2019/06/07

1404【50年代モダニズム建築再生】(1)神奈川県立近代美術館が鎌倉鶴岡八幡宮ミュージアムに転生した

●身近な二つの有名建築公営文化施設の再生

 今年(2019年)の春、身近にあって親しんできた文化施設二つのリニューアルオープンに出会う機会があった。どちらも戦後早期にできたモダニズム有名建築である。
 ひとつは鎌倉の鶴岡八幡宮境内にある「神奈川県立近代美術館」であり、もうひとつは横浜中区の紅葉が丘にある「神奈川県立音楽堂」である。この音楽堂は県立図書館と同時にできた連携する施設であるが、図書館リニューアルは後回しで音楽堂が先行してオープンした。

 実はどちらの施設もわたしが親しんできた施設で若干の思いいれがあり、その建築、環境、景観そしてそれが生れた頃の社会的背景について考えさせられたので、感想を書いておくことにした。
リニューアルオープンした鎌倉文華館(旧県立美術館鎌倉館)
リニューアルオープンした県立音楽堂
 近代美術館は、40年ほど前から四半世紀を旧鎌倉の東寄りに住んでいたので、美術館のある鶴岡八幡宮境内はしょっちゅう通りぬけており、参道に出ている美術館の展覧会ポスターを見て、ちょくちょくふらりと入ったものだった。

 音楽堂については、2002年に横浜の関外に移り住んだので、近くの紅葉が丘にある横浜能楽堂には趣味の能楽見物によく行くし、県立図書館にも調べものでちょくちょく行くから、それらの隣にある音楽堂や青少年センターホールでの出し物に触れるようになった。
 もっとも、鎌倉に住む前は横浜の日吉に10年ほど住んでいたので、そのころも何度か音楽堂に来た記憶がある。

 美術館(設計:坂倉順三)が1951年、音楽堂(設計:前川國男)が1954年の創設だから、まだまだ日本全体が貧困きわまっていて、文化施設よりも住宅を食物を求める時代であった。1950年頃から復興への歩みが起きようとして来て、そのような殺伐とした時代だからこそ文化が求められる空気も出てきたのであろう。

 当時の神奈川県知事は内山岩太郎であり、内山のリードで文化施設として美術館、音楽堂、図書館を造ったのだった。それにしても、どちらもモダニズムデザインの旗手たる建築家をコンペで選出したのだから、よくもやったものである。そのころはわたしは中学生だったが、あの頃の新たな時代への社会の意気込みが分るような気がする。

●近代美術テーマの美術館

 内山が鎌倉に県立近代美術館を作ったのは、美術展覧会のできる会場が欲しいと言う市民の要請があったからのようだが、まだまだ苦しい時代でありながら、文化復興への息吹がようやく出てきたということだろう。政治家としてそれをとらえて美術館に結実させたところがさすがである。

 しかし、建てたのが県都の横浜市内ではなかったのは、横浜が戦中の大空襲による戦災ダメージに加えて戦後は都心部が占領軍基地になっていたからであろうし、古都の鎌倉にしたのは、鎌倉は戦災に遭わず各界文化人たちも多かったことにあるだろう。
 しかも八幡宮境内という絶好の立地を得たのだった。つづく県立音楽堂の横浜の立地と比べると、その後の現在までの立地環境や景観の変化のあまりの差異に驚くのである。

 美術界のことは知らないが、このとき「近代美術」というテーマを掲げたのは、この美術館企画に深く携わり館長になった土方定一によるものだろう。近代という言葉の持つ前衛性に戦後の文化復興の進路を見出そうとしたのだろうか。あるいは鎌倉の八幡宮境内には「鎌倉国宝館」が既にあったことが、ジャンル分けを明確にさせたのだろうか。

 日本の近代美術館としては倉敷の「大原美術館」(1930年設立)が戦前から有名である。企業家大原孫三郎によるいわゆる泰西名画のコレクションによる私設美術館である。
大原美術館遠望 2011
近代美術に限ってはいないが、その充実がすごい。
 わたしは少年時代を過ごした街が倉敷に近いのでなんどか行ったことがあり、その展示されている名画の数多くを記憶にある。近年に六本木の国立ギャラリーにそれらの多く名画がやってきて「大原美術館コレクション展」があり、懐かしく思い出しつつルノアールやセザンヌを見たのだった。

 考えてみれば、わたしが倉敷でそれを見た頃は、鎌倉の近代美術館が生れた頃のまさに戦後貧困期であった。そしてそれら美術が中学生の心に深く刻みこまれて、なにほどかは後に建築デザインの世界へと向かわせたかもしれないから、この県立近代美術館も都会の少年たちを文化へと目覚めさせたことだろう。

 ところで、いまでこそ近代美術館を名乗るものは多いが、そのころは日本では皆無だっただろう。そして鎌倉の県立近代美術館は、近代美術を掲げた公立美術館としては日本あるいは戦後で最初であったと書いている資料を散見する。例えば「神奈川県立近代美術館」サイト「日経アーキテクチュア1978年8月7日号」、「鎌倉文華館」サイトであるが、わたしの知見では実はこれは正しくないはずである。

 高松市の栗林公園内にあった「高松近代美術館(山口文象設計、後に高松市立美術館)は、1949年に高松市立の近代美術館として開館している。わたしは1978年に訪ねたことがあるが、鎌倉の近代美術館に負けないモダンデザインだったが、大名庭園の中で異彩をはなっていた。
高松近代美術館 1978
これを近代美術館としたのは、この美術館の企画者だった猪熊弦一郎によるものだろうし、山口文象に設計させたのも猪熊の推薦であったとは、わたしが猪熊から直接に聞いたことがある。
 1988年に閉館して市内の別のところに移転した。建築は今は無いが、設計図面はRIAが保管している。山口は次の年の久が原教会を発表して戦後復帰を果たしたのに、この戦後最初の作品とも言うべき高松近代美術館を発表しないままだったのは、なぜだろうか。

近代美術館は八幡宮ミュージアムに

 ところで、この美術館と音楽堂という二つの文化施設の今回のリニューアルオープンで興味深いのは、施設にも運営にも大きな差異が起きたことだ。音楽堂は県立のままだが、美術館は民営になり中身も変わった。
 鎌倉の美術館は「鎌倉文華館・鶴岡ミュージアム」と名を変えて、鶴岡八幡宮が所有して運営、神奈川県は撤退して県立近代美術館の看板を下ろしてしまった。
県が八幡宮から境内地の一部の土地を賃借していたのだが、その賃貸借契約期限が切れて延長ができなかったのがその理由であるという。八幡宮が跡地利用を考えて土地の返却を求めたらしい。

