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2023/07/28

1697【醜い風景コレクション】日本の郊外風景を形成する自動車屋「枯葉作戦」という景観感覚


 この暑いのに、わたしの住まいの近所の立派に繁っていた街路樹が20本も100mの区間にわたって切り倒されて、暑いこと暑いこと。
 横浜市の道路管理者が、今年の冬は寒そうだからと、沿道や近所の歩行者に陽射しを十分になるようにと、親切心から切り倒したに違いない。そう思わないと市民としては救われない。まだ冬が来ない夏の今から陽射しを浴びて通り、熱中症になろうとしている。

 ところが企業としてもそのような考えを実行しているという新聞記事やネット書き込みを見て、暑苦しいことである。
 ビッグモーターなる中古車販売やら修理やら検査やらしている全国的展開の企業が、長期にわたって大規模な保険金詐取をしていることがバレて大騒ぎ、そのビッグモーターは、店舗前の街路植栽を積極的に枯らせることも全国的に展開したらしいというのである。

 店に日照りをよくしたいのだろうか。郊外の大きな通りに面して自動車をずらーっと並べている殺風景極まる景観を自慢したいのか。


 実はビッグモーターときたら、その殺風景さを目立たせるために、店の前の道路の植栽を、薬剤を使って枯れさせ、道路管理者に切り倒させているらしいのである。
 何しろビッグモーターの店の前だけ、道路植栽が枯れている風景が、全国各地のその店舗前に起きている現象だそうだ。薬剤を撒いていることを店員が証言しているのだから、確信犯としての「枯葉作戦」(ベトナム戦争でUSA軍による大量薬剤散布ジャングル植生枯死作戦)である。社長の言ではそれは「環境整備」なのだそうだ。確かに販売促進環境の整備ではあるが、公のものを無断で滅失させる罪の意識がない。

Googleストリートに撮影されてしまった枯葉作戦

 風景も醜いが、心も酷いもんだ。
 「ビッグモーター 街路樹」で画像をネットで検索すると、あるはあるは日本全国のビッグモ-ター店舗前だけ植樹が枯れた風景が無限のごとく登場する。
 でも思うに、ビッグモーターばかりか、その他の郊外沿道店舗はどこもかしこも枯葉作戦をやっているに違いない。そうでなければ日本の郊外沿道風景が、どこもかしこもあんなにも醜いわけがない。

 わたしの仕事は都市計画家であったから、全国各地に行きあちこちを見てまわることが多かったが、郊外道路沿いの風景のあまりの醜さに気が付いたのは、1995年に静岡県の掛川市でのことだった。
 掛川の中心部は城下町として、そのころからなかなかに良い景観づくりを目指して整備していた先進地である。それを見たあとで郊外の国道1号の沿道風景を見て愕然とした。立ち並ぶ店舗のあまりの乱雑さに驚いたのだ。

 それからは地方都市に行くごとに,郊外の主要道路沿いを探訪して、醜い風景のレクションをやっていた。とくに掛川のような歴史的な都市の都心部と郊外部の風景の大きな落差を探したものであった。その思いつく地方都市を挙げると、掛川、松江、倉敷、熊本、七尾、松本、新発田、半田などなど。

 とくに自動車関係の店舗と郊外型ショッピングセンターが、百鬼夜行のデザイン店舗を競い、樹木のない広大な野外駐車場の車の洪水、その周りに色とりどりにはためくバナーの類、全くどこに美的感覚があるのだろうと呆れるしかない。

 20年も前に集めたそれらを見ていて、どれにも自動車関係らしい巨大看板が派手な色で立っている。その醜さを和らげてくれるのが、街路植栽であるから道路関係者の道路植栽への力を入れることを望んでいたのだ。
 ところがなんとまあ、沿道店舗群はそれを積極的に枯れさせて、わざわざ醜い風景を露出させようとしていたのであったか。自動車産業は世も末である。

 以下に昔に(といってもこの30年ほど)撮影した日本醜い風景コレクションの一部を載せておく。とくとご覧あれ、なにが起きているか、誰がやっているか、。



この八ヶ岳が見える醜い風景について、もしも広告がなかったらどう見えるか
景観戯造遊びをしてみたのでこちらクリックをどうぞ

松江

松本

熊本






 もう長らく地方都市の郊外に足を延ばしていないから、今では美しい風景に代わっているに違いない、ビッグモーターは例外と思おう。(20230727記)

