ということは、人間が災害に遭いそうな土地にも広がって利用する様になったからだ。都市計画から言えば、土地利用の規制緩をしてむやみに市街地を拡散してきた結果だろう。気候変動のせいかもしれないが、身近で分かるのは土地利用問題である。
2018年7月倉敷市真備町大水害区域における宅地拡大 |
●倉敷市真備町の大水害を地誌的に調べてみた
わたしに土地勘のないところで大災害が起きても、なかなかピンとこない。1995年の阪神淡路震災の時はある程度はぴんときたが、2011年の東日本震災では東北地方に土地勘がないので、細かい状況をなかなか理解できなかった。
ところが、このこの7月初めの西日本豪雨災害は、わたしの岡山県の故郷あたりも水害に遭ったから、これはある程度は土地勘がある。
幼いころから知っている地名が、ネットや新聞に出てきてやきもきした。故郷にいる幼馴染たちにメールで色々と状況を聞いたら、知人たちには大きな被害はないらしい。
しかし、倉敷のすぐ北にある真備町の広大な地域が水没し、死者も多く出たのは、まことにお気の毒なことである。このあたりは高梁川流域でも最大の水害名所である。
今回の大浸水が起きた地区は、倉敷平野から丘陵を北にひと山越えた真備町の盆地状の平地である。真備町は高梁川支流の小田川流域で、1894年、1972年、1976年に大きな浸水被害、そのほか何度も水害に遭っている。
それにもかかわらず宅地化は進み、今回の2018年大浸水被災である。
大昔から何度も浸水が起きていて、1894年の大水害のあとで20年以上もかけて徹底的な河川改修が行われた。
それは日本でも有名な大事業であったらしく、わたしが少年時になにやら偉業として聞いたがもう忘れていて、「酒津の堤防」という言葉だけが頭の片隅にあった。今回の水害でネットで調べてその内容を知った。関連していろいろ知ったので、それらをもとに書く。
わたしに土地勘のないところで大災害が起きても、なかなかピンとこない。1995年の阪神淡路震災の時はある程度はぴんときたが、2011年の東日本震災では東北地方に土地勘がないので、細かい状況をなかなか理解できなかった。
ところが、このこの7月初めの西日本豪雨災害は、わたしの岡山県の故郷あたりも水害に遭ったから、これはある程度は土地勘がある。
幼いころから知っている地名が、ネットや新聞に出てきてやきもきした。故郷にいる幼馴染たちにメールで色々と状況を聞いたら、知人たちには大きな被害はないらしい。
しかし、倉敷のすぐ北にある真備町の広大な地域が水没し、死者も多く出たのは、まことにお気の毒なことである。このあたりは高梁川流域でも最大の水害名所である。
今回の大浸水が起きた地区は、倉敷平野から丘陵を北にひと山越えた真備町の盆地状の平地である。真備町は高梁川支流の小田川流域で、1894年、1972年、1976年に大きな浸水被害、そのほか何度も水害に遭っている。
それにもかかわらず宅地化は進み、今回の2018年大浸水被災である。
大昔から何度も浸水が起きていて、1894年の大水害のあとで20年以上もかけて徹底的な河川改修が行われた。
それは日本でも有名な大事業であったらしく、わたしが少年時になにやら偉業として聞いたがもう忘れていて、「酒津の堤防」という言葉だけが頭の片隅にあった。今回の水害でネットで調べてその内容を知った。関連していろいろ知ったので、それらをもとに書く。
1925年までは高梁川はふたつの分れて流れていた |
北から高梁川が丘陵を開削するように伐りこんで、南の倉敷平野に注ぐ直前に、西の真備町から流れ来る小田川を合流する。今回の氾濫は、小田川の洪水を高梁川と合流点で呑みこめなくて、また真備町側に戻ったことが原因らしい。
そうなることが予想されていたので、小田川の流路を変更する計画を国土交通省はもっており、近々に着工する予定であったのが、間に合わなかったようだ。
そうなることが予想されていたので、小田川の流路を変更する計画を国土交通省はもっており、近々に着工する予定であったのが、間に合わなかったようだ。
1925年高梁川大改修後も真備町ではたびたび浸水している |
その間に合わなかった小田川の流路変更の計画(高梁川水系河川整備計画 平成 29 年6月国土交通省 中国地方整備局)を見ると、興味深いことに気がついた。
