2012/02/11

582映画で見る故郷

故郷の高梁で、まちづくりの話を一般の人たち相手にしてきた。
 その事前準備のときに思いついて、高梁がでてくる5つの映画のDVDを、ディスク貸屋さんから借りてきて観た。
 映画のスタジオ外撮影場所(業界用語ではロケーションというらしい)として、各地が映画屋(っていうのかしら)に売込みしているのは、その映画の評判で観光客を呼び込もうという算段なのだろう。
 それとも、映画屋が高額な撮影料を払うのだろうか。

「男はつらいよ」シリーズの2つで高梁が登場する。第8作(1971年寅次郎恋歌)と第32作(1983年口笛を吹く寅次郎)である。
 寅次郎の義弟が高梁の石火矢町の旧家の出という設定になっているからだ。
 わたしが少年時代を過ごした町だから、記憶にある風景が出てきて懐かしい。背景となるそれぞれ40年前、30年前の街の風景がどう変わったか、それを見たかったのだ。

 たとえば第8作では蒸気機関車が走るのに、第32作では電化されているとか、現在の街並みでは消えた寅次郎騒動の家などをみる、というような面白さがある。
 映画はフィクションだから、風景をうまく編集していかにもそれらしく使うことはあたりまえだろう。
 だが現地を知っているこちらとしては、その場面のつづきはそういう風景にはならないはずだよと、突っ込みたくなることもある。

 第32作で、寅次郎が住み込んだ寺の跡取り息子の青年が、写真家になりたくて東京へ列車に乗って出奔する。その列車を青年の恋人が、踏切で見送る場面がある。
 ところが東京に行くなら上り列車のはずが、やってきたのは下り列車で、それに青年は乗っているのだ。鳥取県経由で東京行きとは、米子空港から飛んだのかしら。
 このほうが絵になると撮影したのだろうが、見ているこちらはそりゃ違うよって、興がそがれるというか、たぶん映画監督が意図しない哄笑をしたのであった。

 映画「バッテリー」では、岡山県内の高梁や津山などいくつかの街の風景をつきまぜているものだから、もっとわけがわからない。
 高梁のあそこだなあと観ていて、続く場面で、はて高梁であんなところあったしらという風景が、しょっちゅう登場してきて、頭がこんがらかってくる。
 まあ、それを楽しむという見方も、あるにはあるだろう。

 映画「県庁の星」では、高梁の街の中にある小売量販店舗が撮影場所であった。
 しかし、高梁である必然性はまったくない内容で、たまたま撮影に使ったということらしい。
 外の風景といえば、だだっ広い殺風景な駐車場が出るくらいなものである。

 せんだってその駐車場に行ってみたのだが、ここに限らないが、ああいう場所はどうして木を一本も植えないのだろうかと、不思議でならない。
 そのあまりの殺風景さについて、先日の講演の中で写真を映して、ここを森で囲みなさいと言ってしまったくらいである。