参照景観戯造





2023/02/23

1673【未来へのバトン】熊本の歴史的都市生活空間を次世代へ継承するNPO活動がすごい

1993年撮影 旧第一銀校熊本支店

 上の写真は、わたしが1993年に熊本市内で撮った赤煉瓦ビルである。1919年に旧第一銀行熊本支店(設計者は西村好時)として建てられた。この時は「熊本中央信用金庫」の看板がかかっている。

2022年 PSオランジェリ (「未来へのバトン」よりコピー)

●NPO熊本まちなみトラストの活動記録が来た

 そして先日送られてきた熊本市のまちづくり活動団体のNPO「熊本まちなみトラスト」(KMT)による冊子「未来へのバトン」(2023年)に、上の写真のような現在の姿が載っている。「PSオランジェリ」の名で民間企業の施設として、立派に生きて使われている。

 その冊子には、この建物の二つの写真の間におきた社会変動や地震災害(2016年)による取り壊しの危機をくぐりぬけて、継承に成功した市民活動の歴史が語られる。
 そしてその保全と活用の活動は、ひとつの建物から複数へ、そして地域まちづくり活動へと、熊本市中心街全体にわたる歴史的な生活空間の保全と活用に展開する。これは日常生活空間の記憶を未来への継承である。

KMT活動年表の一部
 
 その多様な歩みの報告を見ることができるが、それらはこの建物の様に成功したものもあれば、あえなく消えたものもある。熊本市の中心部の歴史的な生い立ちと経緯を踏まえつつ、次の世代に街を継承していこうという、市民の自発的な活動である。

 NPO設立からちょうど四半世紀、そのまえの任意活動団体時代も入れると、37年も続いてきている。その25周年記念誌が、事務局長の冨士川一裕さんから送られてきた。A4判でカラー刷り、100ページ近い立派な書籍である。
 記念誌のタイトルは「未来へのバトン」とある。まさに記憶の継承」を基本コンセプトにする、このNPOの人たちが愛する歴史ある熊本の街を、豊かな形で次世代市民へ手渡していこうという、活動の心根がこもる言葉である。

 その活動について大勢の活動参加者たちが文を寄せている。城下町の生活と生業を支えてきた歴史ある都市空間を、時代に対応させつつ生かして、次の世代も使っていくことができるように伝えていこうと、その当事者として動いた市民たちの寄稿である。
 特に熊本市は2016年に巨大地震で、次世代に伝えるべき都市の歴史や生活資産の多くが被災したために、その継承に多大多様な活動をして困難を乗り越えた貴重な体験を持っているのが、大きな特徴である。そこにはそれまでの20年にわたる活動の蓄積があったからできたのであろう。

 都市の歴史的資産の継承に、いわゆる伝統文化保存の面からだけではなく、都市生活の継続という面からも評価して取り組む活動がすばらしい。都心市街地における保全と再開発の軋轢は、古くて新しい問題であり、このNPO熊本まちなみトラストの活動の動きが、全国各地の先導となるものであろう。

冨士川さんからの送り状と25年記念活動振り返り講演記録のページ

 この記録集が上梓された裏には、活動の資料をきちんと整理保全していた冨士川事務局長の努力とその能力がある。それこそが記憶の継承の基本である。

●冨士川一裕さんとわたし

 さてこの冊子を送って下さったのは、KMT事務局長の冨士川さんである。ここからはわたしと冨士川さんと熊本をめぐっての回顧譚である。わたしの覚書として記しておく。なお、わたしは富士川さんよりも一回り年上である。

 冨士川さんは都市計画家である。実質的にはこのNPOをとりしきって来られた大番頭さんらしい。修業時代の後は生まれ故郷の熊本に腰を据えて活動して来られている。わたしはその地域密着主義に大いに敬服している。
 同じ都市計画家として私は根無し草で、冨士川さんのように生まれ故郷の地域に足を付けて活動しては来なかったので、彼を畏敬し、引け目を感じている。

 実は冨士川さんとわたしとは、時期は違うが若い時の数年間を、藤田邦昭さんという同じ師匠のもとにいたことがある。日本の都市再開発の草分けであった藤田さんは、まさに地域に入りこみ、地域の人々とひざを交え語りこむ地域第一主義の人であった。弟子の端くれのわたしもそれを心がけたが、冨士川さんには及びもつかない。

