米寿と米呪、老衰と老酔 伊達 美徳
わたしの郷里に住む歌人藤本孝子さんの第五歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』に、こんな歌が載っています。
「もう飽きた人生の盆地を飛び出したい」十八の頃と同じこと言ふ
歌人によると、これはわたしのことだそうです。
藤本孝子歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』 2025年10月版 |
そのとおりで、わたしは少年時には、閉鎖環境の高梁盆地を飛び出したいと思い続けていました。少年は誰もそうだったことでしょうが、わたしのそれは十九歳の時にようやく叶いました。飛び出したままのそれから60年後、八十歳になったわたしはこんなことを書いていました。
「思えば十五年戦争のさなかに生まれ、もの心ついたら戦争が終わり、社会に出ると高度成長期、大きな災害傷病に遭遇もせず、平和な時代の幸運な人生だったが、また盆地脱出願望が湧きつつある。80年余の人生という盆地に、疲れてはいないが、もう飽きてきました」(『鳩舎第三号』2018年より引用)
それからさらに7年後の2025年秋の今、これを書いています。そうです、いまだに飽きた人生盆地にいて、とうとう米寿になってしまいました。その間も平和であったかといえばこれが大違いで、この人生晩期になって、実は二つの大変な事件に遭遇したのでした。
●人生盆地の中で2重落とし穴に嵌った
それは新型コロナパンデミックと老々介護です。これらは人生盆地の底に潜んでいた、大きな落とし穴でした。前者は2020年初から始まり、後者は次の年の夏からと、二つの事件は重なり続きました。
それらの二重落とし穴のどちらからも、ようやく抜け出すことができたのは、2024年の夏でした。密かに解放宣言を歌い唱えたものです。
だがしかし、この間に取り返しできそうにない大問題が起きていました。コロナは人々に出会うことを制限しました。在宅介護は特殊な世界に閉じこもらざるを得ませんでした。
だから、わたしはこの5年間は世間から隔離されていたのです。それ以前は仕事の延長などで、社会とのつながりがいくつもあったのに、この間にいずれも断絶したのでした。落とし穴から抜け出したら、周りは荒涼たる世界でした。地獄から戻った浦島太郎です。
若いうちならばこれを修復して世の中に復帰するのは容易でしょうが、後期高齢者にはそれは容易なことではありません。つながる世間そのものが消えているのです。
コロナパンデミックという地球規模の事件に遭遇するとは、人間として実に稀有な珍しい経験をしたものです。右往左往の地球と世間を面白がってもいたのも事実です。
そしてコロナ後には人間世界はどう変わって出現するのか、楽しみにしていました。未曽有の地球的事件を越えた人間の英知が、これを教訓に見事に再構築するに違いないと、ほのかな希望を持っていました。それを見たいために2重苦の苦闘の日々を生きてきたと言っても過言ではありません。
だが実際にコロナの闇夜が明けた今、現実は見ない方がよかった世界が出現しています。まったく酷いものです。この分断世界はどうしたことでしょう。コロナがこれを生んでしまったのでしょう。またもや二度目の地球規模の戦争に出会いそうです。コロナの前にこの世を去っていった友人たちを羨ましいとさえ思います。
この二重の落とし穴に嵌っている最中、わたしの世間とのつながりは、ほぼインタネットによるもののみであったと言ってよいでしょう。Eメール、SNS、ズームなどによる旧友たちとの交流や、ブログ書き込みなどなど、これがあったので正気を保つことができたと言ってよいほどです。インタネット社会に、わが人生が間に合ってほんとうによかったと思っています。
そうです、この冒頭写真の歌集づくりも、インタネットがあればこそできているのです。藤本孝子歌集は、2014年の第2歌集「ぽかりぽかり」から第五歌集の今日まで十二年の間に、歌人とわたし(企画、制作担当)、この間に顔合わせしたのは3回のみ、全てインタネットによるやり取りで協同プロジェクトになりえているのです。インタネットあればこそ、こんな活動ができたているのです。
●歌集出版という知的遊び
そして今年発行の第五歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』は、2025年3月から、毎月10冊程度を制作発行してきました。この10月で100冊になりました。普通なら一度に多数の本にして、多くの人に同時に渡したいところを、このような悠長な毎月10冊発行としたのはもちろん理由があります。