2012/02/08

581死に甲斐のある故郷へ

2月5日に故郷の高梁で、高梁盆地へのオマージュ「美しい故郷へ」と題して講演をしてきた。
 少年時代をすごしてよく知っている町だが、その後の半世紀を越える時間をブランクにしている。
個人的な印象きわまる少年時代の想い出の町を、都市計画を職能とする冷徹な目で眺めて話すという、ここでしかできない、今しかできない、そんな稀有な機会であった。
  ◆
 都市計画の仕事で訪ねた町で、いろいろ調査してその街の人に話すのは、客観的であるが他人事に終始する。聞いているほうも醒めているだろう。
 ところが故郷を話すのは、主観と客観の入り混じり具合を、自分でどうコントロールして話すか、これがなかなか難しいが、それだけに実に面白い経験であった。
 故郷にいる友人たちも、わざわざ帰郷してきて聞いてくれた旧友たちも、昔話のような、でも故郷の先々を語っているような、そんな気持ちで聞いてくれたようだ。
  ◆
 あらためて故郷の町を都市計画の目で調べて、新発見、再発見したことがあった。
 盆地の北半分が藩政時代に築いた市街地で、南半分は田んぼであったところを太平洋戦争後に市街化したのである。
 つまり北半分は19世紀前半までにでき、南半分は20世紀後半以降にできたのである。この二つが合わさって高梁盆地の生活圏を構成している。
 ところが、その戦後市街地のあまりに都市計画のないこと、その反対に藩政時代の市街地の都市計画のあまりにありすぎること、その対照に驚いたのであった。
 それでもすごいことは、高梁盆地は、今まちづくりの最先端を行く見事なコンパクトタウンなのである。そう、一周遅れのトップランナーである。
  ◆
 もうひとつ驚いたのは、その盆地人口が藩政時代から現代まで約1万人ほどで、ほぼ変わらないで来ていることである。これをどう考えるか。
 もっとも、人口の数は変わらなくても、人口の年齢構成は大きく異なっている。いわゆるピラミッド型(若いほど人口が多い)であったのが、今は大きく肩幅を広げて下がすぼまった高齢者が多くて若くなるほど少ない形になっている。
 ところが、まるでバレリーナのスカートか腰のフラフープ(昔流行した)のごとくに、18歳から25歳のあたりだけが突出して人口が多いのである。大学生がいるからだ。
 さて、そのスカート層が、これからもいてくれる町を維持することができるか、勝負の時が来ているだろう。
  ◆ 
 人口の推移も面白い現象がある。
 行政区域人口は減少の一方である。今の高梁市の行政区域は、盆地の外の高原地域の町村と大合併して、とんでもない広い範囲となっているのだが、その高原区域の人口が減少するばかりだから当たりまえである。
 その一方で、都市計画区域人口は18000人強でほぼ変わらないできている。2005年には増加している。
 都市計画区域は、市域の中の3つの盆地を対象としているが、要するにそこが昔からの町村のそれぞれの中心なのである。高原地域から盆地へと移動をしているのだろう。
 これからも盆地が受け皿になるか、そこが勝負だろう。
  ◆
 故郷にはもう血のつながりは一人もいなくなった。だが、故郷を愛する幼ななじみの友人たちがいる。その一人が今回の講演の仕掛け人である。
 そして、なんと東京で知り合った岡山にいる都市計画の専門家が、この故郷で仕事をしているのに出会ったのだった。
 縁はつながる。故郷に感謝!。
 講演時間が足りなくていい足りないことばかり残った。
 話の最後は、川端五兵衛さんの言の受け売りで納めた。
「死に甲斐のあるまちに!」

講演会資料
講演会広報リーフレット(pdf 282 KB)
講演会当日配布レジュメ(pdf 872 KB)
講演全文ブックレット「美しい故郷に」 (後日補綴あり)(pdf 4114 KB)
同上ブックレット表紙(pdf 107 KB)
●参照→ふるさと高梁の風景

2012/01/31

580迷惑認識はあるけど、

 普通は、迷惑をかけると、ごめんなさいって、謝るものである。
 ここでは「ご迷惑をおかけします」とか、「公園再整備工事を行っております」とか、見れば分かる事実の報告だけで、ちっとも謝っていないのである。

 謝らないのは、市民のための公園整備は当たり前、迷惑かけてることは分かっている、工事で迷惑かけるのは当たり前だ、謝ることはないって、そういうことなんだろうなあ、と、近くに住む市民は思ったのであった。

2012/01/30

579日本の人口の行く末

今の日本の人口は12800万人くらい、それが50年後には8670万人になるという推計が、国立社会保障・人口問題研究所から発表されたそうだ。
 グラフで見ると今頃がピークで、このあとは急なようなそうでもないような坂を下っていく。

