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2008/12/05

071【世相戯評】年収100円の社長さんへ

 アメリカの自動車会社の社長さんが、自動車が売れなくて会社がつぶれそうなので、去年までの年間のお給料が10億円以上だったのを、これからは年に100円にすると決めたそうです。
 どうしてそれで生きていくのでしょうか、だってアンパン1個で100円ですから、腹が減ってしまうと思うのです。
 去年までの毎年10億円以上のお給料は、世界一の自動車会社の社長さんが大会社を維持するためには、いろいろとそれだけのお金が必要だから、会社は払ったのだとぼくは思います。
 アメリカはイラクやアフガンで戦争したりしてお金がたくさんいる時代に、まさか自動車屋さんは戦争に乗じて大もうけして、貯金をしているとは、ぼくは思いたくありません。もしもこれまで貯金できたのなら、副社長さんや専務さんたちも、みんなでその貯金を出せるはすです。政府に助けを求める必要はないでしょう。
 だからこそ社長さんは、アメリカ政府にお金を貸してください、税金で助けてくださいと、言っているのだと思います。

 でも、これはこれからの地球を救う大きなチャンスだと、ぼくは思います。
 自動車が多すぎる世の中になって、事故で死んだり怪我する人が多いし、排気ガスで臭いし、騒音でやかましいし、暴走族が怖いし、困っています。
 一家に2台も3台も持っていて電車で行けるのに自家用車で行くし、自動車専用のがらがらの高速道路をつくったり、それだけ余計に石油を使って、エネルギーの無駄つかいだと思います。
 郊外に自動車で行くショッピングや住宅や学校や図書館を作るので、自動車を運転できない子どもや年よりは困るばかりです。
 街の中はだんだんと店や建物がなくなってさびしくなり、たくさんの空き地は駐車場になり、それがみんな木を植えない上に汚い派手な看板を大きく出すので、街は殺風景になるばかりです。
 ですから、自動車が売れなくなって、乗らなくてもよい自動車が世の中から減ってくると、世の中はこれまでとは逆の動きになって、空気もよくなり、静かになり、鉄道やバスの経営もよくなり、今よりも暮らしよくなり、街もにぎやかになると思うのです。
 アメリカの社長さんは、つらいでしょうがしばらくはアンパン1個で1年を暮らして、自動車のために変になってしまった世の中を元に戻して、要りもしない自動車を作らなくてもよい、買わなくてもよい世の中になるように、がんばってください。
 参考→自動車社会を衝く

2008/11/23

067【怪しいハイテク】鉄道カードを持たないし携帯電話器を持ってるけど電話だけ

 乗り物のナントカカードを持っていない。電車に乗るとき、必ず切符を買うことにしている。
 だって、事前に大金を取っておいて、金利を払わないなんて、悪徳高利貸よりももっと悪い。資本主義社会のテキである。よく皆さんはそんなことが平気なのですね。

 あれは鉄道屋さんの手数が省けるだけで、乗るほうは金利の損だけである。
 それに、大きな声ではいえないが、キセル乗車もできなくなったしなあ。鉄道屋さんは、それまでキセルで損してもやっていけていたのだから、いまやかなり儲かるようになったに違いない。
 金利をつけるようになったら、カントカカードを使うようにするつもりだ。その頃はカードシステムはなくなって、携帯電話に仕込まれるシステムになってしまっているかもなあ。

 ところがわたしの携帯電話機ではそれはできない。ネット接続機能をつけていないから、文字通り携帯電話機である。
 仕事していた頃はもちろんネット接続していたが、今は必要ないからやめた。
 携帯電話機そのものも必要ないかもしれない。母がもしものときのために必要だったが、それも終ったので、いまや、時計が一番の用途、次がカレンダー、3番目が電話、ほかはなんにも使っていない。やたらめったらある機能はみな枕を並べて死んでいる。
 たまに、つまらない会議中に、無音モードにしている携帯電話にかかってきたフリをして、外にしばらく抜け出すのに使っている。これは役に立つ機能である。

 ネット接続もテレビも家のPCで十分である。そもそもテレビをめったに見ないから、ワンセグ(これは珍妙な造語である、ワープロなみだな)なんて必要などころか、電車の中でまでテレビ見たいヤツの気が知れない。

 中越の山村・法末では携帯電話が通じない。仕事の電話から逃げる口実に使っている仲間もいる。それももうだめで、近いうちに集落ど真ん中にアンテナが建つらしい。 
 それにしても公衆電話が激減しましたな。どこにあるか、探す難しさが公衆便所なみである。 そのうちに公衆浴場なみになるだろうなあ。公衆電話保存運動の果てに、公衆電話遺跡指定なんてね、。

2008/11/21

066【老いゆく自分】身内に不幸があっても喪中ごあいさつなるものを出さないのだ 

 年の瀬が近づくと、「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申しあげます」と、グレーの葉書がたくさん来る。
 こちらが歳をとるにつれて、その数が毎年毎年増えていくような気がする。枚数が毎年末のわが老化度指数である。
 昔は差出人の祖父母が多かったのに、今頃は父母の死が多い。そのうちに差出人ご当人になる順序である。
 11月半ばというのにもう6通が来た。