かつては高梁川が、この小田川との合流点から下流で、2筋に分れて東高梁川と西高梁川になっていたのだ。1894年大水害後、これを一本にまとめる河川改修をして、1925年に完成した。
その東高梁川を廃して堰き止めたのが、私の記憶にあった「酒津の堤防」である。東高梁川の跡地は倉敷の市街地に飲み込まれた。
酒津から上流側は東高梁川を本流として残し、西高梁川を廃して上下を堰き止めた柳井原貯水池になっている。
小田川の流路の変更計画は、小田川を柳井原貯水池につないで、廃止したかつての西高梁川を復活、つまりもとの西高梁川に戻すのである。西高梁川を完全復活をするなら、東高梁川も復活しなくてもよいのか、なんて思ってしまう。
河川治水技術をわたしは知らないが、治水対策で廃止した河川を、また治水対策のために復活するとは、1925年に廃止した河川改修自体が失敗もしくは不全であったことを意味するのだろうか。
たしかにそれ以後は、倉敷市街地の水害はなくなったようだが、真備町の小田川大氾濫は相かわらず起きているから、その面での治水は失敗だったのだろう。もっと推測すれば、用水を優先して治水が不完全であったのだろうか。
治水の難しさを思いつつ、真備町から倉敷にかけての地形を眺めていて、なんとなく気がついたことがある。
もしかしたら、真備町の盆地状の平地は、倉敷平野への高梁川の氾濫を防ぐために、洪水時の一時的な遊水池として設定されていたのではないか、ということである。その昔には、人が今ほど平地部に住んでいなかっただろうからである。現に小田川もその支流も、天井川に近いようだ。
もしも今回の豪雨で、高梁川合流点より下流の倉敷の酒津あたりの高梁川堤防が切れていたら、合流点から小田川へのバックウォーターが発生しなくて、真備町の浸水は無かっただろう、逆に言えば、真備町の浸水が倉敷市街への浸水を防いだのかもしれない、と思うのである。
わたしは治水の専門家ではないから、どなたか専門の方から、あるいは地元のお方から、お叱りを覚悟で書いた。
余談をひとつ。わたしはてっきり、真備町を「まきびまち」と読むとばかり思っていたら、実は「まびちょう」と読むらしいのだ。この町出身の右大臣吉備真備(きびのまきび)の街でしょ、井原鉄道には吉備真備駅だってあるのに、いいのかなあ。
近頃は各地域ごとにハザードマップなる地図が公表されるようになった。昔は公表しようとすると、町内会とか不動産業界から反対を食らっていた。土地の評判が悪くなる、地価が下るというのである。
さすがに近ごろのように災害が多いと、ハザードマップ公表が普通になってきているらしい。よいことである。問題は住民がそれを気にするかどうかである。事件が起きて初めて気がつくのだろう。
ただし、ハザードマップには、洪水、土砂災害、津波についてのみの局地的な地図情報である。災害発生の種は軍事基地、核発電所、火山等もあるが、これら広域的な災害の種はどうしてハザードマップにないのか。
わたしの生まれ故郷は、川の名前の由来になっている高梁市内の高梁盆地である。今回の豪雨はここも襲って、地区によっては浸水がおきたり山際が崩れたりした。
このような局地的な災害は起きるが、大局的に見て高梁あたりは、日本列島では有数の災害の起きにくい地域だと、わたしは気がついたのである。
日本列島レベルのハザードマップは一般にはないので、自分でネットから災害の原因となる地形や施設などを探してきて、そこに高梁の位置を入れてみたのだ。
これらを見ると、わたしのふるさと高梁は、いずれの災害の種からも遠く離れていて、安全なところなのである。日本一安全な地域かもしれない。
豪雨で局地的に被災したが、それは日本列島どこでもありうることだから、大局的に見て比較すると、やっぱり高梁は日本でいちばん安全な地域だろうと思うのだ。
地域振興にこういうネタを使えば良いのにと思う。
かつては高梁川が、この小田川との合流点から下流で、2筋に分れて東高梁川と西高梁川になっていたのだ。1894年大水害後、これを一本にまとめる河川改修をして、1925年に完成した。
その東高梁川を廃して堰き止めたのが、私の記憶にあった「酒津の堤防」である。東高梁川の跡地は倉敷の市街地に飲み込まれた。
酒津から上流側は東高梁川を本流として残し、西高梁川を廃して上下を堰き止めた柳井原貯水池になっている。
