都体育館から外苑絵画館坊主頭が見えたころ 2015年 |
東京の明治神宮外苑再開発計画は、その地区計画(2013年)の変更都市計画は事業者の提案通りの姿に決定(2022年)したのだが、環境アセスメントの手続きにおいて、その環境影響評価審議会から待ったをかけられて、行政手続きが停滞しているようだ。その理由は、主に現存植生の保全に関しての方針に疑義を呈されたようである。
これは行政手続きではかなり珍しいことであろう。都市計画や環境アセスメントについては、それらの審議会を自治体や事業者からの原案通りに了承するのがふつうである。待ったをかけるようなことはないとことはないが、稀である。その稀なことが明治神宮外苑再開発で起きた。
●ランドスケープアーキテクトからの代替案
その背景には外苑の隣の国立競技場建設時において発生した諸問題について、市民たちに負の記憶があり、その延長上の開発計画として警戒し、再開発反対運動も起きつつあった。そこにはあの有名な銀杏並木が危ないらしいとの、都市の緑保存運動の底流がある。
これを力づけたのが、緑地計画学者のランドスケープアーキテクト石川幹子さんである。イコモスの委員会で当該再開発計画を検討して、現存樹木が1000本も伐採されるという調査をして、伐採樹木はほぼゼロの代替再開発計画の提案をしたのであった。なお、石川さんは国立競技場建設に関しても、その立体公園計画について異議を唱え、日本学術会議の委員として代替案提案をされていた。
外苑再開発計画案には、歴史的環境、都市景観、都市計画、事業手法、将来運営維持など、それぞれの課題対応がある。そのなかのもっとも一般市民が分かりやすい既存の大木の保全に焦点があつまり、「1000本大木伐採」が再開発の最大の問題のような様相を呈してきた。
かつて隣接地の国立競技場が、その建物が高すぎるという高さの数値に焦点が集まり、これも一般市民に分かりやすい数値攻撃になった。そのうちに工事費が高すぎるという金額に焦点が集まり、これも一般市民に分かりやすい数値攻撃になった。
今回の再開発においても、伐採大木1000本という実に分かりやすい数字攻撃になっている。もちろん新築建物の高さや景観も内容も問題にされているが、樹木1000本とは多くの市民を巻き込むにはなかなかにうまい戦術である。
樹木のことは事業者側も心得て、銀杏並木の保全にはそれなりに対応する計画だが、全体の既存樹木伐採本数を人質に取られるとは意外な戦術だったのだろうか。いや分かっていて、植え替えや植え増しで対応する作戦だったのが、アセス対応でドジったらしい。
さてこれから環境アセスの審議会がどう動くのか、その決定権者の東京都知事が政治的にどう動くのか、興味深いことになってはいる。
●ようやく出てきた建築家からの提案
そんな時に、新建築家技術者集団(新建)の東京支部が、イコモス石川提案の向こうを張ってかどうか知らないが、神宮外苑再開発問題「見解と提案」なるものを公開した。これを書いたのは東京支部とはあるが担当の建築家個人名がない、誰だろうか。
ようやく建築の専門家の声が聞こえるようになった。国立競技場の時の建て替えに至るどさくさの端緒は、建築家の槇文彦さんの問題提起であったが、今回はむしろ一般市民からの問題提起が先行した感がある。
だが、わたしから見ればそれはずいぶん遅い動きであった。そのずっと以前の2015年地区計画から問題をはらんでいた事業であるが、都市計画の専門家の他にはわかりにくかったのだろう。
なお、わたしはずいぶん前からブログで問題を指摘しているが、それとて専門家以外には分かりにくいことであったのだろう。もっとも、わたしの書きぶりは真正面からでなくて、皮肉と諧謔あるいはわたしもよく分からない法解釈論などだから、分かりにくい。
新建の建築家としての「見解と提案」に対して、わたしは賛意も反対の意も述べる気はない。現状保全の意志を強く読み取って、新築するばかりが建築家じゃない時代が、ようやく日本の建築家の世界にも来たのだなあと、興味深く読んだ。
わたしは事業と何の関係もないので、この再開発事業の資料類は、ネットt公開されたものを見るしかない。新建の建築家は何か非公開資料をご存知かもしれない。
●新建提案で気になったこと
「見解と提案」を読んで、下記の部分が気になった。
2 再開発計画による外苑の大改造から伝統ある環境を守る
2) 容積率の緩和と移転による不動産収益とその行方
再開発の事業計画が明らかにされていませんが、球場とラグビー場の建替えは移転した容積率に対応したもので、いわば自腹を切っての等価交換だと考えられます。とすると、不動産収益は超高層ビルの新たな床(保留床)に集められ、その所有者が手にすることになります。