 実は、わたしも母を送ったのが今年であるから、普通なら今頃は喪中葉書を出しているはずだが、出す気がない。父が95年に亡くなったときも出さなかった。
 それは、わたしには喪中の意味が分からないからだ。葉書に書いてあるなくなったお方をわたしが知っているならば、それなりに哀悼の気持ちも持つが、ほとんどの場合は差出人を知っていても亡くなったご当人は知らないお方である。なぜわたしにお知らせが来るのか理解できない。

 だからこちらもその必要はあるまいと、父の逝った年も普通に年賀葉書を出したし、今年もそうする。
 なにかで、どうして喪中にしないのだと聞かれたら、変に言い返すのもおかしいので、父は神主だったから、神道では喪はないのですと言っていた。
 母もそうするが、神道でどうなのか、実は知らない。宗教的なことに無関心だからだ。あ、いや、お祭りは大好きだけど、。

 死を穢れとするから喪に服するのだろうと思うが、父は85歳、母は98歳であったから、長寿を全うしたと言ってよい。まさに寿であるなら、祝いこそすれ、穢れではあるまい。
 ただ思うのだが、喪中葉書を出すことで、多くなりすぎた年賀状の送り先を整理する作戦には有効だろうと思う。やってみるなら今年が最後のチャンス(のはず)だが、それもめんどくさい。あ、いけね、ホンネが出てしまった。

2008/11/10

062【法末の四季】秋深い法末で紅葉をめでつつ蕎麦の脱穀をした

 中越の山村法末は、今、紅葉が盛りである。山林には、黄色はブナ、ミズナラ、イチョウ、赤色はヤマモミジ、ナナカマド、ヤマウルシ、ヤマザクラなど、緑濃い針葉樹林と混交しながら競い合っている。


 集落の中は、家の周りは用材と防風のために針葉樹林が取り巻き、そのところどころにイチョウやブナあるいはモミジが色を添えている。
 稲を刈り取られて来春を待つ棚田は、法面の枯れ草と田んぼの土の色が交互に重なっている。

 先月末に刈り取って、茎がついたままに軒下につるして乾燥させていた蕎麦の実を脱穀した。
 脱穀機は、戦前の製品らしい「組合号」と名前がついている足踏み式である。簡単な器具だから、長持ちするのだろう。

 それで脱穀しても、葉っぱなどが混じっているから、篩でより分ける。しかし、乾燥が足りなくて、実だけの分離がしづらい。もう一度乾燥させてから篩にかけることにした。まだ蕎麦を食うには半月は先となる。
 蕎麦は、畑での栽培は簡単だが、刈り取りから後が手間がかかるものである。

 刈り取りを泥がつかないように注意ながら慎重にやり、乾燥、脱穀、葉や茎などのゴミを取り除いてようやく実だけにして、石臼で挽いて粉にし、打って、切って、茹でてようやく食べることができる。
 わたしは育ちがうどん文化圏だったから、よほどうまい蕎麦でないと食う気にならない。初めて蕎麦を食ったのは19歳で関東に移った時である。こんなまずいものをよく食うもんだと思った。有名な信州に行けばうまいかと思ったが、もっと不味かった。

 ついでに言うが、うどんについても関東の流儀では、どうしてこんなにも不味い食い方なのかと、今も不思議である。
 蕎麦なんて土地の痩せたところでないと育たないから、不味くても仕方なく食うもんだろうとバカにして、今もめったに食わない。そばがきの方を好む。
 あるとき、蕎麦うち趣味の友人が、新取り入れの蕎麦の引き立ての新粉で、打ちたて、茹でたてで食わせてくれて、初めて蕎麦の味が分かった。もう60歳を越えていた。大人でないと分からない味である。
 その友人の打つ蕎麦だけがうまい蕎麦で、店などで食う蕎麦を美味しいと思ったことは一度もない。
 そのうえ、気取った蕎麦屋で出してくる、はげ頭の櫛毛のようなざる蕎麦の値段のバカ高いことは、いったいどういうことなのか、たかが蕎麦で、、。 

2008/10/31

058【世相戯評】調剤薬局では人前で平気でわたしの病名を大声で言うがプライバシーなしかよ

 調剤薬局に薬を買いに行くと、他人の病気が分かってしまう。
 薬剤師が客に病状を聞き、薬の説明をするのに、待合室に他に客がいても店先で平気に大きな声でやるからである。
 もちろん、私の病気も他人に知られてしまう。

 病気とは、究極のプライバシーに属することなのに、それで良いのだろうか。
 奇妙な病気に対する偏見だってあるし、他に感染する病気持ちに近づきたくないし、政治家は選挙で落選する可能性もある。
 医院では待合室とは別の診察室で医者と話すからプライバシーは保たれるのに、調剤薬局ではそうなっていないのが不思議である。

 昨日は、いつもの調剤薬局の薬剤師に、他人がいるところでそんなプラバシーに関わることを大きな声で言うな、他の人の病気も聞きたくない、と、叱りつけた。
 これが2回目である。分かっていないやつである。