 もっとも、県立美術館は分館が近くにあって継続するし、葉山にもあるから消滅はしないのだが、今の八幡宮境内立地よりも交通不便であり、わたしは鎌倉別館には数回、葉山館には1回訪れたのみである。
 さて八幡宮はどのようなミュージアムにするであろうか。宗教活動の場なのか、それとも純粋に美術館経営をするのだろうか。先般の見学に行ったときに、施設管理者たちの衣装が白衣と水色袴であったのが、いかにも八幡宮施設となったことを認識させた。
鎌倉文華館の鶴岡八幡宮参道からのメインアプローチ

●建築の復元保全について

 当初は八幡宮としては新しい施設を建てなおすつもりがあったようだが、長年親しまれた池に臨む美しい内外の風景とともに戦後名建築の消滅を惜しんだ市民たちの要望があったようだ。
 八幡宮は市民の要望に対応して、美術館建築の本館部分を残して復元的リニューアル、新館は取り壊し、付属棟は建て直して、新ミュージアムとして再登場させたのである。

 これをどう評価するか。景観保全としては成功だろうが、建築保全としてはどうだろうか。わたしはなんでもかんでも当初に復元保全という保存原理主義には同調できないが、ここではどこまで原理主義的であるのだろうか。
 モダニズムデザインとして印象的な本館は、できるだけ復元設計されたとのことであり、池からの景観は美しく、ピロティからの池の眺めも楽しい。


元の設計のもっとも目立つ真っ白い立面の外壁面は、スレートボードを目地押さえ金物でつなぐといういかにもチープなものであった。これをリニューアルでをどうするのか気になっていて、今どきの設計ならば新館に使ってあったホーロー鉄板を使って目地押さえ金物など使わないだろうと思っていたが、原設計のままにチープさと共にリニューアル復元されていて、それなりに美しくなっていた。
 なおリニューアル設計は丹青社であるが、なぜ坂倉建築事務所ではないのだろうか。

 建築復元としてはともかくだが、最も大きな改変はメインアクセスを八幡宮参道側にしたことだろう。あの大階段が招き入れる機能がほぼ死んでしまったのがもったいない。この大階段を上手に使う展示やイベントがなされることを期待する。
 だが、考えてみると、実質的には入館者のほとんどが参道側から入るだろうから、これが正しくて元の設計が間違っていたといってよいだろうが、なんだか引っ掛かる。
元の正面玄関が裏玄関になった鎌倉文華館
近代美術館だった頃の正面入り口風景 2009年
 県立時代には中庭や外構のあちこちに彫刻作品がおかれていたのが、いまは何もない芝生やペーブになっているのが、何だかさびしい。もとのままに置いておくことはできなかったのか。そのうちに何かがおかれるのだろうか。
かつて県立美術館であった記憶の風景は、建築だけがあればそれでよいのだろうか。わたしの頭には建築と彫刻とが一体になった風景が記憶に刻まれている。
 
●完全消滅した新館

 新館がすっかり取り壊されて、メインアクセスルートの芝生の下に消えた。これは池との関係で悪くない景観ではあるが、新館が影も形もないのが気になる。
左に本館、右に新館があった旧県立近代美術館 2009年
本館と新館の間に池が入り込んでいた 2009年
 新館はいつのころからだったか、建築構造上の問題が起きたとて使用禁止になっていた。それを聞いてわたしが訪ねたのは2009年夏だったが、なるほどあちこちの鉄骨の柱の根元がボロボロに錆びていて、フランジに穴さえ開いていた。
 この鉄骨は耐候性鋼と言われ、錆が被覆となってメンテナンス不要が売り物の新材料だったはずである。わたしも1970年頃にこの鉄骨を使うオフィスビルに関わったが、それは今も健在であるから、ここの鋼材は不良品だったのか。
旧近代美術館時代の新館 右が本館 2009年
コルテン鋼柱の根元の穴空き腐食 2009年
 この増築は最初から予定されていて、開館は1966年だから晩年の坂倉順三(1901-1969)の設計になるそうだ。わたしはこの新館の吹き抜け展示空間を大好きだった。大きな絵を見ることができるし、大ガラス越しの外の池の景色もよかった。
できればこちらも復元してほしかったが、消えたのはどうしてだろうか。そういえば鎌倉文華館の開館記念展示には、本館のことは詳しかったが、新館については全く何もなかったのは、どういうわけだろうか。

 附属棟の跡地の三角屋根展示場も悪くないけれど、復元新館をそれに充てることできなかったのだろうか。せめて、芝生アプローチの中にあのボロボロ鉄骨柱数本を元の位置に建てると野外アートにもなるし、この美術館の変転史を伝えることができるとも思うのだが、記憶に残る建築であっただけに、惜しいことだ。

変わらなかった環境

 さて全体的に見て、これも建築保全としての一つの回答だろうが、建築復元にこだわり過ぎて、どこかつまらないのである。要するに創造的なところがどこにもないのである。
 もちろん元の設計が、小さな建築なのに大きな階段、広い中庭、気持ちよいピロティ、そして何よりも八幡宮境内の環境が素晴らしく、結果は実に良いのだ。森の泉のほとりの宝石箱である

 ただ、これはずっと前から気にくわなかったのだが、あの水と緑の立地環境のなかで、内外相互貫入する建築空間を、一連の連続する空間として体験ができないことである。
 建築に入る段階で入場料を支払う人為的なバリアーがあることで、連続すべき動線が切れてしまうのであるのが、実にもったいない。
 池を巡る道がピロティに連続するようにしてほしい。ピロティや中庭は外扱いにして入場料をとらない、あるいは参道からの敷地入り口で入場料をとればよいのに、と思う。

 創造的なところがあるとすれが、付属棟跡の新展示施設であろうか、あるいは逆説的だが新館の消滅による空間デザインが創造的と言えば言えるだろうが、建築空間としては復元にとらわれているところが、どうも、いじましいのである。
 昔のもとの姿に復元せよと言う、建築保存原理主義者の言い分にに負けたのだろうが、それを一歩踏み出すと新たな創造的空間が生まれるだろうに、惜しいことである。
 最初にコンペで坂倉を起用したように、再生設計コンペにすればよかったかもしれない。これはないものねだりだろうか。いや、坂倉を越えるのは無理か。

 建築的なことはともかくとして、ここでもっともすごいと思うのは、この立地環境がこれが建った1951年からほとんど変化していないということである。後述するが県立音楽堂の立地する横浜紅葉が丘が、都市開発圧力による結果として景観が大変化したことと比べると、こちら鎌倉のほとんど変化しないことに驚く。