 わたしは冨士川さんとはいつから知己となったか、覚えていないほど老いてしまった。そこでPCの中の写真ファイルを探したら、1993年6月が熊本で最初の撮影で、冒頭はその1枚である。それが初めて熊本訪問であったようだ。
 その後にも96年と98年に訪ねているので、3回とも冨士川さんに世話になっているはずだ。どんな用事だったか当時のメモ手帳を繰ってみた。

 93年は熊本には九州の他の地から(臼杵、久木野など)の寄り道であって半日いただけだから、冨士川さんには会っていないかもしれない。会っていれば初対面である。
 だがこの時に、この冒頭に載せた赤煉瓦建物の写真を撮っている。記念誌の冊子によれば、この保存問題に取り組み始めたのは97年からとあるが、それは冨士川さんの案内であったからだろうか。当時は単に美しい赤煉瓦建築だから撮ったのだろうか。

 メモ手帳によると1996年5月と6月に熊本訪問しており、どちらも1泊して冨士川さんと会っている。
 6月には熊本ファッションタウン協議会の講演会に、冨士川さんと一緒に参加している。「ファッションタウン」とは、そのころ経産省と国土庁の政策の中に、産業振興計画(ものづくり)と都市計画(まちづくり)を融合して地域振興を行おうとするもので、「ものまちづくり」とも言った。全国のいろいろな都市を対象に調査計画を策定していた。熊本市もその一つであり、冨士川さんもわたしも関係する委員だった。

1996年5月23日撮影 住友銀行 現在は民間企業施設として保全再生

 この時は打ち刃物職人の街・川尻にも案内してもらった。伝統的な職人町は伝統的な町家の連なる景観で、これは熊本ファッションタウンそのものだと思った。今も川尻はその伝統が続いているのだろうか。
 ファッションタウン計画を策定して進めようとした都市は、熊本、今治、倉敷(児島)鯖江桐生、墨田区など多くあったが、多くは目に見える成果は少なかった。むしろ各界の市民参加の計画策定の過程そのものが地域振興活動であった。産業政策と都市政策の融合はむつかしい。熊本はどうなったのだろうか。

 98年1月の熊本訪問は、「まちなみ・建築フォーラム」という雑誌の編集者として、冨士川さんに取材したのだった。古町の街づくりについて記事を書いてもらった記憶があるが、手元にその雑誌が見つからない。
 その雑誌は、創刊から5号まで発行して休刊した。建築とまちづくりを融合した専門誌と一般誌の中間雑誌にしたかったのだが、失敗した。その原因は、専門家船頭が多すぎたことで内容が専門的な方向になりがちで、一般読者を得られなったことだと私は思う。

1998年1月17日撮影 清永産業 地震被災後に修復保全再生

1998年1月17日撮影 富重寫眞所 現在もあるのか

 その後はわたしは熊本に一度も行っていないが、冨士川さんとは日本都市計画家協会の共に理事としての付き合いは続いた。その2021年の協会主催の全国まちづくり会議を、冨士川さんは熊本に誘致して開催したが、その手腕と意気込みに驚嘆した。

 冨士川さんは最近はカフェ「雁木坂」のマスターになり、ますます地域との密接な関係を築くべく空間を創出して、日常としてのまちづくりへの歩みを進めているようだ。
 実は、私と彼とはもう10年以上も会っていないが、フェイスブックを通じて氏の日常をなんだか知っている感がある。同様に氏もわたしを知るに違いない。
 私は横浜都心隠居して約10年、足腰維持のために街を徘徊して眺めるだけの日々である。冨士川さんの活動を自分のものとして勝手に置き換えてみる楽しみがあり、フェイスブックを今日も開く。

 ところで、ここまで書いて気がついたのだが、冨士川さんは霞を食ってNPO活動に身を捧げてこられたのではあるまい。あ、もしかしたら大富豪だろうか。
 冨士川さんは熊本に根差す都市計画家として建築家として、人間都市研究所主宰者としては、どんな仕事をなさってきているのだろうか。それをほとんど知らないし、ネットにも情報がない。それを知りたい、そうだ、熊本に生きる都市計画家として本を書いてもらいたいものだ。

(20230223記)
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2022/04/03

1614【大岡山花見2022報告】雨の中の満開桜の花見ってのもオツなものでした

 建築クラス同期仲間の例年の大岡山花見会の報告です。例年と書きましたが、2021年と2020年はコロナのせいで花見ではなくて、行きたいものそれぞれ勝手に花見したのでした。ですから今年は3年ぶりに花見会となりました。

