久し振りにオペラを見に行った。横浜にある県立音楽堂、17世紀初めに初演というモンテヴェルディ「オルフェオ」である。世界で初めてに近いイタリア作品。
●ヴィチェンツアのテアトルオリンピコ舞台を思い出した
音楽堂だから舞台が狭いしオーケストラピットもないから、本格的なオペラには向いていない。それでも近頃はプロジェクションマッピングという映像映写技術が発達して、何枚も幕をつかわなくても巨大な背景が変化する舞台効果ができるようになった。
神奈川音楽堂でオルフェオ開演の前 舞台中央に門がひとつ |

今回の舞台装置は、西洋古典様式建築的な門がひとつ、しかも左右も前後も舞台中央部に立っているだけ。舞台装置らしきものは他にはなくて、演技はその門の前の狭い舞台でのみ行った。オーケストラは舞台前の平土間部分に固まっていた。
その舞台構成を見て、かなり前に訪ねたことがあるイタリアのヴィチェンツアにあるテアトロ・オリンピコという劇場舞台を思い出した。この建築は16世紀末に有名な建築家パラディオの設計作品である。
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ヴィチェンツア・テアトル・オリンピコの本格建築物の舞台装置 |
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同上の舞台と客席 |
この2枚の写真はわたしが1995年に訪ねて撮ったものだが、劇場を見ただけであり、それがどのように使われるのか知らない。舞台上にはこのような中央にゲートがある建築物が建っていて、ゲートの向こうは街並みのように作られている。
このような本物建築が固定されていて、これを背景に舞台演技を行ったそうだ。舞台そのものの奥行きが意外に浅いのは、まだそのような必要があるオペラの時代がまだ来ていないということであろう。
オルフェオの舞台装置の前と後の舞台が同じくらい奥行き |
この建築背景の中央部のゲート部分だけが建つ舞台、それが今回の「オルフェオ」である。そのゲートと背後の板壁との間もゲート前と同じくらいの舞台奥行きである。舞台背後の壁は木製板壁であり音響反射板であろう。その木目の板壁に直接映像映写していた。門の前の舞台がもう少し広い方がよかったと思う演技だったが、映像映写の都合で門の背後もそれくらいが必要だったのだろうか?
オペラを好きだがしょっちゅう見に行くには高価なので、我慢して年に2回くらいなものだ。この前に見たオペラはやはりこの音楽堂での「魔笛」だった。今調べたら一昨年の11月のことだった。去年は全く見てなかったのか、ウ~ン、これは高価で行けなかったのではなくて、家人の介護真っ最中だったからなあ。
オペラよりは安い能(近ごろは高くなって来た)を好んで見に行く。だが去年は見ていないのは横濱能楽堂が修復中で休館していたからだが、いまだに開場していない。開場したころはこちらがあの紅葉坂を昇り降りする体力気力がなくなるだろう。
●日本の能「隅田川」を思い出した
オルフェオを見ていて、そのストーリーの最も重要なところ、死んだ妻を冥界に訪ねたが、顔を見ただけでまた分かれる第3幕あたりで、能「隅田川」を思い出した。よくにているようなのだ。
この能は15世紀初めにできているから、「オルフェオ」よりも150年以上も前だ。ついでにこれはすでに言われていることだが、「古事記」にある死んだイザナミを冥界に訪ねたイザナギの話との類似があるが、こちらはもっと古い。洋の東西や時代を問わず、親しかった死者に再開したい人間の気持ちは変わらないというだろうか。
オルフェオが死んだ妻を求めて、冥界への川を船で渡るために、渡し守との間で乗せろ乗せないのやり取りするところから、オペラの後半第3幕が始まる。そして渡し守の居眠りのすきに川を渡ったオルフェは冥界にいたり、その王から妻を連れ帰る許可を得るのだが、その条件は帰る途中で妻を振り返り見ないこととされ、オルフェオは妻を後に従えてこの世への途に出る。