 医薬分業になって、患者の側は面倒になってしまった。昔のように医者が薬をくれると便利だし、なによりも処方箋代とか薬屋の管理費とかそんなものはいらなかった。
 どうして患者の負担を多くするようになったのだろうか。
 命を担保にとられているから、医者には文句を言いにくい。

2008/10/28

057【世相戯評】毒を食う日々

 このところ毒入り食品がしょっちゅう話題になる。あれは内部告発者がマスメディ屋(新聞屋というより格好いいかも)などに漏らして、企業がやむなく公表ってことなんだろうか。

 毎日の新聞の社会面に、食品に限らず欠陥商品類のお詫びの広告が出る。
 それらの文面はどれも一定の暗黙ルールに沿っており、独自の書き方での心からお詫びと読めるものに出会った覚えがひとつもない。

 あるとき、これは独特だなあ、責任者の写真まで載っているし、と読んでいたら、なんとまあ、お詫びを装った映画広告であった。うまくはめられた。

 毒入り食品広告で気になっているのは、これを普通に食っていても毒は微少なので健康被害はないから安心せよ、そんな旨が書いてあることだ。
 毒入り食品がこれだけ多くなると、そのひとつの食品は微少だろうが、いろいろな種類の毒入り食品を3度3度の飯で毎日食っているから、それらを合わせるとかなりの量の毒を摂っていると思うのだ。問題ないのかしら。

 いろいろな毒が体内で複合して、新たな毒になっているかもしれない。あ、いや、毒をもって毒を制しているのか、それならアンシンだなあ、??

2008/10/03

049【モノづくりとまちづくり】めがねとアメリカ大統領選挙

 自分が今の世界の話題の人のかけるめがねと同じデザイナーによるめがねを着けていると、今日はじめて知った。
 アメリカ大統領選挙でペイリンアラスカ州知事が共和党副大統領候補で登場して、何かと話題になっているが、日本でも話題になっていて、それが全く政治的話題ではなくて、彼女のかけているめがねが日本製だから、という新聞記事を今朝読んだ。
 日本のめがねといえば福井県産(特に鯖江)に決まっているが、彼女の眼鏡はその増永眼鏡製の川﨑和男デザインだそうだ。
  
 1991年の湾岸戦争を指揮していたアメリカのパウエル国務長官が、増永眼鏡製・川﨑和男デザインの縁なしめがねをかけていた。実はそれが、私のかけている今のめがねと同じデザインだった。

 私が遠近乱視めがねをかけだしたのは40台の半ばからだが、壊したり合わなくなったりしていくつかけ替えただろうか。この8年くらいは、今の川﨑和男デザインのふちなし眼鏡をかけて、度の合わなくなったレンズを1回換えただけで使いとおしている。
 その前にもふちなし眼鏡を使っていたが、弦と玉の付け根で壊れる連続だった。

 ペイリンやパウエルのほかにも、アメリカ政界の人が川﨑デザインめがねをかけていると、今朝の新聞に書いてあったから、あちらで流行なのだろうか。
 それとも、品質がよくて高価な眼鏡を選ぶと、福井の産地の物になるという自然の成り行きなのか。それならめでたいことである。

 増永といえば、増永五左衛門という人が20世紀初めに、福井県の鯖江と福井の間にある麻生津村(現在は福井市内)に、めがね弦を作る産業を起こしたのだ。それがいまや鯖江といえば、めがね弦生産は日本の9割を越す産地となったのである

 と、宣伝するのは、これまで15年くらいの間、私は鯖江市に通って産業政策と都市政策を融合するまちづくりを手伝っていた経緯があるからだ。めがね、越前漆器、繊維が鯖江の3大産業である。
 鯖江の眼鏡が生産日本1と威張ってても、実は鯖江に行ったら良い眼鏡を安く求めることができるか、私だけのデザインの眼鏡をすばやく作ってくれるか、と期待しても、そうはいかないのである。長い間に組み立ててきた生産と流通の仕組みが、そうなっていないのである。

 それをそうはいくようにしたい、生産する力は十分にあるので、デザイン力と販売力をつけて、産地の地域で売るように、眼鏡を買いに来てくれる観光の力もつけよう、まちづくり全体として取り組もう、というのが狙いであったが、諸般の事情であまりうまくいっていない。
 でも、こうやって“外圧”が宣伝してくれると、外圧に弱い日本では、もしかしたらなにかが起きるかもしれないと期待している。

 中国製の安物眼鏡ばかりがもてはやされる今の時代に、海外からの逆宣伝で日本人が日本製品を見直すのは情けなくもあるが、この機会を生かすのもよいだろう。
 日本でも選挙騒ぎのようなことがあったけど、あ、これからもあるか、でも、ファッショナブルなお話は出てきませんな。 そのかわり、日教組をぶっつぶすなんて大臣が言うファッショな話題ならあるよなあ。
 →参考ページ・鯖江ファッションタウンへの提言(2002)
         ・もの・まちづくり運動と都市の再生(2005)