大岡山正門を入って百年館を背にして本館方面を見る 左は瀧プラザ、右は図書館

 あいにくの雨もよいの天候でしたが、しっとりの濡れた満開の花々は今にも散ろうとしつつあり、それは情緒のある風景でした。
 春休みの雨の日曜日のキャンパスは静まりかえっており、わたしたち5人で花を占有する贅沢なひと時でした。本館前の花見広場の周りは、残念ながら立ち入り禁止の縄張りがありました。

本館前の桜の広場

 わたしたちの集合写真のシャッターを押してもらった守衛さんの話では、明日4月4日は入学式と卒業式で、広場も全面開放だそうです。学生たちの人数が多いので何回か何日かに分けて式を行うそうです。ならば明日も来ようか、いや明日も雨らしい、迷います。

酔っ払いのごときヨレヨレ桜は並行して若木を植えて交代時期が近い

本館正面だけが妙に白いので、壁面を最近に洗ったらしい

桜は幹も枝もヨレヨレでも花は立派に咲いている


写真撮るときだけマスクを外しました

呑川緑道

緑が丘の上にて

 これで2022年春の雨の大岡山花見風景はおしまいです。
 この後は大岡山商店街で、餃子とビールで久しぶりの飲み会を3時間ばかり、やっぱり飲み食いしながら話すのがいちばんいいなあ、次は紅葉狩りやりたいね、なんて言いながら散会しました。
 
 ついに今年も4月になりました。2019年春のコロナ以来、毎年春になるとつぶやいているこんな狂歌があります。ご存じ西行法師の本歌取りです。
   願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のコロナ
 今年の春もつぶやきつつも生きのびているありさまです。でも今年はコロナの上に戦争も勃発しましたから、夏か秋かに冗談でなく「死なむ」になるかもしれません。生まれたときの日本は十五年戦争の真っ最中、そして死ぬ時ももしかしたら・・・、嫌な時代の地球に出くわしたものです。 
(20220403記)



2021/08/24

1584【日本醜景図鑑】今更ながら地方都市郊外の景観はどこもかしこも醜いけどそれでよいのか

 こんな風景がある。どれがどこの街か説明するほどのこともないが、日本東西南北のいろいろな地方都市の郊外部の景観である。似ているようだが同じ町ではない。












 地方都市の郊外部がこんなに醜い景観になってきたのは、1980年代からだろうか。街によっては、その中心部には観光宣伝する伝統的な美しい街並みがあるのに、その郊外となるとこのように醜い景観の街が出現している。

 自動車でその町を訪ねると、まずこのような醜いところを通り抜けないと、美しい町並みには出会えない。玄関と客間のギャップに驚く。

 ところが意外にも、その街に住む人たちは、その郊外景観を気にしていないらしい。気にしていても、「むしろ、にぎやかになって歓迎している」と言われたりする。あるいはその醜さに気が付かないで、わたしの指摘に困惑する人もいる。賑やかさと醜さは比例するのかと、こちらが困惑する。

 上に載せたのは、わたしがこれまでに訪ねた全国各地の街で採集した「日本醜観図鑑」の一部である。実はこのような画像をかなり多数集めていたので、インタネットサイトに図鑑として載せていた。ところがプロバイダ側で何かあったらしく、消えてしまったことに気がついて、再度制作し始めているところである。ここに一部だけ復元して載せた。

 最近、このことを大学同期仲間のZOOMミーティングで話した。その時の一枚がこの地方都市郊外の景観である。

2009年当時の景観

 そして、これはあまりに醜いので、わたしが画像いじりして、商業看板類を撤去してみたら、こんなにもすっきりした景観になった。向こうの雪の山が美しく登場した。典型的な「山あて」の景観である。

2009年の画像から派手な看板類を削除してみた

 だが、これを見たその地に住む友人が言った。
「この交差点で左折してわが家に戻るのだけど、いつもその角にある派手な看板を目印にしているから、消されては困る。醜くても必要な看板だよ。それにこんな景観になったら、寂しくて嫌だ。あの山なんていつも見ていて、もう見飽きている」

 ごもっともである。でも、しゃくだから、こちらの画像を見せた。

2018年撮影の上と同じ交差点の景観 googlestreet

 そして友人にちょっと反論した。
「これは同じ交差点で、上の写真の10年後のグーグルストリートの画像だよ、わたしが撮った以前の景観と比べると、基本の汚さは変わらないけど、看板類は変っている。看板を頼りに運転してると迷子になる、やっぱり道路交通案内標識を見て運転しましょうよ。それに、せっかく美しい山の姿を、よそ者にも見せてくださいよ、おおいに自慢していいから」
 さて、この論争の行方はどうなるか。これは全国共通の話題だろうか。

