も載っていない。そこは市民に日常的に開かれ、広いラウンジには図書室もあって住民たちが静かに昼間を過ごしている。
横浜市寿町健康福祉交流センター
 これらがデュフレ公式サイトに載ってないということで、この共同住宅販売の意図的な寿簡宿街無視の方向を察することができるが、現に住めばすぐわかることだ。

●共同住宅は簡宿を駆逐するか

 わたしの興味は、簡易宿泊所街の中に登場した新たな普通の共同住宅が、これから街に変化をもたらすきっかけになるのか、あるいは何の影響もないのか、である。もちろんこのあたりにこれまでも共同住宅ビルがあるのだが、それらはいずれも寿地区の外郭の幹線道路沿いに面している。四週を簡宿ビルの囲まれてこれほど大きな共同住宅ははじめてである。

 実は今年になってこのデュフレ共同住宅のある通り沿いの2軒の簡宿ビルが取り壊されて空き地が発生している。これらの跡地利用が簡宿の再建か、それとも普通の共同ビルが出現するのか気になっている。
 このデュフレを契機にして、ゼントリフィケーションが始まるかもしれないとも思う。だが一方では初めに述べたように簡宿需要は盛んな様子もある。

デュフレ近くで6階建て簡宿が取り壊されて空き地になった
(追補2022/06/11)この跡地に8階建て簡易宿泊所建設工事が始まった

 






   デュフレの価格を知らないが、ネットスズメ情報に8階75㎡5,930万円(坪単価260万円)とあるが、市場でどの位置かわからない。ネットには投資目的の購入者だろうか、すでに賃貸住宅として市場に出ている。2階、賃料(管理費等)13.8万円(10,000円)、39.63㎡とあるから、㎡あたり約3500円/月である。

 周りの簡宿の宿泊料は、一室6㎡くらいで一泊2000円くらいだから約330円/日、9900円/月である。これはデュフレの賃貸住宅の3倍近い稼ぎになる。荒っぽく見ても不動産運営事業としては簡宿の方が断然に利益が高い。

 ということは現在の簡宿経営者が一般賃貸住宅事業に乗り換えることは、現状では予想しがたい。むしろ分譲共同住宅を簡宿に改造する事業者が登場するかもしれない。
 つまり簡宿駆逐のゼントリフィケーションは起こりにくいことになる。う~む、これって、正しい見方だろうか?

●木造飲み屋街を再開発して

 松蔭町も含めて寿地区の現在の簡宿群は、時代の要請に対応すように内容を変えて建替えられていく。だが気になる街区が一つある。
 そこは細い路地を挟んで、零細な木造2階建て飲み屋が密集して立ち並んでいる。簡宿でさえ堂々たる不燃中高層建築が立ち並ぶのに、この一角だけが取り残されている。見ようによればこここそは横浜戦後混乱期プータローの街の雰囲気を今に伝えている。

飲み屋街 2015年

懐かしいような街並みの飲み屋街 2016年



 



ちょっと怖い雰囲気の飲み屋街路地

 この街区はかつては日ノ出川であり、1956年に埋め立てて街になった。わたしは実情を知らないが、その埋め立ててできた公有地の不法占拠があり、その状況が今も継続しているのだろうと推測する。それならば戦後混乱期の建物が今に続くことになる。

 この街区がその内にどう変わるか、簡易宿泊所が林立するか、それとも共同住宅ビルが林立するか、あるいは公共施設が登場するか、楽しみである。もしもこの飲み屋街の土地が公的所有地ならば、再開発をしてこの地域にふさわしい都心型老人福祉施設を創ると良いのになあと夢想している。

寿地区当たり空撮2018年 google map

(2022/05/30記)

●もっと寿地区を知りたいお方はどうぞ
◎【コロナ正月】寿町・中華街・元町・伊勢佐木へ旧横浜パッチワーク都心新春徘徊2022
◎【コロナ横浜徘徊】コロナどこ吹く風の繁華街とコロナ景気が来たか貧困街2020

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