048【世相戯評】外国人労働者

 ハンブルグでタクシーに乗って、中央駅まで行きたいと運転手に英語で言って通じない。同乗者がドイツ語で言ってもフランス語でも通じない。しょうがないから機関車シュシュシュッと、ボディランゲージでなんとか通じた。

 これは1974年だったか、植生調査団でヨーロッパを訪れたときのことであったが、言葉も知らないものがタクシー運転手をやってよいのかと、びっくりしたものである。そのうちに日本でもそうなるのだろうか。 おかしなことに、あれこれと話しかけていてなんとなく分かったのは、トルコからの出稼ぎで、朝鮮戦争のとき日本に行ったことがあるとも言った。

 昨日、鍋料理屋の外国人のことを書いたが、この10年くらいのうちに飲食店、特に居酒屋の店員に外国人が多くなった。イラッシャヤセー、アリアトゴサイターなんて、調子が良い。
 顔つきからして主に中国系や韓国系であろうから初めはわからないが、マニュアルにないことを聞くと言葉の調子が乱れるので分かる。

 その外国料理を食わせる店なら、明らかにそれらしい顔の外国人がむしろ良いのだが、日本料理を主に食わせる店で明らかに外国人顔の店員だと、なんとなく違和感がある。
 日本の寿司屋で外国人が握るのはちょっと想像しがたいが、アメリカのショッピングモールの中の寿司屋では当然に日本人顔でない人が握っていて、それは場所柄そうであるだろうと納得した。
 これから日本の人口が減ると、労働人口としてさらに外国人が入ってくるのだろう。いまは技能技術を要しない単純労働の分野が多いようだが、次第に専門分野にも及ぶだろう。

 西ヨーロッパ北部中部諸国が、南部や東部諸国からの労働者を入れて、いろいろと問題が起きているようなことを、今度は日本が経験することになりそうだ。
 今と同じくらいの労働力を保つためには、ものすごい数の外国人を急いで入れる必要があるから、そうなるとあちこちで文化摩擦がものすごいことになるだろうなあ、。

2008/10/01

047【横浜ご近所探検】「肉屋の正直な食堂」は実は外国人鍋料理屋だった

 横浜で徘徊老人をやっていて、伊勢佐木町商店街に「肉屋の正直な食堂」なる看板を掲げた店があることを書いた。→横浜ご近所探検・伊勢佐木町 
 書いただけでは申し訳ないので、今日、夕食をそこで食ってきた。カウンター席だけしかなくて、そのカウンターに電磁誘導加熱装置(induction Heating)がずらりと並んではめ込まれていて、客はそこに置かれた鍋物を煮ながら食うのであった。

 牛、豚、鳥の肉のいろいろな鍋料理がある。しかし、鍋だからとて大勢で囲むのではなく、小さな鍋にご飯と味噌汁がついていてひとりで喰う。要するに肉鍋定食屋である。
 蓋をした鍋物が出てきて、砂時計が落ちるまで待つと煮えるから、それから食い始めろという。
 さてそうして食っていたが、鍋の中が焦げ付くのである。鍋料理ってのは普通はワリシタとかの汁や水で煮るのだが、ここでは鍋蒸し焼きなのかと思いつつポン酢で食っていた。

 するとカウンターの中の女性がやってきて、鍋を指し示して「ミズイレマスカ、アリマスカ、、」みたいなことを言っている。「エッ、なに?」と問い返してもさっぱり要領を得ない。
 別の男性がやってきて、「水入れるのを忘れてました、ごめんなさい」という。どうやら、厨房から出すときに、あらかじめ入れておく水を入れ忘れたってことらしい。 だから焦げている。

 このあたりで私は気がついたのだが、顔は日本人と同じだが言葉から判断してこの二人とも外国人らしい。
 厨房にいる間違えた張本人を見ると、これは立派なインドアーリアン系の外国人顔である。
 その厨房の黒い顔も出てきて、「すみません。鍋と料理をとり換えて持ってきます」と流暢にいうのだが、もう半分も食っている。

 そんなに食えないから、いいよいいよ、と言うと、「すみません、ではコーラを飲みますか」といって、気を使ってくれる。「年寄りはそんなに飲み食いできないから、いいよ」とやさしく断る。
 「ねえ、君たち、どこなの、コーリア?」と聞けば、初めの男女は中国、厨房の男はバングラデシュだという。

 この外国人3名で日本鍋料理屋をやっているのかしら、そんなわけはなかろうと、インタネットで調べるとやっぱりチェーン店であった。
 マニュアルどおりにやれば外国人でも日本式肉鍋料理屋ができるってことである。 ただ、食べつけない料理には、料理人もちょっとマニュアルを間違えるってことか。

