2014/02/03

893横浜都心隠居の空中陋屋から見る風景に大きな二つの変化が

 横浜都心の一部にあたる関外に居を移したのは、2012年の秋である。鎌倉田舎を脱出して都会人になったのである。
 それから関外、関内、みなとみらい地区などの新旧横浜都心部徘徊12年、じわじわと変わっていく街の様を楽しんできている。

 例えば、かの有名な伊勢佐木モールがどんどん落ちぶれていくとか、中華街あたりがめちゃくちゃ混雑で辟易とか、港のまわりが観光客に占領されちまったとか、ずっと変わらずに面白いのが横浜橋商店街だとか、みなとみらいは名ばかりマンションジャングル化するなあとか、そしてまた、なんだか老人向きの施設が増えてきているようだとか、徘徊の楽しみの種は尽きない。

●なぜ鎌倉脱出かの言い訳はこちら
http://homepage2.nifty.com/datey/kamakurasyunju0702.pdf
 ●なぜ借家かの言い訳はこちら
http://homepage2.nifty.com/datey/kamakurasyunju0703.pdf
●伊勢佐木1、2丁目の地区計画について
http://datey.blogspot.jp/2014/01/889.html
 ●横浜街なか徘徊の記録はこちら
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#yokohama

 
 わたしの住む空中陋屋借家からの風景は、ほとんど変わらないできたのだが、ここにきて二つの大きな変化があった。
 ひとつは南東に高層10階建ての名ばかりマンション(分譲型共同住宅ビル)がたちがり、北東にあった中学校が消えたのである。

 実は関外地区は人口が増え続けているのである。人口が増える住宅ビルがあちこちに増えているのだ。もちろん空地はないから、古いビルの立て直しである。
 さて、住宅が増えるのに、子どもが行く学校が無くなるとは、これいかに?
 それは、義務教育するような子どもがいなくなっているということ、言い換えると、わたしのような次世代生産能力がないものばかりがこのあたりには移転してきているのだろう。
 この街の人口が増えても、さきはジジババばかりの街になるのだろうか。まあ、それも仕方なしである。

 では、変化を目でご覧いただくとして、まずは南東に現れた名ばかりマンションである。
 ここに移転してきた時には、その土地には事務所ビルがあり屋上に毒々しい真っ赤な日産自動車の広告塔が建っていた。ここに来てから日産の車には乗らないことにした。
 そのビルが2011年になくなってホッとしていたら、今年になって跡地に完成したのが10階建ての名ばかりマンションである。
 その変化をパラパラ活動写真(gifアニメーション)でどうぞ。

 二つ目は、北東の中学校が2013年10月末から2014年2月初めまでに、日々消えていく様子のパラパラ活動写真である。
 
 
◆この弧乱夢の全文は下記のまちもり瓢論をどうぞ
「まちもり通信ホームページ
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm
または
・「横浜都心「関外」風景の変化を見つめるこの12年
https://sites.google.com/site/matimorig2x/yokohama-kangai-hukei

◆関連  
●景観戯造:横浜・わが家からの眺め(2012年4月)
http://homepage2.nifty.com/datey/keikangizo/kangai.htm   
●435風景破壊の自動車屋(2011年6月23日)
http://datey.blogspot.jp/2011/06/435.html


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