 全国各地の困った景観などを面白おかしく見せるページを作っているので、ご覧になってご意見をください。
 景観戯造今昔図鑑https://matchmori.blogspot.com/p/keikangizo.html

(2021/08/24記)

2020/01/31

1440【フェイクバカ2020年1月狐乱夢】寿町、ゴーン、渋谷、震災、入試、バウハウス、コロナV、津波、バカ総理

1月3日【初徘徊は寿町】
 2020新年初徘徊は、その名もめでたい寿町、46年も続く越年炊き出し、そして直ぐ近くの元町と中華街の超賑わい、豊かな日本列島正月風景。

伊達の眼鏡ブログ新記事:横浜関外関内ヨタヨタブラブラ初徘徊

https://datey.blogspot.com/2020/01/1437.html

1月5日【トランプがイラン高官暗殺】
 キリスト教会で殺人を自慢する大統領!、それを神の福音と聞いてか祝福支持する福音派教徒たち!、日本でも中国で似たことやって暴支膺懲なんて日中戦争に、、コワいなあ。



1月5日【元ニッサン会長ゴーン氏日本脱走】
 Ghosn Has Gone  Ghosn With The Wind!


1月9日【渋谷駅ゴチャゴチャ再開発】
 東京の渋谷駅の電車乗換巨大立体迷路、もう何年も行くたびに変化して、よくまあ作るものだとホトホト感心。
 この正月から地下鉄銀座線渋谷駅が、百貨店ビルの中から明治通りの上空に移転、「スクランブルスクエア」なる新築ビルが立体乗り換え通路に整備されたとか。これで立体迷路もついに解消かと思ったら、ますます迷路性充実で混雑混乱ゴッチャゴチャ度は増すばかり。
 ところがこの立体迷路開発者はよく分っていて、新ビル名「Scramble Square」、日本語だと「ゴッチャゴチャの自乗」。
 うまいネーミングだなあ「ゴチャゴチャ×ゴチャゴチャ」とはねえ、そう、建築デザインはゴッチャゴチャ、歩行者動線もゴッチャゴチャだもんね。


1月10日【怪しいハイテク:PC】
今月からWIN7の面倒見をもう止めるぞ、新品PCを買えと、真っ黒粗太から脅迫が来た。アコギなIT屋である。
 フン、それならうちの机上でVUやったろうぜ。で、うちのPC君はなんと開始から約6時間半もかけて、7から10へと3段飛び昇級試験に、見事に合格したのである。
 思えば、わたしが使ったPCのOS歴をたどると、1988年のMacintoshから始めて、windows95、98、ME、CE、XP、7、10とやってきたことになる。まったくよく買い替えさせられたものよ。コンチクショウメ!
●伊達の眼鏡新記事:うちのPCWIN7が3段飛級試験合格WIN10に
https://datey.blogspot.com/2020/01/1438.html


1月11日【渋谷毒虫デザイン再開発】
まだ行ってないけど、無気味で怖くて行く気がしないなあ、毒虫デザイン




1月17日【阪神淡路大震災四半世紀】
今日は1月17日、阪神淡路大震災からもう四半世紀か、3月になってようやく訪れることができた神戸、歩いて歩いて歩いて、その光景を凝視し記録し続けた。写真はその時の数枚。その後も何回も訪れたが、何も支援できず。
 それから9年半後2004年秋に中越大震災発生、今度はNPO仲間と継続的に訪れて、被災山村でささやかながら復興手伝いをした。
 そして2011年春、東日本大震災ではなすすべもなく、ネパールに逃げたが、その4年後ネパール大震災、もう逃げる先はあの世しかない。



1月19日1月【入試落ちた】
 今日の新聞はいやに厚い、見れば共通の大学入試問題が何ページにもわたって載っている、関係ないから無駄、新聞代がもったいない、でも、せっかくだから1問くらいはやってみるか、暇つぶしに。
 で、原民喜をとり上げた国語問題をやって、解答と比べて、ありゃそうなの~?、う~ん、こりゃ落第だ、や~めたっ。
 でもなあ、なんでそれが正解なんだろ、わからん、??、問題作った人の考えを聞いてみたい。