 「肉屋の正直な食堂」は、こうしてそれなりに“正直”ではあった。だが、 「正直な食堂」であって、「正直な肉屋」ではない看板は、いまどきはどうも気になる。

 参照→横浜ご近所探検隊が行く

2008/09/23

043【世相戯評】事故米事件事故焼酎自己責任事故チュウ

 農水省が保管するカビや毒のある米を事故米と称して、人間が食って事故を起こさないように非食用限定で安価に民間事業者に売ったら、その事業者は食用に高価に再販売してボロもうけ、市場に事故食品が出回ったのがばれて回収に追われているが、この回収した事故食品をどうするのか、ラベルだけ張り替えて再登場とか、回収処理費用公共負担となるとBSE事件みたいに補助金詐取とか、二重三重事故米事件なんてことも起きるかも、ところで回収した事故焼酎をどうするのか、捨てるなんてマーモッタイナイとマータイさんも言うかも、ならば事故焼酎半額投売り!ノンベは待ってます、自己my責任で飲みます、、え、、。
 あ、そうだ、回収されたのは食品だけじゃなくて農水省事故次官と事故大臣がいたなあ、三笠フーズの自己チュー社長なんかも回収されるんだろうなあ、。
 それにつけても、太平洋の向こうでも金融事故米国ってね。

2008/09/22

042【世相戯評】わたしは選挙に行かない主義なのだ

 ちかごろ選挙の話題が多い。でも、わたしは選挙には行かない。行ったことがないのではないが、30代の中ごろからやめた。
 そのころの仕事の関係で、左系も右系も、後に首相や大臣になった人たちも、その秘書などもの政治家に会わざるを得ないことが多くなり、会っているうちにあれこれあって、もう選挙なんてと嫌気がさしたのであった。

 それはともかくとして、最近の選挙のやり方はおかしい。
 全国区(というのが今もあるのかどうか知らないが)ならともかくとしても、地方区に、政党の戦術でその地域に何の関係もない人を立候補させるって、私の頭ではどう考えても変である。
 選挙で地方区があるのは、その地域をよく知る人を地域の代表として国政に送り込む仕組みだとばかり思っていたのだが、どうもそれは違っていて、政党の選挙戦術の仕組みらしい。

 政党からの刺客とか言って、地域無関係無思想芸能的有名人物を立候補させたり、これまで東北あたりで当選してきた某党首が、競争相手党の有力候補者が立候補する東京あたりかどこかの選挙区に移転して、相手を蹴落とそうって選挙戦術をやろうとしているとか。

 そういえば、ある地区の固定支持選挙民を受け継いだ2代目3代目の血族後継政治家が多いが、選挙区は東京外の地方にあっても、彼ら彼女らは実は東京で生まれ育ち仕事している人がほとんどだろう。今度、首相になりそうなお方は、どうなんですねかねえ。

 まあ、それでもほいほい票を入れるおバカな選挙民がわんさといるのは、小泉内閣のときの郵政解散翼賛選挙で見たとおり。
 わたしはもうアホらしい、どうぞご勝手におやりください。

2008/09/21

041【世相戯評】世間に流行るものsubprimelamidophos サブプラメラミドホス

 偽ブランド品、すぐ壊れる玩具、すぐ破れる繊維製品、すぐ壊れる電器製品を先進国に輸出して、ぼろくそにいわれている国、いや、中国じゃなくて1960年代の日本である。特にアメリカからそう言われていた。
 そのうちにだんだんと日本製品の質がよくなってくると、今度は安価すぎるダンピングで輸入国アメリカの産業を脅かすと、あいかわらずぼろくそに言われた。今もそうかも、。

 その頃、「made in Japan」とは「安かろう悪かろう」の代名詞だったが、今は「made in China」がそれを立派に相続してくれたのである、国威発揚オリンピックとともに、。 まるで自分の若い頃を見るようだ。

 日本は自分が食うのに一生懸命で食糧輸出はできなかったから、毒入り食品輸出事件は発生しなかった。ところが、今や中国のmelamineやmethamidophos毒入り食品がたちまち日本にも波及する。
 かつて日本でも国内では森永砒素入り粉ミルク事件(1955年~)で乳児が死んだが、外国には波及しなかった。今の中国で同じようなmelamine毒入り粉ミルク事件がおきているが、それは中国内にとどまらないで日本に飛び火して食品回収が起きている。

 アメリカからはsubprime lendingサブプライムローン破綻とかで金融恐慌が日本にも飛び火、アラブのあたりからは油の値段が飛び火、北朝鮮からはミサイルの飛び道具、じっとしていると火の粉が降りかかる。
 昔と違って地球はずいぶんと狭くなって、住みにくくなったものだ。

 これだけ飛び火しやすくなっているのにどうも変なのは、サブプライムなんて言わなかったけど日本でも同じような住宅ローン破綻がバブル経済パンクのときに起きて後始末に追われたが、この教訓はアメリカに全然飛び火していなかったのかしら。

 さて歴史は繰り返す、中国製品もそのうちに質がよくなってきて、食品も安全になってくると、価格だけで日本製品と勝負するときが今に来るだろう。
 問題はその次に来るものはなにか、である。安価で質がよくなった中国製品に頼りきると、それが入らなくなったときが大問題である。

 なにしろあちらは世界最大の人口13億人だし、未だ人口は正常なピラミッドに近い形をしているから、今後の国内需要は高まるばかり、今に食糧は輸出禁止になるに決まっている。
 そのとき日本はどうするか?