 もちろん鎌倉にも開発圧力は高いのだが、都市計画としては八幡宮境内は市街化調整区域であるし、まわりも含めて古都法や景観法などで環境と景観の保全施策があるし、それよりもなにりも市民に環境保全思想が行き渡っていて、開発となるともめごとになるからだろう。
1956年の鶴岡八幡宮あたりの空中写真
2018年の鶴岡八幡宮あたりの鎌倉空中写真
1990年の近代美術館と鎌倉八幡宮周辺景観
 そういえば、1964年に起きたいわゆる「御谷(おやつ)騒動」といわれる鎌倉八幡宮裏山宅地開発反対運動のときに、この美術館を作った内山知事は、開発行政をつかさどる長の立場にありながら、政治家として開発反対に動いたことで開発は止り、1966年に古都法を生み歴史的環境保全へと歩むようになったのであった。
 
今回の美術館のリニューアルで、建築・環境・景観は1951年時点に復元したことになるのかもしれない。ただしハードウェアはそうだが、公立から離れて宗教法人活動の場となって、ソフトウェアとしては原点復元ではない。
 いや、そうではない、もともとが宗教法人の敷地内だから、宗教活動のできない異物だった公立施設の排除で、むしろこうなってこそが原点復元と言うべきだろう。なかなかに稀有な興味深い事例である。

(次の県立音楽堂の記事につづく

2019/06/03

1403【狐乱夢5月FBまとめ】緑の館シリーズ、おいしい動物園、五輪便乗外苑再開発、武器セールスマン国賓、カイゲンレイ日本、鎌倉風景

まちもり散人【狐乱夢5月FBまとめ】
緑の館シリーズ、おいしい動物園、五輪便乗外苑再開発、
武器セールスマン国賓、カイゲンレイ日本、鎌倉風景

5月1日 【カイゲンレイ下の日本】 
今日は5月1日だけど、メイデイってだれも言わないな、
やめたらしいな、いやカイゲンレイ下だからだろうか、フーン

5月4日【鎌倉門前町風景】
超久しぶりに鎌倉若宮大路二の鳥居あたりへ、警察庁舎が消えて峰医院が消えて、ほほう、そうかそうか、おおッ、あの浅羽屋ビルが無いッ、別のビルが建ってる、門前町の猥雑さを象徴するあの姿、鎌倉名物だったのに消えたとは残念と、よくよく眺めたら、アッ、いやこれはッ、どうも大きさと言い高さと言い、もとの建物を改装したように見える、でも、あんまりデザインが違いすぎて、不思議と言うか面白いと言うか奇妙と言うか、ほほう、これも鎌倉お得意の保存再生ですかね、なかなかやるわい、門前町の猥雑さにまた別の花を添えたねえ、さて、これから見に行く県立近美の坂倉建築も、どう保存再生で化けているか、がぜん楽しみになってきた。

5月8日【カイゲンレイ下の日本】 
30年前ベルリンの壁崩壊で冷戦時代終了
そのとき偶然同時に昭和終了
今年はトランプ対シイチンピン新冷戦時代開始
偶然にも平成終了
「冷WAR」時代開始

5月15日【本づくり趣味】
あら、世の中には、わたしと同じような人がいるんだ、このひとは「手づくり本アーティスト」と名乗って、他人様の本を造っているらしいが、わたしはアーティストなんてのじゃなくて、単なる趣味で自分の著作を、自宅の机の上で、自分で編集して、自分で印刷して、自分で製本して、知人たちに読め読めと押し付けるのだ。DTP/ODPつまり随時印刷卓上出版が趣味である。たまにはこの人のように人さまの本も趣味で作る。
その一覧はこれ。https://datey.blogspot.com/p/dateyggmail.html

5月16日伊達の眼鏡ブログ記事
【五輪便乗再開発】
そうか、ついに動き出したか。
なんとまあ、都市公園指定の土地に、超高層の商業やオフィスなどのビルを、市街地再開発事業制度を使って建てるとのことだ。いやはや面白いことになってきた。
 この計画に関してのわたしの一番の興味は、「都市公園」対「都市再開発」の駆け引きである。
神宮外苑の再開発は、「まちづくり公園制度」を使うらしい。
わたしは都市公園制度のことをよく知らないが、東京都心部にある未開園の都市公園に限っての開発利用の緩和制度らしい。この制度は2013年に作られていて、しかも再開発等促進区の区域に適用するとあるから、2013年に神宮外苑地区計画指定と共に作られたようで、つまり神宮外苑再開発のために作られた制度であるらしい。
 そうだとすれば、さて、どこを都市公園として供用し、どこを都市公園廃止するのだろうか。たぶん、、ふ~む、、なるほどそういう仕掛けであったかあ、フンフン、やるなあ~、すごいもんだ、今ごろになって気がついたバカ、、でも、公園屋さんは、それでいいのかい?

5月22日 ブログ新掲載記事
【五輪便乗再開発つづき】
神宮外苑に超高層建築を建てる再開発事業は、東京都独自の「公園まちづくり」という制度でやると、今ごろになって知った(はずかしながら)。
 それは都市計画で公園決定していながら、半世紀も公園になっていないなら、一定条件下で廃止しても良いとのこと。その条件とは「地区計画」の「再開発等促進区」による再開発で、面積は6割に減っても実質的に公園を確保するのである。
 さすがに開発圧力が強い東京でこそ可能な、公園と開発の妥協の産物らしいが、まあよいとしよう。
 でも実は、神宮外苑では国有地が公園廃止に大貢献したおかげで、民間主体の再開発が可能となるって、なんだかスッキリしないような、、、。


5月29日伊達の眼鏡ブログ新記事
【五輪便乗神宮外苑再開発幻想長屋談議】
熊五郎:もしもザハ案がこうやって生き返ると、あのときに無念の内に死んだザハ・ハディドも浮かばれるし、国際コンペ結果不履行で大恥かいた日本もちょっとは名誉挽回になるでしょうね。
ご隠居:天才女流建築家ザハ・ハディドへのオマージュになるね、妄想だけど……。
新ラグビー場にザハ・ハディドの幽霊が、、

5月27日【横浜緑の館シリーズ】
今年もまた街に緑色濃い季節がやってきた。





5月31日【横浜緑の館シリーズ:名作発見】
古い商店街をフラフラ徘徊中に発見、これはなかなかの名作、その堂々たる緑の館ぶりにウットリ、毎年の進化を鑑賞に来るかなあ、楽しみな徘徊、いや目的ができると徘徊じゃないな、「商店街活性化に寄与する空き家景観に関する調査」だ~、。まずは景観上で邪魔な駐車場看板を取り払ってよ。