1月22日【バウハウス100年】
 近所の映画館で、「バウハウス100年映画祭」シリーズのC「、『ファグス ― グロピウスと近代建築の胎動』」を見た。https://trenova.jp/bauhaus/ 
 『ミース・オン・シーン』では、実物を見てないが、映画で見たバルセロナパヴィリオンはすごい。これまで実物を観たミースの作品は、シーグラムビル、ベルリン国立美術館・新ギャラリー、IITクラウンホール。
 対する『ファグス ― グロピウスと近代建築の胎動』のファグス工場は、時代相を考えないで観ると駄作だね。まあバウハウス校舎もそうだけど。
 そういえば、私はグロピウスの孫弟子になるのだな、それにしてはグロピウス作品については、ニューヨークでパンナムビルを遠望したくらいなものだから、孫弟子は取り消し。作品がもともと少ないし、建築家よりも教育者だものね。
 「「バウハウス 原形と神話」では、戦間期に大きく輝いたこのバウハウスというアート運動にも、実はナチス協力の陰影もあったらしいことが、、。
・伊達の眼鏡ブログ記事:【バウハウス100年映画祭】ミースとグロピウスそして山口文象たち世代の戦争責任は
https://datey.blogspot.com/2020/01/1439.html


1月24日【新型コロナヴィールス武漢三鎮攻略作戦】
 中国の武漢がいま総攻撃を受けているそうだ。攻撃しているのは新型兵器を持つコロナウィルス軍。
 武漢攻撃と聞けばすぐ連想するは、あの有名な「武漢三鎮攻略作戦」、あの時は日本軍から総攻撃を受けたよなあ、
 え、知らない?、そうかなあ、まあ、昔々の1938年のことだからなあ、もっとも私だって直接は知らないよ、日中戦争を少し勉強したから知っているけどね、このあたりから日中泥沼戦争に入っていった。その泥沼の中に若妻と赤ん坊を残して入っていった父もいた。
 そして今、武漢市は都市封鎖作戦で防御戦中とか、どうか頑張ってください。あの時は陥落はしたけれど、結局は最後は追い出したのですから。

1月25日【確率ってこういうことかしら?】
 今後30年のうちに高さ3mの津波が、海岸に押し寄せる確率が26パーセントって、どういう意味ですか?
 確率ほぼ4分の1というのだから、4年に1回は3m以上の津波が来るってことか?、これまでそんなに津波来てないよな、南海虎が急に心変わりしたのか、けっこう怖いなあ。

1月25日【地域再生は選挙で:河合某議員に自民党が1.5億円交付】
 いいなあ広島の人たちは~、去年の春夏たった4か月間に、ドサッと1億5千万円+千五百万円も、自民党から地域に投資があったんだあ、選挙で広島は活性化したんだろうなあ~。
 それにしても選挙って、そんなに投資するんだから、当然のことに儲かるんですね、だったら地域再生政策として、毎年国会議員選挙をやりましょう~。
 次はぜひ、うちのあたりでどなたか、自民党から立候補して、短期に2億でも3億でも、地元にお金落としてくださいな。

1月29日【内閣総理大臣の資質】
 衆院予算委員会でこんなやり取りをしたと、動画がネットに流れていて、見れば確かにこう言っている。
 宮本議員「幅広く募集をしているということは、いつからご存じだったんですか」
 安倍首相「私はですね、幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったものです」
 可笑しいなア、国会ってそういうところなんだあ、。
 こういうやり取りは、どこまで本気なのだろうか。 安倍さんが本当に「募る」と「募集」とは違う意味だと思っていたので、バカと嗤われるとは全く思うことなく、堂々とこう回答したのだろうか。
 それとも、嗤われると知りながら委員会の質疑応答時間を浪費して野党の追及を逃れる戦術で、わざとバカを装ったのか。
 どっちにしても、一国の宰相が急性もしくは若年性認知症でないことを願うばかり、もちろん真正バカでないことも。

1月29日【新型コロナヴィールス肺炎流行と老人】
 ただいま世の中は、新型コロナヴィールスによる新型風邪が大流行開始の危機にあり、用もないのに出歩くと犯罪扱いの模様、さて、ずっとうちで寝てるのは楽でいいけど、年寄りは足腰が弱って、そのまま寝たきり老人になる虞れ十分、ここは、いっそのこと出かけて積極的に感染、コロリと逝けば楽なのにと思えど、死亡率は中途半端だしなあ、うちにいても困る、出かけても困る、どうしたもんだかねえ。