 こういう人口の棒グラフは、棒の下のほうが若くて、上に行くほど年寄りのというイメージで書くものだが、ちょっといたずらして逆にしてみた。
 それで気がついたのは、65歳以上の老齢人口はこれから特に増えもせず減りもせずの定常状態になっていることである。これって、どういうわけなんだろうか。

 毎年、上のほうから若い空色層と白色層がガタンと色層のところに降りてきて、押された水色層はガタンとゼロラインの下に落ち込む。つまり死ぬのである。
 でも水色層の長さは変わらない。変わるのその上の層ばかりで減っていく。
 これはつまり生まれる赤ん坊が、死者の数に追いつくほどの補充が利かなくなっているってことなんだろうなあ、。

 人口の量よりも、この3色の構成比率が問題なんだろう。
 これを是正する人口政策は、たとえば、水色を減らすのである。つまり長寿から長害へってね。そういえば、水色を減らす政策って今までなかったなあ、増やす方向ばかりだった、、、うむ、。
 戦争直後のベビーブームのときは、なんとかして空色層を減らそうとする産児制限なる政策があったけどなあ。

 もうひとつは、空色を増やすってこと、これはたとえばフリーセックス奨励策なんだろうかしら。婚姻と出生とを切り離すしかないのだろうなあ。
 できちゃっても婚しないでも平気な政策って、、なにかなあ、。

 この棒グラフを見てもう一つ思うのは、昔と今とは水色と青色が逆転している。
 つまり、昔は子沢山で白色層が空色層を養うのが大変なのであった。
 それが今とこれからは水色層の老沢山で、これを白色層が養うのが大変と見えるのだ。
 だが、考えてみると空色層はほとんど稼ぐことはないが、水色層はけっこう稼ぎ能力を持っている。
 その違いがあるのを棒グラフでは表してくれないから、青色がお荷物に見えてしまう。

 人口問題くらい将来が良く見える予測はないが、人口政策くらいやりにくいものはないってことだろう。
 まあ、何もしないでいて目に見える問題が生じるころは、わたしは水色の棒の下に消え去っているのである。

2012/01/26

578鎌倉世界遺産正式推薦へ

文化庁の報道発表として、鎌倉富士山の世界遺産推薦のことが、文化庁ウェブサイトに載っている。

「本日、外務省において世界遺産条約関係省庁連絡会議(構成:外務省、文化庁、環境省、林野庁、水産庁、国土交通省、宮内庁)が開催され、「武家の古都・鎌倉」(文化庁・国土交通省の共同推薦)及び「富士山」(文化庁、環境省・林野庁の共同推薦)の世界文化遺産への推薦について検討が行われました。その結果、両資産の推薦書(正式版)をユネスコ世界遺産センターへ2月1日にまでに提出を行うことが決定されましたので、お知らせします」

 で、その後は現地調査やらいろいろあって、2013年夏にユネスコが審議して決めるそうだ。
 暫定で雌伏10年の鎌倉は、果たしてどうなるか。

 鎌倉と富士山とが推薦省庁が違うところは、街と山の違いなんだろうか。
 たとえば鎌倉には都市計画があるから国土交通省、富士山にはないから環境省なのか。あ、そうか、国立公園だからだな。
 鎌倉も広い山林領域が登録構成資産なのに林野庁が推薦しないのは、あの山は木が生えていても管轄が違うんだろうなあ。

 「武家の古都鎌倉」は英語で“Kamakura,Home of the SAMURAI”だそうである。
 ふ~ん、マイホームってホームと同じかなあ、サムラ~イって発音すんだろうなあ、なんだかジャパネスクっぽいなあ、なんて、ネイティヴ英語のわからない人は思うのであった。