去年はどうだったかとグーグルストリートで比較、フム、フム、
では上から見ようとグーグルアース、フム、
今年は進化して全面緑の屋根になったかな、

5月27日【定点観測風景:八重洲側東京駅前】
おやおや、ヤンマービルから住信ビルまですっかり消えて再開発工事中、丸の内側に負けないように、ここにも超高層建築が建つのだろう。



5月28日【武器セールスマン来訪】
1962年のこと、日本の総理大臣の池田勇人がフランス訪問したとき、ド・ゴール大統領が「トランジスタ・ラジオのセールスマンが来た」と揶揄した。
2019年のこと、アメリカの大統領トランプが日本訪問したとき、アベ首相は「武器のセールスマンが来た」と揶揄した?

5月31日【ご近所違反建築】
竣工間際の共同住宅ビルの1階、道路からの1mセットバック部分に木造で何か作っていると見ていたら、なんと立派な増築だよ~、これにタイル貼ると見分けつかないな、たぶん、公的な竣工検査が済んだのだろう。

5月31日【おいしい動物園】
今日の朝日新聞コラム「天声人語」は「美味しい水族館」
水族館で泳ぐ魚を見て、食欲をそそられる瞬間がある。けれど言葉にはしない。不謹慎な気がするからだ。「水族館でおいしそうと言っていいんです」。青森県の県営浅虫水族館はそう呼びかける展示コーナーを設けた▼「おいしそうに見えるのは魚が健康な証拠。飼育員には褒め言葉です」「おいしい生き物なら食用になり、ずっ・・・
さて、美味しい植物園があってもよさそうだし、美味しい動物園とか、美味しいペットショップってのは、、、あるのだろうなあ。


2019/05/28

1402【神宮外苑再開発幻想】新国立秩父宮ラグビー場建設はこうやって、競技場大ドジからの名誉挽回と急死故ザハ・ハディドの供養だあ~

熊五郎:暑くなったけど元気ですか、ご隠居。
ご隠居:おお、熊さんかい、元気だよ、まあおあがりよ、ちょうど見てほしいものがあるんだよ。
:はいはい、なんですか、アッ、これ?、
:たった今、わたしが作ったばかりのGIF画像だよ。
:ハハン、また例の戯造画像でしょ、え~と見たことあるような、どこだっけ?
新国立競技場と明治神宮外苑だよ。
:あ、そうそう、例のスッタモンダの後でようやく建ち上ってきたのが、この左上の剥げかけベーグルですね、
:そうそう、もうすぐ完成らしい。
:でも、この右の紐かけ亀の甲は、え~っと、見たことあるような、アッそうだ、これってスッタモンダ元凶のザハ・ハディド案新国立競技場でしょ、えっ、ここに建つの、本当?、あれは消えたんでしょ、
:うん、そう、新秩父宮ラグビー場をそのデザインで建てたんだよ。
:え、まさか、、。
:ワハハ、実は昨夜の夢に死んだザハ・ハディド女史が出てきてね、「ウラメシヤ~、没にしたわたしの案を新国立ラグビー場に建ててほしいよ~、、、」と……で、これだよ。
:ウワ、あのカオで幽霊になるとコワイ……、そう言えば最近になって秩父宮ラグビー場と神宮第二球場を入れ替える再開発をやるって、計画の環境アセスメント手続きが始まったそうで、ご隠居はまた野次馬やってるんですね。

:そうそう、つまりラグビー場を新国立競技場の隣りに引っ越しするってね、また格好の暇つぶしだからね、あの新国立競技場騒動からあれこれ思い出して考えてたもんだから、ザハ幽霊が夢に出てきた。
:そこで彼女の願い通りに描いてみたのか~、なんだかウマく納まってるような、第2新国立競技場だね、まあ、あの騒ぎの中で急死だから成仏してないでしょうけど、これで供養になりますね。
:わたしは彼女のファんじゃないけど、コンペ当選案の肉感的な姿を見た時から、あの場所だからこそあの姿で建ってほしいと思っていて、ブログにも書いてるよ。
男と女
:ボロクソに言っていた世間とは逆ですねえ、だから彼女が夢枕に立ってお告げってことかな。
:いつだったか「インポ建築展」でザハ・ハディド案による完成設計図書を見て、新国立競技場竣工式にザハ幽霊が出て来るぞって書いてたからね。
:考えてみるとこれは合理的ですねえ、なにしろもう設計図は完了してるんだから、それを手直しすれば使えるでしょ、たぶん。
:そうそう、こちらのラグビー場も新国立競技場と同じ文科省が建てるのだから、どうせならある物をリユース、リサイクルすれば、これもエコロジーだね。

:そうですよ、あの没になったザハ・ハディド案にいくらカネかけたのでしょうね。
:あのザハ案を首相が白紙撤回したときまでに、既に支払ったカネと契約で支払うべき
カネが、デザイン監修料でザハ・ハディド・アーキテクツに約15億円、設計料で日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体に約36億円、つまり設計費用だけで約51億円だよ、そのほか国際コンペやらなにやら経費を入れるとざっと60億円。
:へえ~、髙い白紙撤回料だったな~、原資は税金だから納税者としてはちょっとは取り返したいですね。あ、文科省はまたもやドジをしないでもらいたいですね。
:まあ、その設計図をそのままでは使えないから、設計変更が必要だけどね。
:また設計費やら移転新築工事費やらカネがかかるなあ。
:ところがね、こんどは一文もかけないで建てるらしいよ。
:エッ、だれか寄付してくれるんですか。
:いや、わたしが今回発表されたアセス書類の中にある図面を見てて、どうもそうらしいと気がついたんだよ。つまりね、どうやら今のラグビー場の土地を売ったカネで新国立競技場の隣りの土地に引っ越すらしいのだよ。
:そうしたって、土地はできるとしても、建物の建設費がかかるでしょ。

