2009/08/06

161【くたばれ乗用車】そこのけそこのけお車様が通る

 電気モーター自動車とか電気ガソリン併用自動車とか、要するに電気モーター走行自動車がもてはやされつつある。そこには排気ガスがない(これは疑問であるが)とか、騒音がないとかの利点があるそうだ。
 今朝の朝日新聞社会面に「静かすぎ車 音出す実験 電子音・擬似エンジン音・・「わかりにくい」多く」との見出しの記事がある。

 電気モーター走行の自動車が歩行者のそばにやってくるとき、騒音がないので歩行者が気づかないので危険であるから、気がついてよけてくれるように、安全のために騒音をわざと出すのだそうだ。
 全くもって世の中には、とんでもないバカなことを考える人たちがいるものである。
 だって、自動車の騒音が深刻な社会的公害問題であることは明々白々であり、自動車のほうが歩行者よりも絶大に強くて加害者になることも明々白々であるのに、この記事はそのどちらも否定しているのである。

 国交省の委員とかの意見として「音だけで車だとわかり、、、」と、騒音発生を肯定し、音を出して歩行者がよけることを前提にしているのである。
 絶対的に強い自動車のほうが注意して歩行者を回避するべきが前提なのに、その逆を前提にものごとを考えている。
 自動車が歩行者を回避できないときは、停まればよいのだ。そして窓から首を出して、「恐縮ですがそこを通してください」って言いなさいよ。

 刃物を振り回しているヤツの刃物を取り上げるのじゃなくて、振り回すと刃物から音が出るようにして、近くにいるものが逃げやすいようにしようって発想である。
 バックしてくる自動車が「バックします、注意してください」と、甲高く機械発音するのがいつも癪に障る。注意するのはそっちだろうが、、。
「そこのけそこのけ車が通る」思想は、抜きがたい20世紀型発展神話として、日本人の脳裏に植えつけられてしまったのだろう。 頭の中はいまだに発展途上国である。

 そういえば、60年代に自動車が普及し始め頃、車を運転するヤツはやたらとクラクションを鳴らしていたものだ。日本が発展途上国の頃、自動車が発展神話の象徴だった。今は中国だろうか。
 電気自動車の出現で空気がきれいになるというのは嘘でも、騒音はなくなるのは本当らしいと思っていたら、なんとわざわざ騒音発生装置をつけるんだとさ。
 それがいかにも歩行者の安全のためにというおためごかしの理由で、、、バッカジャナカロカ、、、静かに走って自動車のほうで気をつけてよけろよっ!。
 そのうちに携帯電話の着信音みたいに、それぞれ自動車ごとにてんで勝手な音を出して、そこのけそこのけって走るんでしょうな。、、、いやだいやだ。
 参照→電気自動車に税投入は適切か

付記:インタネット新聞JANJAN2009.8.12に、「歩行者脅す「エコカー音発生装置」は本末転倒」という記事が載った。
付記2:2009年8月18日朝日新聞朝刊「声」欄に、「HV車 音に頼るより声掛けを」と題して、天野俊歩さんの次のような投稿が載った
「・・・私は歩行者が多い道を走るときにはほとんど歩行者同じ速度を保つようにしている。モーターで動くHVはエンジンと違ってエンストすることもないから容易なことだ。しかし追い越したいときには窓を開けて「すみません、先に行かせてください」と声をかけている。これでたいてい気がついてよけてくれる。もちろん、お礼を言いながら頭を下げる。・・・だいたい音を出して歩行者をよけさせようという発想が傲慢だ。道の上ではお互いに尊重しあうのがあたりまえではないか