 そんなことより、文章を読んでいて、気になったことがある。
「開催され」、「行われました」、「決定されました」と、受身の表現が続いていて、この発表した文化庁とは関係ないところでのことみたいなのである。
 でも、どれもこれも文化庁が主導していることだから、ここは「開催」、「行ました」、「決定ました」って書くべきだろう。
 なんだか他人ごとみたいな書き方は、お役所文書形式なんだろうか。責任回避してるみたいで、不思議である。

●関連ブロ愚
102世界よりも宇宙遺産
http://datey.blogspot.com/2009/03/102.html
210鎌倉の世界遺産
http://datey.blogspot.com/2009/12/210.html
486世界遺産帝国主義論!?!
http://datey.blogspot.com/2011/08/486.html

2012/01/25

577能「船弁慶」を見た

横浜能楽堂で「船弁慶」を見てきた。観世小次郎信光の能は、見ていて面白い。世阿弥元清の幽玄なんてクソクラエである。
 義経が静御前と別れる愁嘆場が前場の見せ所だが、史実は一緒に舟に乗って逃避行だから、それを知っていて面白がるのだ。
 自由自在に動き回って暴れる幽霊を相手に、船の中で身動きならない義経一行の対比も、狭い舞台をうまく活かしている。

 小書きが「重キ前後の替」「名所教え」「舟歌」と3つもあって、シテ玄祥さんとアイ東次郎さんの大活躍である。
 でも、玄祥さんの前場の「盤渉序の舞」は良かったが、後の知盛はキレない。
 東次郎さんは咳が出て声がとおらなくなって、ちょっと大変そうに見えてしまった。10年ほど前に見た東次郎さんは良かったなあ、あの口ぶりだけで舞台は大嵐になった。

 どちらもお歳のせいだろうか。このようなスペクタクル見せ物能は、やっぱり若い演者のを見たいものである。
 といっても、8年ほど前にみたアイ和泉元哉のようなヘタクソでは困るが。
 惜しくも亡くなった関根祥人による、キレの良い船弁慶を見たかったなあ。

 義経が子方であるが、能のこのような子方の使い方はちょくちょくあるが、いつ見ても違和感がある。愛人の静御前との取り合いが悪すぎる。

 TV放送は3月3日1500からNHK教育。

横浜能楽堂 平成24年1月24日
「船弁慶 重キ前後之替」~観世流
シテ・静御前と平知盛の怨霊:梅若玄祥
子方・源義経:梅若秀成
ワキ・弁慶:殿田謙吉
アイ・船頭:山本東次郎
笛:一噌隆之
小鼓:観世新九郎
大鼓:柿原弘和
太鼓:助川治
後見:梅若長左衛門 梅若紀彰 小田切康陽
地謡:観世喜正 山崎正道 梅若猶義 松山隆之 
   角当直隆 坂真太郎 土田英貴 内藤幸雄

●関連
501杉本博司演出の三番叟
http://datey.blogspot.com/2011/09/501.html
434横浜で琉球のゆったりとした時間
http://datey.blogspot.com/2011/06/434.html
459義経千本桜を能の目で見る
http://datey.blogspot.com/2011/07/459.html
217野村四郎の能「鵺」を観る
http://datey.blogspot.com/2009/12/217.html
134三代の能楽
http://datey.blogspot.com/2009/05/134.html
050能「摂待」と「安宅」
http://datey.blogspot.com/2008/10/noh.html

2012/01/21

576陸前高田に古本図書館

地震津波被災の陸前高田の復興で、古本図書館をやろうという計画があり、古本募集中とのことを、知人のFACE BOOK(いつもはFACE BAKAといってるが)書き込み経由で読んだ。
 それならわたしでもできる支援だと、さっそく既読本棚からエンタテインメント系だけ引き抜いてダンボール箱詰め開始。14.5kgの箱二つ。
本日、ようやくひとつだけを近くの運送屋さんへ持っていった。