2008/09/17

040【世相戯評】アメリカの破産株屋の名前がLehman利満兄弟証券とはねえ

 アメリカで株屋が破産したとかで、今朝の新聞は大騒ぎである。
 その株屋の名前が「利満」というのだから、こちとらは笑って、いや、哂ってしまう。
 そういえばもう10年も前だったか、日本でも山一という株屋がつぶれて、社長がウェ~ンと泣き面漫画顔を見せたことがあった。この名前も、ヤマかけてイッパツ当てるっていうのかしら、利満に引けを取らないいかにも株屋らしい。
 だがどちらも「名前負け」そのものだ。

 それにしても腑に落ちないのは、山一がつぶれたときも、日本がいわばサブプライムローン状態であって、金融屋は貧乏人にもどんどん貸し付けた結果だったのじゃないかしら。その後に銀行もつぶれて、しょうがないから公的資金注入して、苦労しつつ何とか立ち直ったはずである。
 で、今、規模はともかくとしても、アメリカで同じ問題が起きているなんて、金融界はかつての失敗に学ぶってことをしないものなのかしら。

 そういえば、恐慌とか不景気とか何回でもやってくるもんなあ、学べない代物なのかしら、。
 なんだかマスコミは世界金融不安をあおっている感じだが、株とは木の株と野菜の蕪しか知らないこちとら庶民にとっては、どうでもよいことである。ジマンじゃないが、金融とは金属を融かすこと、って思っていたくらいなもんだ。
 もしかしたらどうでもよくないのかもしれないが、金に縁のないこちとらはさっぱり分からないから、とりあえず今日と明日の飯を食えればよいのである。

 株と言えば、むかしむかし戦争をしていた頃、女子供しか残っていないわが家の母も駆り出されて、山で松の木の株を掘り起こしたのであった。負け戦の末期に石油がなくなったので、代わりに松根油なるオイルを抽出して飛行機の燃料か何かにするのだそうであった。
 それでほんとに飛行機が飛んで、利満の国の愚羅満駄愚羅須をやっつけたのだろうか。
 そのときから、株といえばろくなことがないと思うようになっている。 

2008/09/16

039【横浜ご近所探検】横浜一番の繁華街伊勢佐木町でタバコバラ売りとはねえ

 徘徊老人としては、横浜ご近所探検がいちばん面白い。  
 「タバコバラ販売はじめました」と、横浜の伊勢佐木町商店街スーパーマーケットの入り口の柱に張り紙がある。
 タバコバラという薔薇があるのか、スーパーマーケットで売るくらいだから、いまどき流行している園芸種なんだろうなあと、ちょっとだけ思った。
 すぐに気がついたが、これは、タバコを箱から出してバラバラにして、1本でも5本でも売るってことに違いない。

 突然に頭は半世紀ぐるぐると回転して戻り、大学生協の売店で、10円玉1個で「新生」5本を買った記憶がよみがえった。
 あの頃、一番安いタバコが新生であったかゴールデンバットであったか忘れたが、貧乏学生のために大学生協だけで「タバコバラ」売りしていたのである。
 ということは、今は大学生協店じゃなくてもバラで売るような貧乏な時代に戻ったのだろうか。あ、それよりも、今も大学生協でタバコバラ売りしているのだろうか。

 「肉屋の正直な食堂」と、レストランの看板にある。笑ってしまった。
 そうだよなあ、BSE対策にかこつけて輸入牛肉を国産牛肉と偽って平気で税金をだまし取った雪印、ハンナン、日本ハムとか。
 偽物の肉を平気で売った丸明、ミートホープ、比内鶏とか。
 あまりに多くて、すっかり肉屋はウソツキが本性みたいに思えてきたもんなあ。その面の皮のものすごい厚さには、もう感銘するほどだ。
 毒肉、偽肉なに食わせられるか分かったもんじゃない。

 でも肉屋さん、ご安心ください、「米屋の正直な食堂」も「魚屋の正直な食堂」も、もうすぐに登場する可能性のある時代になりました。 毒米、偽米、偽産地魚の登場である。
 眼民土干す、え、いや、メタミドホスも腐れた肉も、何でも食って大きくなった、、。

 参照→横浜ご近所探検隊が行く

2008/09/06

035【世相戯評】ChinaもJapanも同穴ムジナ

 今朝の新聞によれば、食品屋が毒入り米を、食用やら酒用に売っていたって記事が一面トップである。中国を哂った者は、次はどこを哂えばよいのかしら。
 中国ギョーザでおなじみのメタミドホスまで再登場してきた。まあ、もとが中国からの輸入米だからそれはそうなるだろう。
 な~んだ、中国食品が危ないから買わないなんて言っていて、わたしたちはほんとにお馬鹿さんである。
 そういえば、肉屋も鰻屋も大うそつきばかりだから、世の食い物は偽ものと毒入りばかりなのかあ~。
 九州あたりで作る焼酎の原料になっているというから、これはもうノンベイのわたしも逃れようがないぞ。
 どうもおかしいのは、そんな物を食っているのに、日本人の平均寿命はどんどん延びていることだ。女は男より寿命が長いってことは、毒に強いってことだろう。
 毒でも偽でもどんどん食って、1年や2年寿命が縮んでも、今さらどうってこともない。こうなれば、中国でも日本でも毒食っても長生きできるって証明されたみたいなもんである。
 もしかしたら毒を食っているから長生きできるのかもなあ、。
 毒入り食品を売った奴らに感謝しよう?、、と書いて、まてよ、長生きしすぎて年金原資が足りなくなってオロオロしているのだから、やっぱり毒入りは毒として効いたほうがよいのか、、、、う~ん、、そんな風になにか自然の摂理が働いているのかも、、コワイ。

