昨日、媒図かずをのまことちゃんハウスのことを書いた。
でも、こんなことをいっている人もあることを雑誌で読んだ。
「東京をはじめ、日本景観てコントロールされていないじゃないですか。行政も民間も個人も片っ端から身勝手につくっていった日本の街には、電柱がお似合いと思うんです。電柱のない新興住宅地を見ていても、一戸一戸が非常に無個性で、町になると味気なくてつまらない。そのつまらなさをナントカしていたのが電柱や電線だったと思います。周囲との融和を考えていない住宅があれだけたつ中、ゴチャッと電柱群があることで、緩和しているのですね。だからそういう電柱をなくすとは何事かと(笑)。日本の街並みが美しければ、たしかに電柱は邪魔かもしれませんが、無秩序な街を無秩序でもって排しているほうがまだいいと思います。」(庵野秀明 「建築雑誌」2009.01 新景観対談)
アナーキーなような常識的なような、真面目なようなひねくれたような話なので、ご当人がなにが本気なのか分からないが、かなり面白い。
そういえば、むかしは電柱と電線は文明開化のシンボルで、地域の誇らしい景観だった。日本橋通り→本郷など、明治期東京の名所写真や絵には、ものすごい電線がある。
ところが、電柱電線は醜いから排除しろとか、ゴチャゴチャ看板は汚いから統一しろとか、街なみはスペイン風にせよとか、いや和風で統一しろとか、今や景観帝国主義様がお通りの感があることも事実であり、それはもちろん景観無政府主義が蔓延する日本であるからだ。
この対談のある雑誌には、コンビナート工場の配管を見るとか、高速道路インタチェンジを下から見あげるとか、水門ばかり見るとか、古い団地を訪ねるとか、そもそも景観ではなくて物マニア見物好きに語らせているのだが、期せずして景観帝国主義批判になるのが面白い。
はじめは腹が減って(あまりに汚くて)何でもいいから食べたい(直したい)から、いまや偏食やイカモノ食いもあって何が悪いの景観論議となって、ひとつの段階に来ているようだ。
東京駅復原反対論や日本橋上空高速道路撤去疑問論やらも、そのうちのひとつなのかしら、。
参照→東京駅復原反対論 ディズニーランド化する都市景観
0 件のコメント:
コメントを投稿