2024/01/08

1777【老人二人の死】われよりも若き老衰に戸惑へば脳内にわかに昔歌ぞ流る

●篠山紀信の83歳老衰死に戸惑う

 近年はコロナパンデミックに加えて戦争紛争、地震津波豪雨など大災害による人間の大量の死が、毎日のマスメディアやネットに登場して 、人間の死に不感症気味である。それがさらに増幅されるのは、今や個人的に身近な知人たちの死も珍しくない年頃に自分が至っているからだ。もう人の死に驚かない。

 ところが、先日、新聞の訃報に驚いた。わたしでも名前を聞いたことがある著名な写真家の篠山紀信が死亡したとの15日の記事である。篠山氏に面識はないが、驚いたのはその死因である。なんとまあ「老衰」だそうだが、その年齢が83歳とあるところまで読んで、これはと驚き戸惑ってさえいる。

 エ~ッ、83歳?、いったいどうしたのかと狼狽気味、だって、わたしよりも3歳も若いッ、その歳で老衰ってことがあるのか、いやいや、こうして現実あるものなんだなあ。
 そうかそうか、わたしもついに知らぬ間に老衰死の資格の獲得に至っていたのか、気が付かなかった。では、これからは堂々と自分の死を語ることができるぞ。なんだか安心感もわいてきた。

 老衰死の人は、いわば生物的に完結したのであろう。それが若かろうが超高齢だろうが、これこそが天寿の人である。それに対して事故死や病死は、生物としての生きることができた期間を余儀なく短縮したのである。一般に非業の死という。逆に、老衰死しようとする人を、医療技術で無理やり生き永らえさせるのも、死者から見れば余儀なく延長である。どちらも不自然なる人生であったことになる。自分の意思による死も完結と言えるだろう。

 さて、私も生物としての人生を自然現象として完結したいものだ。近年ではコロナワクチンを入れたが、これまでめったに薬を入れた身体ではないから、ありうるだろう。
 だが、老衰死って苦しいのだろうか、楽なんだろうか、そこが気になるが、まあ、なるようにしかならない。願わくばピンピンコロリタイプの老衰死をやりたいものだ。

●中村メイコの死と70年前の歌の記憶

 今日のニュースのひとつに、俳優の中村メイコの訃報がある。こちら89歳で病死とあるから、この事実には驚かない。でも、彼女の歌に「田舎のバス」があったと書いてあるところにきて、脳内にその歌がワ~ッと流れたので、そんな自分にビックリ。

「♪ 田舎のバスは~おんぼろぐるま~タイヤ~は傷だらけ~ま~どは閉まらない~それでもお客さん~我慢をしてる~それ~はわたし~が美人だか~ら~ ♪

 ここまでだが、これで歌詞一番の全部だろう。たしかミキトリロー作詞作曲で、NHKラジオ放送番組の「日曜娯楽版」の中の「冗談音楽」で初めて聴いたような覚えがあるが、定かではない。冗談音楽の導入部も脳内を流れる。(参照:「冗談音楽」)

もしもしあのねあのねッ、これからはじまるッ、じょーだんおんがく~

 おどろいたねえ、これらの歌を聞いたころから今まで思い出したことは一度もないのになあ、いつの歌?。ネットで見ると1954年に作り、55年にレコード発売とある。70年も前のことだ。ユーチューブで歌詞とメロディーを確かめたら、あっていた(参照:「田舎のバス」)。

 日曜娯楽版はわたしが高校生のころだが、政治風刺がきつく効いたコントが続き、実に面白いラジオ番組だった。その風刺が効きすぎて、当局(政府か進駐軍か)からにらまれて、番組名が変わったら全然つまらないものになった記憶がある。

 あそうだ、おんぼろバスから思い出したが、そのころだったかしら、木炭車のバスが走っていた。バスの後部にそのための缶(かま、というのか?)が煙を出していた。力がないらしく坂道では客がおりて押した。あれはいつ頃だったろうか、この歌のころはもうガソリン車だったかな。ガソリン車が(再)登場したころ、子供らはその後ろで排気ガスを吸って、ああいい匂い、なんて言っていたが珍しい匂いだったのだ。なんて突然思い出した。

 篠山紀信も中村メイコもわたしは全く面識がないし、TVなどで見た記憶もない。だが、ある人の死は、その人とともにあった頃の昔の自分を、突然にむりやり引きずりだされる、これっていやなものだ、と、今思う。

われよりも若き老衰に戸惑えば脳内にわかに昔歌ぞ流る

(20240108記)


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伊達美徳=まちもり散人
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