なんとまあ、惨殺された安倍晋三氏を、国葬に付するそうだ。
岸田文雄首相は14日の記者会見で、参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相を追悼するため、今秋に「国葬」を行うと表明した。戦後、首相経験者の国葬は1967年の吉田茂元首相の死去時にしか営まれたことがなく、安倍氏は2例目となる。閣議で実施を決定する。(NHKWEBニュース20220714/20:35)
これで明白になった。安倍氏の死は、国家がその葬儀を司るほどの、大いなる政治的テロの犠牲であった、栄誉の死であったと、少なくとも政府はそう判断したからこそ、国葬にするのであろう。
安倍晋三氏の死は、狂気の中年男の誤解殺人の犠牲となった犬死ではなかったのだ。つまり、ある特定宗教による家庭破壊を、その宗教団体を安倍氏が支援したことによると勘違いして怨恨を抱いた中年男の狂気の行動に、安倍晋三氏が巻き込まれて殺された、ということではなかったのだ。
政治的テロの犠牲者となると、その暗殺に至る原因究明が徹底的になされなけrばならない。安倍氏の政治的言説や言動のなかでも、事件に直接関係すると暗殺犯人が供述するところの、統一教会と安倍氏との関係である。
実は、安倍晋三氏と統一教会との関係の深いことは、彼の祖父の岸信介氏の時代に始まっているのだ。その因縁の深いことは、ネット上に過去の映像や画像あるいは言説が、無数に登場している。常識として私もいくぶんか知っていた。
統一教会はずいぶん前に犯罪や奇矯で新聞沙汰になったが、数年前には統一教会系系団体の会議に、安倍さんがトランプとともにビデオメッセージを寄せたことが、その映像とともにスキャンダルニュースになった。
あるいは統一教会系の出版社がが出す情宣活動の雑誌の表紙に、安倍晋三氏の大きな写真が飾ってもいる。
つまり暗殺が政治的テロとするのならば、これらの安倍氏の言動は政治的なつながりがある行為であったことになる。どうも安倍氏には気の毒な用か気もするが、国葬にするほどの事件ならば、そういうことだろう。
さらにまた有田芳生氏や多くのジャーナリスト弁護士たちが、出版物等でこれまでも公にしてきた、政治家と統一教会の関係についても、公判の場に持ち出されることにならざるを得ないだろう。
となると、これから関係政治家たちの言い逃れれや裏工作が横行するだろう。すでに起きつつあることがネット社会には出ている。ある政治家は、「講演したことがあるが、知らなかった」とtwitterにつぶやいている。
一番怖くてありうると危惧するのは、暗殺犯の口封じである。彼の身柄が今の検察からいずれ司法へと移って言うだろうが、その間に彼に物言わせないような何かが起きると思うのは、私だけではなかろう。劇画ならゴルゴ13の登場である。
なにしろ安倍晋三氏が偉大な死を迎えたという神話に仕立てるのは、これを政治テロにしないと話が成り立たない。だが政治問題にしたくないなら、勘違い殺人に仕立て上げ、安倍氏には犬死してもらうしかない。
さてこの栄誉死と犬死の間で、政府は、政治家は、あるいは社会はどこれから動くのか、誠に興味深いことである。
それにしてももったいない気がする。安倍晋三氏を国葬とするとは、彼の右翼思想を称える国家になってしまった、そんな気がしてならない。国葬とはいくら税金を投入するのだろうか。統一教会や生長の家や創価学会や日本会議から多額の香典が来るだろうから、それをここに入れると投じた税金以上になるという計算か。
国葬とすれば、その生と死を国家としてたたえるのだから、その暗殺にも意義を与えざるを得ないことになる。これはとりもなおさず暗殺犯にとっては、まことに都合がよいことになる。暗殺犯が目的とした統一教会への恨みは、国家によって認知されることになる。すでに社会の関心はそちらに傾きつつあり、国家もそれに加担して、今や暗殺犯の思い通り、いやそれ以上になりつつある。
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