しかし、その途上で後ろに本当に妻が後ろについてきているのかと疑念がわいたオルフェオは、妻を見たい願望に負けてしまって振り返る。その瞬間だけ妻の顔を見ることはできたが、約束破りなので冥界の王に妻を取り戻されしまい、ひとり寂しくこの世のトラキアの野に戻る。
能「隅田川」の主人公は、死んだ子を訪ねる母親である。同じように川を渡って死んだとは知らぬ子を求めるのだ。彼女にとっては実は渡る前の川のこちら側はこの世であり、渡った向こう岸は彼女にとってはいわば冥界であったのだ。
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国立能楽堂提供:『能之図(下)』より「能 隅田川」 |
母も共に祈ると墓の中から死んだ子がは姿を見せる。だが一瞬だけで消えてしまう。母は「草ぼうぼうとして浅茅が原」の中に立ち尽くすと朝日がさして能は終わる。この母にはオルフェオのような救いの幕はない悲劇である。
ということで、大筋ではかなりの類似性があり、これは決して牽強付会にはならぬ程度だと、わたしは思うである。そんなことを思いながらオルフェオの第3幕以降を見ていたのだが、比べてみてて能「隅田川」のリアリズムに今更に驚いたのである。
それにひきかえ、オペラ「オルフェオ」は作者がいったように「音楽寓話劇」そのものである。「隅田川」の母親に救いはないままに悲劇に終わるのだが、オルフェオは悲劇かと思えばまだ先の幕があり、父のアポロによって天国に送られるという無理筋のハッピーエンドである。
「オルフェオ」よりも150年以上前の「隅田川」の演劇として完成度の高さを感じてしまうのは、筋違いだろうか? もっとも、能には「オルフェオ」に負けない無理筋ハッピーエンドの曲はかなり多い。最後の最後で苦悩する主役が仏に救済される「清経」、「砧」、「鵜飼」など、オルフェがアポロに救済されると同様である。
ここでもう一度思い直すのだが、「隅田川」は本当に悲劇のままだろうかと。朝日の中にひとり立ち尽くすと見える母は、実はその周りを共に念仏を唱えて供養してくれた大勢の人々に囲まれているはずだ。舞台上でそれは船頭、地謡い方、囃子方、後見の大勢の姿である。
この地でたまたま行き倒れ死んだ見知らぬ旅人であったその子を、その一周忌に集まって供養をする「このあたりの人々」の親切な心は、悲しみに立ち尽くすその母親をも救済するに違いないと思うのである。見えない第五幕があるのだ。観世元雅の天才を想う。
●これで「オルフェオ」を3度も見た
特にそのファンでもないが、実はモンテ・ヴェルディ「オルフェオ」を見たのは、これで3回目である。最初は2007年11月17日に北区の「北とぴあ」での公演「オルフェ―オ」(指揮は寺神戸亮)であった。これを見に行ったのは、そのころ能謡を教わっていた能役者の野村四郎さんが、これを演出・出演したので行かねばならなかったからだ。
そのこ、野村四郎は東京芸大教授であったが、実に積極的に他の分野とのコラボレイションをしていた。能の他流派とはもちろん、オペラ、歌舞伎、文楽、美術などの芸術家たちと新分野の舞台芸術を模索していた。
参照:野村四郎舞台芸術コラボat東京芸大2003~07
笠井健一と組んでの野村演出は、もちろん能の様式を生かしていたが、オペラそのものであり、結構面白かった記憶がある。舞台は2階建ての装置で大掛かり、天上界が上にあった。衣装も能装束イメージの興味深いデザインだった。
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2008年のオルフェオ公演 |
よく覚えてはいないのだが、古楽器演奏者たちは舞台上にいて、狭い舞台には立体的に回廊のようなものが組んであった記憶がある。古楽器の旋律が美しくて、それで今回も同じ楽しみを求めて音楽堂に行ったのであった。美しい音色に癒されて、いってよかった。
実は次第にわが身の老化が進み、県立音楽堂のような階段客席を歩いて登るしかない劇場には、敬遠するしかなくなりつつあるのだ。その点では、隣の横浜能楽堂が平土間だけで実によろしい。再開場を待ち焦がれている。(2025/02/24記)
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