2008/08/26

033【世相戯評】オリンピックが終ったらしい

 今朝の新聞が妙に黒っぽい。そうか、昨日まではオリンピックで赤っぽい写真が多かったんだなあ、、終ったのかあ、やれやれ。
 でも、どうしてオリンピックは赤っぽいのかしら、特に見ないからどこが赤かったのか分からないが、中国共産党の影響か、、なんて。

 昨日まで社会面のページは、面積の7割くらいがオリンピック記事だったのが、今日は全然ない。
 そこで気がついたのだが、社会面記事の面積の9割5分くらいが、なんらかの違法行為の記事である。え、世の中にそんなに犯罪が多いのかしら。
 そうか、新聞屋ってのは、良くも悪くも騒動がないと記事にならないんだな。

 それにしても昨日までの数日間は、新聞づくりは楽だったろうなあ、オリンピックと高校野球のことさえ書けば紙面が楽に埋まるんだもんなあ、社会面担当の新聞屋さんは夏休み同然だったのかも。新聞代金を負けろ。

2008/08/12

028【世相戯評】毎日毎日の新聞がほとんどゴミばかり買わされているような

 8月日11.5/28、8月11日11.5/32、8月10日11/40、8月9日12.5/36、、これは最近の朝日新聞朝刊の全ページに対するスポーツ欄のページ数である。
 毎日毎日、A2版の大きな紙を、読みもしないし要りもしないのに、6枚も押し売りされている。

 北京奥林匹克では高校野球もやっているらしいから、地元出身の出場者やチームの話題が地方版にも出る。どんどん読まないページが増えてくる。
 このほかに全面広告や株価ページもあるから、実際は9~10枚もになる。さらに夕刊にも同様な読まないページがある。

 これすなわち完全なるゴミを買わされて、そのまま捨てているのだから、環境問題についてはわたしは悪い加担をしている。

 そもそも、スポーツ競技の新聞記事なんて何の役に立つのか。テレビ見てればすぐに勝負が分かるし、中継を見ていなくても新聞よりもはるかに早く結果がニュース番組で報道されているだろう(多分、テレビ見ないから知らないが)。

 だからだろうか、出場者の出身地の騒ぎとか苦労物語とか、読む気にならない記事が社会面にも進出してくるから、たまったものではない。
 そんなものはスポーツ新聞に任せておけばよいのだ。

 せめてオリンピックと高校野球の期間は、スポーツ欄分の新聞購読料を負けてくれ。
 グルジア戦争とスポーツ戦争が同時に開会、奥林匹克とテロの並存、時代の空気は逆撫で、ちぐはぐもはなわだしい。

2008/08/04

025【老いゆく自分】わたしが今もしも失明したらこの「ひとみ」なるロボットを使おう

 今もしもわたしが失明したらどうするか、といってもちょっと想像もつかないのだが、少なくとも家の外に出ることは、ひとりでは不可能になるだろうとは思う。
 ところが、それをナントカしてやろうと、視覚障害者用自動走行電動車椅子を開発した大学教授がいる。
 わたしは好奇心が湧き、山梨大学を訪ねて、自動走行する電動車椅子を体験してきた。

 それは要するに電動車椅子に機械の眼(カメラ)と頭(コンピューター)をつけて、散歩や買い物などの日常的な外出ルートをおぼえさせておくと、これに乗ってボタンを押せば、目が見えなくても往復できるのである。
 そのメカニズムは聞いてもよく分からないが、そんなことができる時代なのである。

 もっとも、この車椅子がSFに出てくるロボットのように、ご主人の命令あればビューンと買い物に連れて行ってくれるには、あれはお話でこれは現実で、人間と機械の関係はそうは行かないものである。

 出かける外の街には工場の生産ラインのようにルーチン化した経路があるわけではなく、機械の判断しなければならないことが山ほど待ち受けている。
 それらは眼の見える人間ならすぐ判断して造作もなくやることだが、それを全部機械にやらせるとなると、図体は肥大し超高価になって、日用品の車椅子にはならない。
 だからある程度で製品化して、それを補完するのはそのあたりにいる眼の見える人間がやればよいのだ。それでもこの車椅子の視覚障害者サポート力は十分すぎるほど大きなものがある。

 今わたしが失明したら、日常的な移動経路については記憶にあるから、この車椅子の動きをある程度予知できるし、住んでいる横浜都心には大勢の人がうろうろしているから助けてもらえる。安心して外出に使えそうである。
 そのような機械と人間の関係を超える人間と人間の関係は、この車椅子だけのことではなく、どんなことにもいえることだろう。