これまでの藤本孝子歌集の第二~第四歌集「ぽかりぽかり」シリーズは、ソフトカバーでしたが、今回は歌人もわたしも米寿になった記念として、格好つけてハードカバーにしようとなったのでした。
ところがこのシリーズは、わたしの趣味である手作りの本なのです。今どきの市販の本はすべて機械で製本していますから、手作りの本なんて珍しいのです。ソフトカバー本は手づくりでも簡単ですが、ハードカバー本はその10倍以上に手間がかかるのです。
そこで考えたのです。一度に大量制作出版するのではなくて、毎月10冊づつ、毎月の新作の短歌も順次に載せて、手作りして10カ月で100冊にしよう、さらに続けることができたら来年までも続けようとなったのです。月刊歌集です。
こうして3月から8カ月目の今月で、初期の目標100冊に達しましたが、このまま毎月発行をこれからも続けます。
この月刊歌集遊びをいつまで続けるのか、それはわたしたちの老いが決めてくれることでしょう。それにしてもこの遊びは、老いゆくわたしには有意義なものです。
そこで老いについてちょっと述べましょう。
●ついに八十八歳という米呪になったこと
わたしは2025年5月5日に88歳になりました。昔から世にいうところの「米寿」です。もっとも、数え歳のそれは前の年になっています。これまで喜寿、傘寿なる齢を通り越すときには、ほとんど年齢のことを気にしたことはありませんでした。何を「壽ぐ」のだよ、今じゃそんな年齢は珍しくもないのに、と反発したものでした。
ところが今年米寿になってみて、考えなおしました。そうか、これは「米呪」だな、この年齢を迎えたことを呪詛するんだなと、気が付いたのです。
真実に対して遠慮会釈もなく「呪う」といわずに、同音で「壽ぐ」と迂回して言うことで、呪うべき歳になってしまったことを緩和しようとする、世間の浅はかな知恵に違いありません。
わたしが米寿となって積極的に、これを米呪とも見立てて使おうと考えが変わったのは、もちろん理由があります。まさに呪うべきことが起きているからです。88年も生きたことがもたらす不幸です。
その呪うべきことは二つあります。ひとつは前述のような事情で社会と断絶されてしまったこと、もうひとつは老いという不治の病に取りつかれたことに気がついたことです。長生きし過ぎたからです、残念無念。
コロナと介護が明けたらどんな明るい世が待っているのか、大いに期待していましたが、裏切られました。まさに米呪が待っていました。
●コロナ後の世に失望してわが老酔録を書く
というわけで、いまわたしは老衰期に入ったことを自覚したのです。もちろん人生はじめてのことです。それならば、自分が日々に老い衰えていく様を、自虐・諧謔・ギャグ的に記録しておこうと思いつきました。そうですわがインタネットサイト「まちもり通信」のなかに『老酔録ー米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録』ブログを設けたのです。これまではコロナ後世界の観察に目を向けていたのですが、現実には失望してしまいました。
そこで自分自身に目を向けることにしました。わが身がどのように衰えていくのか、おおいに興味があるので、老いて暇すぎる日常の格好のヒマツブシにしようとの魂胆です。ついでにこのブログ記事をインタネットで読んで面白がる人がいるとうれしいですね。
米壽を呪詛して米呪と言い、老衰を嗤って老酔とするのです。酒飲み酔っ払い老人のようでしょうが、今や酔っぱらうほどに酒を飲む気力も体力も失せてしまったし、酔いでもって失せさせたいと思うほどの悩み事も過ぎ去ったのです。老いに酔い痴れるしかないのです。
これが「卆呪」から「白呪」へと進む前に、なんとかしてコロリと逝きたいものです。そう、またもや起きるに違いない世界戦争から、絶対安全安心地帯の「あの世」へと避難しておくのです。
では、「老酔録」の記事をどうぞごひいきに。
●老酔録―米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録―https://x.gd/c1ANm
(注)この文は、藤本孝子歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ』(2025年)の、10月発行分に挟み込む「栞」に掲載した。
(2025/10/08日記)
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伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
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