2024/01/23

1784【黒部峡谷探訪】峡谷の山口文象モダンデザイン建築やダムにはTV放送のタモリは無関心

 富山県の黒部川における電源開発事業の軌跡の現在を、現地探訪で紹介するTV放送番組をPCで見た。「ブラタモリ秘境黒部峡谷」と題して、黒部川を発電所とダムを下流から開発の順に順に訪ねて遡り、黒部ダムまでたどり着く行程の映像紹介だった。
 開発した当時は日本電力といったが、いまは関西電力が所有して運営管理している。そこの専門家の案内はなかなかに適切でよく分かった。紅葉の黒部峡谷は美しい風景だし、その急峻な山岳と峡谷の地形に挑んだ先人たちの意気込みも面白く、秘境探訪として楽しんだ。

●建築家山口文象の秘境の仕事

 実はわたしがそのTV放送番組を見た目的は、秘境を見たいのではなかった。わたしがその生前に師事した建築家の山口文象が、この秘境でひとつの発電施設に関わっていたからだ。それは1936年に完成した黒部川第2発電所とそこに黒部川を渡る目黒橋、そこに水を送るために取水する小屋平ダム、そして送る水から砂を取り除く施設の小屋平堰堤沈砂池の設計などである。山口は日本電力の嘱託技師であった。

 わたしは1993年にこの発電所までは見に行ったが、そのほかは見ないままであるので、TVに登場を期待した。しかし結果は、第2発電所と目黒橋がほんの少し登場したが、その他はまるきり出てこなかった。

山口文象設計の黒部川第2発電所と目黒橋 19930731伊達撮影

 わたしはこれまで山口文象のこの仕事については、このブログにも掲載している(参照:1936黒部川第2発電所・小屋ノ平ダム等)。竣工当時1938年には土木系や建築系の雑誌に大きく掲載されて、ドイツの建築雑誌にも載っているのは、ベルリンでW・グロピウスのもとで働いていた縁であろうか。わたしが編集担当し一部著述した『建築家 山口文象 人と作品(相模書房1988)に、戦前の代表作品として大きく載せた。

 TVで黒部川第2発電所とネズミ返し岩壁の映像を見て、そうだこれと同じシーンの山口文象によるスケッチがあったと思い出した。山口は第2発電所のデザイン途上で、その得意なコンテによるパースをいくつも書いている。

NHKTVブラタモリのワンシーン 背後にネズミ返し岩壁、
手前に山口文象設計の第2発電所と目黒橋

 山口文象設計の第2発電所の前に高い塀ができて、半分以上も見えなくなってしまった。

設計時の山口文象によるコンテパースのひとつ(1930頃か) 
背後にネズミ返し岩壁、手前に第2発電所と目黒橋

 山口の仕事はほんの少ししか登場しなかったが、この番組で目黒橋について新たに二つの知見を得たのが収穫である。一つは目黒橋の竣工は、第2発電所よりも2年早い1934年であったことだ。同時にできたとばかり思っていたが、考えてみれば建設資材を運ぶための橋が先行するのは当たり前である。
目黒橋の鉄骨に昭和9年とある記録

 もうひとつつは、目黒橋の橋台となっている構造物は再利用であったこと。実は建設前のこの位置には、下流の柳河原発電所の取水堰堤があり、その構造物の一部転用であったそうだ。だからコンクリートの橋台構造物の方が、橋の鉄骨本体より幅が広すぎるのだ。なるほどすでにあるものを活用は、資材運搬が困難な地であるだけに重要なことであろう。

 ところで目黒橋のデザインも転用であるのだ。実は東京の隅田川支流の日本橋川にかかる豊海橋とそっくりデザインである。その豊海橋は、関東大震災復興で1927年にできたのだが、復興局に在籍していた山口文象がデザイン担当していたのである。フィレンデールという構造体だが、若干プロポーションを美しく変えて、ほぼ同じ形で目黒川に援用したと、山口がそう述べているから確かである。

 全く異なる環境にもちこんで、しかも豊海橋が落ち着いた白系統の色であるあるのに対して、こちらは鮮やかな朱色である。この色に対して何か論争があったかもしれない。そもそも第2発電所のデザインについてはあれこれとあったらしいのだ。当時も自然と人工物の取り合う景観について、あれこれとやかましかったことを、山口は語っている。
黒部川の朱色の目黒橋(1934年)とその大きすぎる橋台

隅田川支流にかかる豊海橋(1927年)

 TV放送番組を見ていて欅平の手前の小屋平ダムがでてくると期待していたら、通り過ぎてしまった、残念。このダムについては、山口文象がドイツ遊学時に水理学の専門家を訪ねて形態について指導を得て設計に生かされているようだし、ダムのデザインスケッチもあって、今の姿を見たかった。
小屋平ダムと沈砂池 コンテパース山口文象

小屋平ダム コンテパース山口文象

●1957年このルートを辿った大学山岳部

 1957年の夏休みに、わたしの大学の山岳部はこのトロッコルートを阿曽原まで通り抜けて入山して、北アルプスの劔岳に夏山合宿に行った。残念にもわたしはこれに不参加だが、当時の記録がある。そのころは関電の工事専用ルートであり、そこを無理に頼み込んで乗せてもらったらしく、珍しい体験をしたものだ。

 参加した山岳部16人のうち、わたしの同期生だった一年生は10人である。その10人のうちで今も生き残りは、わずか5人のみである。この時の不参加のわたしも含めて山岳部同期仲間8人の生き残りが、今も親しく付き合っている。このTV放送を懐かしく見た者もいる。

山岳部仲間1958年夏山合宿下山時の写真 左から5人目が私、いま何人が生き残るか

 
 最後にテレビ番組なるものに小言を。
 わたしは日常でテレビ放送なるものを見ない。もう40年くらいは見ない。もちろん大災害時の現場の放送だけは見ているから、能登地震の発災当時も見た。
 今回も知人から教えてもらって、見逃しネット配信なるものをPCで見たのである。黒メガネの案内役というか狂言回し役のタモリという人は、昔にTVを見ていたころにお笑い芸人だった記憶がある。今はこのようなことをしているのか。
 それにしても、今回の主役はタモリではなく、関電の案内役の人であった。場所ごとにクイズ形式にして、タモリがどんどん正解をして、毎度毎度「おっしゃる通りでございます」と案内役が褒める。台本がそうだろうが、実に詰まらん、オウム返しと同じである。タモリと一緒の女性もなぜそこにいるのか、二人は有名芸人で客寄せパンダかしら。
 これって単発番組なのかしら、あるいは連続番組でいつもこうやっているのかしら、TV放送番組とはなんとつまらないものとあらためて思った。あ、そうだ、途中に広告がひとつも出てこないのが実によかったと褒めておこう。

(2024/01/23記)
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