 作業中にふとある文庫本の名前に目が行った。はて、つい10日ほど前、これと同じ表題のハードカバーを図書館で借りてきて読んだような。
 中をパラパラ、おお、登場人物もエンディングも同じだ。
 え~っ、もうとっくの昔に読んでいたんだあ、ちっとも気がつかずに最後まで面白く読んでしまったよお、ショック。うちの古本は新本に戻るんだ。

 陸前高田の古本図書館プロジェクト団体に送りたい方は、下記へどうぞ。
 
〒029-2200 陸前高田市矢作町字なかだいら 88
  社団 星の陸高・陸前高田応援会
  電話 090-2281-1544
追記2012年5月9日

 その後、このプロジェクトはどうなっているのだろうか。当該FACEBOOKを見ても、あるいはネット情報を見ても、なにも分らない。
 まさかと思うが、詐欺であったのか。

2012/01/20

575コダックがつぶれるとか

わたしがカメラを日常的に持って、風景を写すようになったのは、30歳くらいからであるから、いまや40年を超える。
 写真を撮るのは趣味ではなくて、都市や緑の姿を記録するためである。まあ、記録が趣味といえば言えなくもない。だからはじめからコンパクトカメラ一本やりである。

 70年代からは原則としてリバーサルフィルムを使ったから、初期はほとんどコダック・エクタクロームであった。
 海外旅行でもコダックを買ったものだ。それがつぶれるとはねえ、。

 でも、後にはほとんどフジにした。コダックより安いし、現像ラボがオフィスに近いところにあったからだ。
 コダックはどちらかというと赤っぽく、フジは青っぽいように撮れていたものだった。
 そういえば、さくらカラーってコニカってメーカーのものもあったけど、いまもあるのかなあ。

 いま、そのフィルム時代に撮った写真のマウントスライドを、スキャナーでデジタル変換してPCに保存する作業をやっている。
 70年代に撮ったコダックのフィルムは色劣化が著しい。中には赤一色になってしまっているものもあるから、モノクロに置き換えざるを得ない。

 マウントスライドは1万枚はあるので、生きているうちには終わらないだろう。その3倍くらいあったのを、オフィスを閉じるときに捨てたのだが。
 スキャナー取り込みをしてくれる業者もあるが、1枚100円だそうだからとても出せない。

 今の悩みは、スキャナーで取り込んだマウントフィルムを捨てるかどうかである。
 実は買い換える前のスキャナーで取り込んだ画像よりも、今のスキャナー取り込みのほうが画質が良いのである。
 なにかで良い画像がほしくなるときもあるから、元のフィルムを捨てられない。

 少年の頃におもちゃカメラであれこれ写していたこともあるが、そのプリントは失った。
 アルバムにあるわたしが写した写真で、1960年前後が一番古くて、友人のカメラを旅行のときに借りたも。その被写体は、奈良の新薬師寺、高梁の頼久寺の庭園、倉敷の街並み、そして倉敷に住んでいたフィアンセである。
 戦前の父が使っていたのは、ガラス乾板の写真機であった。そのことはこちらに書いた。
http://datey.blogspot.com/2010/10/343.html
http://datey.blogspot.com/2009/04/118.html


 わたしがもう使わないし壊れているのに、なんとなく捨てずに保存しているカメラは、父の戦前と戦後の2機、わたしのフィルムカメラ3機、デジタルカメラ3機。
 フィルムカメラの最初はコニカだったとおもうが、日本で始めて売り出したコンパクトカメラであった。
 一番愛用したのはオリンパスA2であった。コンパクトで28ミリが気に入った。

 デジタルカメラの最初は2002年、オリンパスが出した録音機と兼用のスパイカメラのような小さなヤツを買った。
 実は28ミリ相当のコンパクトデジタルカメラがまだ出ない時代で、買うのを逡巡していて、これは試用として買ったのだ。
 そしてようやくでたので2004年だったかに買ったのが、日本製で28ミリ相当のレンズを初めてつけたリコー製品であった。
 その1年後に発売された同じ上級種を買い、それが2年で壊れたのでキャノンixy900isを買い、1年後に便器に落として壊れたので同じ機種を買って今に至っている。