:それがね、土地の単価が引っ越し先の第二球場跡地よりも、今のラグビー場のほうが2倍半くらい髙いんだよ、だから引っ越し先で今と同じくらいの広さの土地を買っても、なおカネが余るからそれで建物を建てる、だからカネがかからない、どうもそうらしい。
:え~っ、ホントですかあ、騙されてるんじゃないのかなあ、そんなウマイことをあの不器用ドジ文科省ができるわけがない。
:うん、いや、都市再開発法の市街地再開発事業でやるそうだから、事業の筋書を推察するとそうなるはずなんだな、もちろん昔都市計画家今野次馬探偵勝手推理だけどね。
:まあ、ご隠居が言う通りなら、いいですねえ、この前は60億も無駄遣いしたけど、こんどは一文も使わないなんて、眉唾だけど、。
ラグビー場引っ越し計画
:そこでね、ラグビー場跡地をできるだけ高く明治神宮や三井や伊藤忠など民間事業者に売りつけて、新ラグビー場を作ってもおカネが余って、ぜひ国民に還元するようにしてもらいたいねえ。
:わたしたちは単なる野次馬だから何もできないけど、せいぜい今後の都市計画の動きを、納税者として観察しましょうかね。
:神宮外苑の都市公園や都市計画に意見を言う立場にある東京都民の人たちは、動きに注意してくださいよ。
:もしもザハ案がこうやって生き返ると、あのときに無念の内に死んだザハ・ハディドも浮かばれるし、国際コンペ結果不履行で大恥かいた日本もちょっとは名誉挽回になるでしょうね。
:天才ザハ・ハディドへのオマージュになるね、妄想だけど……。

●もっと神宮外苑都市計画駄文を読みたいお方は下記参照

●もっとオリンピック嫌い駄文読みたいお方はこちらをどうぞ
 【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発・2020五輪運動会騒動瓢論集


2019/05/21

1401【五輪便乗外苑再開発つづき】どうやら公園一部廃止するらしいがその元凶は文科省らしいな


五輪便乗再開発のつづき

戯造GIF





  
    神宮外苑を市街地再開発事業で再開発するのだとのニュースに、その事業手法に驚いて都市計画遊びを書いた。
 しかしどうも都市計画公園を再開発すると言う発想と、そんなことができるのかという制度が分らないので、あれこれと貧者の百科事典のネット検索していたら、これかよ~!って制度が分ったので、またダラダラと遊んでいる。(図は前のブログと重複する)


 東京都の都心地区限定の制度として、都市計画公園を廃止できる「公園まちづくり制度」があるのだ。それを読んでいたら、「神宮外苑地区における活用要件」なる項目があって、要するに神宮外苑再開発に適用するということ(らしいの)である。

 ▼東京都公園まちづくり制度
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/toshi_saisei/data/jinguu_kentou01_10.pdf
 制度の要点は、都市公園として都市計画してから50年ほど経っても、いまだに公園として市民に供用されていないならば、一定の条件で開発利用するなら公園指定を廃止してよいというのである。その条件は、その開発後に6割以上を都市公園なみの広場にして、それは地区計画で担保するのである。
 ようするに東京都心部の開発圧力を利用して、面積が6割になっても緑地や広場ができれば、実質的には都市公園ができたことにするのである。
 
 なんだ、初めからそうだったんだ、しかもこの制度を作ったのが2013年だから、例の新国立競技場の建設に関係して、「神宮外苑地区地区計画」を都市計画決定した年であった。つまり、神宮外苑再開発のために「公園まちづくり制度」を作った(らしい)のである。
 でも、制度の内容を見ると、新国立競技場建設には無関係である。それなのに一緒に地区計画を決めたのは、話題の新国立競技場のどさくさに隠れて、そっと便乗したのだろうか。

 わたしも新国立競技場に気をとられつつも、神宮外苑の都市計画公園に再開発等促進区を決めることに、なんとも不審をもっていたけど、どうやって公園の再開発をするのか見当がつかなかった。
 でもそのときは既に公園まちづくり制度ができていて、だから再開発等促進区だったのだが、気がつかなかったこちらが、都市計画専門家の端くれとしてはなんともドジだった。
 どうも公園制度には疎いが、あの時は立体公園制度の適用にあっけにとられれ、そちらに目が向いてしまった。

 この度の外苑地区再開発の地元地権者たちから出された再開発事業に関する環境アセスの内容を見ると、その建築計画は都市計画公園や風致地区に適合する内容でないものがあるので、これは都市計画公園の廃止を目論んでいることが明白だ。
 ではそれはどこを、どれくらいに規模で廃止するのか、明確にその範囲を推定することはできない。
 ところば公園まちづくり制度を使うのなら、都市計画公園指定してありながらも未供用区域があるなら、その未供用面積までなら公園廃止できるとある。
 その法的根拠は、都市公園法都市公園法第16条であり、そのために都市計画事業の市街地再開発事業であろう。

 ではその未供用区域とはどこか。
 都の資料を見ると、今回の再開発区域の内で未供用部分は、テピアとラグビー場用地であり、そのほかの神宮外苑用地は供用部分とある。
 テピアとラグビー場を合わせて広さは約4.8ヘクタールであるから、この広さまでは都市計画公園の廃止が可能であるとして、再開発事業に合わせて廃止するのだろう。
 再開発事業の区域が約17.4ha、その内の外苑通り沿いの伊藤忠本社ビル用地を除く範囲が現都市計画公園区域で約16.1haである。

東京都「神宮外苑地区における活用要件」より
つまり再開発区域16.1haの内の4.8ha、およそ30%の広さを公園廃止して都市開発活用することになる。その条件はその廃止用地面積の6割以上を公園なみの緑地等にして、地区計画の地区施設として担保することである。
 その都市計画公園指定を解除した面積の土地を、開発しやすい位置に入れ替え配置して、その都市計画を商業業務地なみに変更するのだろう(たぶん、複合棟A、球場併設ホテル棟、広場部分か)。北に入れ替えるラグビー場は、こんどは都市計画公園指定区域に入るのだろう(たぶん)。

 都市計画規制の緩和変更は、2013年に都市計画決定した地区計画のうちで、今回の事業区域となる再開発等促進区に決めてなかった地区整備計画に書きこむことになり、今後の地区計画の都市計画変更手続きに入るのだろう。
 同時に都市計画法及び都市公園法による都市公園の一部廃止手続き、更に都市再開発法による市街地再開発事業の都市計画決定も必要である。
 これらは一連のものとしてすすめるだろうが、それはいつだろうか。

 さて、制度は分かったが、何だかスッキリしないことがある。それは今回の都市計画公園廃止となる対象面積が、テピアとラグビー場という、どちらも公的な土地所有者であることだ。
 特に大部分の面積を占めるラグビー場は国有地であるから、国が公園として供用しないままでいたことには、なにか妙な感じがする。民有地の神宮外苑の野球場と似たような土地利用で、そちらは公園供用してきたのに、なぜラグビー場は未供用だったのだろうか、国有のスポーツ施設なのに不思議である。