これを読むと権利者である明治神宮とJSCは、野球場とラグビー場の建て替えのために、「自腹を切っての等価交換」とある。自腹とは権利者が再開発事業の外から資金調達して、各自の建設事業に投入するという意味であろうか。
つまりこの市街地再開発事業においては、施設建築物の権利床だけではなくて、十分に巨大な保留床がありながら、その保留床処分金を権利床建設等に充てないという、市街地再開発事業では異例のことなのであろう。本当にそうだろうか。
この再開発をわざわざ法定の市街地開発事業としながら、そのような権利者に不利な権利変換をするものだろうか。もちろん全員同意型権利変換だろうから、それもありうる。
新建の建築家は事業者から権利変換計画書(案)を見せてもらい、そのように書いてあったので、このようにお書きなのだろうか。
そうだとすれば、明治神宮とJSCはよほどの金持ちなのだろうし、なぜ市街地再開発事業にするのか、わたしには理解できない。明治神宮は祈祷料でも賽銭でも原資にして自腹をご自由にきればよい。
だが、JSCがそれでは納税者としては困る。JSCの自腹とは税金を原資とする国費を投入になるのだ。せっかく事業の収入金である保留床処分金をあててもらいたい。そして権利床をできるだけ広く獲得してもらいたい。この事業を市街地再開発事業にする意義はそこにあるはずだから。
普通に考えると、市街地再開発事業の保留床処分金収入は、権利者の明治神宮とJSCにも従前権利額に応じて権利床に変換して配分されるから、自腹を切らなくても新球場とラグビー場を手に入れることができるから、この事業に加わっているに違いない。
再開発ビルなどの事業費を外部から調達するために、再開発事業地区内の容積率UPをして権利床のほかに巨大な保留床を生み出してこれを売って保留床処分金という収入を調達する。必然的に巨大高層ビル建設となるのが市街地再開発事業の仕組みである。
また、「不動産収益は超高層ビルの新たな床(保留床)に集められ、その所有者が手にする」ともある。この意味がよく分からないが、保留床を青山通りに面する超高層ビルに集約する、という意味だろう。
一般的にはできあがる再開発ビルの権利床と保留床の配置は、権利変換計画書(案)を見て初めて分かる。新建の方はご覧になったのだろうか。
そういえば、この再開発事業のコンサルタントは日建設計らしい。建築設計も当然に日建設計だろう。
●前代未聞の単純市街地再開発事業の真の目的は
さてこの市街地再開発事業は、権利者がわずかに4者だから個人施行になり、施行者は三井不動産だろう。あるいはほかに隠し権利者がいるなら組合施行も可能。
市街地再開発事業としては、稀に見るほど権利者数は少ないし、稀に見るほど権利関係は単純だし、稀に見るほど広大な土地で計画自由度は大きい。この条件が全部そろう市街地再開発事業は前代未聞だろう。
大勢の零細権利者も含む一般的な市街地再開発事業につきものの、権利関係をめぐるもめごとなどはありえない順調事業だろう。事業の都市計画決定という法的担保を不要として非都市計画事業にするかもしれない(個人施行の場合)。
市街地再開発事業としてはあまりに単純すぎて(つまり都市問題がほとんど無い)、これが都市再開発法が定義する市街地再開発事業に相応するのかと、わたしは疑問に思う。まあ、都市再開発法第3条2項ロ号適用で違法ではないだろうが。
左右に明治神宮内苑と外苑だが、再開発すべき地区は内外苑以外であろう |
JSCは非課税団体だろうが、民間権利者3者(特に明治神宮)の意図は、市街地再開発事業とすることで不動産の交換売買に関する税逃れにあるようだ。これはわたしの邪推だろうか、違法ではないが釈然としない。認可権者の東京都知事の判断によるしかない。
この前代未聞の単純市街地再開発事業でも一般会計補助対象になるのだろうか?
密集市街地再生とか被災地復興とかという都市再開発王道で苦労している事業と同じ扱いなのかしら?
ところでランドスケープアーキテクトと建築家の意見は登場したが、都市計画家の意見はどうなのだろうか、未だに聞こえない。
わたしはこれまでこの都市計画と再開発事業について散々書いてきたので、改めてここで繰り返さない。とにかくようやく事業の全体像が分かってきた。(20220720記)
参照:◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発騒動瓢論集
『コロナ大戦おろおろ日録』
『伊達の眼鏡ブログ』
『まちもりブログ』
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