小田川の流路の変更計画は、小田川を柳井原貯水池につないで、廃止したかつての西高梁川を復活、つまりもとの西高梁川に戻すのである。西高梁川を完全復活をするなら、東高梁川も復活しなくてもよいのか、なんて思ってしまう。
河川治水技術をわたしは知らないが、治水対策で廃止した河川を、また治水対策のために復活するとは、1925年に廃止した河川改修自体が失敗もしくは不全であったことを意味するのだろうか。
たしかにそれ以後は、倉敷市街地の水害はなくなったようだが、真備町の小田川大氾濫は相かわらず起きているから、その面での治水は失敗だったのだろう。もっと推測すれば、用水を優先して治水が不完全であったのだろうか。
治水の難しさを思いつつ、真備町から倉敷にかけての地形を眺めていて、なんとなく気がついたことがある。
もしかしたら、真備町の盆地状の平地は、倉敷平野への高梁川の氾濫を防ぐために、洪水時の一時的な遊水池として設定されていたのではないか、ということである。その昔には、人が今ほど平地部に住んでいなかっただろうからである。現に小田川もその支流も、天井川に近いようだ。
もしも今回の豪雨で、高梁川合流点より下流の倉敷の酒津あたりの高梁川堤防が切れていたら、合流点から小田川へのバックウォーターが発生しなくて、真備町の浸水は無かっただろう、逆に言えば、真備町の浸水が倉敷市街への浸水を防いだのかもしれない、と思うのである。
わたしは治水の専門家ではないから、どなたか専門の方から、あるいは地元のお方から、お叱りを覚悟で書いた。
余談をひとつ。わたしはてっきり、真備町を「まきびまち」と読むとばかり思っていたら、実は「まびちょう」と読むらしいのだ。この町出身の右大臣吉備真備(きびのまきび)の街でしょ、井原鉄道には吉備真備駅だってあるのに、いいのかなあ。
被災の地「まきびまち」と読みておれば
テレビラジヲは「まびちょう」と言う
テレビラジヲは「まびちょう」と言う
いにしえも大水害のありぬべし
吉備真備は施策なせしや
吉備真備は施策なせしや
(追記20180717:岡山の知人が「まびちょう」と読むことについて、町史で調べて教えてくれた。1952年の昭和の大合併で「真備町」が生れたのだが、このとき吉備真備に因んで町名をつけたが、「真備公の人名は「まきび」であるが読み易く「まび」とした」との記述があるとのこと。ちょっとどうかなあと思う。わたしの出身地の高梁も「たかはり」と読むように変えていはいかがでしょうか。
●大局的には高梁は日本列島でいちばん安全かも
近頃は各地域ごとにハザードマップなる地図が公表されるようになった。昔は公表しようとすると、町内会とか不動産業界から反対を食らっていた。土地の評判が悪くなる、地価が下るというのである。
さすがに近ごろのように災害が多いと、ハザードマップ公表が普通になってきているらしい。よいことである。問題は住民がそれを気にするかどうかである。事件が起きて初めて気がつくのだろう。
ただし、ハザードマップには、洪水、土砂災害、津波についてのみの局地的な地図情報である。災害発生の種は軍事基地、核発電所、火山等もあるが、これら広域的な災害の種はどうしてハザードマップにないのか。
わたしの生まれ故郷は、川の名前の由来になっている高梁市内の高梁盆地である。今回の豪雨はここも襲って、地区によっては浸水がおきたり山際が崩れたりした。
このような局地的な災害は起きるが、大局的に見て高梁あたりは、日本列島では有数の災害の起きにくい地域だと、わたしは気がついたのである。
日本列島レベルのハザードマップは一般にはないので、自分でネットから災害の原因となる地形や施設などを探してきて、そこに高梁の位置を入れてみたのだ。
核発電所の立地状況(赤丸が高梁の位置) |
火山の位置(赤丸が高梁の位置) |
アメリカ軍基地の位置(赤丸が高梁の位置) |
地震発生率(黒丸が高梁の位置)
これらを見ると、わたしのふるさと高梁は、いずれの災害の種からも遠く離れていて、安全なところなのである。日本一安全な地域かもしれない。
豪雨で局地的に被災したが、それは日本列島どこでもありうることだから、大局的に見て比較すると、やっぱり高梁は日本でいちばん安全な地域だろうと思うのだ。
地域振興にこういうネタを使えば良いのにと思う。
基地原発火山海嘯遠くして地震希なるふるさとに豪雨
はるか故郷を想いて散人詠