 国有地が未供用だったおかげで、再開発区域の3割もの広さが公園指定が解除されて高度利用できるのだから、民間開発事業者にとってはじつに嬉しい未供用だった。
 いや、ウマイことをしたのはタナボタ結果ではなくて、もともとそうするように制度そのものを東京都と結託、いや相談し提案して作ったのだ(ろう)から、なかなかの作戦である。タナの下で待ち受ける口を狙ってボタモチを落すのだからね……。

    とすれば、ここで一人の納税者として事業施行者にお願いしたいのは、その国有地の未供用であったことの再開発事業への多大な貢献度を、権利変換計画において高く評価してほしいことである。
 つまり開発利益を民間事業者ではなく国民に正当に還元してほしいのである。もちろん認可する東京都知事もその辺を十分に留意してほしいものだ。(この件については追記を参照のこと)

 東京都の公園まちづくり制度の説明図に、未供用区域が建物が密集している市街地となっているように描いてあり、そこを公園廃止する制度適用としている。それは今さら公的買収して公園にするのがかなり難しい状況を示しているので、制度の意味が分からなくもない。
 しかし、ラグビー場もテピアもは、権利関係は簡単だし、公園内施設としてそのまま適合するから、既に供用にしてあっても、あるいはいますぐ供用にしても、何も法的な問題はないだろうと思う。もちろん、これでは再開発事業者は困るが、、。
 でもなあ、文科省管轄の国有地が都市公園の廃止に手を貸すのが、どうも何だかなあ、すっきりしないって、書いておく。

 なんにしろ、公園まちづくり制度が先にあって、それに合せて今回の外苑再開発計画が出て来たのではなく、この再開発計画に合せるように新制度を構築したらしく、まったく敬服に値する知恵者プランナーはいったいどなただろうか、都市計画設計研究所だろうか。:都市計画設計研究所の受注情報に、JSCから2012年と2013年に「国立霞ヶ丘競技場整備に係る基本計画策定調査」があり、東京都から2016、17、18年度に「神宮外苑地区まちづくり調査・検討等業務」がある    (2019/05/21記)                              

 2019/05/26追記
 この建設事業を都市再開発法の市街地再開発事業制度を使って行うとのことである。この制度は事業前の土地と建物の価格評価して、事業後にそれと同額の土地と建物に返還する手法である。つまり土地建物を等価交換するのである。

 国有地のラグビー場と民有地の神宮球場とを入れ替えるにあたって、土地の評価額が大きく異なることに留意する必要がある。国有地の方が断然高額なのである。土地評価はいろいろあるが、例えば2018年の固定資産税の路線価格では、神宮球場前が603000円/㎡で、ラグビー場前が148000円/㎡である。

 したがって、これらを土地だけで等価交換すると、ラグビー場の土地の面積は2.5倍に拡大する。それでは民有地が狭くなりすぎて、野球場を建てることができなくなる。
  環境アセスメント用に出された資料を閲覧すると、ラグビー場の土地の広さは、事業前と後ではほぼ同じ広さに見える。つまり移転先の土地価額は元の土地よりも半分以下になっているから、その減った土地分の価額は建物に変換した(普通に言えば土地面積を6割ほどを売ってラグビー場の建設資金に充てた)、つまり土地+建物等価交換であろう。
 したがって、ラグビー場の土地建物を持つJSC(国)は、この事業にあたって新たに負担をする必要はない。国民の新たな税負担はないことになる(はずである)。

 もちろんこれは事業の前後で等価になるとしてであるが、もしも事業後にこの規模のラグビー場を受け取っても、事業前と等価に届かなかった場合は、その差額を現金で受け取ることになる。
 逆に、等価を越えた場合は、国はその差額分を支払わなければならないが、これではラグビー場を再開発事業で建てなおす理由が希薄になる。今の場所で、空中権を売って(再開発事業制度としては一部転出)、そのカネで新ラグビー場を建てればよろしい(東京駅みたいに)。

 とにかく、文科省が東京の都市公園の減少の張本人になるという、あまりほめられないことをやるのだから、その名誉挽回として、新ラグビー場の建設には新たな国の財源つまり税負担が無いようにすることである。
 再び新国立競技場のようなドジをしないようにね、文科省は三井不動産(明治神宮の代理人らしい)にウマイことしてやられないようにうまく立ち回ってね、いいですね。

 この事業では国有地を種地にしてるのだから、つまりこれがないと再開発事業が成り立たないのだから、明治神宮や三井や伊藤忠の民間事業者に儲けさせるのじゃなくて、文科省の官側事業者がしっかり儲けてくださいよ、これは納税者のひとりとしてお願いです。

 あ、まさか三井が再開発事業施行者になるのじゃないでしょうね(たぶん組合施行にはできないだろうから)、国有財産を扱うのだから、せめてUR都市機構にやらせましょうよ。
つづく

▼これまでの一連の五輪騒動記事は下記

2019/05/16

1400【五輪便乗再開発】都市公園としての明治神宮外苑は東京の都市開発圧力に耐えることができるか

久しぶりにオリンピックがらみ記事、つまり新国立競技場騒ぎのつづきを書く。
▼これまでの記事は下記

2019年5月9日に建設業界の新聞に、新国立競技場の南にある、神宮球場とラグビー場更にその南に隣接する民間ビルのある土地について、用地入れ替えと建物の建て替えに関して、環境アセスメントをやることになったと、ネット記事が登場した。
▼建設通信新聞(2019年5月9日)

 そうか、ついに動き出したか。なんとまあ、都市公園指定の土地で、野球場とラグビー場の建て替えついでに、超高層の商業やオフィスなどのビルを、市街地再開発事業制度を使って建てるとのことだ。いやはや面白いことになってきた。
 この計画に関してのわたしの一番の興味は、「都市公園」対「都市再開発」の駆け引きである。つまり、オープンスペースとして公開するべき都市公園指定の土地を、建築敷地としてプライベートに高度に活用する、その手練手管である。そこには法制度をいかにうまく活用するか、あるいはいかにうまく法規制をかいくぐるか、それが問われる。
 これは都市計画のなんともクロート過ぎる、いや邪道とも言うべき手法が登場してくる面白さがある。それを勝手に予想して勘繰り遊びをするのである。

 これについては2013年にその序の口をここに書いているが、
そこでは単純に公園内から公園外に容積移転であろうと思っていて、最後にまさかと思う強引な手法もあると少しだけ書いておいた。それはじつは市街地再開発事業のことである。新聞報道では、本当にこの事業手法を使うとあるから、それで公園指定に対してなにができるのか考えてみよう。