 それを作っている人は、わたしの大学時代の同期の友人で、山梨大学の精密工学の森英雄さんである。大学での研究で開発し、名誉教授になった今も大学ベンチャーとして学内に部屋を持ち、改良、製作、普及、販売をやっているのである。
 さて、この「ひとみ」と名づけたハイテク車椅子を、どうやって世に知ってもらうか。

 森さんは「ひとみ」を自家用車に乗せて出かけ、あちこちの福祉イベントに参加してデモンストレーションをしている。旅の楽しみと福祉貢献という、結構な二股かけた全国行脚旅である。
 まあ、大学教授の常?として世間的なことにはどこか疎くて宣伝が下手だから?、かどうか知らないが、こんなすごいものだからとて世に知られてさっさと売れるものではない。

 どうも、森さんは売る気はあまりないらしく、とにかくだれか困っている人、特に中途失明者が使ってみてほしくて、在庫をもう無料でいいから貸し出す気らしい。
 自宅にNPO法人まで設立して普及に努めているのが、わが同期のセンセイながらいじらしい。なにかわたしもできる協力をしたい。

  まずは視覚障害者が読めるWEBサイトつくりである。最近はWEBサイトを音声読み上げするソフトがあるので、それを聞けばよいので便利らしい。ただし、ソフトが読み上げやすいデザインをする必要がある。

 美しくてデザインしても、読み上げソフトが読めないと意味がない。画像には代替文字をつける必要があるし、凝った表やフレームによる構成もいけないらしい。
 情報伝達の基本を考えさせられている。

参照→次世代インテリゼント車いす「ひとみ」
  →ロボット電動車いす「ひとみ」

2008/07/29

024【世相戯評】日本国土は太りつつある?

 食料のカロリーベースでの日本の自給率は、40パーセント以下だそうである。つまり日常食べているものの6割以上が輸入品ということである。  
 これって、つまり、わたしたちが毎日食っては出し、あるいは捨てている食い物のうち、6割以上が、地球上のよそからこの島にやってきていて、この島の中になんらかの形で居座っているということだ。
 水に流して海に行くものも、また魚になって食われるから、最終的には日本列島の土になるのだろう。そして植物を育て、それを食う動物を育てているのだ。
 これはすごいことである。毎日毎日、ものすごい土を外国から輸入しているのである。日本の国土は次第に盛り上がり、はみ出ると海を埋めて陸になる。
 中国から食品輸入ばかりか、土から生えた植物を使った製品、土そのものの製品の陶磁器など、多品種が大量に入ってきているとすれば、大陸の一部を引き取りつつあるのだ。
 これは現代の国引きである。えーっ、そんなことになっているのだろうか???

2008/07/15

017【世相戯評】オイル高騰してECOならぬSECOい生活をするか

 このとことろ原油の国際価格の高騰とて、エネルギー源ほとんど輸入国の日本はまさにその影響を受けている。ついこの間は、揮発油税の暫定税率期限切れ問題でどたばたしたと思ったら、今度は国会でドサクサしてもどうにもならない騒ぎである。

 ガソリンに頼るエンジンの機械類による仕事はもろに影響を受けるとて、漁船のストライキである。
 ストライキとは通常はなにか不都合が起きたときに、それの原因者に向かって抗議して打撃を与えるために行うものと思っていたが、漁業者の抗議の相手は誰なのだろうか。

 石油価格が高くなった原因が、石油を掘る業者やそれを売る事業者が値上げしたのかどうか知らないが、なんでもアメリカのプライムローン破綻騒ぎでドルが下がり、あちらに投資していた国際金融投機屋さんが金を引き上げて、石油に回しているからなんだと、なにかに書いてあった。

 金融とは金属を融かすことかとわたしは思っていたくらいだから、なんのことかまったく知らないが、それではストライキしても、ぜんぜん相手にならないなあ。
 それがなくてもオイルがいつかは高くなって困ることが起きる思ってはいた。これほどに自動車を乗り回し、電気を使い放題では、そうなるに決まっている。

 米つくりだって、農薬や肥料つくりにも農業機械にもオイルがじゃんじゃん使われていて成り立っているのだ。 真冬のきゅうりやトマトは、オイルを食っているようなもの。
 要するにわれわれにできることは、オイルを何とか使わない方向にするしかなさそうである。生活レベルを下げるのである。需要が減れば物は安くなるのは不変の法則だろう。

 真冬には真冬の野菜を食い、魚も遠くで採ったやつは食わない、レストランで残すような食い方はやめ、自家用車に乗るのはできるだけやめてバスや電車にし、歩ける範囲はできるだけ歩き、いらない電気は消し、テレビは夜12時から朝5時までは放送をやめ、とか、いろいろやることあるだろう。

 ECOの上を行くせこいSECO生活の再来である。もう20年も前にはそれがあたりまえだったような、。
 1960年代だったかニューヨークで大停電があったとき、その10ヵ月後に出産が多かったという都市伝説がある。
 そうだ、いっそ夜間点灯禁止制にしてはどうか。おお、日本の少子化対策とエネルギー対策の一石二鳥だあ~、、。