2011/08/23

480ネパールからモティさんがやってきた

 ネパールからモティ・マハジャンさんがやってきた。
 モティさんは、カトマンヅ日本語学院の教員である。今年3月末から4月にかけてわたしが遊び仲間とネパール旅行に行ったときに、通訳兼ガイドをしてくださった。
 国際交流基金による日本語研修を受けるために来た。埼玉県に研修宿泊施設があり、50カ国程度から90人ほどの研修生が、遠くは南米コロンビアからもいるそうだ。

 モティさんはもう4回目の来日、横浜はまだというので、研修が休みの土・日曜日に、関東南部から行ったF、Y、Dの3人が横浜の港の街を案内、Fが自宅に宿泊招待した。
 元町を歩いていて、モティさんが突然立ち止まって店の看板を見ながら、このパン屋さんのご夫婦をネパールで案内したことがあるといい出した。
 閉店直前の店に入り、確かめたらまさにそうであった。そこを訪ねる予定はなくて適当に歩いていたのだから、まったくもって国際的偶然であった。
 数日前の休みには、研修生仲間の数人で富士山にも登ったという。モティさんはヒマラヤのある地の人だから、富士山の登りははたいしたことはなかったが、下りの須走りには困ったそうだ。

 翌日の弘明寺観音で、ネパールから来たと聞いた僧侶が、近くにネパール料理店があると教えてくれて、早速にたずねたら店中をあげて大いに盛り上がる。
「ゴルカキッチン」の名のごとく、カトマンヅからきたゴルカ出身者の経営である。
 経営者の弟の若者が給仕をしてくれて、横浜国大のドクターコースでバイオテクノロジーの研究をしているとのこと。さすがに日本語がうまい。
 久しぶりにネパールの味に再会した。評判の品はなんですかと聞くと、それはナンです、と答えるので、食ってみたがたしかに美味かった。ただし年寄りには1枚でも多すぎるのが、ナンである。

 つい先日、ネパールでは肝心の憲法はいまだにできないままに、首相が3ヶ月でまたもや辞任するというニュースがあった。
 その裏をちょっと聞いてみたが、南北にインドと中国という大国にはさまれた多民族国家の深い悩みは、政治素人外国人にはよくわからない。
 ネパールで案内してもらっているときは、忙しくてじっくりと話が聞けなかったが、こちらでは飯を食いながらあれこれと日本とネパールの違いやら同じところやらを聞いて、実に面白かった。
 長い昼飯となったその店を出て、「今度はヒマラヤでまた会いたいね」と、わたしはそこで別れた。東京に用事あるFが、銀座に案内して行った。

参照→●ネパールの旅      ●ネパール逍遥  ●草の根校舎の会