 この件の出だしは、新国立競技場の建て替えのために、その敷地の国有地と隣接する公園や公営住宅の都有地の都市計画及び都市公園の変更をしたが、どういうわけか新国立競技場に関係のない周辺の共同住宅やオフィスビルや宗教法人等の民有地も、これに合せて都市計画変更したのであった。
▼神宮外苑地区地区計画(計画書・計画図)(PDFファイル11,882KB)
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/toshi_saisei/data/jinguu_keikaku.pdf

 そこに見えるのは、宗教法人とディベロッパーが共謀して、新国立競技場の都市計画変更に便乗して、広大な都市公園指定用地を高度利用都市開発しようとする動き、策略である。
 現にオリンピックの後に取り掛かる事業というから、どうみても新国立競技場とは無関係のエリアだし、オリンピックのための新国立競技場の都市計画変更時にこちらまでも変更を行う理由はなかった。なぜ便乗を急いでおこなったのか。
▼明治神宮外苑はドサクサ新国立競技場大急ぎ都市計画変更に便乗
http://datey.blogspot.com/2015/11/1149.html

 2013年に内容が決まらないままに再開発等促進区型地区計画の都市計画決定は、その制度から言っても奇妙であり、不審なことであった。いま環境アセスメントにかけると言うから、ようやく内容がきまったのだろう。とすれば、その都市計画変更は今になって独立して行うべきだった。
 勘ぐれば、新国立競技場騒ぎの時にその陰に隠れてこちらの変更をすれば、注目されないだろうと言う密かな陰謀であったのかもしれない、勘ぐれば、。
 なにしろ公園内に超高層建築を建てようというのだから、世の緑好きおば様たちが目の色を変えて抗議に来ることは、目に見えているのだから。

 さて、今回の計画内容を、新聞記事だけをもとにあれこれ考える。
▼日刊建設工業新聞(2019年5月9日)https://www.decn.co.jp/?p=107128
この計画区域の事務所棟(伊藤忠本社)の敷地のほかはすべて都市公園指定されていて、風致地区がかかっているので、そのままでは大きな髙い建物や公園に適する特定用途外の建物は規制されている。それをどうクリアして巨大開発するのか、興味を持っているのである。
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 今回の新聞記事だけでスッカリ分るのではないが、現都市公園指定区域内に風致地区や都市公園の規制範囲を超える高さの超高層建築計画あるようだ。またオフィスの様な公園内には不適合の用途も書いてある。さて、これをどう考えようか。
  ひとつは風致地区も都市公園も特別に法的緩和を謀ることだが、これだけでは難しそうだから、もうひとつは都市公園と風致地区の指定を一部もしくは全部解除してしまうことだ。
国有地のラグビー場と明治神宮外苑の神宮球場を土地交換
複合棟Aはオフィスと商業、複合棟Bはホテルとスポーツ施設、

新神宮球場の上に超高層ホテルが建つ(らしい)
並木東棟は商業、事務所棟は伊藤忠(と三井不動産らしい)
事務所棟のほかはすべて都市公園指定区域
新聞記事を読めば、事業手法は都市再開発法による市街地再開発事業とあるが、都市公園地区内でこれを適用するとは、はて、この法が予想していただろうか。
 そもそも市街地再開発事業は、土地利用の現状が建物が密集していたり、木造で火災が起きやすいとか、耐震でないビルが多いとか、都心などで容積率は高い指定なのに一部しか利用していないとか、公園や道路が足りないとか、とにかく都市環境が不良な地区に適用するものである(都市再開発法第3条)。
 だが、ここは不良地区だろうか。

 この制度の適用には、例えば、土地が細分化されていることが不良とする条件のひとつだが、ここではラグビー場、明治神宮外苑、伊藤忠等、いすれも大規模な敷地であるから、これに当てはまらない。。
 あるいはまた、現に建っている建物の床面積の合計が、指定容積率の3分の1未満の地区に適用するのだが、青山通り沿いの民有地はしっかり高層ビルが建っているから適用できない。
 ラグビー場敷地や野球場敷地は今の200パーセント指定の3分の1以下のように思えるが、これは施設の性格から言って当然であり、しかも都市公園指定の土地だから、当然の土地利用であり、決して不良ではあるまい。たぶん、青山通り沿いの民有地の高容積率建築と合算しても指定容積率の3分の1に届かないのだろう。

 なお、外苑地区計画の再開発等促進区には、伊藤忠ビル西隣のオフィスビル(青山OMスクエア)も含んでいるが、今回の再開発事業区域から外してあるのは、新しい建築なので建て直しをしないことにしたのであろうか。またテピア(槙文彦設計)も外したのは、これを建て直しするというと、また槙一家に殴りこまれるオソレあるから、かな?、。
 神宮球場もラグビー場も伊藤忠本社ビルも、土地の現状用途は不良ではない。しいて言えば耐用年数を越えているとか、耐震問題があるとかで、不良とは言える。

 どうも私の知識が古すぎて、どうやらいまでは地区計画でとにもかくにも再開発等促進区にしていしてしまえば、都市公園だろうと、良好都市環境だろうと、新建築ばかりだろうと、空き地ばかりだろうと、どんなところでも市街地再開発事業やっていいよって、法がルーズなことに変ったらしい。
 ふ~ん、そうかあ、もう10年も都市計画現場に関わらないからなあ。

 でも、なぜわざわざ面倒な手続きが必要な法定の市街地再開発事業にするのだろうか。大きな土地ばかり、大企業と大法人ばかり、権利関係は明解だろうし、やることは分かっているのだから、常識的には任意事業でやるところだ。
 都市再開発法による市街地再開発事業は、原則として都市計画事業(建築を都市計画事業で建てる)であるが、実はここにその大きな理由がありそうだ。この都市計画で容積率の割増しがあるとか、事業になったら国と都から補助金が出るとか、税制優遇があるとか、いろいろ面倒でもいろいろメリットはあるが、本命は次の件にあるような気がする。

 都市公園法第16条に、「都市公園の区域内において都市計画法の規定により公園及び緑地以外の施設に係る都市計画事業が施行される場合その他公益上特別の必要がある場合」は、都市公園の一部又は全部を廃止できるとある。
 これを適用するのだろうか。もし全部を廃止して、青山通り沿いと同じ用途容積に変更すると、もうどんなデカいものでもどんな用途でも建築可能となる。伊藤忠三井不動産はもちろん、明治神宮もウハウハ儲かることになる。が、まさか、。