2012/01/19

574サーバー故障で迷惑

わたしが契約しているインターネットプロバイダーの@niftyから、受け取りを本人限定の封書が来ているから取りにこいという手紙が、郵便局から来た。
 その手紙をもって局に行き、身分証明の保健証を見せるとコピーをとるという。いやだいうと、住所と氏名を書かされた。

 さてその物々しくやってきた代物は、CDが一枚である。
 あらかじめメールで教えてくれていたパスワードでファイルを開くと、なかにあるのは16件のメールアドレスだけである。
 どれも見覚えがあるような気はしないから、エロやバカメールのアドレスだろう。

 実は、2011年11月28日 午前0:00~午前11:16の間に、@nifty会社のメールサーバーが障害を起こして、正しいメールも迷惑メールも区別がつかなくなったというのだ。
 確かにその次の日にメールソフトを開けたら、迷惑メールが本来画面にたくさん入っていた。
 で、ニフティからお詫びメールが来た。このメールの文面がくどくどしていて、何を言ってるのかよくわからないのである。
 どうも、その間に来た正しいメールも、迷惑メールとして消してしまった可能性があるらしいのである。
 では、それを復原してくれとメールを出したら、復原は不可能だけど、その間に来たメールのアドレスだけはわかるから教えるとして、それがCDである。

 ひとさまのメールアドレスを覚えているわけはないから、それだけ見て正しくやってきたのか、迷惑でやってきたのかは判然としないが、まあ、どれも知らないような気がするから、安心したような気がする。。
 いまどきの個人情報保護対策のものものしさなんだろう。あの頻繁に来るエロバカメールのおかげで、ひと騒ぎである。
 プロバイダーも一人一人のこうやっていると、結構なお金がかかるに違いない。

 考えてみると、わたしの情報が他人様の倉庫にあるのだから、そちらが火事になったり、泥棒に入られたり、津波にあったり、放射線を浴びたりして、情報が消えたらこの損害賠償はどうなるのだろうか。
 多分、プロバイダーとの最初の契約時に、あのこまごまとしている約定書の中に、一切免責と書いてあるのだろうなあ、だれも読まないけど。

 これからクラウド時代になると、ますます問題がおきる気がする。
 テロがクラウドの巨大サーバー倉庫を狙うなんてことが起きるだろうなあ。
 核毒事故は健康被害が世界中に広がり何百年も継続するするが、クラウド事故はではどんなことが世界中に起こるんだろうか。

 そんなことをニフティのサーバー事故で考えた。

2012/01/18

573交尾の館だって

横浜の繁華街の伊勢佐木町のモールを歩いていてであった変なもの。

 まずは「ペアリングの館」と麗々しく掲げた店である。
 えっ、「交尾の館」とはまあ、なんというか、その~、えらく直接的ですねえ。
 何をする店かしらと見れば、宝石屋さん。
 ははん、こりゃペア・リングつまりpair ringsつまり結婚指輪のつもりだな。
 まあたしかに婚とコービとは深い縁があるけどなあ、なんだか、できすぎだよ。


 お次は「疲労回復 いわねマッサージ」なるヒラヒラ幟旗である。
 マッサージをすると疲労が回復してくるのね。
 せっかく元気になったのにまた疲労を復活させるのが、マッサージってものなのだろうか、そんな物好きな人もいるんですかね。


 お次は蛇屋さん。
 ウィンドウに何匹かの蛇の剥製がいるのだが、いちだんと高く頭を持ち上げているのが、この白コブラ。
 でもよく見ると、ぼろぼろにほころびてお疲れのようで、頭をもたげたままでもう何年も立ってるのが苦しくなって、後ろの額にもたせかけていらっしゃる。
 こういう代物でも何かに効き目があるのだろうか。