 これまで神宮外苑はいずれは順に開園して都市公園となることを前提にしてこれまでの土地利用が進められてきた(らしい)から、不良な土地利用ではない。
 都有地部分だけが一部開園されているが、明治神宮外苑用地ではどこも開園されていない。今後どのように明治公園を開園していくのだろうか。後楽園や芝公園のように、特許公園とするのだろうか。
 ▼神宮外苑は特許公園で再開発だろうか 
 

 あるいは「公園まちづくり制度」をつかうのだろうか。これが本命らしい。
 わたしは都市公園制度のことをよく知らないが、東京都心部にある未供用の都市計画公園に限っての開発利用の緩和制度らしい。この制度は2013年に作られていて、しかも再開発等促進区の区域に適用するとあるから、2013年に神宮外苑地区計画指定と共に作られたようで、つまり神宮外苑再開発のために作られた制度であるらしい。(神宮外苑まちづくり指針
 そうだとすれば、さて、どこを都市公園廃止するのだろうか。たぶん、、ふ~む、、なるほどそういう陰謀であったかあ、フンフン、これを利用するとについては、現在の外苑都市計画公園の内、未供用の4.8ヘクタール分を公園指定解除できて、その6割を緑地等の広場にすれば、大規模再開発ができる、らしい、すごい。
 あの時に新国立競技場ばかりに気をとられて、その関連の立体公園制度に驚いたが、それよりももっとすごい都市公園制度の根幹にかかわるような、ドカンと公園廃止手法が作られたことに気がつかなったなあ、でもなあ、世の公園屋さんたちはそれでいいのかしら。(これについてはここに詳しく書いたので参照)

まちづくり公園制度解説図(東京都)

 公園になることを前提にした土地利用を進めてきた地区を、市街地再開発事業を適用して公園解除するとすれば、それは都市再開発法が本来予想していなかったことだろう。
都市再開発法第4条には、「道路、公園、下水道その他の施設に関する都市計画が定められている場合においては、その都市計画に適合するように定めること」とある。
 もっともこれは、公園を廃止してはいけないという意味ではなく、廃止したいなら都市再開発決定よりも前に廃止しておけということである。法の裏を読むのである。現にそのような事例はある。

 まさか今の都市公園指定を全部廃止することはあるまいとは思う。
 たぶん、高層ビルを建てる敷地を限定してそこだけ公園指定を解除か、いや、再開発事業区域の全部について公園指定を解除するのかもしれない。
 その区域では容積率を使いきれないが、使い切って大儲けしたいから青山通り沿いの伊藤忠本社の用地にも移転するのであろう。

 ではなぜ公園から容積移転するのか。公園指定区域は、ラグビー場は国有地だがそのほかはすべて明治神宮の土地で、宗教法人だから民有地である。公園指定外の土地に容積移転するとは、いわば土地の利用権の一部を売り払うと同じことであり、東京駅赤レンガ駅舎がやった様に、その売却収入で神宮球場の建て替え費用を稼ぐのであろう。
 つまりそこにも明治神宮が都市開発のプロである伊藤忠や三井不動産とともに市街地再開発事業に取り組む理由がある。
 ラグビー場用地は国有地だから、他の民有地に容積移転するとその権利関係の発生が国有財産法に抵触する(だろう)から、容積移転をしないだろう。

 では、なぜラグビー場と神宮球場とを入れ替えるのか。
 これはたぶん、国有地のラグビー場を民有地と合せて一つの施設建築物敷地にして再開発事業に乗せるには、国有財産のあつかいが国有財産法によってあれこれと面倒な手続きがあるし、政治的なちょっかいも入りやすいので、双方で避けたいことなのだろう。そのためには神宮球場用地と青山通り沿い民有地とを隣り合わせにしたいのだろう。
 ラグビー場を北端に寄せて、この部分は再開発事業では土地の入れ替えまで(土地土地権利変換)として、入れ替え後のラグビー場用地の建物は、独立して特定建築者制度をつかって建てるのであろう。
 ただし、民有地側には入れ替えによって大きなメリットがあるが、国有地側にそのメリットがあるのだろうか。入れ替え時にラグビー場を一時閉鎖しなくても済むのだろうか。
建替え段階計画(建設通信新聞から引用)

さてこの後はどのタイミングかわからないが、都市計画の新決定と変更及び都市公園の変更の法的手続きがある。
 都市計画法関連では、明治神宮外苑地区地区計画の変更として今回の再開発区域の地区整備計画を定めること、風致地区を変更すること、そして市街地再開発事業に関する都市計画を新たに定めること、そして都市公園法関連では明治神宮外苑都市計画公園の変更である。
 これらが一連のものとして登場したときに初めて、世間は全貌を知ることができるはずである。

 しかし、当初のこの地区計画の決定手続き時に、その内容のあまりの曖昧さのままに手続きを進めて決めてしまったことからして、今回もあいまいなまま、例えば目に見える完成予想図がないままに都市計画及び都市公園の審議会を通過するかもしれない。
 そしてその審議会に行く前に、世間に内容を問う案の縦覧に対して市民・区民・都民が何も関心を示さず意見提出公聴会もなかったという前回と同じように、この変更にも関心を示さないまま、審議会もあいまいな審議をして、簡単に決まるかもしれない。
 都民が関心を示さなかったのは、曖昧すぎる内容で何もわからなかったからとすれば、事業者の作戦成功であり、今回もそうかもしれない。

 それならそれで仕方ない?のだが、ひとつだけ注意を喚起しておきたいのは、もともとは明治神宮の内苑も外苑も国家神道としての国有地であったが、戦後の政治宗教分離政策施行時に、内苑は無償で外苑は市価の半額で宗教法人明治神宮の所有になったものだということである。つまり土地財産としては国民のものだったのだ。
 そこに民有地でありながら都市公園としての指定の意味があることに、市民も宗教法人も留意するべきだろう。都民の都市公園が東京の都市開発圧力にどこまで耐えることができるか、なかなかの見ものである。

 ここまで駄文を読んでいただいて感謝をするのだが、これを読んだ人は、都市計画素人には何を言っているのかほぼ分らないだろうし、都市計画玄人ならば古い制度の知識を錆びついた頭で書いてピントがオカシイと哂うかもしれない。
 わたしとしては分ってもらわなくても哂われてもよいのである、年寄りのヒマツブシとボケ防止で、思いつくままにグダグダ書いて描いて遊んでいるだけだから。

▼これまでの一連の五輪騒動記事は下記
https://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html
(2019/05/16、2019/05/20「公園まちづくり制度」を加筆)